パドックで会いましょう

櫻井音衣

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これが恋でも、恋じゃなくても

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「俺はな、アンチャンの恋路を邪魔する気はないで。人の恋路を邪魔するやつは馬に蹴られて死んでまえ、言うやろ。ただな……」

おじさんはおもむろに顔を上げた。
そして、僕の目をまっすぐに見た。

「いい加減な気持ちやったら、やめとけ」

いい加減な気持ち……って、なんだ?
それは僕の気持ちの重さ?
理屈も打算もなく、どうしようもないくらい好きだと思うのは、いい加減な気持ちではないはずだ。

「可愛い女とイチャイチャしたいとか、ただ楽しいだけの恋愛がしてみたいんやったら、相手なんか他になんぼでもおるやろ」
「そんなんじゃないです。僕はただ、純粋にねえさんが好きなんです」
「アンチャン、好きな女にどんな過去があったとしても、もし身内とか自分の命を盾に脅されたとしても、その女の一生、背負えるか?」
「え?それどういう……」

おじさんはグラスを並々と満たしていたビールを一気に飲み干した。
その顔はやけに苦々しく、今までに見たことのないつらそうな表情をしていた。

「それくらいの覚悟がなかったらな、好きな女は守れんっちゅうこっちゃ」

なんだかやけにスケールの大きな話だ。
ドラマじゃあるまいし、実際にそんなことが起こるとは思えない。

「ちょっと飲みすぎたわ。そろそろ帰ろか」

おじさんは苦笑いを浮かべて、ゆっくりと立ち上がり、ふらりとよろめいた。

「大丈夫ですか?」
「おう、大丈夫や。やっぱりちょっと飲みすぎたみたいやなぁ」

背中を丸めて、おじさんは少し咳き込んだ。
今日は顔色も良くないし、夏風邪でもひいてるのかな?

「帰り、一人で大丈夫ですか?」
「大丈夫や、すぐそこやしな。アンチャンは心配症やのう」


店の前でおじさんと別れて、駅に向かった。
改札口を通り、目の前のホームに入ってきた電車に乗り込んだ。
ちょっと飲みすぎたなんて、そんなはずはない。
ねえさんと一緒に飲んでいる時は、今日の倍ほどの量のビールを飲んでもケロッとしているじゃないか。
さっきのおじさんの言葉と寂しそうな背中が、なんだかやけに気に掛かる。
おじさんの言っていた、忘れたくても忘れられない過去って、もしかして……。
叶わなかった昔の恋……なのかな?
誰に引き裂かれたのか、彼女が何を背負っていたのかはわからない。
ただひとつだけわかったのは、おじさんは今もその人を想って苦しんでいると言うことだ。
恋愛経験のない僕にも、おじさんの哀しみとか、やるせなさみたいなものが伝わってきた。
だからと言って、僕とねえさんが同じ末路を辿るとは限らない。
おじさんが僕に本当に伝えたかったことは、なんだったんだろう?


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