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しかし、初回公演まで半月を切った頃、英は寮のベッドで寝込んでいた。
その日は朝から通し稽古で、バイトを休んで行ったものの、体調が悪くてトイレから動けなくなってしまったのだ。
先日、月成との個人レッスンで上がったモチベーションを過信し、多少無理をしても大丈夫だと思い込んでいたのがいけなかったらしい。
「いい加減にしてよね!」
それに小井出が切れ、そして月成もやっぱり英の心配をするわけがなく。
「体調管理も仕事のうちだというのを、養成所でもしっかり教えたはずだが。迷惑だから帰れ」
と、そのまま小井出を主役にして通しをし始めたのだ。これに関しては笹井も何も言えなかったようで、苦笑したまま去られてしまう。
そして改めて、まだ主役争いは終わっていないこと、主役を降ろされたら月成作品には出られないことを思い知った。
しかし、悪いことは重なるらしい。稽古に時間を割こうと、バイト先にしばらく休ませてほしいと頼むと、そのままクビにされてしまったのだ。
『君ねぇ、いつでも時間の都合がつくと思ったら大間違いだよ。もう来なくていいから』
あのコンビニはAカンパニーの寮生も多く働いてきた場所だ。それなりに理解があるところだと思っていたが、不景気の中、定期的に働けない人は不利らしい。
(ああ、オレもうダメだ)
体調のせいか気分まで落ち込み、布団の中でもぞもぞと丸まる。こんなに凹んだのは久しぶりで、何もやる気がしない。
すると、携帯電話が着信を知らせる。相手を確かめると、社長の名前があった。
「はい、蒲公です……」
『さっき稽古を観に行ったら英くんがいなくてびっくりしたよ。体調は大丈夫? 病院はもう行ったのかな?』
いつもの穏やかな声に、期待に添えられなくて申し訳なくなってくる。
「すみません……」
『謝らなくていいから、少しでも早く治そう。今からそっちに行くから待ってて』
木村の申し出に、とんでもないと断ろうとしたが、すぐに切られてしまった。
しばらくして部屋のインターホンが鳴る。ふらつきながら出ると、やはり木村がいた。
「ああ、可愛そうに。顔色が悪いね、熱は?」
違和感なく中へ入ってきた木村は、英を支えて歩き、今まで寝ていたベッドへと座らせる。持ってきていたらしい体温計を脇に挟ませ、額にも手を当てて体温を確かめると、彼は眉間に皺を寄せた。
「ずいぶん高いじゃないか。熱の他に症状は?」
英はぼーっとする頭で何も考えられず、クラクラする頭を押さえる。
「さっきまで気持ち悪かったんですけど……今は落ち着きました」
すると、木村の腕が英の体を引き寄せた。そのまま彼に体を預ける形になって、離れようにも木村の腕がそれを許さない。
「あ、あの……」
「体温計が鳴るまで。つらいならそのまま凭れていなさい」
実際座っているのもつらかったので言葉に甘えると、木村の体からほのかに爽やかな香りがした。
(何か……安心する……)
その香りのおかげで少しうとうとしかけたが、体温計の音で目が覚める。数字を見た木村は少しの間何かを考える素振りをし、それから思い切ったように口を開く。
「英くん、これから病院へ行こう。準備できるね?」
「え、でも……」
寝ていれば大丈夫ですから、という言葉は飲み込んだ。社長がここまで自分の体調を気にしている理由が分かったからだ。
「病院に行って、点滴を打ってもらおう。それなら少しは時間のロスをなくせる」
「……はい」
木村は、英の舞台を成功させたいと思ってくれているのだ。しかし、彼がここまで自分にこだわる理由が分からない。どう考えても、他の役者と比べて、英の扱いは破格だからだ。
「あの……どうしてそこまでしてくださるんですか? オレなんて、特別扱いしても何も返せないですよ?」
すると木村は、優しい微笑みを見せて英の頭を撫でた。
「無防備な顔でそんな質問しないでくれ。私は……英くんの活躍する姿を見たいだけだよ」
部屋の外で待ってるから、と木村は出て行く。英はすぐに出かける準備をして、木村と共に病院へ行った。
道中、木村は誰かと約束をしていたらしい、英に断りを入れてから、その相手に電話を掛ける。イヤホンマイクを使っていたから、英には会話の内容は分からなかったが、かなり仲が良い相手のようだ。
「悪かったって、冬哉。今度埋め合わせするから」
どうやら相手との約束を断っているらしい。自分のせいなら申し訳ないな、と英はさらに凹む。
「……え? いや、そんなんじゃないよ。……バカ、茶化すな」
少しうろたえる木村の口調が、いつもとは違って砕けていて、それが新鮮だと感じる。完璧なイメージがある木村にも、プライベートな一面があって面白い。
電話を終えた彼は、信号で車を止めると、英の額に手を当てた。
「大丈夫? もう少しの辛抱だよ」
「……あの、何か約束していたならすみません」
「ああ。今の、気にしてしまったのか。あれは私の従弟だよ。ほら、この間コンサートをやるって言ってた」
そういえば、公演が終わってから観に行こうと誘われていたのだった。
「夜にご飯を食べに行くつもりだったが、ちょうどその時間に急用が入ってしまってね。英くんが気にすることはないから、安心して」
英は思い過ごしで良かった、とホッとする。今は体調が悪いせいか、悪い方へと考えが走ってしまうらしい。
