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それから一週間程、櫂斗は亮介とセックス三昧の生活を送る。爛れた生活だな、と思うけれど、櫂斗を思い切り甘やかしながら意地悪をしてくる亮介とのセックスは、これ以上無いくらい気持ちよかった。どうやら亮介は、元々責めるのは好きだけれど、本来はこういうのが好きなんだと気付いたのは、ここ二、三日前だ。
そして櫂斗はその合間に、塾へ連絡して復帰への準備を始める。記憶喪失だと聞いていたらしい塾長は、すごく櫂斗の事を気にしていたらしい、可能ならすぐに面接させてくれ、と言われ、櫂斗はその時の会話を思い出しながら、ネクタイを締めた。
今日はその面接の日。櫂斗は誰もいない部屋に、行ってきます、と言って、家を出る。
亮介は今日は撮影で一日拘束されると言っていた。彼の仕事内容は詳しく聞けないので分からないけれど、真洋と同じ事務所のシンガーソングライター、水春と仕事だと言っていた。元々は櫂斗の為に仕事をセーブしていたので、彼もそろそろ本来の仕事に戻るのだろうと思うと、自分も頑張ろうと思える。
電車に乗って塾に着くと、職員室に入るなり全員に注目され、回れ右して帰りたくなった。
「堀内先生、待ってたよ。面談室に行こう」
幾分痩せた塾長に促され、面談室に二人で入る。塾長は買ってきたらしい缶コーヒーを二本、机の上に置いた。彼には今日までに、記憶が戻った事も報告してある。歓迎モードの態度に、櫂斗は戸惑った。
「どうぞ」
「ありがとうございます……」
促されるまま席に着くと、そのままコーヒーも勧められる。ありがたく缶を開けると、塾長は満足そうに笑った。
「おかえり、先生」
「えっ?」
おかえりとはどういう事だろう? 確か今日は、改めてこの塾で講師ができるか、話し合う面接ではなかったか。
「やだなぁ先生、こっちは辞めさせるつもりなんて更々無いんだよ。今日は、いつから復帰できるかの相談だよ?」
「え、いや、だって……」
櫂斗は戸惑う。入院して長い間穴を開けてしまったのだ。迷惑だから辞めろと言われる覚悟でさえいたのに、どうして、と塾長を見る。
「……気付いてあげられなくて悪かったね」
「……っ」
塾長は不意にトーンを落とした。主語は無かったけれど、彼が言っているのは櫂斗の自殺未遂の事だろう。
「身体は大丈夫なのかい?」
塾長は、櫂斗が息を詰めたのを察して、話題を逸らす。彼はいつもより穏やかに笑っていた。
「……はい。右肩が少し不便ですけど、それ以外はほぼ元通りです」
「そうか……」
塾長はため息混じりに呟くと、私を見て、何か気付かない? と聞いてきた。触れて欲しかったのか、と櫂斗は笑う。
「少し痩せましたね」
ダイエットしてるんですか? と聞くと塾長は薄い頭をポリポリとかいた。
「いやぁ、ね、健康に気を遣わないとと妻と娘に怒られて……」
堀内先生に分かるほどなら、きちんと効果は出てるんだね、と塾長はコーヒーをひと口飲む。
「家族をまた失うのは嫌だと言われたら、嫌でも言うこと聞かないとね」
櫂斗は突っ込んで聞いていいのか迷った。けれど、それも塾長は気付いているようで、自ら話してくれる。
「息子、私と同じく教職に就いていたんだ。でも、息子は何かに悩んでいた。何かは未だに分からない……」
けれど、当時は鬼講師だった塾長は、そんな情けない姿を生徒に見せるつもりか、お前が生徒の見本にならなくてどうする、と叱咤激励した、つもりだった。それが追い詰めることになるとも気付かずに。
「それがきっかけだったかさえ分からないけど、しばらくして息子が行方不明になって、ひと月後に山の中で見つかったよ……冷たくなってね」
すごく後悔した、と塾長は目頭を押さえた。その姿が、亮介と重なるものがあり、櫂斗ももらい泣きしそうになる。塾長は、息子と櫂斗を重ねて見ているようだった。だから櫂斗の事をすごく心配していたのか、と櫂斗は納得する。
「人知れず死のうとしている人は隠すのが上手い……見つけるのが困難だと分かっていても、私に何かできたんじゃないかって思ってしまうんだ」
顔から手を離した塾長は、櫂斗を真っ直ぐ見た。悩みがあるなら話してくれないか、と遠回しに言われているようで、櫂斗は視線を落としてしまう。
好意は素直にありがたい。けれど、とてもプライベートな事だし、やはりカミングアウトするには躊躇した。けれど、ここまで櫂斗を気にしてくれて、自分の事を打ち明けてくれた塾長には、それとなく話しても良いのかもしれない。
「……好きな人とすれ違いが起きていたんです」
櫂斗はそれだけを言うのに、心臓が爆発するんじゃないかと思うほどドキドキした。けれど、塾長はそれだけ? みたいな顔をして櫂斗を見ている。
「……以前ここにホームページ用の写真を撮りに来ていた来島さん……あの人と」
緊張で震えた声で言うと、塾長はなんて事だ、と叫んで頭を押さえた。突然の事でびっくりした櫂斗は、目を丸くして塾長を見る。
「やっぱりそうだったんだ。もっと突っ込んで話せば良かった……っ」
悪かった、と言う塾長は頭を抱えて呟いた。どういう事だろう? と櫂斗は嫌な汗が出てくる。亮介が何か言ったのだろうか?
