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最後にもう一度だけ
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「申し訳ありません!お詫びに僕にも同じようにガツンと一発……」
「いや、それはいい。故意にしたことではないからな」
「でもそれでは僕の気がおさまりません」
「では私が鴫野に嘘をついたことは、それで反故にしてくれないか」
男の僕の力で鼻血が出るほど強烈な肘鉄を食らわされて相当痛かっただろうに、杏さんはなんて心の広い人なんだろう。
本当にそんな条件で許されていいのかとも思ったけれど、杏さんがそう言うのだから素直に従っておくことにしよう。
「あと、それからもうひとつお聞きしたいんですが……ゴミ箱にやけにたくさん捨ててあったティッシュは一体……」
「それも覚えていないか。あれは鴫野の涙を拭いたティッシュだ。私が帰ろうとしたら鴫野が私の手を握ってな、ずっと別れた彼女の名前を呼びながら泣いていた」
僕が泣いていたって?!
しかも杏さんの手を握って、美玖の名前を呼びながら?!
「泣いてたって……僕がですか?!」
「おまえ以外に誰がいる」
まったく身に覚えがないけれど、カッコ悪いにも程がある。
よりによって杏さん相手にそんなみっともない姿を晒してしまった事が情けなくて仕方がない。
「さすがに鼻血を拭いたハンカチで拭くのはかわいそうだと思って枕元にあったティッシュを使ったんだが……それが何か問題でも?」
恋愛も異性との関係も経験のない杏さんには、ベッドのそばのゴミ箱に捨てられた大量のティッシュの意味がわからないらしい。
だったらこの件に関してはこれで話を流しておいた方が良さそうだ。
「いえ、それならいいんです。使った覚えがなくてちょっと気になっただけなので。すみません、みっともないところばかりお見せしてしまって……」
「いや……泣くほど傷付くなら恋愛などしなければいいと言ったけどな……私は恋愛した事は一度もないし、そこまで人を好きになった事もないから……正直に言うと、泣くほど人を好きになれる鴫野が、少し羨ましかった……」
杏さんはゆっくりと言葉を選ぶようにそう言って、小さく苦笑いを浮かべた。
これまで杏さんがこんな風に自分の気持ちを話してくれたことはなかった。
家のために決められた相手との結婚を「決断してしまえばたいしたことはない」なんて言っていたけれど、これがきっと今の杏さんの本音であり、心残りなのだと思う。
少なくとも僕にはそう見える。
「本気の恋愛を一度も経験しないままで市来さんと結婚しても、杏さんは後悔しませんか?」
「後悔も何も……」
「僕にだけは本音を話してください」
僕がまっすぐに杏さんの目を見てそう言うと、杏さんは困った顔をしてため息をついた。
「そうだな……。一度くらいは本気の恋愛という物も経験してみたかった。鴫野にはムチャを言ったけど、ふりとは言えデートというものを経験できて楽しかったぞ」
「杏さん……」
「できれば本当は……」
そこまで言いかけて、杏さんは口をつぐんだ。
「本当は……なんですか?」
「いや、もういいんだ。もう婚約者のふりをする必要はないし、鴫野にこれ以上ムチャな要求をするわけにはいかない」
「……できれば本当は、どうしたいんですか?」
杏さんの目をじっと見つめて、もう一度尋ねてみた。
杏さんは目を見開いてから、下を向いてモゴモゴと口の中で何かを呟いている。
……言うのが恥ずかしいのかな。
かわいいから無理やりにでも白状させちゃおうか。
「いや、それはいい。故意にしたことではないからな」
「でもそれでは僕の気がおさまりません」
「では私が鴫野に嘘をついたことは、それで反故にしてくれないか」
男の僕の力で鼻血が出るほど強烈な肘鉄を食らわされて相当痛かっただろうに、杏さんはなんて心の広い人なんだろう。
本当にそんな条件で許されていいのかとも思ったけれど、杏さんがそう言うのだから素直に従っておくことにしよう。
「あと、それからもうひとつお聞きしたいんですが……ゴミ箱にやけにたくさん捨ててあったティッシュは一体……」
「それも覚えていないか。あれは鴫野の涙を拭いたティッシュだ。私が帰ろうとしたら鴫野が私の手を握ってな、ずっと別れた彼女の名前を呼びながら泣いていた」
僕が泣いていたって?!
しかも杏さんの手を握って、美玖の名前を呼びながら?!
「泣いてたって……僕がですか?!」
「おまえ以外に誰がいる」
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「さすがに鼻血を拭いたハンカチで拭くのはかわいそうだと思って枕元にあったティッシュを使ったんだが……それが何か問題でも?」
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だったらこの件に関してはこれで話を流しておいた方が良さそうだ。
「いえ、それならいいんです。使った覚えがなくてちょっと気になっただけなので。すみません、みっともないところばかりお見せしてしまって……」
「いや……泣くほど傷付くなら恋愛などしなければいいと言ったけどな……私は恋愛した事は一度もないし、そこまで人を好きになった事もないから……正直に言うと、泣くほど人を好きになれる鴫野が、少し羨ましかった……」
杏さんはゆっくりと言葉を選ぶようにそう言って、小さく苦笑いを浮かべた。
これまで杏さんがこんな風に自分の気持ちを話してくれたことはなかった。
家のために決められた相手との結婚を「決断してしまえばたいしたことはない」なんて言っていたけれど、これがきっと今の杏さんの本音であり、心残りなのだと思う。
少なくとも僕にはそう見える。
「本気の恋愛を一度も経験しないままで市来さんと結婚しても、杏さんは後悔しませんか?」
「後悔も何も……」
「僕にだけは本音を話してください」
僕がまっすぐに杏さんの目を見てそう言うと、杏さんは困った顔をしてため息をついた。
「そうだな……。一度くらいは本気の恋愛という物も経験してみたかった。鴫野にはムチャを言ったけど、ふりとは言えデートというものを経験できて楽しかったぞ」
「杏さん……」
「できれば本当は……」
そこまで言いかけて、杏さんは口をつぐんだ。
「本当は……なんですか?」
「いや、もういいんだ。もう婚約者のふりをする必要はないし、鴫野にこれ以上ムチャな要求をするわけにはいかない」
「……できれば本当は、どうしたいんですか?」
杏さんの目をじっと見つめて、もう一度尋ねてみた。
杏さんは目を見開いてから、下を向いてモゴモゴと口の中で何かを呟いている。
……言うのが恥ずかしいのかな。
かわいいから無理やりにでも白状させちゃおうか。
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