25 / 46
25 身代わりなんかじゃない
しおりを挟む
祐輔は声を抑えて泣く蓮香の頭を、ずっと撫でていた。
「病院に着いたらもう遅くて……間に合わなかったんです……」
柳が亡くなった原因は、病巣が血管ごと破裂してしまったことによる、失血死だった。異変に気付いた本人がナースコールをしたものの、場所が場所だけに、なすすべもなく逝ってしまったらしい。
「何がなんでも、結婚式は断ればよかったって……! 俺が最期を看取りたかったのに……っ」
蓮香の痛々しい叫びに、祐輔も胸が痛くなった。そして巨悪の根源芳川が、蓮香の中に大きなトラウマを植え付けたのは間違いない。
何て声を掛ければいいか分からず、祐輔はただただ彼の頭を撫でる。
「葬式も納骨も済ませて落ち着いたら、今度は俺が体調を崩したんです。そしたらまたアイツが……」
いい加減しつこいな、と祐輔は思う。蓮香はスマホを新規で契約し連絡を絶ったはずなのに、会社にまで押しかけてきたという。
「あんたのせいで結婚式台無しになった、パパにも叩かれた、どうしてくれるんだ、と会社の前で連日叫びに来て……」
芳川の異常さと蓮香の怯えように神谷が気付き、追い払ってくれたという。神谷は蓮香が仕事ができる状態ではないと判断し、休職を勧めた。
どうしてそこまで蓮香に拘るのかと思う。そしてその答えは、芳川の結婚式の参列者が、奴の父親の関係者ばかりだったことにあるのでは、と祐輔は考えた。
けれど、親友だと言いながら、自分の都合ばかり押し付ける心理が分からない。
「……でもね、休んだら休んだで余計なことを考えるんですよ。美嘉はいないのに、アイツは何で生きてるんだって」
蓮香の手はずっと、震えている。祐輔は相槌を打ちながら、その手を握ってキスをした。
「死んだらダメだと思いました。けど美嘉のいない世界に意味を見出せなくて……」
うん、辛かったな、と祐輔は言うと、蓮香の目から涙が零れ落ちる。そっと目尻を拭うと、今度は蓮香が祐輔の手にキスをした。
大丈夫。俺はこの手を絶対に離さないから。そう思って蓮香を真っ直ぐ見ると、その目はまたあっという間に涙を零す。
「そして気付いたら、女性がダメになっていました」
それはそうなるよな、と祐輔は思った。人間は本能的にネガティブな情報に敏感になる。大好きな女性がいたとしても、それ以上に大嫌いな女性が現れたら、そうなるのも仕方がないことだ。
蓮香は精神科に通院し始め、しっかり休んだという。普通の生活ができるようになるまで半年かかり、だいぶ調子がよくなってきた頃。
「ふと、久しぶりにムラムラしたんです。美嘉のこともあってかなりご無沙汰だったから、たまには一人でしてみようと……」
抑うつ状態になると、性欲も落ちるから回復している証拠だと、蓮香は嬉しかったらしい。オカズは何にしようか、と動画サイトを見てみても、ピンとくるものがないどころか、気持ち悪くなるばかりだったという。
性欲はあるのに抜けないもどかしさがあって、蓮香はまた少し不安定になったらしい。このままだと結婚も子供も望めないな、と思った時に、目に飛び込んで来たのが祐輔の動画だった。
「引くかもしれないですけど……サムネ見ただけで元気になったんですよ……」
元気になったのは、蓮香の下半身だけじゃなかったようだ。どんなくだらない理由でも、生きる気力が出てきたのは蓮香にとって大きなことだったらしい。
「だから、定期的にアップしてくれる祐輔さんの動画で、毎日抜いてました」
「……お前なぁ……」
祐輔は穴があったら入りたいほど恥ずかしくなる。
蓮香はそのうち画面の中の人物に、いつか触れたい、好きだと感じるようになったと言った。
「祐輔さんが俺に生きる気力を与えてくれたんです。乳首でイケる性癖なんて、俺には些細なことでした」
くだらない。実にくだらない、と祐輔は内心頭を抱える。けれどそのおかげで蓮香は生きている。祐輔の性癖のお陰で、彼は生きているのだ。
「……呆れましたか?」
目の前の男が、不安そうにこちらを見つめる。蓮香が祐輔を失うことに極端に怖がっていたことも、話を聞いて合点がいった。好きな人を失うことが、怖かったのだ。
「誰かの代わりなんかじゃないんです。確かに美嘉を失って絶望しましたけど、祐輔さんがいたおかげで、生きていられた」
画面越しで見るしかできなかった人物が、あの日突然目の前に現れて、これは運命だと感じたという。
