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もうひとつの問題
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「着替えたら急いで夕飯作りますね」
気まずいのを悟られないように慌てて自分の部屋に向かう僕を気にも留めない様子で、杏さんはノートパソコンの画面に視線を注ぎ続けている。
その後ろ姿を見ると、罪悪感と言い様のない虚無感が僕を襲う。
初めて浮気した人の気持ちって、きっとこんな感じなんじゃないだろうか。
僕が今までどこで誰と何をしていたかなんて、杏さんは気にしてくれたりはしないのかな。
いや、思いきり詮索されたら困るのは僕なんだけど。
自分のした事は棚に上げて、僕の事なんてどうでもいいって感じの杏さんの態度に、なぜか軽くショックを受ける。
杏さん、僕はね。
あなたの婚約者のふりをしながら、僕を好きだと言ってくれる女の子と激しいキスをして、その子の身体中をいいように弄んでたんですよ。
好きでもないのに、期待させるような態度を取って、相手の体だけでなく気持ちも弄んで。
……なんて、杏さんに知られたら言い訳もできないくせに、心の中で打ち明けてみる。
いっその事、こんな僕を杏さんが思いきり罵倒してくれたら、少しは僕の罪悪感も薄れるのかも知れない。
翌日からも何度か、仕事の後に渡部さんと二人で会った。
仕事が終わって帰ろうとすると、会社を出たところで待ち伏せされていたからだ。
渡部さんはしきりに飲みに行こうとか食事をしようと誘うけど、僕は用事があるとそれを断り駅までの道のりを一緒に歩いた。
あまりに熱心に誘うから断り続けるのがちょっと申し訳なくなったので、お茶をするくらいの時間ならあると言って一度だけカフェに寄った。
カウンター席に並んで座り、最初はコーヒーを飲みながら普通に話していたのに、気が付けばいつの間にか渡部さんは至近距離にいて、目で僕に何かを訴えかけた。
ちょうどその時、前に美玖が一緒にホテルから出てきたのとは違う男と腕を組んで歩いているのを、カフェの窓から偶然見掛けた。
渡部さんは何も言わずに僕の手を握って、潤んだ目で僕の目をじっと覗き込んだ。
……誘ってるんだ。
女豹みたいな目をして。
『美玖は美玖で好きにやってるんだから、あなたも自分を解放していいのよ。そろそろ本気で私を抱きたいでしょ?』
そんな言葉が聞こえたような気がした。
彼女は美玖に裏切られた事に同情するふりをして、あわよくば僕を手に入れようとしている。
だけど僕はたとえ遊びでも、安易にそれに乗っかるわけにはいかない。
『誰に見られても疑われないように』と言う杏さんの言葉を心の中で反芻して、渡部さんの手をそっと離し、ただの同僚という態度を崩さないようにした。
あまり遅くなると食事の支度に差し支えるし、また杏さんに怪しまれるといけないので、『そろそろ帰ろう』と僕が言うと、渡部さんは急いで帰ろうとする僕を怪訝な顔をして引き留めた。
僕は腕時計を見ながら『ネットで注文していた急ぎの荷物がもうすぐ届くんだ』などと適当な嘘をついて、なんとか渡部さんと別れ帰路に就いた。
詮索されると面倒だから、これからはお茶をするのもやめておこう。
気まずいのを悟られないように慌てて自分の部屋に向かう僕を気にも留めない様子で、杏さんはノートパソコンの画面に視線を注ぎ続けている。
その後ろ姿を見ると、罪悪感と言い様のない虚無感が僕を襲う。
初めて浮気した人の気持ちって、きっとこんな感じなんじゃないだろうか。
僕が今までどこで誰と何をしていたかなんて、杏さんは気にしてくれたりはしないのかな。
いや、思いきり詮索されたら困るのは僕なんだけど。
自分のした事は棚に上げて、僕の事なんてどうでもいいって感じの杏さんの態度に、なぜか軽くショックを受ける。
杏さん、僕はね。
あなたの婚約者のふりをしながら、僕を好きだと言ってくれる女の子と激しいキスをして、その子の身体中をいいように弄んでたんですよ。
好きでもないのに、期待させるような態度を取って、相手の体だけでなく気持ちも弄んで。
……なんて、杏さんに知られたら言い訳もできないくせに、心の中で打ち明けてみる。
いっその事、こんな僕を杏さんが思いきり罵倒してくれたら、少しは僕の罪悪感も薄れるのかも知れない。
翌日からも何度か、仕事の後に渡部さんと二人で会った。
仕事が終わって帰ろうとすると、会社を出たところで待ち伏せされていたからだ。
渡部さんはしきりに飲みに行こうとか食事をしようと誘うけど、僕は用事があるとそれを断り駅までの道のりを一緒に歩いた。
あまりに熱心に誘うから断り続けるのがちょっと申し訳なくなったので、お茶をするくらいの時間ならあると言って一度だけカフェに寄った。
カウンター席に並んで座り、最初はコーヒーを飲みながら普通に話していたのに、気が付けばいつの間にか渡部さんは至近距離にいて、目で僕に何かを訴えかけた。
ちょうどその時、前に美玖が一緒にホテルから出てきたのとは違う男と腕を組んで歩いているのを、カフェの窓から偶然見掛けた。
渡部さんは何も言わずに僕の手を握って、潤んだ目で僕の目をじっと覗き込んだ。
……誘ってるんだ。
女豹みたいな目をして。
『美玖は美玖で好きにやってるんだから、あなたも自分を解放していいのよ。そろそろ本気で私を抱きたいでしょ?』
そんな言葉が聞こえたような気がした。
彼女は美玖に裏切られた事に同情するふりをして、あわよくば僕を手に入れようとしている。
だけど僕はたとえ遊びでも、安易にそれに乗っかるわけにはいかない。
『誰に見られても疑われないように』と言う杏さんの言葉を心の中で反芻して、渡部さんの手をそっと離し、ただの同僚という態度を崩さないようにした。
あまり遅くなると食事の支度に差し支えるし、また杏さんに怪しまれるといけないので、『そろそろ帰ろう』と僕が言うと、渡部さんは急いで帰ろうとする僕を怪訝な顔をして引き留めた。
僕は腕時計を見ながら『ネットで注文していた急ぎの荷物がもうすぐ届くんだ』などと適当な嘘をついて、なんとか渡部さんと別れ帰路に就いた。
詮索されると面倒だから、これからはお茶をするのもやめておこう。
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