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少しだけ

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緒川支部長はひとりきりのオフィスでため息をついた。
愛美は何を言おうとしていたのだろう?
『約束を守れない人も支部長自身も大嫌いだから、付き合うのは絶対無理』とハッキリ言われるのが怖くて、愛美の部屋を訪れ看病したあの日以来、露骨なくらいに愛美の事を避けてしまう。
安易に次の約束なんかしても、守れなかったらまた愛美を悲しませ、余計に嫌われることになると思うと、『仕事が終わったら会おう』とも『次の休みは一緒にいよう』とも言えない。
昼間に聞いた愛美の言葉にはショックを受けた。
立場上どうしても帰宅の時間が遅くなったり、休みの日にも出勤することが多い自分とは、愛美はきっと安心して一緒にいられないだろう。
ほんの少し近付けたと思ったのに、自分から誘っておいて約束を守れなかった事で、以前にも増して嫌われてしまったに違いない。
どんなに好きでも愛美には受け入れてもらえないのだと思うと、どうしようもなく胸が痛む。
このまま何もなかった事にしてしまえば、愛美を抱きしめてキスをした時の胸の高鳴りも、愛美を泣かせてしまった日の胸の痛みも忘れられるだろうか?



営業所の玄関の前で高瀬FPが立ち止まり、鞄の中から黒い折り畳み傘を取り出した。

「あれ?高瀬FP、傘持ってないんじゃ……」
「ああ、あれ嘘です。僕、出先でいつ雨が降っても大丈夫なように、折り畳み傘は常備してますよ」

高瀬FPは一体何を考えているのだろう?
傘がないと嘘をつく必要などあっただろうか?

「やっぱり変だなぁ……」
「何がです?」
「いえ、こちらの話です。あ、そうだ。菅谷さん、お見合いするんですか?」
「えっ?!」

愛美は唐突な言葉に驚き、手に持っていた傘を床に落としてしまった。
高瀬FPは笑いながら傘を拾って愛美に手渡す。

「菅谷さんにいい人見つけるんだって、金井さんが張り切ってましたよ」
「結婚したいとはまだ思ってませんから、お見合いなんてしませんよ……」
 (ホントにお節介なんだから……!余計なお世話だっつーの!!)

高瀬FPが知っていると言うことは、昼間の金井さんとの会話の内容は、おそらくすでに支部の職員全体に知れ渡っているのだろう。
オバサマと言うのはどこまでもおしゃべりでお節介な生き物だ。

「支部長みたいな人はダメなんでしょ?仕事もできるし、いい人なんだけどなぁ……。いい人過ぎるのかな?」
「高瀬FPと支部長はいつもこんなに遅くまで仕事してるんですか?」
「僕は時々ですよ。支部長は結構あるんじゃないですか?夜じゃないと会えないお客さんを訪問する職員さんに付き添ったりとか、夜に契約もらいに行った職員さんの帰りを待ってたりとか。何もない日はそれなりに早く帰ってると思いますけど」

高瀬FPはそう言うけれど、内勤事務員で残業の少ない愛美は緒川支部長が早く帰るところを一度も見たことがない。
誰よりも遅くまで仕事をしているはずなのに、朝は誰よりも早く出社して、仕事中は本来の性格とは真逆の上司を演じているけれど、心身ともに休まることはあるんだろうか。

「人の上に立つ仕事って、やっぱり大変なんですね」
「だと思いますよ。それに支部長は真面目で責任感の強い人ですからね。口だけじゃなくて、ちゃんと自ら動いて支部全体の実績をあげてるでしょ?支部の職員さんたちみんな、この人について行けば大丈夫って言う安心感があると思うんです。そうでないと、あの若さで自分よりもずっと歳上の職員さんたちを引っ張っていけないんでしょうね」

愛美はこの支部に配属されてからずっと緒川支部長のことが大嫌いで、その人柄や仕事に対する姿勢を深く知ろうとはしなかったけれど、職員からはずいぶん信頼されているようだ。
高瀬FPは笑いながら傘を開いた。

「もうすぐ支部長も帰る頃かな?ずっとここにいたら、嘘ついたのがバレて怒られちゃいますね。帰りましょ」

高瀬FPと駅まで一緒に歩き、改札を通ったところで別れた。
このまままっすぐ帰ろうと思っていたけれど、なんとなく一人になるのは気が重い。
愛美は自宅の最寄り駅の2つ手前で電車を降りて、マスターの店に寄る事にした。
平日なので店は空いていて、テーブル席に常連客のグループが1組と、カウンター席にカップルが1組いるだけだった。

「愛美ちゃんいらっしゃい。今日はひとり?」
「今日も、でしょ。ギムレットちょうだい」
「今日は水割りじゃないんだ、珍しいね。何かあった?」
「……なんにもないよ」

愛美が何も言わなくても、注文するお酒の種類が違うだけで、マスターには心の内を見透かされているようだ。

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