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「で? 彼女ってどんなひと?」

 数日後、喫茶店で会うなりいきなりそう切り出した芳川は、学生時代よりも荒れた肌をボリボリ掻きながら聞いてくる。剥がれた皮膚がポロポロとテーブルに落ちて、彼女はそれを手で軽く払った。

「会社で知り合ったひと。なぁ、俺はもうこういう風に……」
「偶然ー! 私も結婚を前提にお付き合いしてるひとがいるんだ!」

 あからさまな発言の邪魔に蓮香は思わず睨む。けれど芳川は「こわいー、そんなに怒らなくてもいいじゃん」と笑っていた。

「いつ結婚するの? 式は?」

 ニコニコと歪んだ笑顔で聞かれて、蓮香は諦めてしまい、事情があって入籍だけにする、と答えてしまった。芳川が満足するまで付き合えば、早く解放してくれるだろう、そう考えてのことだった。なのに。

「ええ? ウエディングドレスって、女の子の憧れじゃん! やらないなんて酷いよ、それでも彼女のこと好きなの?」

 全ての女性が、ウエディングドレスに憧れていると思っているらしい芳川は、挙式もできないなんて、と蓮香の甲斐性を非難した。

「彼女がそれでもいいって言ったんだ。無理強いはしたくない」
「でもそれって、本当は挙げたくて、蓮香に挙げようって言って欲しいのかもよ?」

 柳はそんな回りくどいことはしない。どうして自分の価値観だけで、柳が式を挙げたがっていると決めつけることができるのか。蓮香のイライラが増す。

「その点私の彼氏は、ちゃんと思い出に残る式を挙げようねって言ってくれてるよ? あ、両親への挨拶は、これからなんだけどね」

 いつがいいと思う? と聞かれて、蓮香は頭を抱えた。そんなの、彼氏と両親で決めることだろうに、俺に聞かれても答えようがない、と言うと、芳川は面白くなさそうに「ふーん」と言うのだ。

「じゃあ、どうやって挨拶の日取り決めたの? やっぱり大安の日?」

 これ以上話したくない、と蓮香は思う。彼女はこちらの話を聞くようでいて、自分の話を聞いて欲しいだけなんだと分かると、答える気も失せる。

「プロポーズした流れでついでに。……もういいだろ」
「それじゃあ私たちも挨拶に行こうかな。プロポーズまだだけど。あ、プロポーズって何て言ったの? 指輪渡した?」

 イライラを隠しきれずに言っても、芳川はどこ吹く風だ。やっぱりダイヤモンドは付いていないとね、とスマホで検索し始め、こういうのがいいの、と画面を見せてくる。

 治療費がかかるからと、挙式も指輪も一切いらないと言った柳。明日終わるかもしれない命を少しでも長く、意味のある生活にしたいと言った彼女を思い出し、目の前の夢ばかり語る芳川にある感情が湧く。

 それは、憎悪だ。

「……そういう話は、彼氏とすればいいんじゃないか?」

 自分でも驚くほど冷たい声が出た。すると芳川は嬉しそうに笑い、今の彼氏は年収が低いから、頑張ってお金貯めてもらわないとね、と言う。

「そうそう、これ彼氏の給与明細なんだけど、蓮香、この項目分かる?」

 何でそんなものを見せてくるんだ、と蓮香は芳川が出した紙から視線を逸らした。二人で暮らすなら、何にどれくらいかかるか考えないとね、とか言っているけれど、ならばそこに芳川の収入を足さないのはなぜなのか。

 そして彼女が指したのは、労働組合費とある。

「見たままだろ。これ以上くだらない質問するなら帰るぞ」
「見たままってなぁに? 労働組合費って何に使われるのかなぁ?」

 それは彼氏の会社に聞け、と思った。そしてやはり芳川は自分の話を聞いて欲しいだけで、蓮香がいくら適当に流しても、喋り続けている。

「あ、あと厚生年金高くない? 何でこんなに引かれてるの?」

 蓮香はもう、答えるのも嫌で黙っていると、芳川は蓮香でも分からないことあるんだねふーん、と笑っていた。

 そもそもどうして彼氏に聞けばいいことを、自分に聞くのだろう、と不思議でならない。早く帰って柳に癒されたいと思っていたら、結婚式はもちろん来てくれるよね、と言われる。

「……まずはプロポーズが先だろう。決まってから教えてくれ」

 そう言って蓮香は強引に話を終わらせた。芳川もあらかた話して満足したのだろう、蓮香が立ち上がるのを止めない。

「うん、プロポーズされるように頑張るねー」

 あくまで自分からは行かないんだな、と冷めた感情で芳川を見ると、彼女は笑顔で伝票を渡してきた。

「ほら、私もこれから入り用だし? 奢って?」

 今後は連絡してきても、絶対に無視しようと蓮香は心に決め、その伝票を奪うように受け取る。

 久々に心からイライラした、とため息をついて柳の自宅に戻った。

「ただいまー」

 柳に抱きついて、少し元気を補充させてもらおう。そう思って靴を脱いだところで、家の雰囲気が違うことに気が付いた。

 いつもなら返事があるはずなのに、ない。

 嫌な予感がして、早足で奥に入る。

 リビングに入って目に飛び込んできたのは、ソファーベッドの手前で床に倒れている、柳だ。

「──美嘉!」

 駆け寄って声を掛けるも、柳は無反応だった。

「……嫌だ、美嘉! おい!」

 頬を軽く叩いてみるけれど反応はなし。顔と目頭が一気に熱くなり、どうしたらいいのか分からなくなった。

「どうしたらいい? 何をするべきだ?」

 早口で懸命に思考を外に出して整理する。しかし頭が真っ白になって、視界が滲んでしまった。

「泣いてる場合じゃないぞ俺! 何をするべきか考えるんだよ!」

 蓮香は自分の頬を叩き、柳を改めて見る。顔がいつもより蒼白だ、口が開いている。

「そうだ、息してるか見る! 脈も!」

 蓮香は顔を近付け、呼吸を見た。しているかも怪しいほど浅い。脈は? ……分からない。

 ポケットからスマホを出し、119番に掛けてスピーカーにする。繋がった相手に状況を話しながら、自動車免許を取った時に、一度だけ習った心臓マッサージと人工呼吸をした。

「美嘉……っ、頼むから! ……まだ逝かないでくれ!」

 通話はそのままに、蓮香は懸命に呼び掛けながら救急車を待つ。全く力が入っていない柳の身体は重く、それはそのまま、命の重さのように感じた。

 まだ何もしていない、やることがいっぱいある。それをせずに逝こうとするな、と願い、声に出しながら、無我夢中で心臓マッサージを続けた。
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