上 下
36 / 63

34

しおりを挟む
 それから数日後、黒兎は一日休みを取り、人と会う約束をしていた。

「あ、綾原さーん」

 黒兎の自宅マンションから、歩いて行ける喫茶店。店内で待っていたのは、いずみだ。

「すみません。色々とお世話になったのに、お礼が遅れて……」

「いやいや、そんなのいいですよぉ。私も綾原さんが大変な時に異動になっちゃって、挨拶もできなかったんですから」

 そう、黒兎が雅樹の家で療養をしている時に、彼女は本部へ異動になっていたのだ。

「それよりも! もう身体は大丈夫なんです?」

「ええ。まだ時々身体が反応することはありますけど、概ね良好です」

 良かった、とため息をつくいずみ。大体の事情は雅樹から聞いていたらしい。にっこり笑って、片想いの方も、と呟く。

 黒兎は乾いた笑い声を上げた。黒兎は彼女に会いたいと連絡した時、雅樹の方からも連絡があったらしい。その内容が『黒兎のことだから間違いはないと思うけれど、終わったら真っ直ぐ私の所へ来るようにと伝えてください』だったそうだ。

(爽やかな顔して嫉妬深いな……)

 その連絡に、いずみへの牽制、黒兎への束縛を感じたいずみは、すぐに黒兎へ確認の連絡をした。それも話すつもりだった黒兎は、先に雅樹との関係を話す羽目になったのだ。

「まあ、お互いまだ探り探りですけどね」

 いい歳した大人なので表には出さないけれど、はたから見たら二人は、高校生が恋をするような、甘酸っぱい雰囲気を漂わせているのだろう、と黒兎は思う。

「本当に良かった。綾原さん、さらに表情が柔らかくなりましたね」

「そうですか?」

「ええ。できればその顔は、私の前だけにしてもらいたいけれど」

「ま……っ!」

 横から声がして振り向くと、雅樹がいた。何で? と問うけれど、雅樹はいずみと丁寧に挨拶を交わしている。

「では、お迎えが来たことですし、私は失礼しますね」

「え、ちょっ……」

 そう言うと、いずみはサッと伝票を持って行ってしまった。黒兎は彼女が去って行った方を眺めて、呆然としていると、私たちも行こうか、と声を掛けられる。

「……何でいるの?」

「さあ? 偶然かな?」

 絶対嘘だ、と思いつつも、黒兎は何も言わずに立ち上がった。
 そもそも、しばらくいずみに会えてないからと零したのは黒兎だったのだ。会いたいなら連絡取ってみれば、と言ったのは雅樹なのに、なぜこうなるのだろう?

(やっぱ、嫉妬……なのかな)

 嬉しいやら、困ったやら。黒兎は店を出て、雅樹の車に乗り込むと、車は滑るように走り出した。





 しばらくして到着したのは、どうやらAカンパニーの管理する稽古場のようだ。どうしてここに? と思っていると、すぐに理由は知れた。

「社長、お疲れ様です!」

「ああ、お疲れ様。光洋みつひろは見なかったかい?」

 通りすがりのスタッフに、雅樹が聞いたのは光洋の居場所だ。嫌な予感がする、と黒兎は思わず雅樹を止めた。

「まさか、月成つきなり監督に今から会うのか?」

 そうだよ、と微笑む雅樹に、黒兎はどうしようもなく不安になった。光洋に言われた言葉が、トラウマにも関係しているからだ。

「おい雅樹」

 そして躊躇っている間に、当の本人が来てしまう。黒兎はびくりと肩を震わせ、顔を強ばらせる。

「出掛けるなら人に伝えて行けと、何度言ったら分かる」

 雅樹は黒兎の背中にそっと手を当てた。大丈夫、と宥めるような仕草に、少しだけホッとする。しかし、光洋の黒兎を見る目は冷たいままだ。

「……何で芋がここにいる?」

「光洋。この人は私の大切な人だ」

 二年前のこと、謝りなさい、と雅樹は言う。

「光洋が黒兎を帰した後、彼がどうなったか話しただろう?」

「……悪かった」

「光洋」

 肩を竦めただけの光洋に、雅樹は厳しい目を向けた。黒兎はずっと、床を見つめているだけだ。

「おい、そこの……あー、くろと?」

「黒兎と呼んでいいのは私だけだ」

「ほんとお前はめんどくせぇな。……いいから、顔上げろ」

 前半は雅樹に向かって、後半は黒兎に向かって言った光洋は、ガシガシと頭をかいた。
 黒兎は顔を上げると、野性味溢れる顔があった。でもやはりその視線は強く、黒兎はすぐに視線を逸らしてしまう。

「……悪かった。これからも、雅樹を支えてやってくれ」

 思ってもみない言葉をかけられ、思わず再び彼を見た。そこには先程よりも、少し柔らかい表情の光洋がいる。

「……確かに、前よりはいい顔してんな」

 せいぜい潰されないようにしろよ、そう言われて、彼なりのエールなのだと分かると、黒兎は重く受け止め、深く頷いた。

「大丈夫。そんなこと、私が絶対にさせない」

「その中にはお前も入ってるんだがな」

 まったく、俺以外には溺愛系なんだから、とボヤく光洋。雅樹も笑って、優しくしても良いけど? と言っていた。

「やめろ。お前に優しくされたら、何か裏があるんじゃねぇかって思うから」

 光洋の言葉に、雅樹はクスクスと笑う。黒兎は二人の表情を見て、本当に遠慮しない仲なんだな、と微笑ましくなった。

「じゃあ、お昼まで黒兎は応接室で待っていようか」

 それからみんなでご飯にしよう、と言われ、本当にこの人は、こういうことが好きなんだな、と苦笑する。

「……好きだよな、人と食事するの」

「うん? まあね。家族とは、まともに食べた記憶がないから、その埋め合わせなんじゃないかな?」

 にっこり笑って言う雅樹の言葉には、事実以外の意味は含まれていないようだ。だからこそ、黒兎は少し胸が痛くなった。

 けれど、その寂しかった頃の雅樹を、自分が埋めてあげればいい。そう思うと胸が温かくなる。

(……好きだよ)

 黒兎はそっと心の中で呟き、彼に微笑みかけた。


(本編 おわり)
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【BL】GAME

BL / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:19

【完結】1億あげるから俺とキスして

BL / 完結 24h.ポイント:782pt お気に入り:1,099

攻略対象の婚約者でなくても悪役令息であるというのは有効ですか

BL / 連載中 24h.ポイント:2,733pt お気に入り:1,965

残業リーマンの異世界休暇

BL / 連載中 24h.ポイント:56pt お気に入り:662

明日になれば、あなたはいない

BL / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:29

【ショートショート】二人が帰る場所

BL / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:3

処理中です...