社内恋愛狂想曲

櫻井音衣

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社内恋愛終了のお知らせ

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このあとリフォーム工事に入ることもあってか、水回りを除いては通常の引っ越しほど念入りに掃除する必要はないらしく、6年以上も住んでいた割には目立った汚れもなかったようで、こちらも私が思っていたより遥かに早い時間で済んでしまった。
業者の方にお礼を言って、荷物の積まれたトラックを見送り部屋に戻ると、残っているのは壁や天井のシミと、煤と湿気の入り交じった臭いだけだった。
私の買いそろえた荷物がすべてがなくなりガランとした部屋をゆっくりと見回して、もうこの部屋に戻ることはないのだと実感する。
この部屋で過ごした日のつらかった記憶は、ここに置いて行こう。
つらかったことや悲しかったことがいろいろあった分、これから私は潤さんと一緒に幸せになるのだから。


作業がすべて終わったと潤さんに連絡してから大家さんに挨拶に行くと、大家さんはいつの間に用意したのか『餞別とお祝いを兼ねて』と菓子折りを持たせてくれた。
いまさらながら、優しい大家さんの部屋を借りて良かったなと思う。
それから10分ほど経った頃、潤さんとゆうこさんがマンションまで迎えに来てくれた。
車に乗って次の目的地である私の実家近くの役所へ向かいながら、大家さんのことや作業の様子を潤さんに話した。

「あの部屋を出るのはきっと結婚するときだとは思ってたんだけど、まさかこんな形で引っ越すことになるとは思わなかった」
「俺も一度くらいは、あの部屋で志織とゆっくり過ごしてみたかったな」
「お互いに事故がなかったらそういうことも……あっ、でも怪我の功名だもんねぇ」
「火事がきっかけで俺の家に引っ越すことになって、それがまた結婚を急ぐきっかけになったんだから、なんか不思議だよなぁ……」

住み慣れたあの部屋が何もない状態になったときには少し寂しい気もしたけれど、私にはもう愛する人と一緒に帰る家がある。
これからはあの家で、潤さんと一緒に幸せな思い出をたくさん作っていきたい。

「あっ、そうだ。志織にこれ買ってきた」

潤さんはコートのポケットから、温かい缶コーヒーを取り出して私の右手に握らせた。

「あの部屋寒かっただろ?」
「うん、ありがとう」

冷えた指先を缶コーヒーであたためていると、潤さんはまたポケットの中を探り、小さな箱を取り出した。

「それからこれも……」

缶コーヒーを膝の上に置いてそれを受け取ると、潤さんが蓋を開いてくれる。
私は箱の中を見た瞬間、突然のことに驚き大きく目を見開いた。
箱の中には大粒のダイヤがあしらわれた指輪が入っている。

「えっ、これって……」
「退院していきなり入籍することが決まって、婚約指輪渡す暇もなかったから…… 。さっきゆうこさんに頼んで、近くの店に連れていってもらって……」
「ええっ、今買ってきたの?!」

潤さんと一緒になれるだけで嬉しくて幸せで、私はこの世に婚約指輪なんてものがあることすら忘れていたのに、今日これから入籍すると言うこのタイミングで、まさか潤さんがこんなサプライズを仕掛けて来るなんて!
潤さんが私を想って選んでくれたものならなんだって嬉しいけれど、潤さんからの初めてのプレゼントがこんなすごいダイヤのついた婚約指輪になろうとは、夢にも思わなかった。

「志織の好みも聞かずに選ぶのもどうかとは思ったんだけど……気に入らなかった……?」

箱の中の指輪を凝視したまま嬉しさと驚きで言葉も出ない私を見て、潤さんは少し不安そうに尋ねた。
私は慌てて首を横に振る。

「気に入らないなんてとんでもない!急にこんなすごいの出してくるから、あんまりビックリして……」
「じゃあ、気に入ってくれたのかな?」
「うん、すごく素敵……。でも私にはもったいないくらいなんだけど……本当にもらっていいの?」

おそるおそる尋ねると、潤さんは箱から指輪を取り出して、私の左手の薬指につけてくれた。
私の指には少しゆるい指輪の上で、大きなダイヤがキラキラと光を放つ。

「志織のために選んだんだから、いいに決まってるだろ?これはどうしても俺が志織に渡したかったんだ。あんなカッコ悪いプロポーズしかできなかったし、怪我とか火事とか成り行きに任せて一緒に暮らすことになって、結局親父に押しきられて怪我も治らないうちに急いで入籍することになったし……。せめて指輪くらいはちゃんと渡したいと思ってたから」

潤さんがそんなことを考えてくれていたのだと思うと嬉しくて、目ににじんだ涙が溢れそうになる。

「……もらってくれる?」
「ありがとう、すごく嬉しい……。大事にするね」

潤さんはポケットから取り出したハンカチで私の涙をそっと拭いて、頭を優しく撫でてくれた。

「泣くほど喜んでもらえて良かった」
「こんなサプライズ、誰だって泣いちゃうでしょ」

本当は大声で「潤さん大好き!」と叫んで思いきり抱きつきたいところだけど、さすがにゆうこさんの前ではできないので、それは二人きりになるまで我慢しておこう。

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