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19 洗礼と王子

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「さあショウ様、こちらですよ」

 私は大きな門扉を押して開けると、ショウ様を振り返った。ショウ様はいかにも渋々、といった風情で私の後を付いてきてくださる。

 あれから、やはり学校で授業を受けた方がいいと判断した私は、ショウ様を説得し、同じ年頃の魔族が通う学校に来た。本当は送り迎えも別の者がいるけれど、ショウ様が私がいいと頑として譲らないので、同行する。

「……随分静かですね」
「……」

 先程からショウ様はブスくれた顔をして、一言も話さない。余程学校が嫌なのだろう、と苦笑してショウ様の背中を撫でる。

「またお迎えに上がります。……行ってらっしゃいませ」

 そう言って、校舎の前でショウ様を見送った。教科書が入った肩掛けカバンの紐を、両手でキュッと握って、ショウ様は校舎へと入っていく。

 ご武運を、ショウ様……。

 久しく行っていないであろう学校に、飛び込むのは怖いのでしょう。けれどそれでも、真っ直ぐ校舎へ向かうショウ様のお姿はとてもご立派です。その背中が少し大きく見えたのは、きっと気のせいではないはず……!

 私は踵を返すと、時間まで近くで暇を潰すことにした。ショウ様が戻られた時に、何か美味しいものでも買ってあげましょう、と色んなお店を見て回る。


 ◇◇


 数時間後、私は時間になったのでまた学校へショウ様をお迎えに行った。さすがに下校時間はお迎えの車が沢山いましたし、そこに通っているであろう魔族の子供たちは、みな純粋無垢で元気な様子だ。ああ、ショウ様もご学友と、あんな風に笑う日が来るのでしょうか。微笑ましい限りです。

 しかし、いくら待っていてもショウ様は出て来ません。どうしたのでしょう? 他の生徒はもう全員帰ったのか、誰も出てきません。

 しんとなった校舎前で、さすがに心配になった私は、歩みを進めようと一歩踏み出した時だった。

 薄暗い校舎から、背の高い、筋骨隆々な男が何かを担いで出てきたのだ。私はそれが何か気付いて、全身の血がカッと熱くなる。

「ショウ様!」

 その男はショウ様を私に向かって投げた。この……っ、まがりなりにも……六十六番目と言えど王子ですよ!? 不敬な!

 私はショウ様を受け止めると、ショウ様のお顔やお身体には無数の痣や傷があった。あまりにも痛々しいお姿に、私は男を睨む。

「ショウ様のこのお姿……どういう訳か説明して頂けますか?」
「魔力が皆無な上に座学も満足にできん奴など、この魔界では早々に不要になる存在。生きているだけ感謝しろと、周りから『洗礼』を受けたところだ」

 ……怒りで言葉が出ないとはこういうことか、と私は思った。

「貴方は……知らないのですか、ショウ様の本当の魔力を」
「知る必要はない」
「……分かりました」

 私はショウ様を抱きかかえて歩き出す。ショウ様が学校に行きたがらない理由はこれだったのか。私は何てことをしてしまったのだ。

 私より、同世代の魔族に目が向いてくれれば、なんて思っていた私が馬鹿でした。本当に、屋敷の外ではショウ様を王子扱いする魔族はいないんですね。

 後ろで、どさりと何かが落ちる音がする。私は温かい液体で濡れた右手を振ると、地面にパッと赤が付いた。ああ、ついやってしまいました。この手でショウ様に触れて汚さないようにしないと。

 ショウ様はどうやら気を失っているようだ。白い肌が今は青白く見えて、紅梅色の唇も、紫がかっている。漆黒の髪が血で肌に張り付いていて……本当に痛々しいお姿だ。

「……『洗礼』に参加した生徒も洗い出さないといけませんね」
「……リュート」

 腕の中で弱々しいショウ様の声がした。見ると薄く開いた瞼から、黒い瞳がこちらを見ている。私はその瞳に吸い込まれそうになり、そっと顔を近付けた。

「──……」

 血の気を失っている、ひんやりとして柔らかい感触。ショウ様の瞳に少しだけ光が戻って、私は微笑む。

「お身体は辛くないですか?」
「……うん……」

 ショウ様の声に、少しだけ戸惑いが見え隠れして、私はそれ以上ショウ様を見ずに、前だけを見て歩いた。

 ショウ様、私は貴方が大事なんです。ショウ様に害をなす者がいれば、即刻殺してしまうくらいには。

 これは仕事上当然の感情であり、王子であるショウ様を守る為の手段です。決して、恋愛感情などではありません。

 両手に掛かるショウ様の重みや、弱っているショウ様のお姿を見て可愛らしいなどと……思ってはいませんから。

 私はこれ以上、この感情が表に出てこないよう願った。私はショウ様のおそばに長くいたいのです。この感情を出す訳にはいきません。

 屋敷に帰ったら、またいつもの通りに振る舞いますから。だから今は、今だけはショウ様の柔らかな身体を少しだけ意識していてもいいですか?

 ずっと、保護者のような感覚でいたのに、と私は苦笑する。

 もう二度と、ショウ様を危険に晒すことは致しませんから。

 いつの間にか、ショウ様はまた気を失ってしまったようだ。しかし先程よりも血の気が戻ってきている肌を見て、私はもう一度、紅梅色の唇に触れるだけの口付けをする。

 申し訳ありません、ショウ様。

 それでもやはり、私は貴方の好意に応えることはできないんです。

 屋敷に着き、ショウ様の寝室にぐったりした主人を寝かせると、私はすぐにその部屋を後にした。

 魔力の強さが魔界で生き残る条件だとしたら、強い者に淘汰されるのはこの世の道理ですよね。

「……さて、『洗礼』に行きますか」

 私は乾いた右手の赤を舐めると、来た道を戻ったのだった。
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