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2 嘘だろ!?
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ここは1LDKの単身用アパート。桃澤祐輔は就職と同時にこの部屋を借り、約七年間、ずっとこの部屋で生活している。
三十歳になったばかりだが、仕事は順調で係長。この間のプロジェクトは祐輔の発案で乗り切ることができたし、所属する営業企画課では、次の査定で昇進間違いない、と噂されている。
そして祐輔は、容姿にも自信があった。ちょっと街に出ればモデルや芸能事務所の社員から声を掛けられ、女性の視線を釘付けにする。あからさまに遊び相手を探している、という女性はさすがに声を掛けて来ないが、割と本気度の高い、それも美人ばかりから食事などに誘われれば、悪い気はしない。
けれど、どれだけモテても、祐輔は付き合うことだけはしなかった。興味がない訳じゃない。本当はすごく、ものすごく……ものすっっごく付き合いたいのに、あることを恐れて彼女を作ることができずにいる。
それは祐輔の性癖。……そう、絶対に、性癖は知られてはいけないのだ。
休日にスマホで、乳首でオナニー……略してチクニーをして、絶頂している姿を撮影しているなんて。しかもそれで、ちょっとしたお小遣いを稼いでいるなんて。
スマホをタップすると、数分ののちに『アップロード完了』の画面に切り替わる。先程撮った動画を、大人の動画サイトにアップロードしたのだ。
もちろん、自分の顔が写っていないか確認済み。動画から身バレする要素がないか、細心の注意を払っていて、何回も見直したから大丈夫、と画面をオフにする。
「さ、夕飯の買い出しでも行くか……」
ポツリと独り言を呟いて、財布とエコバッグを持って部屋を出た。まだまだ日は長いけれど、少し涼しくなった気温に秋だなぁ、なんて思う。
アパートの駐車場から道路へ出ると、隣の一軒家の前に、黒いワンボックスカーが停まっていた。確かここは、高齢のお婆さんが住んでたよな、と住人に似つかわしくない車に不審に思う。
それでも、そう思うだけで普通なら通り過ぎるだろう。祐輔もそうしようと、車を避けて歩いていた、その時。
「うわああ!」
突然、車の陰から叫び声が聞こえたかと思ったら、顔に水が掛かった。うわっと声を上げてそちらを見ると、シャワーヘッドが祐輔の側まで飛んできて、オマケに水勢で暴れたホースにまた水を掛けられる。
「うわ! ぶ……っ!」
「ああああ! すみません! 大丈夫ですか!?」
庭から男の声がした。祐輔はまだ暴れるホースを足で踏みつけると、ずぶ濡れになった男が顔を出す。
「いいから! 先に水を止めてください!」
「ああっ! そうですね! すみません!」
すみませんじゃないよまったく、と祐輔は心の中で愚痴る。そして慌てて、これじゃあ身バレした時に弱味になるからと、営業スマイルを浮かべた。外にいる時は、完璧に聖人を装わないと。いつどこでつけ込まれるか分からない。
また奥に引っ込んだらしい男は水を止めたようだ。ホースから出る水が止まると、祐輔はホッとため息をついて、取れたシャワーヘッドを持って庭に向かう。全身びしょ濡れになってしまったが、戻ってすぐに着替えれば問題ない。
「災難でしたね。これ、車に当たらなくて良かった」
