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トラウマと禊

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時計の針が10時を指した。
僕はなぜかこんな夜更けに、超高級マンションの最上階の角部屋のキッチンで皿うどんを作っている。
確かになんでも作るとは言ったけど、杏さんの部屋には食材や調味料どころか調理器具すら何一つなかったので、ここから徒歩5分ほどの場所にある深夜まで営業している大型スーパーまで僕が買いに走った。
杏さんはと言うと、だだっ広いリビングのソファーで難しい顔をしてノートパソコンに向かっている。
杏さんに連れられてここに来たものの、さっきの猿芝居の事や杏さんの家の事は、何も聞いていない。
結局あれってなんだったんだ?
なんか、いろいろややこしくなりそうな予感がする。
気になる事はたくさんあるけど、とりあえず、難しい話は食事の後だ。

ダイニングテーブルで向かい合って、杏さんと二人で皿うどんを食べた。
このゴージャスな部屋には似つかわしくない庶民的な料理だ。
それでも杏さんは黙々と皿うどんを食べている。
杏さん、料理を見た事はあっても『皿うどん』と言う名前を知らなかったのかな。
だからあんな言い方をしたのかも。

「杏さん、皿うどん食べるの初めてですか?」
「初めてだ。美味しいな」
「それは良かったです」
「これを商品化したら売れるんじゃないだろうか」

仕事には厳しい杏さんが商品化してみたいと思ってしまうほど、僕の作った皿うどんは随分お気に召したようだ。
食事の後、洗い物を済ませてお茶を淹れると、杏さんはお茶を一口飲んでおもむろに口を開いた。

「単刀直入に言う。鴫野、私と結婚しろ」

……は?
結婚しろ、とな?!
いくらなんでも単刀直入過ぎるだろ?
せめてそこに行き着くまでの経緯を詳しく話して欲しい。

「ちょ……ちょっと待ってくださいよ、いきなりですか?もうちょっと順を追って詳しく話してください」
「いきなりもなにも、さっきの話の通りだ」

えーっと……さっきの話を要約すると……。
杏さんが有澤グループのご令嬢で、お祖父様が決めた婚約者がイチキコーポレーションの御曹司で、杏さんはその御曹司とは結婚する気がない、と。
だからって、なんで庶民の僕が杏さんと結婚?
どう考えても不釣り合いだ。

「あのー……なんで僕なんですか?もっと相応しいお相手がいるでしょう」

杏さんは険しい顔をした。
まずい、機嫌を損ねてしまったか?!

「私は有澤グループを継ぐ気はない。だから大学卒業後、家族の反対を押しきって今の会社に就職した。親族もいるし、家の事は弟のイズルに任せるつもりだ」
「それでも……お祖父様は杏さんに継がせたいんですか?」
「そうらしいな。出には海外支社の統轄をさせたいらしい」

なんていうか、家業のスケールが違い過ぎる。
騙す相手があまりにも大きすぎて、僕の巻き込まれている現実とはまったく思えない。

「だったら尚更、しかるべき相手と結婚した方が……」
「私は……あの家では苦しくて、うまく息ができないんだ」
「息ができない……って……」
「会長……さっきのお祖父様だが、厳格な人でな。私は幼い頃から、おまえは将来有澤グループのトップに立つ人間だと言われて、お祖父様に厳しくしつけられたんだ」

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