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「……で? そのあとどうしたんだよ?」
次に春輝に話が出来たのは、秀と会ってから三日後の事だった。今は合奏の授業で、院生も合わせて色んな専攻の学生が集まって来ている。
冬哉は楽器を組み立ながら口を尖らせた。
「べっつにー? 本当に蟻の巣置いて帰っただけだよ」
それを聞いた春輝は噴き出す。
「何だ、何か起こるとでも思ったのか?」
「ち、違うよっ!」
冬哉はカッと顔が熱くなった。正直、ほんの少しだけ期待したけれど、あの秀がいきなりそんな思い切った事をするとは思えなくて、案の定平和にその日は終わったのだ。そして冬哉はその蟻の巣を見る度に秀を思い出し、赤面するというのを繰り返している。でも、蟻はきちんと巣を作り始めてくれて、せっせと動く蟻を眺めていると癒されるのだ。
「あ、でもでもっ、アプリじゃ蟻の巣の画像は送れないから、ちゃんと連絡先交換したよ?」
「……蟻の画像が欲しいだけじゃん」
春輝は呆れているけれど、冬哉はこれで一歩前進できたと喜んだ。こうやって、彼の事を少しずつ知っていくのは、ワクワクする。
「冬哉は見た目もだけど……中身も女子っぽいよな」
喜ぶ冬哉を苦笑して見る春輝。冬哉も笑った。
「なぁに? 今頃僕の魅力に気付いたって、遅いからねっ」
軽口をたたくと、春輝は言ってろ、と笑う。そこで指揮科の学生が先生と一緒に指揮台に来たので話はお開きとなった。
先生が話す。
「来月ドイツから来る指揮者、リアン氏の特別授業がある。学内オーディションで器楽科は生徒を決めるが、指揮科のオーディション用に今から呼ぶ人は協力をお願いしたい」
室内がざわついた。特別授業と学内オーディションの事は、それぞれ師事する先生から聞いていたはずだ。けれど指揮科のオーディションの事までは、聞かされていない。
先生はそれぞれの楽器の学生を呼んでいく。春輝も呼ばれた。彼はフルート専攻の中で学年次席なので当然だろう。先生は、呼んだ生徒は指定した日時に集合するように、と言い、それから、と話を続ける。
「これはリアン氏の提案だからなー? 文句を言うなよ? 木村、お前はリアン氏直々の指名だ、オーディションは無し、授業も必ず出ろ」
「はい」
冬哉は返事をすると、更に室内はざわめいた。何で木村が? そんな声が聞こえて冬哉は息を詰める。
「すごいな冬哉」
隣から春輝の声がして振り向くと、彼は笑っていた。冬哉も苦笑すると、春輝は本当にいい子だね、と言う。どういう意味だ? と聞かれたけれど、それには答えなかった。
その後合奏の授業をこなし、冬哉はすぐに先程の先生を捕まえる。
「先生、どういうことですか?」
冬哉はリアンと面識がない。なのに何故直接指名されるのか、と尋ねると、君の今までの実績と、実際に音を聞いたからだ、と言われてますます疑問に思う。
「ソロコンテストでもほぼ金賞一位だし、たまたまリアン氏も見に行った事があるそうだ」
それなら、何かしらのアクションを起こしてくれても良いだろうに、何故このタイミングなのか、と思う。ツテも大事な音楽業界、注目の若手がいれば声くらい掛けるだろう。
「あの人も忙しいからなぁ。ま、授業でやる楽譜は早めに渡すから、さらっておけよ?」
「分かりました」
冬哉はそう言って先生の元から離れる。よりによって、先輩もいる中でああいう風に発表されるのは嫌だな、と思う。嫉妬の的にされるからだ。正直、絡まれるとめんどくさい。
今日はもう授業は無いし、帰ろうかな、と考えていると、スマホが震える。見てみると秀からだった。
