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5 モラハラはいけません。
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「泣けば済むと思ってんなよ!」
蓮香が転勤してきて半月が経った頃、祐輔が出勤すると、営業部の笹川が、フロアに響くほどの大声で怒鳴っていた。相手は女性社員で、祐輔の部下にあたる鶴田だ。祐輔は素早く間に入る。
「どうしました? そんなに大声で……」
笹川の言う通り、鶴田は目に涙を浮かべて俯いていた。
「桃澤さん、部下の教育くらいしっかりしてくださいよ。こっちが指示したこと、全然できないんですよ? こいつ」
いくら腹が立っていても、社会人として人をこいつ呼ばわりするのはどうかと思ったけれど、祐輔はとりあえず話を聞いてみる。
「指示って……何を指示したんですか?」
「他社類似製品をリサーチした資料を頼まれました」
答えたのは鶴田だ。グッと唇を噛み、吐く息も震えている。祐輔はピンときた、彼女は怒鳴られて泣いているわけじゃないのだと。なぜなら、怒鳴られたことを泣くことで咎めたいなら、黙って泣いているはずだからだ。
「けど、リサーチしていない会社の資料まで求められて、そこまでは私の業務量からして無理だとお伝えしたんです。けど……」
祐輔はそこまで聞いて笹川を見た。どこまでリサーチの幅を広げるかは、課長である祐輔の采配でもある。
「ちなみに、どこの製品です?」
「F社です」
祐輔の問いに今度は笹川が答えた。F社と言えば、類似製品のシェア率は低く、むしろメインは別の製品でターゲット層も違う。しかし、祐輔が個人的に勉強として取った資料ならあるな、としばし考えた。
「どうしてF社を? あそこはおそらくC社と同じ工場で、同じ技術で作っているはずです。ターゲット層もウチとは違う」
「……っ、でも、C社とは随分値段が……」
「あれは同じ金型を使って製造し、大量入荷しているからでしょう。C社とは質が違いすぎる」
どの製品でも、一から作るのと既にあるものをカスタマイズするのでは、コストに差が出る。祐輔が知っている情報だったからよかったものの、このままでは笹川は、鶴田にリサーチしてこいとでも言うつもりだったのだろう。
「……っ、今度は指示したこと、ちゃんとやれよな!」
「次回からは私を通してください、笹川さん」
結局、何が知りたかったのか分からないまま、捨て台詞のように言って去っていく笹川に、祐輔は釘を刺した。しかし彼は聞こえないふりでもしているのか、無視して自分のデスクに着いてしまう。
「すみません、課長……」
弱々しい鶴田の声がして振り返ると、彼女は笹川に怒鳴られた時以上に泣いていた。ここは落ち着ける場所を確保して、話を聞いた方がいいかもしれない、と思って彼女に声をかける。
会議室の使用申請をパソコンで済まして、少し席を外す旨を蓮香に伝えた。
「鶴田さんと話するから、引き継ぎの話はそのあとで」
「ああ、……はい」
今のを一部始終見ていたらしい蓮香は、眉根を寄せている。部下のメンタルケアも上司の役目だ、と祐輔は鶴田を会議室に連れて行った。
「すみません……」
会議室に入るなり鶴田はまたボロボロと泣き出す。真面目で、割と言うことは言う鶴田にしては珍しく、やはり笹川と何かあったらしいと知れた。
「謝ることじゃないですよ。真面目な鶴田さんだから、溜め込んでたんじゃないかって……」
祐輔がそう言うと、鶴田はまた泣けてしまったようだ。話すのが辛いなら、今じゃなくていいと伝えると、鶴田は首を振って顔を上げる。その瞳には、ようやくいつもの鶴田の強さが見えた。
「ハッキリと言われた訳じゃないですが、私、笹川さんに言い寄られてて……」
「……は?」
言い寄られているとは? と祐輔は頭に疑問符を浮かべる。鶴田の言葉を信じるなら、笹川は鶴田に好意を持っている、ということだ。けれど先程の言動からして、とてもじゃないけど好きなひとに投げる言葉じゃない、と思う。
ぐす、と鼻を啜った鶴田は続けた。
「必ず定時過ぎてから頼み事をしてくるんです。それで、独り身だから残業はいくらでもできるだろ、とか、一人でできないなら俺が手伝ってやろうか、って言って……」