その日は朝から通し稽古で、バイトを休んで行ったものの、体調が悪くてトイレから動けなくなってしまったのだ。
先日、月成との個人レッスンで上がったモチベーションを過信し、多少無理をしても大丈夫だと思い込んでいたのがいけなかったらしい。
「いい加減にしてよね!」
それに小井出が切れ、そして月成もやっぱり英の心配をするわけがなく。
「体調管理も仕事のうちだというのを、養成所でもしっかり教えたはずだが。迷惑だから帰れ」
と、そのまま小井出を主役にして通しをし始めたのだ。これに関しては笹井も何も言えなかったようで、苦笑したまま去られてしまう。
そして改めて、まだ主役争いは終わっていないこと、主役を降ろされたら月成作品には出られないことを思い知った。
しかし、悪いことは重なるらしい。稽古に時間を割こうと、バイト先にしばらく休ませてほしいと頼むと、そのままクビにされてしまったのだ。
『君ねぇ、いつでも時間の都合がつくと思ったら大間違いだよ。もう来なくていいから』
あのコンビニはAカンパニーの寮生も多く働いてきた場所だ。それなりに理解があるところだと思っていたが、不景気の中、定期的に働けない人は不利らしい。
(ああ、オレもうダメだ)
体調のせいか気分まで落ち込み、布団の中でもぞもぞと丸まる。こんなに凹んだのは久しぶりで、何もやる気がしない。
すると、携帯電話が着信を知らせる。相手を確かめると、社長の名前があった。
「はい、蒲公です……」
『さっき稽古を観に行ったら英くんがいなくてびっくりしたよ。体調は大丈夫? 病院はもう行ったのかな?』
いつもの穏やかな声に、期待に添えられなくて申し訳なくなってくる。
「すみません……」
『謝らなくていいから、少しでも早く治そう。今からそっちに行くから待ってて』
木村の申し出に、とんでもないと断ろうとしたが、すぐに切られてしまった。
しばらくして部屋のインターホンが鳴る。ふらつきながら出ると、やはり木村がいた。
「ああ、可愛そうに。顔色が悪いね、熱は?」
違和感なく中へ入ってきた木村は、英を支えて歩き、今まで寝ていたベッドへと座らせる。持ってきていたらしい体温計を脇に挟ませ、額にも手を当てて体温を確かめると、彼は眉間に皺を寄せた。
「ずいぶん高いじゃないか。熱の他に症状は?」
英はぼーっとする頭で何も考えられず、クラクラする頭を押さえる。
「さっきまで気持ち悪かったんですけど……今は落ち着きました」
すると、木村の腕が英の体を引き寄せた。そのまま彼に体を預ける形になって、離れようにも木村の腕がそれを許さない。
「あ、あの……」
「体温計が鳴るまで。つらいならそのまま凭れていなさい」
実際座っているのもつらかったので言葉に甘えると、木村の体からほのかに爽やかな香りがした。
(何か……安心する……)
その香りのおかげで少しうとうとしかけたが、体温計の音で目が覚める。数字を見た木村は少しの間何かを考える素振りをし、それから思い切ったように口を開く。
「英くん、これから病院へ行こう。準備できるね?」
「え、でも……」
寝ていれば大丈夫ですから、という言葉は飲み込んだ。社長がここまで自分の体調を気にしている理由が分かったからだ。
「病院に行って、点滴を打ってもらおう。それなら少しは時間のロスをなくせる」
「……はい」
木村は、英の舞台を成功させたいと思ってくれているのだ。しかし、彼がここまで自分にこだわる理由が分からない。どう考えても、他の役者と比べて、英の扱いは破格だからだ。
「あの……どうしてそこまでしてくださるんですか? オレなんて、特別扱いしても何も返せないですよ?」
すると木村は、優しい微笑みを見せて英の頭を撫でた。
「無防備な顔でそんな質問しないでくれ。私は……英くんの活躍する姿を見たいだけだよ」
部屋の外で待ってるから、と木村は出て行く。英はすぐに出かける準備をして、木村と共に病院へ行った。
道中、木村は誰かと約束をしていたらしい、英に断りを入れてから、その相手に電話を掛ける。イヤホンマイクを使っていたから、英には会話の内容は分からなかったが、かなり仲が良い相手のようだ。
「悪かったって、冬哉。今度埋め合わせするから」
どうやら相手との約束を断っているらしい。自分のせいなら申し訳ないな、と英はさらに凹む。
「……え? いや、そんなんじゃないよ。……バカ、茶化すな」
少しうろたえる木村の口調が、いつもとは違って砕けていて、それが新鮮だと感じる。完璧なイメージがある木村にも、プライベートな一面があって面白い。
電話を終えた彼は、信号で車を止めると、英の額に手を当てた。
「大丈夫? もう少しの辛抱だよ」
「……あの、何か約束していたならすみません」
「ああ。今の、気にしてしまったのか。あれは私の従弟だよ。ほら、この間コンサートをやるって言ってた」
そういえば、公演が終わってから観に行こうと誘われていたのだった。
「夜にご飯を食べに行くつもりだったが、ちょうどその時間に急用が入ってしまってね。英くんが気にすることはないから、安心して」
英は思い過ごしで良かった、とホッとする。今は体調が悪いせいか、悪い方へと考えが走ってしまうらしい。
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