サディスティックなプリテンダー

櫻井音衣

文字の大きさ
上 下
78 / 95
どうにもならない片想い

しおりを挟む
ぼんやりと杏さんのことを考えていると、矢野さんが僕の顔の前で手をサッサッと振った。

「おい、大丈夫か?さっきから話しかけても全然返事しないけど」
「あっ……すみません、大丈夫です。ちょっと考え事してました」

目の前で話し掛けられても気付かなかったなんて重症だ。
ここで僕がどれだけ杏さんのことを考えても何が変わるわけでもない。
せめて誰かと一緒にいる時くらいは、その人に意識を向けていなければ。

「大丈夫ならいいけどさ。俺は熱燗頼むけど、鴫野も一緒でいいか?」
「あっ……はい、お酒も料理も矢野さんにお任せします」

矢野さんのチョイスでお酒と料理を注文してもらい、お互いのお猪口に熱燗を注いで乾杯した。
矢野さんはお猪口をテーブルに置いてネクタイをゆるめ、お通しの小鉢に入った切り干し大根の煮物に箸を伸ばす。

「よく考えたら鴫野と二人だけでここに来るのは初めてだな」
「そうですね」

二度目に来た時は、なぜか渡部さんが先にここに来ていた。
あれは矢野さんが渡部さんに偶然会って一緒に食事をしようという流れになったのか、それともやっぱり渡部さんに頼まれたのか。
どちらであろうが時間が戻せるわけではないけど、やはり気になる。

「そういえば……なんでこの間は渡部さんがいたんですか?」
「ああ、あれな。渡部から頼まれたんだ、鴫野に会わせろって。自分からは誘いにくいから、俺から鴫野を誘ってくれってさ」

やっぱりな。
そんな事だろうとは思ってたけど、矢野さんは最初から渡部さんと会わせるつもりで僕を誘ったんだ。
渡部さんが来ると知っていたら、僕は矢野さんの誘いには応じなかったのに。

「あいつも会社辞めちゃったけど……渡部となんかあったか?」
「……付き合ってくれって言われたけど、断ったんです。でもなかなかわかってくれなくて」
「なんで断った?」
「同僚としては悪い子ではなかったけど、恋愛の対象としてはどうしても好きになれなかったんです」

渡部さんとの間にあった事は詳しくは話さなかったけど、一緒にいるうちに渡部さんがどんどん多くを求めるようになったのが苦痛だったと話した。
自分に都合の悪い事は隠して渡部さんの事だけを悪く言うなんて、僕は本当にどうしようもなく卑怯な男だと自己嫌悪に陥る。

「ふーん……。よく一緒にいたみたいだし、渡部からもいい感じだって聞いてたんだけどな」

好きにはなれなかったし、付き合ってもいなかった。
それなのにあんな事をした。
思い出すとまた後悔と罪悪感で胸がしめつけられた。

「渡部は入社してすぐの頃から鴫野の事が好きだったからな。彼女がいる時もあきらめられないってずっと言ってたし、一緒にいるうちに欲が出たんだろ」
「僕なんかのどこが良かったんでしょう……」
「さあな。それは渡部にしかわからんよ。おまえの気持ちがおまえにしかわからないのと同じだろ?」
「……ですね」

料理を食べながら日本酒を飲んだ。
目の前には蓮根のきんぴらや天ぷらの盛り合わせ、大根と鶏の手羽元の煮物と共に枝豆の盛られた器が並んでいる。
枝豆を手に取ると、チビチビと枝豆を食べながら日本酒を飲んでいた杏さんの姿を思い出した。
最初は食べるのが苦手だった杏さんが、僕の作った料理をいつも残さず食べてくれた。
人と食事をするのは苦手だと言っていたのに、僕となら平気だと言って向かい合って食事をした事や、一緒に食べると更に美味しいと言ってくれた事が嬉しかった。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

あまやかしても、いいですか?

藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。 「俺ね、ダメなんだ」 「あーもう、キスしたい」 「それこそだめです」  甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の 契約結婚生活とはこれいかに。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~

菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。 だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。 車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。 あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。

最後の恋って、なに?~Happy wedding?~

氷萌
恋愛
彼との未来を本気で考えていた――― ブライダルプランナーとして日々仕事に追われていた“棗 瑠歌”は、2年という年月を共に過ごしてきた相手“鷹松 凪”から、ある日突然フラれてしまう。 それは同棲の話が出ていた矢先だった。 凪が傍にいて当たり前の生活になっていた結果、結婚の機を完全に逃してしまい更に彼は、同じ職場の年下と付き合った事を知りショックと動揺が大きくなった。 ヤケ酒に1人酔い潰れていたところ、偶然居合わせた上司で支配人“桐葉李月”に介抱されるのだが。 実は彼、厄介な事に大の女嫌いで―― 元彼を忘れたいアラサー女と、女嫌いを克服したい35歳の拗らせ男が織りなす、恋か戦いの物語―――――――

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

想い出は珈琲の薫りとともに

玻璃美月
恋愛
 第7回ほっこり・じんわり大賞 奨励賞をいただきました。応援くださり、ありがとうございました。 ――珈琲が織りなす、家族の物語  バリスタとして働く桝田亜夜[ますだあや・25歳]は、短期留学していたローマのバルで、途方に暮れている二人の日本人男性に出会った。  ほんの少し手助けするつもりが、彼らから思いがけない頼み事をされる。それは、上司の婚約者になること。   亜夜は断りきれず、その上司だという穂積薫[ほづみかおる・33歳]に引き合わされると、数日間だけ薫の婚約者のふりをすることになった。それが終わりを迎えたとき、二人の間には情熱の火が灯っていた。   旅先の思い出として終わるはずだった関係は、二人を思いも寄らぬ運命の渦に巻き込んでいた。

処理中です...