そう言えば、蓮香は祐輔の身体を見ただけでTANAKAだと見抜いた。それほど熱心に動画を見ていたのか、と思うとやはり恥ずかしさしかない。あれは匿名だったからこそ、できたことなのだから。
「それで事情を知った筧部長が俺に、つきまとわれない場所で、環境を変えて復帰しないか、と提案されてこちらに引っ越したんです」
祐輔のいる本社だと聞いて、二つ返事をしたと蓮香は言う。
そして運良く蓮香の母親は、家を空け渡すことを了承してくれた。蓮香は一緒に住もうと言ったけれど、独身の蓮香に自分がいれば、婚期を逃すかもしれない、と母親は断ったそうだ。世帯を持つ蓮香の兄の家でも、完全に生活スペースは別にしているそうで、上手くやっているらしい。
「もう察しているかもしれませんが、引越しの荷物に美嘉と共有して使っていたものや、遺品があるんです。箱を開ける勇気がなくて……」
なるほど、と祐輔は思った。ずっと荷解きには消極的だった理由が分かって、それなら無理強いしないよ、と頭を撫でる。
柳の話をしていた時は、ずっと泣いていた蓮香が、笑った。
「祐輔さんの頭なでなで、気持ちいいです」
「……そうか」
祐輔さん、好きです、と蓮香の顔が近付いて、祐輔は蓮香のキスを受け入れた。
「病院に着いたらもう遅くて……間に合わなかったんです……」
柳が亡くなった原因は、病巣が血管ごと破裂してしまったことによる、失血死だった。異変に気付いた本人がナースコールをしたものの、場所が場所だけに、なすすべもなく逝ってしまったらしい。
「何がなんでも、結婚式は断ればよかったって……! 俺が最期を看取りたかったのに……っ」
蓮香の痛々しい叫びに、祐輔も胸が痛くなった。そして巨悪の根源芳川が、蓮香の中に大きなトラウマを植え付けたのは間違いない。
何て声を掛ければいいか分からず、祐輔はただただ彼の頭を撫でる。
「葬式も納骨も済ませて落ち着いたら、今度は俺が体調を崩したんです。そしたらまたアイツが……」
いい加減しつこいな、と祐輔は思う。蓮香はスマホを新規で契約し連絡を絶ったはずなのに、会社にまで押しかけてきたという。
「あんたのせいで結婚式台無しになった、パパにも叩かれた、どうしてくれるんだ、と会社の前で連日叫びに来て……」
芳川の異常さと蓮香の怯えように神谷が気付き、追い払ってくれたという。神谷は蓮香が仕事ができる状態ではないと判断し、休職を勧めた。
どうしてそこまで蓮香に拘るのかと思う。そしてその答えは、芳川の結婚式の参列者が、奴の父親の関係者ばかりだったことにあるのでは、と祐輔は考えた。
けれど、親友だと言いながら、自分の都合ばかり押し付ける心理が分からない。
「……でもね、休んだら休んだで余計なことを考えるんですよ。美嘉はいないのに、アイツは何で生きてるんだって」
蓮香の手はずっと、震えている。祐輔は相槌を打ちながら、その手を握ってキスをした。
「死んだらダメだと思いました。けど美嘉のいない世界に意味を見出せなくて……」
うん、辛かったな、と祐輔は言うと、蓮香の目から涙が零れ落ちる。そっと目尻を拭うと、今度は蓮香が祐輔の手にキスをした。
大丈夫。俺はこの手を絶対に離さないから。そう思って蓮香を真っ直ぐ見ると、その目はまたあっという間に涙を零す。
「そして気付いたら、女性がダメになっていました」
それはそうなるよな、と祐輔は思った。人間は本能的にネガティブな情報に敏感になる。大好きな女性がいたとしても、それ以上に大嫌いな女性が現れたら、そうなるのも仕方がないことだ。
蓮香は精神科に通院し始め、しっかり休んだという。普通の生活ができるようになるまで半年かかり、だいぶ調子がよくなってきた頃。
「ふと、久しぶりにムラムラしたんです。美嘉のこともあってかなりご無沙汰だったから、たまには一人でしてみようと……」
抑うつ状態になると、性欲も落ちるから回復している証拠だと、蓮香は嬉しかったらしい。オカズは何にしようか、と動画サイトを見てみても、ピンとくるものがないどころか、気持ち悪くなるばかりだったという。
性欲はあるのに抜けないもどかしさがあって、蓮香はまた少し不安定になったらしい。このままだと結婚も子供も望めないな、と思った時に、目に飛び込んで来たのが祐輔の動画だった。
「引くかもしれないですけど……サムネ見ただけで元気になったんですよ……」
元気になったのは、蓮香の下半身だけじゃなかったようだ。どんなくだらない理由でも、生きる気力が出てきたのは蓮香にとって大きなことだったらしい。
