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今回の月成作品は『僕は鳥になっちゃって、』一見ふざけたような題名でも、最後は友情、人間の素晴らしさを説く、感動的な物語だ。
初の読み合わせの日。英は台本をもらった時のことを思い出した。
『今回はミュージカルにする。歌も踊りも入れるから、覚悟しておけ』
Aカンパニーではミュージカル公演も珍しくない。しかし、英はダンスが苦手だった。
振り付けを覚えるのが遅いのだ。必死でやる覚悟はできているが、不安は拭えない。
「あ、おはようございます、小井出さん。みなさんも」
柔軟体操をしながら台本を読んでいると、小井出が数人連れて稽古場に入ってきた。いつの間にか仲良くなったのか、いつも同じ人を連れて歩いているのを、英はよく見かける。
確か小井出とも共演したことのある役者だ。小井出より年上だが、芸歴で言うと後輩になるので、小井出にも敬語を使っている。
一応英からみても小井出は先輩なので、四つ下でも敬語を使うことにした。
「……はよーございます……」
かろうじて返事はあったものの、それきり無言になってしまった。気にせず体操を続けていると、台本に影ができる。
「ねぇ……」
「はい?」
いつの間にか小井出が前に立っていた。同じく嫌な笑みを張り付けた数人に囲まれて、何だろうと顔を上げると、幼い可愛らしい顔が笑顔を作る。
「僕、台本忘れちゃってさぁ。貸してくれない?」
「……その手に持っているのは何ですか」
英は明らかな嘘に呆れる。小井出の手にはしっかりと台本が抱えられていた。
「いいから貸せって」
同一人物とは思えないほど険悪な声がしたかと思うと、英の台本を取り上げる。
「僕のサイン、書いてあげるよー。欲しいでしょ?」
「ちょ、何すんですかっ」
小井出はこれもまた隠し持っていたらしい黒のマジックペンで、台本を黒く塗りつぶしていく。
「わ、やめてくださいっ」
サインではなく、逃げながらセリフを塗りつぶしていくだけの小井出に、英も後を追う。
しかし取り巻きに抑えられ、止めさせるのは叶わなかった。
「気に入らないんだよねー。お前に主役が務まるかっての!」
語尾を強めたかと思ったら、小井出は窓から台本を放り投げた。
ウソだろ、と思いつつ抑えられた体を引き離し、窓から身を乗り出すと、数メートル先の田んぼに落ちた台本を見つける。
ここが高いビルではなく、田舎の田んぼのなかで良かったと思うべきか。泥まみれになった台本は、水を張った田んぼに沈んでいく。
「わ、うわっ、わわっ」
慌てて窓から外へ出て、台本を救出する。しかし、英の必死の救出もむなしく、灰色に染まった紙は、文字をすっかり隠してしまっていた。
(せっかくの月成作品の台本……)
英はがっくりうなだれる。こういう嫌がらせ自体はよくあることだから気にはしないが、月成作品の台本が汚れてしまったことはショックだ。何とか綺麗にならないかと、水気を切ってみる。
「おい、そんなところで何やってる」
振り返ると、今しがた英が出てきた窓から月成が覗いていた。早く来いとでも言うように、それきり部屋の奥へ行ってしまう。
「今行きます!」
英は慌てて稽古場に戻った。勿論、汚れた台本を持ってだ。
表から稽古場へ戻ると、月成が睨んでくる。
「すみません」
いつの間にか共演者も揃っていたらしい、英は輪の中に入ると、濡れた台本は閉じたまま、月成の言葉を待つ。
彼は英が半分隠した台本を目ざとく見つけ、冷たい視線を向けた。
「早速台本を汚したのか。お前、やる気はあるのか?」
あんまりなセリフに英はイラッとする。小井出にやられたところを見ていないとしても、なぜ田んぼに台本が落ちたのか、言わせないあたりがわざとだと感じた。