「来島さんがここに来た時、やたらと堀内先生の事を聞きたがるから何故かと思って」
名前と担当教科を教えただけだけど、何故そんなに知りたがるのか興味が湧いて、彼に聞いたんだ、と塾長は言った。
すると亮介は、俺はゲイだから堀内先生がものすごくタイプなんですよね。でも、向こうはそうとも限らないから、この話は内緒にしといてください、と言ったそうだ。
塾長は驚いたものの、亮介があまりにもあっけらかんと言うのでそうなのか、程度に思っていた。けれど、塾での亮介と櫂斗は仲が良さそうに見えたし、一緒に帰ったりもしていたので、亮介の恋が成就して欲しい、と思っていたそうだ。
「堀内先生は真面目だし、先生としても優秀だし、保護者や女生徒からも人気があるのに、何故女っ気が無いのだろう、と思っていたんだよね」
プライベートな事だから、あまり話すのも気が引けた、と塾長は苦笑する。櫂斗は亮介が塾長にまでカミングアウトしているとは思わず、恥ずかしさで顔が熱くなった。どこまでオープンなんだ、と櫂斗は思う。
「でも過去形ってことは、雨降って地固まったのかい?」
「…………はい」
櫂斗は俯いて、消え入りそうな声で返事をした。顔が熱くて、ここから逃げ出したい気持ちになる。
「堀内先生のその様子だと、ずっと隠してきたのかな? 職業のイメージもあるし、子供も正直だしね」
言えないのも分かるよ、と言われて、櫂斗は顔を上げられなくなった。思い切って、櫂斗はそのまま聞いてみる。
「あの…………イメージが悪くなるとかなら、全然オレは塾を辞めるので……」
櫂斗はそう言うと、塾長は弾かれたように何を言っているんだ、と言った。
「辞めさせる気は更々無いと言っただろう? 私と堀内先生の二人だけにこの話を留めておけば、今まで通り仕事ができるじゃないか」
「でも、塾長は嫌じゃないですか?」
一番気にしていたことを、櫂斗は聞いてみる。櫂斗の周りには、櫂斗がゲイだということに嫌悪感を持つ人が多かった。だから櫂斗は必要以上に警戒してしまうのだ。
塾長はそうだねぇ、と椅子の背もたれに身を預ける。
「息子の事があってから、どんな些細な事に思えても、本人にとっては重大な問題なんだって事がままあったから……」
ちゃんと生徒に寄り添おうと思ったんだ、と塾長は続ける。
「個人的にはそれほど気にならないかなぁ。来島さんもそうだって聞いた時も、特に何も思わなかったし」
櫂斗はそれを聞いて、不思議な感覚に陥った。普通に受け入れられたのは、初めてだったからだ。
そう思ったら急に胸が苦しくなって目頭が熱くなる。同類ではない人に何も言われなかった事が、こんなにもホッとするなんて思わなかったのだ。
「……堀内先生、落ち着くまで私は席を外した方が良いかな?」
「いえ、……すみません、大丈夫です」
櫂斗は顔を両手で覆って大きく息を吐いた。落ち着け、と自分に言い聞かせ、櫂斗は両手を離す。塾長は優しい顔で櫂斗を見ていた。
「そう? ならそろそろ本題に入ろうか」
塾長はスマホを取り出す。彼の年齢にしては珍しく、塾の仕事に関することは、全てスマホで管理している。
その後、櫂斗は塾長と相談の結果、授業は一ヶ月後から、それまでに自習の生徒相手に個別指導をしながら、勘を取り戻すという話になった。
またここで仕事ができる。そう思ったら塾長には感謝しかなかった。
そして櫂斗はその合間に、塾へ連絡して復帰への準備を始める。記憶喪失だと聞いていたらしい塾長は、すごく櫂斗の事を気にしていたらしい、可能ならすぐに面接させてくれ、と言われ、櫂斗はその時の会話を思い出しながら、ネクタイを締めた。
今日はその面接の日。櫂斗は誰もいない部屋に、行ってきます、と言って、家を出る。
亮介は今日は撮影で一日拘束されると言っていた。彼の仕事内容は詳しく聞けないので分からないけれど、真洋と同じ事務所のシンガーソングライター、水春と仕事だと言っていた。元々は櫂斗の為に仕事をセーブしていたので、彼もそろそろ本来の仕事に戻るのだろうと思うと、自分も頑張ろうと思える。
