パドックで会いましょう

櫻井音衣

文字の大きさ
上 下
29 / 60
恋人ごっこ

しおりを挟む
あっという間に、また日曜の朝がやって来た。
僕は少しソワソワしながら、いつものように電車に揺られ競馬場に向かった。
今日はねえさんに会えるかな。
おじさんの具合も気に掛かる。
こんなに暑いのに、たいした馬券も買わない僕が開催日でもない競馬場にせっせと足を運ぶなんて、ホントにおかしな話だ。

そう言えばこの間、『最近付き合いが悪いな』って、先輩から言われたっけ。
先輩は合コンに来いとか、女の子のいるお店に行こうとか、何かにつけて僕を誘ってくれるけど、そんなものは今の僕にとって、なんの価値もない。
僕が心から会いたいと思う女性は、ねえさんだけだから。

しばらくねえさんに会っていない。
会いたい。
どうしようもなく、会いたい。
本当は日曜日だけじゃなく、毎日だって会いたいと思う。
競馬場でだけじゃなく、次に会う約束ができる関係になりたい。

それにしても暑い。
仁川の駅から競馬場に向かう途中の自販機で、ペットボトル入りのコーヒーとスポーツドリンクを買った。
一度競馬場に入ると、わざわざ飲み物を買いに建物の中に入るのが煩わしいので、先に用意しておくことをいつの間にか覚えた。
買った飲み物をバッグに入れて、競馬場を目指してまた歩き出した。
競馬場に着いた僕はいつものように真っ先にパドックに向かい、目を皿のようにしてねえさんの姿を探す。
いつものことながら女性客の姿は少ない。
数少ない女性客の隣に背の高い男性の姿を見掛けるたびにドキッとしてしまう。
そのカップルの向こうに視線を移した時、割とあっけなくねえさんの姿を見つけた。

……いた!ねえさんだ!!

僕は慌てて階段を駆け下りて、ねえさんのそばを目指した。
ねえさんはうつむき加減で、いつになくぼんやりしている。
そう言えばねえさんはいつも、レース前になるとパドックにいる。
開催日なら馬を見るためにいるのだろうけど、開催日でない日でも、必ずここにいるから不思議だ。

「おはようございます」

僕が声を掛けると、ねえさんはゆっくりと顔を上げた。

「アンチャン……おはよう、久しぶりやな」
「久しぶりですね。しばらく顔見なかったから心配してたんですよ」
「そうか、ごめんな。ちょっといろいろ忙しくてな……」

ねえさんの横顔に疲れが見える。
どうしてそんなに忙しかったのか、聞こうと思ったけどやめておいた。
なんとなく、聞ける雰囲気じゃなかった。

「ちょっと疲れてます?」
「ああ、うん。そうかも知れん」
「コーヒーでも飲みますか?」

僕がバッグから取り出したコーヒーを差し出すと、ねえさんは僕の方を見て笑った。

「ありがとう」

ねえさんはコーヒーを受け取り、ペットボトルのキャップを開けて一口飲んだ。

「優しいなあ、アンチャンは」

優しいなあ、って……。
たいしたことはしていないけれど、ねえさんにそう言われると素直に嬉しい。
できればもっと、優しくしたいんだけどな。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

宇宙との交信

三谷朱花
ライト文芸
”みはる”は、宇宙人と交信している。 壮大な機械……ではなく、スマホで。 「M1の会合に行く?」という謎のメールを貰ったのをきっかけに、“宇宙人”と名乗る相手との交信が始まった。 もとい、”宇宙人”への八つ当たりが始まった。 ※毎日14時に公開します。

サディスティックなプリテンダー

櫻井音衣
恋愛
容姿端麗、頭脳明晰。 6か国語を巧みに操る帰国子女で 所作の美しさから育ちの良さが窺える、 若くして出世した超エリート。 仕事に関しては細かく厳しい、デキる上司。 それなのに 社内でその人はこう呼ばれている。 『この上なく残念な上司』と。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

季節外れのサクラの樹に、嘘偽りの花が咲く

櫻井音衣
恋愛
──結婚式の直前に捨てられ 部屋を追い出されたと言うのに どうして私はこんなにも 平然としていられるんだろう── ~*~*~*~*~*~*~*~*~ 堀田 朱里(ホッタ アカリ)は 結婚式の1週間前に 同棲中の婚約者・壮介(ソウスケ)から 突然別れを告げられる。 『挙式直前に捨てられるなんて有り得ない!!』 世間体を気にする朱里は 結婚延期の偽装を決意。 親切なバーのマスター 梶原 早苗(カジワラ サナエ)の紹介で サクラの依頼をしに訪れた 佐倉代行サービスの事務所で、 朱里は思いがけない人物と再会する。 椎名 順平(シイナ ジュンペイ)、 かつて朱里が捨てた男。 しかし順平は昔とは随分変わっていて……。 朱里が順平の前から黙って姿を消したのは、 重くて深い理由があった。 ~*~*~*~*~*~*~*~ 嘘という名の いつ沈むかも知れない泥舟で 私は世間という荒れた大海原を進む。 いつ沈むかも知れない泥舟を守れるのは 私しかいない。 こんな状況下でも、私は生きてる。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

処理中です...