負けるものか、と拳に力を入れる。
「やる気はあります。皆さんもお待たせしてすみませんでした。よろしくお願いします」
英の言葉に月成は鼻白んだのか、ふん、と視線を逸らす。それほど英が気に入らないらしい。
小井出の方を見やると、澄ました顔で笑っていた。
月成作品は、脚本も演出も月成自身がやることが常だ。自然と監督という立場になり、舞台の上では絶対の存在になる。
「じゃ、時間も惜しいんで動きを付けながらやる。まずシーン七十二から。立ち位置は鷲野、下手三番……」
今回の稽古は、人数が多いものから動きを付けていく。
大体一か月、多くて二ヶ月の稽古で短期集中型だ。クラシックのオペラなどになるとそのスパンは半年から一年と伸びる。それは、演劇よりも歌唱を重要視されるからだ。
しかし、ミュージカルのように歌詞で物語を進めていくとなると、言葉の聞きやすさが重視される。つまり、歌唱の熟練度にどれだけ重きを置くかで、稽古期間が違ってくるのだ。
キャストの大体の立ち位置を付けたところで、動きも軽く付ける。
「じゃ、このシーンを蒲公と小井出、交代でやる」
「え?」
決定事項だと思っていたことに交代を言い渡され、思わず聞き返すと、月成はパイプ椅子に座って足を組んだ。
英の一挙一動が気に入らないらしい、その反応に月成は英を睨む。
「誰がお前に主役やらせるって言った? 俺はお前がここにいること自体不本意なんだ。さっさとシーン七十二やれ」
酷い言われようだが、まだ巻き返すチャンスはあると捉え、英は台本を床が汚れない程度に置き、笹井に視線を送る。
笹井は、初めての読み合わせでキャストはほとんど台本を持っているのに、大丈夫か、と顔に書いてあった。
英は一呼吸すると、頷く。多分、セリフは大体頭に入ってる。
「笹井、人の心配してる場合か」
「は、はいっ」
イライラした月成の静かな声がし、笹井は慌てて役に入る。
『皆さん! あれが迷い込んだ人間の子です。たっぷりおもてなしをしてあげてください』
異世界での案内役、笹井はわざとらしく嫌味な動きで主人公鷲野に悪魔たちをけしかける。
(さすが笹井さん、役がぴったりっていうとアレだけど、面白い)
英は気持ちが高揚するのが分かった。笹井はこういう芝居できた、自分はどうしようと考える。
悪魔の群集は鷲野に襲いかかり、飲み込まれたところで親友、鶴見の声がする。
『その悪魔は鷲野の心の闇。飲まれちゃだめだ、自分で追い払うんだよ!』
小井出もここは声だけのシーンだが、純粋で優しい心を持った鶴見によく合っていると思った。
英演じる鷲野は、まとわりつく悪魔たちを、必死に振り払う。どさくさに紛れて先程の小井出の取り巻きが、英の髪の毛を引っ張ったり、本気で叩いたりしてくる。痛みによる生理的な涙が浮かび、負けるものかと本気でもがいた。
『くそーっ!! 離れろお前ら! やめろ、やめろー!!』
なりふり構わず暴れ、声を張り上げた。暴れだした鷲野に怯んだ悪魔たちは、一瞬彼から離れる。
足がズキズキと痛んだ。今ので思い切り踏まれたらしい。
『おやおや、力ずくとは……ますますあなたが気に入りましたよ』
笹井はにやりと笑い、それが案内人の本当の姿――魔王を表しているようでゾクリとする。
痛みに怯んでいる場合じゃない、と英はお腹にぐっと力を入れた。
『はっ! 迷惑この上ないね! 俺は元の世界に帰るんだ。腐ってどうしようもなかった俺を、受け入れてくれていたアイツのところに!』
英がセリフを言うと、数秒間を置いて役からの呪縛を解く。続いて、監督の意見を聞こうと、キャストは彼を見た。
月成は表情も変えず、事務的に言う。
「次、小井出版鷲野。鶴見は水井」
つまり、同じシーンを違うキャストでやれと言うのだ。英は黙って稽古場の端に立つ。