電車に乗って塾に着くと、職員室に入るなり全員に注目され、回れ右して帰りたくなった。
「堀内先生、待ってたよ。面談室に行こう」
幾分痩せた塾長に促され、面談室に二人で入る。塾長は買ってきたらしい缶コーヒーを二本、机の上に置いた。彼には今日までに、記憶が戻った事も報告してある。歓迎モードの態度に、櫂斗は戸惑った。
「どうぞ」
「ありがとうございます……」
促されるまま席に着くと、そのままコーヒーも勧められる。ありがたく缶を開けると、塾長は満足そうに笑った。
「おかえり、先生」
「えっ?」
おかえりとはどういう事だろう? 確か今日は、改めてこの塾で講師ができるか、話し合う面接ではなかったか。
「やだなぁ先生、こっちは辞めさせるつもりなんて更々無いんだよ。今日は、いつから復帰できるかの相談だよ?」
「え、いや、だって……」
櫂斗は戸惑う。入院して長い間穴を開けてしまったのだ。迷惑だから辞めろと言われる覚悟でさえいたのに、どうして、と塾長を見る。
「……気付いてあげられなくて悪かったね」
「……っ」
塾長は不意にトーンを落とした。主語は無かったけれど、彼が言っているのは櫂斗の自殺未遂の事だろう。
「身体は大丈夫なのかい?」
塾長は、櫂斗が息を詰めたのを察して、話題を逸らす。彼はいつもより穏やかに笑っていた。
「……はい。右肩が少し不便ですけど、それ以外はほぼ元通りです」
「そうか……」
塾長はため息混じりに呟くと、私を見て、何か気付かない? と聞いてきた。触れて欲しかったのか、と櫂斗は笑う。
「少し痩せましたね」
ダイエットしてるんですか? と聞くと塾長は薄い頭をポリポリとかいた。
「いやぁ、ね、健康に気を遣わないとと妻と娘に怒られて……」
堀内先生に分かるほどなら、きちんと効果は出てるんだね、と塾長はコーヒーをひと口飲む。
「家族をまた失うのは嫌だと言われたら、嫌でも言うこと聞かないとね」
櫂斗は突っ込んで聞いていいのか迷った。けれど、それも塾長は気付いているようで、自ら話してくれる。
「息子、私と同じく教職に就いていたんだ。でも、息子は何かに悩んでいた。何かは未だに分からない……」
けれど、当時は鬼講師だった塾長は、そんな情けない姿を生徒に見せるつもりか、お前が生徒の見本にならなくてどうする、と叱咤激励した、つもりだった。それが追い詰めることになるとも気付かずに。
「それがきっかけだったかさえ分からないけど、しばらくして息子が行方不明になって、ひと月後に山の中で見つかったよ……冷たくなってね」
すごく後悔した、と塾長は目頭を押さえた。その姿が、亮介と重なるものがあり、櫂斗ももらい泣きしそうになる。塾長は、息子と櫂斗を重ねて見ているようだった。だから櫂斗の事をすごく心配していたのか、と櫂斗は納得する。
「人知れず死のうとしている人は隠すのが上手い……見つけるのが困難だと分かっていても、私に何かできたんじゃないかって思ってしまうんだ」
顔から手を離した塾長は、櫂斗を真っ直ぐ見た。悩みがあるなら話してくれないか、と遠回しに言われているようで、櫂斗は視線を落としてしまう。
好意は素直にありがたい。けれど、とてもプライベートな事だし、やはりカミングアウトするには躊躇した。けれど、ここまで櫂斗を気にしてくれて、自分の事を打ち明けてくれた塾長には、それとなく話しても良いのかもしれない。
「……好きな人とすれ違いが起きていたんです」
櫂斗はそれだけを言うのに、心臓が爆発するんじゃないかと思うほどドキドキした。けれど、塾長はそれだけ? みたいな顔をして櫂斗を見ている。
「……以前ここにホームページ用の写真を撮りに来ていた来島さん……あの人と」
緊張で震えた声で言うと、塾長はなんて事だ、と叫んで頭を押さえた。突然の事でびっくりした櫂斗は、目を丸くして塾長を見る。
「やっぱりそうだったんだ。もっと突っ込んで話せば良かった……っ」
悪かった、と言う塾長は頭を抱えて呟いた。どういう事だろう? と櫂斗は嫌な汗が出てくる。亮介が何か言ったのだろうか?
