サディスティックなプリテンダー

櫻井音衣

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トラウマと禊

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ばあやの話をする時の杏さんは、とても穏やかな表情をしている。
その頃の杏さんにとってばあやは、きっと心を許せる唯一の存在だったんだろう。

「でもばあやは、私が小学校に上がる前に、家庭の事情で仕事を辞めざるを得なくなってな。それで私は両親のすすめもあって、実家を離れて海外の学校に通う事になった」

そんな事情があって海外生活が長かったのか。
グローバルな視野を……とかいうのは表向きの事情だったんだな。
杏さんはばあやとの穏やかな時間を思い出したのか、優しい目でふっと笑った。

「鴫野の作った料理は懐かしい味がするんだ。ばあやの料理に似てる」
「あ……だから僕の作った弁当は食べてくれるんですか?もしかして、僕と一緒に食べるのはつらいですか?」
「いや、不思議なんだが鴫野なら平気だ」

僕なら平気って……料理を作ったのが僕だから?
それともやっぱり、僕がばあやみたいだから?
理由はよくわからないけど、なんとなく嬉しいような気もする。
食べることが苦手な杏さんが僕の料理だけは美味しいと言って食べてくれるんだから、杏さんの異常な食生活を改善できるのは僕しかいない。
そう思うと管理栄養士としての使命感みたいなものが湧き上がってくる。

「それじゃあ……これからも毎日、杏さんの分も弁当作ります」
「うん?弁当だけじゃないだろう?」
「え?」
「朝昼晩、毎日」

杏さんの幼少期やばあやの話を聞いているうちに本題を忘れかけていたけど、それはつまり……。

「鴫野、明日から私と一緒にここに住め」
「えーっと……だからそれは……」

『僕には荷が重すぎます』と言ってと断ろうとすると、杏さんが僕をビシッと指差した。
その勢いに怯んで、僕の肩がビクッと跳ね上がる。

「おまえ、自分のした事を償うと言ったな?」

うう……確かに言ったけど……。
杏さんが僕と同じ庶民ならともかく、杏さんの背負っているものが大きすぎて、そのプレッシャーで今にも押し潰されてしまいそうだ。

「とりあえず、婚約者のふりをして私と一緒にここに住め」
「婚約者のふり……?本当に結婚しなくてもいいんですか?」
「当たり前だろう。結婚すると言うのは、お祖父様をやり過ごすための芝居だ」

よ……良かったぁ……。
どう考えてもしがないサラリーマンの僕に、大企業のご令嬢で超エリートの杏さんの夫が務まるとは思えないもんな。

「さっきはあれで引き下がったが、お祖父様は様子を見に行くと言っただろう?」
「ええ、確かに」
「お祖父様はな……やると言ったら何がなんでも必ずやるんだ。きっと近いうちに、実際に私たちが一緒に暮らしているかを見に来る。おそらく密偵に見張られたりもする」

密偵って……ドラマですか!!
もうついていけそうにない。
杏さんは腕組みをして、口ごもっている僕に威圧的な視線を送る。

「おまえが私にした事も、ついでに会議室での件も会社には黙っててやる。禊だと思ってしばらくの間付き合え」

その言葉は強烈な決定打となった。
『禊だと思って』と言われるとイヤとは言えない。
これから先に続く長い人生を平穏に暮らすために、ここは覚悟を決めるしかなさそうだ。

「仰せのままに……」



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