踏まれた足はどうやら大したことはないらしい。そっと見てみたが腫れてはいなかったのでよしとする。
初の読み合わせの日。英は台本をもらった時のことを思い出した。
『今回はミュージカルにする。歌も踊りも入れるから、覚悟しておけ』
Aカンパニーではミュージカル公演も珍しくない。しかし、英はダンスが苦手だった。
振り付けを覚えるのが遅いのだ。必死でやる覚悟はできているが、不安は拭えない。
「あ、おはようございます、小井出さん。みなさんも」
柔軟体操をしながら台本を読んでいると、小井出が数人連れて稽古場に入ってきた。いつの間にか仲良くなったのか、いつも同じ人を連れて歩いているのを、英はよく見かける。
確か小井出とも共演したことのある役者だ。小井出より年上だが、芸歴で言うと後輩になるので、小井出にも敬語を使っている。
一応英からみても小井出は先輩なので、四つ下でも敬語を使うことにした。
「……はよーございます……」
かろうじて返事はあったものの、それきり無言になってしまった。気にせず体操を続けていると、台本に影ができる。
「ねぇ……」
「はい?」
いつの間にか小井出が前に立っていた。同じく嫌な笑みを張り付けた数人に囲まれて、何だろうと顔を上げると、幼い可愛らしい顔が笑顔を作る。
「僕、台本忘れちゃってさぁ。貸してくれない?」
「……その手に持っているのは何ですか」
英は明らかな嘘に呆れる。小井出の手にはしっかりと台本が抱えられていた。
「いいから貸せって」
同一人物とは思えないほど険悪な声がしたかと思うと、英の台本を取り上げる。
「僕のサイン、書いてあげるよー。欲しいでしょ?」
「ちょ、何すんですかっ」
小井出はこれもまた隠し持っていたらしい黒のマジックペンで、台本を黒く塗りつぶしていく。
「わ、やめてくださいっ」
サインではなく、逃げながらセリフを塗りつぶしていくだけの小井出に、英も後を追う。
しかし取り巻きに抑えられ、止めさせるのは叶わなかった。
「気に入らないんだよねー。お前に主役が務まるかっての!」
語尾を強めたかと思ったら、小井出は窓から台本を放り投げた。
ウソだろ、と思いつつ抑えられた体を引き離し、窓から身を乗り出すと、数メートル先の田んぼに落ちた台本を見つける。
ここが高いビルではなく、田舎の田んぼのなかで良かったと思うべきか。泥まみれになった台本は、水を張った田んぼに沈んでいく。
「わ、うわっ、わわっ」
慌てて窓から外へ出て、台本を救出する。しかし、英の必死の救出もむなしく、灰色に染まった紙は、文字をすっかり隠してしまっていた。
(せっかくの月成作品の台本……)
英はがっくりうなだれる。こういう嫌がらせ自体はよくあることだから気にはしないが、月成作品の台本が汚れてしまったことはショックだ。何とか綺麗にならないかと、水気を切ってみる。
「おい、そんなところで何やってる」
振り返ると、今しがた英が出てきた窓から月成が覗いていた。早く来いとでも言うように、それきり部屋の奥へ行ってしまう。
「今行きます!」
英は慌てて稽古場に戻った。勿論、汚れた台本を持ってだ。
表から稽古場へ戻ると、月成が睨んでくる。
「すみません」
いつの間にか共演者も揃っていたらしい、英は輪の中に入ると、濡れた台本は閉じたまま、月成の言葉を待つ。
彼は英が半分隠した台本を目ざとく見つけ、冷たい視線を向けた。
「早速台本を汚したのか。お前、やる気はあるのか?」
あんまりなセリフに英はイラッとする。小井出にやられたところを見ていないとしても、なぜ田んぼに台本が落ちたのか、言わせないあたりがわざとだと感じた。
負けるものか、と拳に力を入れる。
「やる気はあります。皆さんもお待たせしてすみませんでした。よろしくお願いします」