『蟻の巣は順調?』
「……僕より蟻の巣~?」
そう愚痴りながらも、冬哉は返信する。
『うん! ちゃんと巣を作ってるよ! 眺めてると癒されるね』
すると、すぐにまた返信が来た。
『良かった。やっぱり押し付けた感があったかなって心配したんだ』
冬哉は笑う。押し付けた自覚はあったんだ、と独り言を言って返信を少し考える。
どうしよう、今少し嫌な事があったせいか、ものすごく秀に会いたい。けれど三日前に会ったばかりだし、毎日メッセージではやり取りしている。ウザイと思われても嫌だし、ここは我慢かな、と返信する。
『ううん、大丈夫だよ』
他に会話が思い付かなかったので、それだけを送った。これで会話は終わりかなと思っていたら、またすぐに返信が来てびっくりする。
『冬哉、今週末空いてる? 先日付き合ってもらったから、今度は冬哉の行きたい所に行こうよ』
「……っ、うー……」
冬哉はその場で立ち止まって悶えた。秀から誘われたという事実だけで、こんなにも心臓が忙しく動き出すから、恋は厄介だ。ゆっくり深呼吸を五回はしてスマホを見ると、やはりそこには秀から週末会おうというお誘いのメッセージがある。
冬哉は返信した。指が緊張で震えてしまって、うまくタップできない。おかしいな、演奏前でもこんなに緊張しないのに、と左手を振った。
『空いてるよ! じゃあまた駅で待ち合わせしようよ』
詳細は考えてまた連絡する、と送ると、秀からは『了解』と敬礼した蟻のスタンプが送られてきた。スタンプまで虫とは、本当に虫が好きなんだな、と笑う。
家に帰ってひと息つくと、珍しい人から電話があった。久しぶりだなと思いながら、冬哉は電話に出る。
『やあ、元気してるかい?』
「雅樹くん、元気だよ~。珍しいね、電話を掛けてくるなんて」
相手はいとこの雅樹だ。お互いの祖父の事を聞いて、心配して掛けてきたのだろう。
『ああ。おじい様の事を聞いてね。……冬哉、私の事は気にしないでくれよ?』
そもそも私は会社を運営する事が好きみたいだから、と思った通りの事を言う雅樹に、冬哉は苦笑した。みんなに守られているなぁ、と感じ、尚更演奏家の道で成功しなきゃという思いが強くなる。
実は祖父の旭も、冬哉の事を応援してくれている。いつか産まれる孫のために高校を創ったというのだから、旭のじじバカは相当なものだ。
『私の父が何か言ってきたら、すぐに知らせてくれ。あの人は、面倒くさがりなくせに、お金と権力は欲しがるから』
実の父親の事をそう言ってしまう雅樹は、血縁というのも相まって本当に嫌いなのだろう。普段は穏やかな雅樹だからこそ、その言葉には重みがある。
「雅樹くん……」
『大丈夫だよ。冬哉は冬哉のやりたいようにやればいい』
「ありがとう。……雅樹くん、もし好きな人できたら教えてね」
『なんだい? いきなり』
雅樹は高校生の時から、会社の経営に関わっていた。恋愛どころじゃない人生を送らざるをえなかったし、その上跡継ぎを要求されているのだ、プレッシャーは計り知れない。だから余計なお世話と思いつつも、少しは雅樹の役に立ちたいと思うのだ。
「だって、雅樹くんまで種無しとか言われるの、僕嫌だよ……」
僕も種無しではないけどさ、と冬哉は口を尖らせる。すると雅樹は声を上げて笑った。
『心配しなくても、ちゃんと恋愛はしているよ。実らないだけで』
「それもおかしな話だよねー」
冬哉はソファーに寝転ぶ。少し前にも雅樹には会っているけれど、旭が経営する芸能事務所に所属する俳優よりも美丈夫だ。みんな雅樹のどこが不満なのだろう?
