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どうにもならない片想い

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ただ食事をするだけで僕の心は一緒に過ごした杏さんとの思い出で溢れかえり、視界がぼんやりとにじむ。
それを隠そうと慌ててうつむくと、日本酒を飲んでいた矢野さんが怪訝な顔で僕を見た。

「……どうした?」
「ちょっと……」

ごまかしきれない想いが涙になって、僕の目から溢れた。
僕は手の甲で涙を拭ってお猪口を傾け日本酒を一口飲んだ。

「泣きたいほどつらい事でもあったか?」
「つらいって言うか……気付いたってどうにもならない事もあるんだなって」
「……なんだそれ」

矢野さんはよくわからないと言いたそうな顔をして揚げ出し豆腐を口に入れた。
また杏さんの事ばかり考えて感傷に浸ってしまったけれど、僕は矢野さんの話を聞くためにここにきたんだった。
これ以上情けない泣き顔を晒さないうちに、早いとこ本題に入った方が良さそうだ。

「そういえば……気になる噂ってなんですか」

僕が尋ねると、矢野さんは眉間に少しシワを寄せた。
何か難しい話だろうか。

「昼休みにな……人事部の子と広報部の子が話してるの聞いたんだけど……」

昼休みに矢野さんが1階のコンビニで買った弁当をランチルームで食べていると、すぐそばに座っていた人事部と広報部の女の子がこんな事を言っていたそうだ。

『芦原部長が退職させられたのは他の社員に対する見せしめみたいなものだったらしいよ』

盗作の犯人を探そうにも何ひとつ手がかりはなく、多数の社員を疑わざるを得ない状況で杏さんが有澤家の人間だという噂が流れた。
その事実を調べあげるのは容易い事だ。
いくら無実を訴えても杏さんが犯人ではないという証拠もなく、自主退職という名目ではあったけれど、実質的に杏さんは有澤家の人間として責任を取るという形で退職を余儀なくされた。
社内に企業スパイがいるかも知れないという社員の不安を払拭したかったのだろう。
データを盗んだ犯人を探し出すより、見せしめとして若くして役職に就いて目立つ杏さんを退職に追い込む方が簡単だったんだと思う。
その結果杏さんは自分の決めた道も本当の恋愛もあきらめて、疑われたままで会社を去った。
それだけでもつらいだろうに、有澤家のために望まない結婚をする事が決まっている杏さんの心中を察するととてもやりきれない。

昨日の夜、杏さんは本物の恋人にするように優しく抱いて欲しいと僕に言った。
だけど僕はそれを拒んだ。
ホントに好きなのに、偽りの恋人を演じて体を重ねる事はしたくなかったからだ。
結果的に望みを叶えてあげられなかった僕は、杏さんを悲しませたのかも知れない。
けれど、僕自身が愛のないセックスで傷付くのが耐えられなかった。
好きじゃなかった渡部さんとは、その関係を終わらせるためだけの愛のないセックスをした。
それなのに、好きだから杏さんを抱く事はできなかった。
好きだと伝える事もできないまま、杏さんとの生活は終わった。
どうにもならないのに、杏さんを想うと胸が痛む。

「鴫野……やっぱりなんかあったのか?」

黙りこんでしまった僕を、矢野さんが心配そうに見ている。

「……なんにもなかったんです」
「ん?どういう意味だ?」
「最初から偽物だってわかってたのに……いつの間にか僕の気持ちだけが本物になって……」

また僕の目から涙が溢れてこぼれ落ちた。
どんなに拭っても、涙は留まるところを知らない。

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