祐輔は空いた口が塞がらなかった。これが俗に言うモラハラ男と言うやつか、と。さらに、残業している鶴田をしつこく食事に誘ってくるので、一度だけ付き合ったらしい。もちろん、今後こういう誘いと、定時後の頼み事をしないでくれ、と言うために。
「そうしたら、さらに言動が酷くなって……営業部の近藤部長にも相談しました」
祐輔はその近藤を思い浮かべた。年功序列で部長職に就いたような男性だ。おべっかだけは使うのが上手く、花形の営業部で部長という地位に満足している、という祐輔の分析だ。
なるほど、と思う。上の者に媚びへつらうことはするけれど、部下には目もくれない。結果、笹川も野放しになっている、ということだろう。
「聞いてくれなかったんですね……」
「はい……」
営業企画課は営業部の部署だ。課をまとめる管理職がいなかったため、鶴田はまずは営業部長に、と考えたのだろう。
「仲のいい女性社員にも話しました。けど、具体的に動くことはできなくて……」
(それで俺が異例の昇進、ね……筧部長め)
とりあえず、笹川を抑える役目として祐輔は昇進させられた訳だ。もちろん、成果も買ってくれているだろうけれど。蓮香の教育係といい、早く管理職として育ってくれという筧の声が聞こえそうだ。
「……気付かなくてごめんなさい。俺も笹川さんの動向気にしておきます」
「いえ、桃澤課長はここのところ、ずっと忙しそうでしたから……相談が遅れたのは私のせいです」
それでその、と鶴田は視線を泳がせる。何か言いにくいことでもあるんだろうか、と祐輔は鶴田の顔を覗くと、彼女は少し頬を赤らめた。
「できれば、私が一人にならないように配慮して頂けると助かります」
「それはもちろんそうしたいですけど……そうですね、課の中で誰かしらいるようにしましょうか」
祐輔がそう言うと、鶴田は苦笑する。
「営業との同行も、 笹川さんとの担当がいくつかあるのですが、それも……」
「分かりました。それも鶴田さん以外に割り振りましょう」
「……ありがとうございます、助かります」
そう言って、鶴田は会議室を後にした。まだ目元は赤かったものの、笑顔が見れたのでよしとしよう。
「さーて、割り振りどうするかな……」
鶴田の前ではああ言ったものの、もちろん人材に余裕がある訳じゃない。筧にも報告するべきだと思うし、と考えていると、ドアがノックされた。
蓮香が転勤してきて半月が経った頃、祐輔が出勤すると、営業部の笹川が、フロアに響くほどの大声で怒鳴っていた。相手は女性社員で、祐輔の部下にあたる鶴田だ。祐輔は素早く間に入る。
「どうしました? そんなに大声で……」
笹川の言う通り、鶴田は目に涙を浮かべて俯いていた。
「桃澤さん、部下の教育くらいしっかりしてくださいよ。こっちが指示したこと、全然できないんですよ? こいつ」
いくら腹が立っていても、社会人として人をこいつ呼ばわりするのはどうかと思ったけれど、祐輔はとりあえず話を聞いてみる。
「指示って……何を指示したんですか?」
「他社類似製品をリサーチした資料を頼まれました」
答えたのは鶴田だ。グッと唇を噛み、吐く息も震えている。祐輔はピンときた、彼女は怒鳴られて泣いているわけじゃないのだと。なぜなら、怒鳴られたことを泣くことで咎めたいなら、黙って泣いているはずだからだ。
「けど、リサーチしていない会社の資料まで求められて、そこまでは私の業務量からして無理だとお伝えしたんです。けど……」
祐輔はそこまで聞いて笹川を見た。どこまでリサーチの幅を広げるかは、課長である祐輔の采配でもある。
「ちなみに、どこの製品です?」
「F社です」
祐輔の問いに今度は笹川が答えた。F社と言えば、類似製品のシェア率は低く、むしろメインは別の製品でターゲット層も違う。しかし、祐輔が個人的に勉強として取った資料ならあるな、としばし考えた。
「どうしてF社を? あそこはおそらくC社と同じ工場で、同じ技術で作っているはずです。ターゲット層もウチとは違う」
「……っ、でも、C社とは随分値段が……」
「あれは同じ金型を使って製造し、大量入荷しているからでしょう。C社とは質が違いすぎる」
どの製品でも、一から作るのと既にあるものをカスタマイズするのでは、コストに差が出る。祐輔が知っている情報だったからよかったものの、このままでは笹川は、鶴田にリサーチしてこいとでも言うつもりだったのだろう。
「……っ、今度は指示したこと、ちゃんとやれよな!」