冬哉は雅樹と少し他愛もない話をして、通話を切る。一つため息をつくと、やっぱり自分は色んな人に守られていると感じた。ずっと家の事業や資産を守り続けてきた木村家。自分は本当にその手伝いをしなくて良いのか、と思ってしまう。
「……やめやめ!」
考えるとろくな事にならない。冬哉は起き上がると、フルートのケースを持って、防音室に籠った。
次に春輝に話が出来たのは、秀と会ってから三日後の事だった。今は合奏の授業で、院生も合わせて色んな専攻の学生が集まって来ている。
冬哉は楽器を組み立ながら口を尖らせた。
「べっつにー? 本当に蟻の巣置いて帰っただけだよ」
それを聞いた春輝は噴き出す。
「何だ、何か起こるとでも思ったのか?」
「ち、違うよっ!」
冬哉はカッと顔が熱くなった。正直、ほんの少しだけ期待したけれど、あの秀がいきなりそんな思い切った事をするとは思えなくて、案の定平和にその日は終わったのだ。そして冬哉はその蟻の巣を見る度に秀を思い出し、赤面するというのを繰り返している。でも、蟻はきちんと巣を作り始めてくれて、せっせと動く蟻を眺めていると癒されるのだ。
「あ、でもでもっ、アプリじゃ蟻の巣の画像は送れないから、ちゃんと連絡先交換したよ?」
「……蟻の画像が欲しいだけじゃん」
春輝は呆れているけれど、冬哉はこれで一歩前進できたと喜んだ。こうやって、彼の事を少しずつ知っていくのは、ワクワクする。
「冬哉は見た目もだけど……中身も女子っぽいよな」
喜ぶ冬哉を苦笑して見る春輝。冬哉も笑った。
「なぁに? 今頃僕の魅力に気付いたって、遅いからねっ」
軽口をたたくと、春輝は言ってろ、と笑う。そこで指揮科の学生が先生と一緒に指揮台に来たので話はお開きとなった。
先生が話す。
「来月ドイツから来る指揮者、リアン氏の特別授業がある。学内オーディションで器楽科は生徒を決めるが、指揮科のオーディション用に今から呼ぶ人は協力をお願いしたい」
室内がざわついた。特別授業と学内オーディションの事は、それぞれ師事する先生から聞いていたはずだ。けれど指揮科のオーディションの事までは、聞かされていない。
先生はそれぞれの楽器の学生を呼んでいく。春輝も呼ばれた。彼はフルート専攻の中で学年次席なので当然だろう。先生は、呼んだ生徒は指定した日時に集合するように、と言い、それから、と話を続ける。
「これはリアン氏の提案だからなー? 文句を言うなよ? 木村、お前はリアン氏直々の指名だ、オーディションは無し、授業も必ず出ろ」
「はい」
冬哉は返事をすると、更に室内はざわめいた。何で木村が? そんな声が聞こえて冬哉は息を詰める。
「すごいな冬哉」
隣から春輝の声がして振り向くと、彼は笑っていた。冬哉も苦笑すると、春輝は本当にいい子だね、と言う。どういう意味だ? と聞かれたけれど、それには答えなかった。
その後合奏の授業をこなし、冬哉はすぐに先程の先生を捕まえる。
「先生、どういうことですか?」
冬哉はリアンと面識がない。なのに何故直接指名されるのか、と尋ねると、君の今までの実績と、実際に音を聞いたからだ、と言われてますます疑問に思う。
「ソロコンテストでもほぼ金賞一位だし、たまたまリアン氏も見に行った事があるそうだ」
それなら、何かしらのアクションを起こしてくれても良いだろうに、何故このタイミングなのか、と思う。ツテも大事な音楽業界、注目の若手がいれば声くらい掛けるだろう。
「あの人も忙しいからなぁ。ま、授業でやる楽譜は早めに渡すから、さらっておけよ?」
「分かりました」
冬哉はそう言って先生の元から離れる。よりによって、先輩もいる中でああいう風に発表されるのは嫌だな、と思う。嫉妬の的にされるからだ。正直、絡まれるとめんどくさい。
今日はもう授業は無いし、帰ろうかな、と考えていると、スマホが震える。見てみると秀からだった。
『蟻の巣は順調?』