ニッコリ笑って男に話し掛けると、彼は慌てて「すみません!」と駆け寄ってくる。
「ホースが詰まってると思って蛇口を思い切り開けたら……って、そんなことを言ってる場合じゃないですね!」
そう言った男は祐輔の腕を掴むと、グイグイと家の中に引っ張った。え、何このひと、と祐輔はさすがに抵抗すると、彼は眉を下げて苦笑する。
「ああ、また俺……。とにかく、お詫びに服を洗濯させてもらうんで、来てもらえませんか?」
「え、いや……うちすぐそこなんで……」
「じゃあせめて! タオル持って来るんで、ここで待っててください!」
男は祐輔を玄関まで連れてくると、ベタベタの足のまま家の中へ上がって行った。すると、派手に何かが倒れる音がして、男の悲鳴が聞こえる。
「……あのー、大丈夫ですかー?」
どうしよう、帰っていいかな、と思いながら窺うと、慌てた声で、大丈夫ですー! と返ってきた。しかし、あれ? とか、どこかな? とか言う声が聞こえてきて、祐輔はため息をつく。
「あの! ほんとにすぐ近くなんで、もういいですよ!」
タオルを探すのにどれだけ時間を掛けるんだ、とイライラしながら、家の中に向かって叫ぶ。するとバタバタと男が玄関まで走ってきて、Tシャツを差し出してきた。
「本当にすみません! これ俺のですが、着替え用の綺麗なヤツなんで!」
「いえ、水で濡れただけなんで。本当に家は近くなので大丈夫ですよ」
「……っ」
男は困った顔をする。それはもう、分かりやすいほどに。何とかしてお詫びがしたい、それが言葉でも態度でも、ひしひしと伝わってきた。悪いやつじゃなさそうだ。
祐輔はその顔を見て、男の気が済むように何とか妥協しようか、と思う。なのでそのTシャツを受け取った。
「ありがとうございます。洗ってお返ししますね」
「いえ結構です! 差し上げますので……ほんと、ごめんなさい!」
深く頭を下げて動かない男に、祐輔は嘆息すると、言葉に甘えることにした。
「では、お言葉に甘えて……」
そう言ってその場でびしょ濡れのシャツを脱ぐと、軽く絞って濡れた頭をそれで拭く。身体も拭いて水滴を取ると、男が驚いた顔でこちらを見ていた。
「……どうしま……」
「たなかさん……」
男は祐輔を……いや、正確には祐輔の身体を見てそう呟く。そしてガシッと両手で祐輔の脇腹を掴んだかと思ったら、もう一度、たなかさん! と叫んだ。
祐輔は本能的に逃げなきゃ、と思う。男に脇腹を掴まれていることもそうだけれど、男の叫んだ「たなか」というワードは、リアルで絶対に呼ばれてはいけないものだ。
なぜなら、祐輔が大人の動画サイトで使っているアカウント名が、『TANAKA02』だから。しかも男の視線は間違いなく、祐輔の乳首に注がれている。
「あのっ!? 離してもらえませんかねぇ!?」
祐輔はあえて苛立ったように声を上げ、離れようと一歩下がった。しかし男の手と視線はしつこく追ってきて、今にも祐輔の乳首に吸い付こうとしている。やばいやばいやばいやばい……何とかこの場を切り抜けなければ。
「いや、やっぱりTANAKAさんだ……。TANAKAさんですよねっ!?」
「こ……のっ! 何言ってんだ、変態!!」
そう言って祐輔は思い切り男の顔をグーで殴った。男は声を上げて離れたけれど、迫ってきたのはそっちだから、正当防衛だよな、と今しがたもらったTシャツを投げつけて玄関を出ていく。
祐輔は濡れたシャツをまた着て、アパートに戻った。
何だあいつは、信じられない!