英の言葉に月成は鼻白んだのか、ふん、と視線を逸らす。それほど英が気に入らないらしい。
小井出の方を見やると、澄ました顔で笑っていた。
月成作品は、脚本も演出も月成自身がやることが常だ。自然と監督という立場になり、舞台の上では絶対の存在になる。
「じゃ、時間も惜しいんで動きを付けながらやる。まずシーン七十二から。立ち位置は鷲野、下手三番……」
今回の稽古は、人数が多いものから動きを付けていく。
大体一か月、多くて二ヶ月の稽古で短期集中型だ。クラシックのオペラなどになるとそのスパンは半年から一年と伸びる。それは、演劇よりも歌唱を重要視されるからだ。
しかし、ミュージカルのように歌詞で物語を進めていくとなると、言葉の聞きやすさが重視される。つまり、歌唱の熟練度にどれだけ重きを置くかで、稽古期間が違ってくるのだ。
キャストの大体の立ち位置を付けたところで、動きも軽く付ける。
「じゃ、このシーンを蒲公と小井出、交代でやる」
「え?」
決定事項だと思っていたことに交代を言い渡され、思わず聞き返すと、月成はパイプ椅子に座って足を組んだ。
英の一挙一動が気に入らないらしい、その反応に月成は英を睨む。
「誰がお前に主役やらせるって言った? 俺はお前がここにいること自体不本意なんだ。さっさとシーン七十二やれ」
酷い言われようだが、まだ巻き返すチャンスはあると捉え、英は台本を床が汚れない程度に置き、笹井に視線を送る。
笹井は、初めての読み合わせでキャストはほとんど台本を持っているのに、大丈夫か、と顔に書いてあった。
英は一呼吸すると、頷く。多分、セリフは大体頭に入ってる。
「笹井、人の心配してる場合か」
「は、はいっ」
イライラした月成の静かな声がし、笹井は慌てて役に入る。
『皆さん! あれが迷い込んだ人間の子です。たっぷりおもてなしをしてあげてください』
異世界での案内役、笹井はわざとらしく嫌味な動きで主人公鷲野に悪魔たちをけしかける。
(さすが笹井さん、役がぴったりっていうとアレだけど、面白い)
英は気持ちが高揚するのが分かった。笹井はこういう芝居できた、自分はどうしようと考える。
悪魔の群集は鷲野に襲いかかり、飲み込まれたところで親友、鶴見の声がする。
『その悪魔は鷲野の心の闇。飲まれちゃだめだ、自分で追い払うんだよ!』
小井出もここは声だけのシーンだが、純粋で優しい心を持った鶴見によく合っていると思った。
英演じる鷲野は、まとわりつく悪魔たちを、必死に振り払う。どさくさに紛れて先程の小井出の取り巻きが、英の髪の毛を引っ張ったり、本気で叩いたりしてくる。痛みによる生理的な涙が浮かび、負けるものかと本気でもがいた。
『くそーっ!! 離れろお前ら! やめろ、やめろー!!』
なりふり構わず暴れ、声を張り上げた。暴れだした鷲野に怯んだ悪魔たちは、一瞬彼から離れる。
足がズキズキと痛んだ。今ので思い切り踏まれたらしい。
『おやおや、力ずくとは……ますますあなたが気に入りましたよ』
笹井はにやりと笑い、それが案内人の本当の姿――魔王を表しているようでゾクリとする。
痛みに怯んでいる場合じゃない、と英はお腹にぐっと力を入れた。
『はっ! 迷惑この上ないね! 俺は元の世界に帰るんだ。腐ってどうしようもなかった俺を、受け入れてくれていたアイツのところに!』
英がセリフを言うと、数秒間を置いて役からの呪縛を解く。続いて、監督の意見を聞こうと、キャストは彼を見た。
月成は表情も変えず、事務的に言う。
「次、小井出版鷲野。鶴見は水井」
つまり、同じシーンを違うキャストでやれと言うのだ。英は黙って稽古場の端に立つ。
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