「……僕より蟻の巣~?」
そう愚痴りながらも、冬哉は返信する。
『うん! ちゃんと巣を作ってるよ! 眺めてると癒されるね』
すると、すぐにまた返信が来た。
『良かった。やっぱり押し付けた感があったかなって心配したんだ』
冬哉は笑う。押し付けた自覚はあったんだ、と独り言を言って返信を少し考える。
どうしよう、今少し嫌な事があったせいか、ものすごく秀に会いたい。けれど三日前に会ったばかりだし、毎日メッセージではやり取りしている。ウザイと思われても嫌だし、ここは我慢かな、と返信する。
『ううん、大丈夫だよ』
他に会話が思い付かなかったので、それだけを送った。これで会話は終わりかなと思っていたら、またすぐに返信が来てびっくりする。
『冬哉、今週末空いてる? 先日付き合ってもらったから、今度は冬哉の行きたい所に行こうよ』
「……っ、うー……」
冬哉はその場で立ち止まって悶えた。秀から誘われたという事実だけで、こんなにも心臓が忙しく動き出すから、恋は厄介だ。ゆっくり深呼吸を五回はしてスマホを見ると、やはりそこには秀から週末会おうというお誘いのメッセージがある。
冬哉は返信した。指が緊張で震えてしまって、うまくタップできない。おかしいな、演奏前でもこんなに緊張しないのに、と左手を振った。
『空いてるよ! じゃあまた駅で待ち合わせしようよ』
詳細は考えてまた連絡する、と送ると、秀からは『了解』と敬礼した蟻のスタンプが送られてきた。スタンプまで虫とは、本当に虫が好きなんだな、と笑う。
家に帰ってひと息つくと、珍しい人から電話があった。久しぶりだなと思いながら、冬哉は電話に出る。
『やあ、元気してるかい?』
「雅樹くん、元気だよ~。珍しいね、電話を掛けてくるなんて」
相手はいとこの雅樹だ。お互いの祖父の事を聞いて、心配して掛けてきたのだろう。
『ああ。おじい様の事を聞いてね。……冬哉、私の事は気にしないでくれよ?』
そもそも私は会社を運営する事が好きみたいだから、と思った通りの事を言う雅樹に、冬哉は苦笑した。みんなに守られているなぁ、と感じ、尚更演奏家の道で成功しなきゃという思いが強くなる。
実は祖父の旭も、冬哉の事を応援してくれている。いつか産まれる孫のために高校を創ったというのだから、旭のじじバカは相当なものだ。
『私の父が何か言ってきたら、すぐに知らせてくれ。あの人は、面倒くさがりなくせに、お金と権力は欲しがるから』
実の父親の事をそう言ってしまう雅樹は、血縁というのも相まって本当に嫌いなのだろう。普段は穏やかな雅樹だからこそ、その言葉には重みがある。
「雅樹くん……」
『大丈夫だよ。冬哉は冬哉のやりたいようにやればいい』
「ありがとう。……雅樹くん、もし好きな人できたら教えてね」
『なんだい? いきなり』
雅樹は高校生の時から、会社の経営に関わっていた。恋愛どころじゃない人生を送らざるをえなかったし、その上跡継ぎを要求されているのだ、プレッシャーは計り知れない。だから余計なお世話と思いつつも、少しは雅樹の役に立ちたいと思うのだ。
「だって、雅樹くんまで種無しとか言われるの、僕嫌だよ……」
僕も種無しではないけどさ、と冬哉は口を尖らせる。すると雅樹は声を上げて笑った。
『心配しなくても、ちゃんと恋愛はしているよ。実らないだけで』
「それもおかしな話だよねー」
冬哉はソファーに寝転ぶ。少し前にも雅樹には会っているけれど、旭が経営する芸能事務所に所属する俳優よりも美丈夫だ。みんな雅樹のどこが不満なのだろう?
冬哉は雅樹と少し他愛もない話をして、通話を切る。一つため息をつくと、やっぱり自分は色んな人に守られていると感じた。ずっと家の事業や資産を守り続けてきた木村家。自分は本当にその手伝いをしなくて良いのか、と思ってしまう。
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