どうして、身体を見ただけでアカウント名まで分かるんだ、と勢いよくドアを閉める。羞恥と怒りと困惑で、心臓がバクバクと暴れていて、後ろ手で鍵を閉めてそのままズルズルと座り込んだ。どうしよう、隣の家にあんな奴がいるなんて。
そう思ったら、着替えてまた買い物に出ようなんて気になれず、食事は家にあったものでしのぐ。そっと外を窺い見ると、あのワンボックスカーは駐車場に停められていて、あの男がまだ家にいることが分かった。もしかして隣に引っ越してきた? と祐輔は唇を噛む。
身バレしないように、細心の注意を払っていたのに、バレた時のことを考えていなかった、と祐輔は慌てて策を練る。自分がTANAKAだと疑われてしまったけれど、まだ本名、家も知られていない。もう彼に会わなければ、そのうち忘れてくれるだろう。
しかし、最悪なのはまた、あの男と出会ってしまった時だ。向こうはどう出てくるか分からないし、いきなりアカウント名で呼ばれたら、たまったもんじゃない。そういう時のことも考えておかないと。
どの道こちらの立場の方が弱いので、もし……万が一、天地がひっくり返りそうになってあの男と話さなければならない時には、黙っていてもらうことを『お願い』しなければ。
「……はああああああ……」
祐輔は、地の底まで落ちそうなため息をついた。
三十歳になったばかりだが、仕事は順調で係長。この間のプロジェクトは祐輔の発案で乗り切ることができたし、所属する営業企画課では、次の査定で昇進間違いない、と噂されている。
そして祐輔は、容姿にも自信があった。ちょっと街に出ればモデルや芸能事務所の社員から声を掛けられ、女性の視線を釘付けにする。あからさまに遊び相手を探している、という女性はさすがに声を掛けて来ないが、割と本気度の高い、それも美人ばかりから食事などに誘われれば、悪い気はしない。
けれど、どれだけモテても、祐輔は付き合うことだけはしなかった。興味がない訳じゃない。本当はすごく、ものすごく……ものすっっごく付き合いたいのに、あることを恐れて彼女を作ることができずにいる。
それは祐輔の性癖。……そう、絶対に、性癖は知られてはいけないのだ。
休日にスマホで、乳首でオナニー……略してチクニーをして、絶頂している姿を撮影しているなんて。しかもそれで、ちょっとしたお小遣いを稼いでいるなんて。
スマホをタップすると、数分ののちに『アップロード完了』の画面に切り替わる。先程撮った動画を、大人の動画サイトにアップロードしたのだ。
もちろん、自分の顔が写っていないか確認済み。動画から身バレする要素がないか、細心の注意を払っていて、何回も見直したから大丈夫、と画面をオフにする。
「さ、夕飯の買い出しでも行くか……」
ポツリと独り言を呟いて、財布とエコバッグを持って部屋を出た。まだまだ日は長いけれど、少し涼しくなった気温に秋だなぁ、なんて思う。
アパートの駐車場から道路へ出ると、隣の一軒家の前に、黒いワンボックスカーが停まっていた。確かここは、高齢のお婆さんが住んでたよな、と住人に似つかわしくない車に不審に思う。
それでも、そう思うだけで普通なら通り過ぎるだろう。祐輔もそうしようと、車を避けて歩いていた、その時。
「うわああ!」
突然、車の陰から叫び声が聞こえたかと思ったら、顔に水が掛かった。うわっと声を上げてそちらを見ると、シャワーヘッドが祐輔の側まで飛んできて、オマケに水勢で暴れたホースにまた水を掛けられる。
「うわ! ぶ……っ!」
「ああああ! すみません! 大丈夫ですか!?」
庭から男の声がした。祐輔はまだ暴れるホースを足で踏みつけると、ずぶ濡れになった男が顔を出す。
「いいから! 先に水を止めてください!」
「ああっ! そうですね! すみません!」
すみませんじゃないよまったく、と祐輔は心の中で愚痴る。そして慌てて、これじゃあ身バレした時に弱味になるからと、営業スマイルを浮かべた。外にいる時は、完璧に聖人を装わないと。いつどこでつけ込まれるか分からない。
また奥に引っ込んだらしい男は水を止めたようだ。ホースから出る水が止まると、祐輔はホッとため息をついて、取れたシャワーヘッドを持って庭に向かう。全身びしょ濡れになってしまったが、戻ってすぐに着替えれば問題ない。
「災難でしたね。これ、車に当たらなくて良かった」
ニッコリ笑って男に話し掛けると、彼は慌てて「すみません!」と駆け寄ってくる。
「ホースが詰まってると思って蛇口を思い切り開けたら……って、そんなことを言ってる場合じゃないですね!」