「次回からは私を通してください、笹川さん」
結局、何が知りたかったのか分からないまま、捨て台詞のように言って去っていく笹川に、祐輔は釘を刺した。しかし彼は聞こえないふりでもしているのか、無視して自分のデスクに着いてしまう。
「すみません、課長……」
弱々しい鶴田の声がして振り返ると、彼女は笹川に怒鳴られた時以上に泣いていた。ここは落ち着ける場所を確保して、話を聞いた方がいいかもしれない、と思って彼女に声をかける。
会議室の使用申請をパソコンで済まして、少し席を外す旨を蓮香に伝えた。
「鶴田さんと話するから、引き継ぎの話はそのあとで」
「ああ、……はい」
今のを一部始終見ていたらしい蓮香は、眉根を寄せている。部下のメンタルケアも上司の役目だ、と祐輔は鶴田を会議室に連れて行った。
「すみません……」
会議室に入るなり鶴田はまたボロボロと泣き出す。真面目で、割と言うことは言う鶴田にしては珍しく、やはり笹川と何かあったらしいと知れた。
「謝ることじゃないですよ。真面目な鶴田さんだから、溜め込んでたんじゃないかって……」
祐輔がそう言うと、鶴田はまた泣けてしまったようだ。話すのが辛いなら、今じゃなくていいと伝えると、鶴田は首を振って顔を上げる。その瞳には、ようやくいつもの鶴田の強さが見えた。
「ハッキリと言われた訳じゃないですが、私、笹川さんに言い寄られてて……」
「……は?」
言い寄られているとは? と祐輔は頭に疑問符を浮かべる。鶴田の言葉を信じるなら、笹川は鶴田に好意を持っている、ということだ。けれど先程の言動からして、とてもじゃないけど好きなひとに投げる言葉じゃない、と思う。
ぐす、と鼻を啜った鶴田は続けた。
「必ず定時過ぎてから頼み事をしてくるんです。それで、独り身だから残業はいくらでもできるだろ、とか、一人でできないなら俺が手伝ってやろうか、って言って……」
祐輔は空いた口が塞がらなかった。これが俗に言うモラハラ男と言うやつか、と。さらに、残業している鶴田をしつこく食事に誘ってくるので、一度だけ付き合ったらしい。もちろん、今後こういう誘いと、定時後の頼み事をしないでくれ、と言うために。
「そうしたら、さらに言動が酷くなって……営業部の近藤部長にも相談しました」
祐輔はその近藤を思い浮かべた。年功序列で部長職に就いたような男性だ。おべっかだけは使うのが上手く、花形の営業部で部長という地位に満足している、という祐輔の分析だ。
なるほど、と思う。上の者に媚びへつらうことはするけれど、部下には目もくれない。結果、笹川も野放しになっている、ということだろう。
「聞いてくれなかったんですね……」
「はい……」
営業企画課は営業部の部署だ。課をまとめる管理職がいなかったため、鶴田はまずは営業部長に、と考えたのだろう。
「仲のいい女性社員にも話しました。けど、具体的に動くことはできなくて……」
(それで俺が異例の昇進、ね……筧部長め)
とりあえず、笹川を抑える役目として祐輔は昇進させられた訳だ。もちろん、成果も買ってくれているだろうけれど。蓮香の教育係といい、早く管理職として育ってくれという筧の声が聞こえそうだ。
「……気付かなくてごめんなさい。俺も笹川さんの動向気にしておきます」
「いえ、桃澤課長はここのところ、ずっと忙しそうでしたから……相談が遅れたのは私のせいです」
それでその、と鶴田は視線を泳がせる。何か言いにくいことでもあるんだろうか、と祐輔は鶴田の顔を覗くと、彼女は少し頬を赤らめた。
「できれば、私が一人にならないように配慮して頂けると助かります」
「それはもちろんそうしたいですけど……そうですね、課の中で誰かしらいるようにしましょうか」
祐輔がそう言うと、鶴田は苦笑する。
「営業との同行も、 笹川さんとの担当がいくつかあるのですが、それも……」
「分かりました。それも鶴田さん以外に割り振りましょう」
「……ありがとうございます、助かります」
そう言って、鶴田は会議室を後にした。まだ目元は赤かったものの、笑顔が見れたのでよしとしよう。
「さーて、割り振りどうするかな……」
鶴田の前ではああ言ったものの、もちろん人材に余裕がある訳じゃない。筧にも報告するべきだと思うし、と考えていると、ドアがノックされた。
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