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18 告白

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 それから数日後、遥が主演だったはずの舞台が、代役で公開した。直前でこんなことになってしまい、悔しさと申し訳なさで、遥はさらに吐くことが止められなくなってしまう。

 キャストやスタッフは心配して、お見舞いやメッセージをくれたけれど、疑心暗鬼になってしまって素直に受け入れられなかった。

 そして雅樹は宣言した通り、黒兎を連れて見舞いに来る。

 リラックスしてほしいからと、雅樹に丸め込まれた谷本は連れ出されてしまい、遥は落ち着かなくなった。そして、その様子を見た黒兎が、どうしてそんなにも谷本を気にするのか、と聞いてくるのだ。

「あいつが……谷本さんに酷いことを言わないか心配なんだよ」

 半分は本心で、半分は嘘をつくと、黒兎は「そう」と言って施術を始める。

 不思議なことに、黒兎の施術は抗いがたい程の眠気に襲われる。皮膚を摘んでいるだけなのに、と遥は懸命に起きていようとするのだ。

「……小井出さん、胃の入口から食道が、少し荒れてますね。吐き気があるんじゃないですか?」
「病院食が合わないだけ。谷本さんに食事を買ってきてもらってるから大丈夫」

 やはり身体の中の状態を言い当てられた遥は、咄嗟に嘘をつく。だから遥はこのひとが嫌いだった。

 自分の一番汚い部分を、暴かれそうな気がして。

「……小井出さん」

 施術をしながら黒兎は優しい、落ち着いた声で話しかけてくる。右手の甲を撫で、手のひらを見て指先を伸ばすように軽く引っ張った。

「……自分で吐いたりしてません?」

 遥は息を詰める。そして触られているのが不快に思い、黒兎の手を振り払った。雅樹もこれが目的で、黒兎を連れてきたのだ。早く回復するようにとか嘘をつきながら。

「余計な詮索するなら帰れよ」
「小井出さん、俺は医者じゃないですし、憶測で言ってるだけです。その手についた跡で、もしかしたらって……」
「帰れ!!」

 遥の怒鳴り声で、近くにいたらしい雅樹と谷本がなにごとかと入ってくる。

「あんたに何がわかる!? ぽっと出のあんたに、僕は気を許すほどちょろくない!」

 怒りに任せて叫ぶと、弾かれたように動いたのは雅樹だった。大股で近付いて来たかと思ったら、左頬に強い衝撃がくる。

 叩かれた、と思ったのはそのあとだ。遥は雅樹を睨むと、雅樹も初めて見るほどに怒っている。

「……気を許す許さないはきみの自由だが、黒兎を傷付けるなら私が許さない」
「雅樹、止めて……」

 なりふり構わないとはこういうことだろうか。雅樹は黒兎を苗字ではなく名前で呼び、自分の後ろに追いやった。互いに名前で呼ぶ関係にすら嫉妬し、手に入れられないならいっそ壊してしまえ、とさらに雅樹を煽る。

「今みたいな手口で、社長を落としたんでしょ? じゃなきゃ大人しいあんたに社長がなびくわけない」
「遥!」
「止めて雅樹!」

 再び手をあげようとした雅樹を、黒兎が羽交い締めにして止めた。不思議なことに、ひとを傷付けようとすると、自分も傷付くのだと今になって気付く。

「……もういい。あんたたちの見舞いも。って言うか、Aカンパニーを退所する。もう二度と来ないで」

 自分で自棄になっているのは分かっていた。けれどどうしたらいいのか分からず、思い通りにいかないイライラを、身近なひとにぶつけてしまう。

 それが甘えだと気付かず、それでも受け止めてくれるひとをずっと探していた。なのにこのひとは……このひとたちはもう、自分のものにはなり得ないのだ。

「遥……」

 谷本がそっと抱きしめてくる。いつもこういうタイミングで来るのは谷本で、それから彼女は遥を慰めるように触れてくるのだ。

 嫌なのに、どうしてここから抜け出せないのだろう?

「……分かった。手続きが済むまでまた来ることになるが、それでも構わないか?」
「ちょっと、雅樹!」

 遥の言葉を鵜呑みにした雅樹は、止める黒兎を無視し、退所の手続きを始めると言う。

「いいよ。どうせ暇だし」
「では谷本さん、一度事務所まで来てもらえますか」

 谷本は少し戸惑いながらも返事をし、雅樹は彼女を連れて出ていった。黒兎も少し迷っていたようだが、雅樹について行く。

 しんとなった病室でため息をつくと、急に涙が浮かんだ。けれど事務所を退所すると決めた以上、今後のことを考えていかないと、と涙を拭う。

 長年いたAカンパニーを離れるとなると、それなりに寂しさはあるけれど、もう色々と限界だ。

 雅樹の一番を手に入れられなかった悔しさに耐えることと、谷本との関係を隠していくこと。遥の体調が思わしくないのも、そのサインだろう。だったら、そのストレス源から離れた方がいい。

 すると、ドアがノックされる。谷本が戻ってきたのかと思って返事をすると、中に入ってきたのは永井だった。

「──おや、木村さんに呼ばれて来たのだが」

 病室に遥しかいないことに驚いたのか、彼はほんの少しだけ眉を上げている。

「社長なら僕が追い出しました。ついさっきなので、追いかけたら間に合いますよ」

 そう言って遥はベッドの上に座る。視線を合わせず窓の外を眺めると、外は綺麗に晴れていた。

 自分の心も、いつかこんな風に晴れることはあるのだろうか。ガラにもなくそんなことを考える。

「……どうした、泣いていたのか?」
「……っ、はぁ? ていうか、恋人契約も破棄したのに、何でいつまでも付きまとうんですか。しかも谷本にまで話して……」

 舞台にも出られずこの体たらくで、どうしてまだ自分に用があるのだろう? 永井が心配するべきなのは舞台であって、遥ではないはずだ。

「言っただろう、私は遥を公私共に支援したいと」

 しかし永井はいつもの表情で、さらりとそう言う。遥は訳が分からなくて困惑した。

「え、何? 本気で言ってたんですか? 契約だけじゃなく?」
「……木村さんから、きみは跳ねっ返りだから、素直に付き合いたいと言っても聞かないだろうと」

 確かにその通りだ。でもそれなら、顔合わせした時の冷ややかな態度は何だったのだろう? と遥は思う。

 それより、と永井はベッドの端に座った。

「泣いていたのか? 誰に何をされた?」

 そっと頬を撫でられる。その瞬間、やはり酷く安心し、また一気に涙腺が崩壊した。遥はその手を握ると、感情のままに力を込める。

「……っ!」

 甘えてもいいのだろうか、この手に。今まで無条件で差し出されることのなかった手を取って、自分を守ってなんて、言っていいのだろうか?

 でもここで言わなければ、自分はまた谷本の元へ自ら飛び込みに行くだろう。そうなれば、遥はもう自分を保てなくなる。

 大きく息を吸い込んだ。

「た……けて……っ」
「ああ、初めからそのつもりだ。だからどうして欲しいのか言ってくれ」

 嗚咽混じりでもちゃんと意味を理解してくれた永井。それが嬉しくてさらに涙が溢れた。

 ああ、もうこれで谷本には会えなくなる。

 永井に告白する前に思ったのはそんなことだ。だからこそ、遥自身も谷本に依存していたのだなと自覚した。

「助けて! 僕……もう母さんとは会いたくない……っ! 身体を好きにされるのは嫌だ……!」

 言ってしまった。もうあとには引けない。遥はそう思い、込み上げる嗚咽を我慢せずに泣いた。
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