そう言った男は祐輔の腕を掴むと、グイグイと家の中に引っ張った。え、何このひと、と祐輔はさすがに抵抗すると、彼は眉を下げて苦笑する。
「ああ、また俺……。とにかく、お詫びに服を洗濯させてもらうんで、来てもらえませんか?」
「え、いや……うちすぐそこなんで……」
「じゃあせめて! タオル持って来るんで、ここで待っててください!」
男は祐輔を玄関まで連れてくると、ベタベタの足のまま家の中へ上がって行った。すると、派手に何かが倒れる音がして、男の悲鳴が聞こえる。
「……あのー、大丈夫ですかー?」
どうしよう、帰っていいかな、と思いながら窺うと、慌てた声で、大丈夫ですー! と返ってきた。しかし、あれ? とか、どこかな? とか言う声が聞こえてきて、祐輔はため息をつく。
「あの! ほんとにすぐ近くなんで、もういいですよ!」
タオルを探すのにどれだけ時間を掛けるんだ、とイライラしながら、家の中に向かって叫ぶ。するとバタバタと男が玄関まで走ってきて、Tシャツを差し出してきた。
「本当にすみません! これ俺のですが、着替え用の綺麗なヤツなんで!」
「いえ、水で濡れただけなんで。本当に家は近くなので大丈夫ですよ」
「……っ」
男は困った顔をする。それはもう、分かりやすいほどに。何とかしてお詫びがしたい、それが言葉でも態度でも、ひしひしと伝わってきた。悪いやつじゃなさそうだ。
祐輔はその顔を見て、男の気が済むように何とか妥協しようか、と思う。なのでそのTシャツを受け取った。
「ありがとうございます。洗ってお返ししますね」
「いえ結構です! 差し上げますので……ほんと、ごめんなさい!」
深く頭を下げて動かない男に、祐輔は嘆息すると、言葉に甘えることにした。
「では、お言葉に甘えて……」
そう言ってその場でびしょ濡れのシャツを脱ぐと、軽く絞って濡れた頭をそれで拭く。身体も拭いて水滴を取ると、男が驚いた顔でこちらを見ていた。
「……どうしま……」
「たなかさん……」
男は祐輔を……いや、正確には祐輔の身体を見てそう呟く。そしてガシッと両手で祐輔の脇腹を掴んだかと思ったら、もう一度、たなかさん! と叫んだ。
祐輔は本能的に逃げなきゃ、と思う。男に脇腹を掴まれていることもそうだけれど、男の叫んだ「たなか」というワードは、リアルで絶対に呼ばれてはいけないものだ。
なぜなら、祐輔が大人の動画サイトで使っているアカウント名が、『TANAKA02』だから。しかも男の視線は間違いなく、祐輔の乳首に注がれている。
「あのっ!? 離してもらえませんかねぇ!?」
祐輔はあえて苛立ったように声を上げ、離れようと一歩下がった。しかし男の手と視線はしつこく追ってきて、今にも祐輔の乳首に吸い付こうとしている。やばいやばいやばいやばい……何とかこの場を切り抜けなければ。
「いや、やっぱりTANAKAさんだ……。TANAKAさんですよねっ!?」
「こ……のっ! 何言ってんだ、変態!!」
そう言って祐輔は思い切り男の顔をグーで殴った。男は声を上げて離れたけれど、迫ってきたのはそっちだから、正当防衛だよな、と今しがたもらったTシャツを投げつけて玄関を出ていく。
祐輔は濡れたシャツをまた着て、アパートに戻った。
何だあいつは、信じられない!
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そう思ったら、着替えてまた買い物に出ようなんて気になれず、食事は家にあったものでしのぐ。そっと外を窺い見ると、あのワンボックスカーは駐車場に停められていて、あの男がまだ家にいることが分かった。もしかして隣に引っ越してきた? と祐輔は唇を噛む。
身バレしないように、細心の注意を払っていたのに、バレた時のことを考えていなかった、と祐輔は慌てて策を練る。自分がTANAKAだと疑われてしまったけれど、まだ本名、家も知られていない。もう彼に会わなければ、そのうち忘れてくれるだろう。
しかし、最悪なのはまた、あの男と出会ってしまった時だ。向こうはどう出てくるか分からないし、いきなりアカウント名で呼ばれたら、たまったもんじゃない。そういう時のことも考えておかないと。
どの道こちらの立場の方が弱いので、もし……万が一、天地がひっくり返りそうになってあの男と話さなければならない時には、黙っていてもらうことを『お願い』しなければ。
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