「来島さんがここに来た時、やたらと堀内先生の事を聞きたがるから何故かと思って」
名前と担当教科を教えただけだけど、何故そんなに知りたがるのか興味が湧いて、彼に聞いたんだ、と塾長は言った。
すると亮介は、俺はゲイだから堀内先生がものすごくタイプなんですよね。でも、向こうはそうとも限らないから、この話は内緒にしといてください、と言ったそうだ。
塾長は驚いたものの、亮介があまりにもあっけらかんと言うのでそうなのか、程度に思っていた。けれど、塾での亮介と櫂斗は仲が良さそうに見えたし、一緒に帰ったりもしていたので、亮介の恋が成就して欲しい、と思っていたそうだ。
「堀内先生は真面目だし、先生としても優秀だし、保護者や女生徒からも人気があるのに、何故女っ気が無いのだろう、と思っていたんだよね」
プライベートな事だから、あまり話すのも気が引けた、と塾長は苦笑する。櫂斗は亮介が塾長にまでカミングアウトしているとは思わず、恥ずかしさで顔が熱くなった。どこまでオープンなんだ、と櫂斗は思う。
「でも過去形ってことは、雨降って地固まったのかい?」
「…………はい」
櫂斗は俯いて、消え入りそうな声で返事をした。顔が熱くて、ここから逃げ出したい気持ちになる。
「堀内先生のその様子だと、ずっと隠してきたのかな? 職業のイメージもあるし、子供も正直だしね」
言えないのも分かるよ、と言われて、櫂斗は顔を上げられなくなった。思い切って、櫂斗はそのまま聞いてみる。
「あの…………イメージが悪くなるとかなら、全然オレは塾を辞めるので……」
櫂斗はそう言うと、塾長は弾かれたように何を言っているんだ、と言った。
「辞めさせる気は更々無いと言っただろう? 私と堀内先生の二人だけにこの話を留めておけば、今まで通り仕事ができるじゃないか」
「でも、塾長は嫌じゃないですか?」
一番気にしていたことを、櫂斗は聞いてみる。櫂斗の周りには、櫂斗がゲイだということに嫌悪感を持つ人が多かった。だから櫂斗は必要以上に警戒してしまうのだ。
塾長はそうだねぇ、と椅子の背もたれに身を預ける。
「息子の事があってから、どんな些細な事に思えても、本人にとっては重大な問題なんだって事がままあったから……」
ちゃんと生徒に寄り添おうと思ったんだ、と塾長は続ける。
「個人的にはそれほど気にならないかなぁ。来島さんもそうだって聞いた時も、特に何も思わなかったし」
櫂斗はそれを聞いて、不思議な感覚に陥った。普通に受け入れられたのは、初めてだったからだ。
そう思ったら急に胸が苦しくなって目頭が熱くなる。同類ではない人に何も言われなかった事が、こんなにもホッとするなんて思わなかったのだ。
「……堀内先生、落ち着くまで私は席を外した方が良いかな?」
「いえ、……すみません、大丈夫です」
櫂斗は顔を両手で覆って大きく息を吐いた。落ち着け、と自分に言い聞かせ、櫂斗は両手を離す。塾長は優しい顔で櫂斗を見ていた。
「そう? ならそろそろ本題に入ろうか」
塾長はスマホを取り出す。彼の年齢にしては珍しく、塾の仕事に関することは、全てスマホで管理している。
その後、櫂斗は塾長と相談の結果、授業は一ヶ月後から、それまでに自習の生徒相手に個別指導をしながら、勘を取り戻すという話になった。
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