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英の一日はアルバイトで始まる。寮の近くのコンビニだが、結構時間の融通も聞いてくれ、不安定な労働時間でも受け入れてくれて助かっている。
小井出から、今日の稽古は月成監督の都合で三十分遅れると連絡が入ったのは、バイトが終わってメールをチェックしたときだ。
小井出からというのが少し気になったが、こういう大切な用事はちゃんとしてくれるんだと、少し見直そうと思った。
だったら、いつもはバイト先から急いで稽古場へ行くが、少し寄り道してから行こうと、稽古場からの最寄駅周辺で買い物をしていた時だった。
知らない番号からの着信があり、しかも何回もかけてきている。不審に思いながらも出てみると、思ってもみない声がした。
「いい度胸してるな、ああ?」
「月成監督!?」
稽古直前に何の用だ、と身構えると、彼からはとんでもないセリフが発せられた。
「どこほっつき歩いてる。稽古はとっくに始まってるぞ」
「え?」
「まさか聞いてませんとか言うんじゃねぇだろうな。とっとと来い」
月成はそれだけ言うと、一方的に通話を切った。
「そのまさかだよ! なんだよそれ!」
英は走る。変更になったんじゃなかったのか、と心の中で毒づき、稽古場の近くにいてよかった、と心底思った。
十分走って到着すると、すでに稽古は始まっていた。
「遅れてすみません!」
大声で謝ると、パイプ椅子に座っていた月成が英を睨む。
「うるさい。その端っこにでもいろ。小井出、後で動き教えてやれ」
ピリピリした雰囲気が嫌でも伝わる中、英は肩身の狭い思いで端に行く。
(やっぱり騙された)
どうやら、小井出の連絡を信用してしまったのがいけなかったらしい。大人しく稽古を見ていると、小井出が得意げにこちらを見た。
騙される方が悪いんだよ、とでも言いたげな顔だ。
こうやって何人もの役者を出し抜いてきたのかと思うと腹が立つが、実力だけは認めざるを得ない。
どうにかイライラする心を抑えると、月成が手を叩いた。
「よし、今のシーンを蒲公で」
今見ていたならできるだろ、と言われ、何となくカチンときたので「はい」と答える。
小井出と交代し、立ち位置について、一呼吸おいてからセリフを言う。
『……なんだ? どこだよ、ここ……』
「つまんねぇ」
続いて案内人のセリフが入るはずだが、月成は手を叩いてそれを止める。
せっかく役に入りかけたところで集中が途切れ、どういうつもりだ、と月成を睨んだ。
「もう一度」
キャストに戸惑いの色が見える中、英は気を取り直して元の位置に戻る。そしてもう一度、動きを付けながらセリフを言った。
『……なんだ? どこだよ、ここ……』
「お前のセリフじゃ稽古場にしか見えねぇよ。もう一回」
事務的にそう言われ、英は月成の意図が分かった。オーケーが出るまで、先に進ませないつもりなのだ。
負けてなるものか、と英は自分なりにセリフや動きに変化を付けて試してみる。しかし、「やり直し」「お遊戯か」と月成の言葉は容赦がない。
「月成監督」
十何回かやり直したところで、小井出がしびれを切らしたように手を挙げた。他のキャストも、進まない稽古にうんざりしてしまっていて、雰囲気が悪くなっているのが分かる。
このままじゃいけない、と英は焦りだした。
「先に進まないようなら、僕たちだけでも練習してきますけど」
「すいません! 次の一回でOK出るよう、頑張りますから」
こんな所で足を引っ張っていては、主役の座も危ない。
「いや、休憩にする。十分だ」
しかし月成が放った言葉は、英にはチャンスを与えないものだった。
月成はがしがしと頭を掻きながら稽古場を出て行く。一気に重くなった空気に耐えられなくなって、英も稽古場を出た。
小井出が演じた時は何も言わないくせに、どうして英にだけ、あんなに容赦がないのだろうか。
なにより、自分のせいで現場を重い空気にしていることが、悔しかった。少しも進まない稽古に、イライラしてしまっている。
英はトイレに駆け込んだ。洗面台で顔を思い切りすすぎ、鏡に映った自分に向って腹から声を出す。
「あんの、クソオヤジ!!」
はぁはぁと息を切らし、何とか呼吸を整えようと大きく息を吸う。
意図的に英を主役から降ろそうとしているのは分かっている。しかし、そこで諦める英ではないのだ。
むりやり気持ちを切り替えて、よしやるぞ、ともう一度鏡を見たときに映った人物に、息が止まりそうになる。
「今のセリフなら、十分呪い殺せるだろうな」
後ろに、月成がいたのだ。鏡越しに見た、端正だが野性的な顔がにやりと笑う。
「お前、名前よく見たらたんぽぽなんだな」
「……それがどうしたんですか」
小さいころからからかわれてきた名前。両親も狙って付けたというから、たちが悪い。
振り返って睨んでやると、どういうわけか月成はより楽しそうに笑う。
「どこにでも生えてる花だ、そんなお前に誰が注目するかよ」
「雑草を舐めないでください。どんなに硬いコンクリートの下からでも、生きることができるんです。絶対見返してやるんで、せいぜい胡坐かいて監督やっててください」
憧れの月成光洋がこんなに性格が悪かったとは。しかし、理由も分からず自分だけ厳しくされるのはムカつくので歯向かう。こうなれば、実力を身に付けて黙らせるしかない。
すると、一瞬目を丸くした月成は、何が面白かったのか大声で笑い出した。
「はははは! なら、せいぜい頑張れよ、たんぽぽ」
そう言って、洗面所から出ていく。その後、トイレで英が暴れたのは言うまでもない。
小井出から、今日の稽古は月成監督の都合で三十分遅れると連絡が入ったのは、バイトが終わってメールをチェックしたときだ。
小井出からというのが少し気になったが、こういう大切な用事はちゃんとしてくれるんだと、少し見直そうと思った。
だったら、いつもはバイト先から急いで稽古場へ行くが、少し寄り道してから行こうと、稽古場からの最寄駅周辺で買い物をしていた時だった。
知らない番号からの着信があり、しかも何回もかけてきている。不審に思いながらも出てみると、思ってもみない声がした。
「いい度胸してるな、ああ?」
「月成監督!?」
稽古直前に何の用だ、と身構えると、彼からはとんでもないセリフが発せられた。
「どこほっつき歩いてる。稽古はとっくに始まってるぞ」
「え?」
「まさか聞いてませんとか言うんじゃねぇだろうな。とっとと来い」
月成はそれだけ言うと、一方的に通話を切った。
「そのまさかだよ! なんだよそれ!」
英は走る。変更になったんじゃなかったのか、と心の中で毒づき、稽古場の近くにいてよかった、と心底思った。
十分走って到着すると、すでに稽古は始まっていた。
「遅れてすみません!」
大声で謝ると、パイプ椅子に座っていた月成が英を睨む。
「うるさい。その端っこにでもいろ。小井出、後で動き教えてやれ」
ピリピリした雰囲気が嫌でも伝わる中、英は肩身の狭い思いで端に行く。
(やっぱり騙された)
どうやら、小井出の連絡を信用してしまったのがいけなかったらしい。大人しく稽古を見ていると、小井出が得意げにこちらを見た。
騙される方が悪いんだよ、とでも言いたげな顔だ。
こうやって何人もの役者を出し抜いてきたのかと思うと腹が立つが、実力だけは認めざるを得ない。
どうにかイライラする心を抑えると、月成が手を叩いた。
「よし、今のシーンを蒲公で」
今見ていたならできるだろ、と言われ、何となくカチンときたので「はい」と答える。
小井出と交代し、立ち位置について、一呼吸おいてからセリフを言う。
『……なんだ? どこだよ、ここ……』
「つまんねぇ」
続いて案内人のセリフが入るはずだが、月成は手を叩いてそれを止める。
せっかく役に入りかけたところで集中が途切れ、どういうつもりだ、と月成を睨んだ。
「もう一度」
キャストに戸惑いの色が見える中、英は気を取り直して元の位置に戻る。そしてもう一度、動きを付けながらセリフを言った。
『……なんだ? どこだよ、ここ……』
「お前のセリフじゃ稽古場にしか見えねぇよ。もう一回」
事務的にそう言われ、英は月成の意図が分かった。オーケーが出るまで、先に進ませないつもりなのだ。
負けてなるものか、と英は自分なりにセリフや動きに変化を付けて試してみる。しかし、「やり直し」「お遊戯か」と月成の言葉は容赦がない。
「月成監督」
十何回かやり直したところで、小井出がしびれを切らしたように手を挙げた。他のキャストも、進まない稽古にうんざりしてしまっていて、雰囲気が悪くなっているのが分かる。
このままじゃいけない、と英は焦りだした。
「先に進まないようなら、僕たちだけでも練習してきますけど」
「すいません! 次の一回でOK出るよう、頑張りますから」
こんな所で足を引っ張っていては、主役の座も危ない。
「いや、休憩にする。十分だ」
しかし月成が放った言葉は、英にはチャンスを与えないものだった。
月成はがしがしと頭を掻きながら稽古場を出て行く。一気に重くなった空気に耐えられなくなって、英も稽古場を出た。
小井出が演じた時は何も言わないくせに、どうして英にだけ、あんなに容赦がないのだろうか。
なにより、自分のせいで現場を重い空気にしていることが、悔しかった。少しも進まない稽古に、イライラしてしまっている。
英はトイレに駆け込んだ。洗面台で顔を思い切りすすぎ、鏡に映った自分に向って腹から声を出す。
「あんの、クソオヤジ!!」
はぁはぁと息を切らし、何とか呼吸を整えようと大きく息を吸う。
意図的に英を主役から降ろそうとしているのは分かっている。しかし、そこで諦める英ではないのだ。
むりやり気持ちを切り替えて、よしやるぞ、ともう一度鏡を見たときに映った人物に、息が止まりそうになる。
「今のセリフなら、十分呪い殺せるだろうな」
後ろに、月成がいたのだ。鏡越しに見た、端正だが野性的な顔がにやりと笑う。
「お前、名前よく見たらたんぽぽなんだな」
「……それがどうしたんですか」
小さいころからからかわれてきた名前。両親も狙って付けたというから、たちが悪い。
振り返って睨んでやると、どういうわけか月成はより楽しそうに笑う。
「どこにでも生えてる花だ、そんなお前に誰が注目するかよ」
「雑草を舐めないでください。どんなに硬いコンクリートの下からでも、生きることができるんです。絶対見返してやるんで、せいぜい胡坐かいて監督やっててください」
憧れの月成光洋がこんなに性格が悪かったとは。しかし、理由も分からず自分だけ厳しくされるのはムカつくので歯向かう。こうなれば、実力を身に付けて黙らせるしかない。
すると、一瞬目を丸くした月成は、何が面白かったのか大声で笑い出した。
「はははは! なら、せいぜい頑張れよ、たんぽぽ」
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