「だから、定期的にアップしてくれる祐輔さんの動画で、毎日抜いてました」
「……お前なぁ……」
祐輔は穴があったら入りたいほど恥ずかしくなる。
蓮香はそのうち画面の中の人物に、いつか触れたい、好きだと感じるようになったと言った。
「祐輔さんが俺に生きる気力を与えてくれたんです。乳首でイケる性癖なんて、俺には些細なことでした」
くだらない。実にくだらない、と祐輔は内心頭を抱える。けれどそのおかげで蓮香は生きている。祐輔の性癖のお陰で、彼は生きているのだ。
「……呆れましたか?」
目の前の男が、不安そうにこちらを見つめる。蓮香が祐輔を失うことに極端に怖がっていたことも、話を聞いて合点がいった。好きな人を失うことが、怖かったのだ。
「誰かの代わりなんかじゃないんです。確かに美嘉を失って絶望しましたけど、祐輔さんがいたおかげで、生きていられた」
画面越しで見るしかできなかった人物が、あの日突然目の前に現れて、これは運命だと感じたという。
そう言えば、蓮香は祐輔の身体を見ただけでTANAKAだと見抜いた。それほど熱心に動画を見ていたのか、と思うとやはり恥ずかしさしかない。あれは匿名だったからこそ、できたことなのだから。
「それで事情を知った筧部長が俺に、つきまとわれない場所で、環境を変えて復帰しないか、と提案されてこちらに引っ越したんです」
祐輔のいる本社だと聞いて、二つ返事をしたと蓮香は言う。
そして運良く蓮香の母親は、家を空け渡すことを了承してくれた。蓮香は一緒に住もうと言ったけれど、独身の蓮香に自分がいれば、婚期を逃すかもしれない、と母親は断ったそうだ。世帯を持つ蓮香の兄の家でも、完全に生活スペースは別にしているそうで、上手くやっているらしい。
「もう察しているかもしれませんが、引越しの荷物に美嘉と共有して使っていたものや、遺品があるんです。箱を開ける勇気がなくて……」
なるほど、と祐輔は思った。ずっと荷解きには消極的だった理由が分かって、それなら無理強いしないよ、と頭を撫でる。
柳の話をしていた時は、ずっと泣いていた蓮香が、笑った。
「祐輔さんの頭なでなで、気持ちいいです」
「……そうか」
祐輔さん、好きです、と蓮香の顔が近付いて、祐輔は蓮香のキスを受け入れた。
20
お気に入りに追加
83
あなたにおすすめの小説

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜のたまにシリアス
・話の流れが遅い

身代わりになって推しの思い出の中で永遠になりたいんです!
冨士原のもち
BL
桜舞う王立学院の入学式、ヤマトはカイユー王子を見てここが前世でやったゲームの世界だと気付く。ヤマトが一番好きなキャラであるカイユー王子は、ゲーム内では非業の死を遂げる。
「そうだ!カイユーを助けて死んだら、忘れられない恩人として永遠になれるんじゃないか?」
前世の死に際のせいで人間不信と恋愛不信を拗らせていたヤマトは、推しの心の中で永遠になるために身代わりになろうと決意した。しかし、カイユー王子はゲームの時の印象と違っていて……
演技チャラ男攻め×美人人間不信受け
※最終的にはハッピーエンドです
※何かしら地雷のある方にはお勧めしません
※ムーンライトノベルズにも投稿しています
【完結】相談する相手を、間違えました
ryon*
BL
長い間片想いしていた幼なじみの結婚を知らされ、30歳の誕生日前日に失恋した大晴。
自棄になり訪れた結婚相談所で、高校時代の同級生にして学内のカースト最上位に君臨していた男、早乙女 遼河と再会して・・・
***
執着系美形攻めに、あっさりカラダから堕とされる自称平凡地味陰キャ受けを書きたかった。
ただ、それだけです。
***
他サイトにも、掲載しています。
てんぱる1様の、フリー素材を表紙にお借りしています。
***
エブリスタで2022/5/6~5/11、BLトレンドランキング1位を獲得しました。
ありがとうございました。
***
閲覧への感謝の気持ちをこめて、5/8 遼河視点のSSを追加しました。
ちょっと闇深い感じですが、楽しんで頂けたら幸いです(*´ω`*)
***
2022/5/14 エブリスタで保存したデータが飛ぶという不具合が出ているみたいで、ちょっとこわいのであちらに置いていたSSを念のためこちらにも転載しておきます。


鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる