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どうにもならない片想い
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傷付いて泣くくらいなら恋愛なんてしなければいいと杏さんは言った。
美玖にフラれて泣いたのは、泣くほど美玖を好きだったわけじゃなくて、きっと裏切られた事が悲しかったからなんだ。
だけど僕は今悲しくはないし、傷付いて泣いているわけでもない。
どんなに好きでも手の届く事のない杏さんを想うと切なくて胸が痛くて、自然と涙が溢れる。
泣くほど人を好きになれる僕が羨ましいって、杏さんは言ったっけ。
今その僕を泣かせているのは杏さんだ。
「なぁ鴫野……それってもしかして、好きな女がいるって事か?」
「……ハイ」
「泣くほどつらいなら何もかも話してみろよ。もちろんここだけの話にしておくから」
いつになく優しい声で矢野さんがそう言った。
他言無用だと言っただろう、って杏さんに怒られるかな。
だけどもう、僕はこの胸の痛みに一人で耐えられそうもない。
「どうにもならない片想いだけど……聞いてくれますか?」
それから僕は、この数か月の間に起こった杏さんとの出来事を矢野さんに話した。
矢野さんはかなり驚いていたようだったけど、最後まで黙って話を聞いてくれた。
僕が話し終えると、矢野さんは大きくため息をついた。
「そうか……。そんな事があったんだな」
「なんにも始まらないままで終わっちゃいましたけどね……」
矢野さんは女将さんに日本酒のお代わりを注文して、枝豆を口に放り込んだ。
そしてお手拭きで指先を拭いながら首をかしげて「うーん」とうなる。
「それさ……俺の勝手な解釈だけどな、杏さんは鴫野の事が好きだったんじゃないか?」
思いもよらぬ一言に、僕はむせそうになった。
杏さんは僕に、禊のつもりでしばらく付き合えと言った。
僕は酔った勢いで杏さんを無理やり襲ってしまったと思い込んでいたから、それを断れなかった。
杏さんは僕の弱味を握って、それを利用しただけだと思う。
「そんなはずないでしょう……。あの杏さんが僕なんかを……。杏さんは決められた相手と結婚するのがイヤで、禊だと思って婚約者のふりをしろって僕に言ったんですよ?」
「そうかも知れないけどさ。杏さんだって女だぞ?好きでもない男と暮らすとか有り得ないだろ?しかも一度襲われかけてんだぞ?ホントは鴫野が好きだから、好きでもない相手と結婚する前に一度くらい鴫野に抱いて欲しくて、そう言ったんじゃないのか?」
「まさか……杏さんに限ってそんなことは……」
そんなはずはないと思っているのに、微かな希望の光にすがろうとする自分がいる。
もし本当に杏さんが僕を好きだったならどんなに……。
バカだな。
杏さんとは住む世界が違う。
僕みたいな庶民のしがないサラリーマンが、ただ好きだというだけでどうにかできる相手ではない。
そんなことは僕が一番よくわかっているじゃないか。
「せめてさ……鴫野の気持ちくらいは伝えたらどうだ?そうすればダメならダメで、吹っ切れるだろ?」
「……決定的に失恋する事が前提の告白ですね。立ち直れるかなぁ……」
「大丈夫だよ。この間彼女にフラれたとこなのに、あの杏さんを好きになったんだろ?おまえ結構強いんだって」
……一言多いんだよ、矢野さんは。
だけど矢野さんが言うように、もし杏さんに僕の気持ちを伝えていたら、ほんの少しでも何かが変わっていただろうか?
せめて一言、好きだと伝えられたら……。
伝えられなかった想いが、胸の中で悲鳴をあげた。
美玖にフラれて泣いたのは、泣くほど美玖を好きだったわけじゃなくて、きっと裏切られた事が悲しかったからなんだ。
だけど僕は今悲しくはないし、傷付いて泣いているわけでもない。
どんなに好きでも手の届く事のない杏さんを想うと切なくて胸が痛くて、自然と涙が溢れる。
泣くほど人を好きになれる僕が羨ましいって、杏さんは言ったっけ。
今その僕を泣かせているのは杏さんだ。
「なぁ鴫野……それってもしかして、好きな女がいるって事か?」
「……ハイ」
「泣くほどつらいなら何もかも話してみろよ。もちろんここだけの話にしておくから」
いつになく優しい声で矢野さんがそう言った。
他言無用だと言っただろう、って杏さんに怒られるかな。
だけどもう、僕はこの胸の痛みに一人で耐えられそうもない。
「どうにもならない片想いだけど……聞いてくれますか?」
それから僕は、この数か月の間に起こった杏さんとの出来事を矢野さんに話した。
矢野さんはかなり驚いていたようだったけど、最後まで黙って話を聞いてくれた。
僕が話し終えると、矢野さんは大きくため息をついた。
「そうか……。そんな事があったんだな」
「なんにも始まらないままで終わっちゃいましたけどね……」
矢野さんは女将さんに日本酒のお代わりを注文して、枝豆を口に放り込んだ。
そしてお手拭きで指先を拭いながら首をかしげて「うーん」とうなる。
「それさ……俺の勝手な解釈だけどな、杏さんは鴫野の事が好きだったんじゃないか?」
思いもよらぬ一言に、僕はむせそうになった。
杏さんは僕に、禊のつもりでしばらく付き合えと言った。
僕は酔った勢いで杏さんを無理やり襲ってしまったと思い込んでいたから、それを断れなかった。
杏さんは僕の弱味を握って、それを利用しただけだと思う。
「そんなはずないでしょう……。あの杏さんが僕なんかを……。杏さんは決められた相手と結婚するのがイヤで、禊だと思って婚約者のふりをしろって僕に言ったんですよ?」
「そうかも知れないけどさ。杏さんだって女だぞ?好きでもない男と暮らすとか有り得ないだろ?しかも一度襲われかけてんだぞ?ホントは鴫野が好きだから、好きでもない相手と結婚する前に一度くらい鴫野に抱いて欲しくて、そう言ったんじゃないのか?」
「まさか……杏さんに限ってそんなことは……」
そんなはずはないと思っているのに、微かな希望の光にすがろうとする自分がいる。
もし本当に杏さんが僕を好きだったならどんなに……。
バカだな。
杏さんとは住む世界が違う。
僕みたいな庶民のしがないサラリーマンが、ただ好きだというだけでどうにかできる相手ではない。
そんなことは僕が一番よくわかっているじゃないか。
「せめてさ……鴫野の気持ちくらいは伝えたらどうだ?そうすればダメならダメで、吹っ切れるだろ?」
「……決定的に失恋する事が前提の告白ですね。立ち直れるかなぁ……」
「大丈夫だよ。この間彼女にフラれたとこなのに、あの杏さんを好きになったんだろ?おまえ結構強いんだって」
……一言多いんだよ、矢野さんは。
だけど矢野さんが言うように、もし杏さんに僕の気持ちを伝えていたら、ほんの少しでも何かが変わっていただろうか?
せめて一言、好きだと伝えられたら……。
伝えられなかった想いが、胸の中で悲鳴をあげた。
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