社内恋愛狂想曲

櫻井音衣

文字の大きさ
上 下
250 / 268
社内恋愛終了のお知らせ

しおりを挟む
翌朝は7時頃に起きて出かける準備をした。
葉月の作ってくれたシチューの残りとトーストで朝食を済ませ、判子や免許証など、必要な持ち物をバッグに入れ忘れていないか確認する。 
昨日の夕方、潤さんのスマホに届いたゆうこさんからのメールには、今日のスケジュールや必要な持ち物などが事細かに記されていた。
それによると、8時過ぎにゆうこさんが車で迎えに来てくれるらしい。

いよいよ今日、私と潤さんは入籍して夫婦になる。
29年間ずっと慣れ親しんだ『佐野』の姓が今日から『三島』に変わるなんて、なんだかまだ信じられない気持ちだ。
入社してからついこの間までは、潤さんから『佐野』と呼ばれ、私も潤さんを『三島課長』と呼んでいたのに、今は名前で呼び合っているのも不思議な気がする。
8時前には準備を終え、一緒にコーヒーを飲みながら迎えを待っていると、潤さんはソワソワしながら何度も時計を見た。

「落ち着かないなぁ……」
「うん、緊張しちゃうね」
「入籍したら志織も『三島』になるんだもんな。ずっと『佐野』って呼んでたから、なんかちょっと変と言うか、不思議な感じがする」
「私も同じこと考えてた」

私たちはやっぱり考えることがよく似ているようだ。

「そういえば……有田課長に連絡した?」
「うん、今日と明日の2日間、有給にしてもらった」

火事があって近々引っ越すことは金曜日に話していたけど、急遽今日に決まったので有給を取らせて欲しいと私が言うと、有田課長は『明日は通院日なんだろ?ついでに明日も有給取ったらどうだ?』と言って、2日間有給が取れるようにしてくれた。

「志岐たちにも連絡しといたよ。今日は出かけるから、志岐たちが来るより帰りが遅くなるかもって言っておいた」

伊藤くんたちには今日入籍することをまだ話していない。
夕方に会って「今日入籍したよ」と突然言ったら、みんなビックリすることだろう。

コーヒーを飲み終えてカップを片付け終わるのと同時にチャイムが鳴り、二人とも思わず背筋が伸びる。
新しいコートを着ておそろいのマフラーを巻くと、潤さんはニコニコしながら私の頬にキスをした。

「かわいい。よく似合うよ」
「ありがとう。潤さんも素敵」

恥ずかしげもなくお互いを誉め合いながら廊下を歩き、玄関のドアを開ける。

「おはようございます」

ゆうこさんが丁寧にお辞儀をしたので、私たちも慌てて深々と頭を下げる。

「おはようございます。今日はよろしくお願いします」

玄関の鍵をしめて、ゆうこさんの車の後部座席に乗り込んだ。

「では早速参りましょうか。時間に限りがありますので、滞りなく事を運ぶために、まずは役所に婚姻届をもらいに行きましょう」

ゆうこさんの運転で役所に着くと、ちょうど業務開始時間になるところだった。

「わたくしが窓口に行ってきますので、このまま少しお待ちくださいね」

これは怪我をしている私たちへの気遣いなのだろう。
ゆうこさんは車を降りて役所の中へ入り、しばらくすると婚姻届用紙を手に戻ってきた。

「ではこれから志織さんのマンションに向かいます。志織さん、住所を教えていただけますか」

マンションの住所をカーナビに入力するのかと思ったら、ゆうこさんは住所を聞いただけでカーナビに触れることすらせず車を発進させた。

「カーナビ使わないんですか?」
「ええ、一応ついてますけど、ここを曲がれとか何百メートル先だとか、わかりきったことを言うのがうるさいので苦手なんです。知らない土地ですと地図を見て道を確認するくらいはしますが、ナビ機能は使いません。最短ルートを走るなら、わたくしの記憶の方がたしかですから」
「そうなんですね……」

ゆうこさんの頭の中には完璧な地図も搭載されているようだ。
一度でも行ったことのある場所はもちろん、行ったことのない土地でも、出発前に地図で確認すれば目的地までのルートは完璧に頭に入っているらしい。
それにしてもゆうこさんの運転はとても滑らかで乗り心地がいい。
潤さんのお父さんが『プロのドライバーより運転がうまい』と言っていただけはある。

「志織さんのマンションは玲司のマンションのすぐ近くなんですね」

ゆうこさんは前を向いてハンドルを握りながら呟いた。
瀧内くんの母親であるにもかかわらず、ゆうこさんの口から『玲司』と言う名前が出てきたのは初めてのような気がする。

「はい、詳しい場所までは知らないんですけど、最寄り駅が同じなので駅で会ったことがあります」

奥田さんとフルーツパーラーでお茶をした帰りに駅で会って、私が落とした切符を瀧内くんが拾ってくれたことを思い出した。
たしか私、あのとき『チョロい』って言われたっけ。

「玲司は就職を機に一人暮らしを始めたんですが、わたくしはその部屋に一度も行ったことがないんです」
「えっ、一度もですか?」
「用があるときは外で会いますので、部屋に行く必要がないんです。お互いのプライベートには立ち入らないことになっているので、玲司が中学生になった頃から、わたくしは玲司の部屋に入ったことがありません」

瀧内くんらしいとは思うけど、親子でそこまで線引きしなくてもいいんじゃないか……?

しおりを挟む
感想 21

あなたにおすすめの小説

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

恋とキスは背伸びして

葉月 まい
恋愛
結城 美怜(24歳)…身長160㎝、平社員 成瀬 隼斗(33歳)…身長182㎝、本部長 年齢差 9歳 身長差 22㎝ 役職 雲泥の差 この違い、恋愛には大きな壁? そして同期の卓の存在 異性の親友は成立する? 数々の壁を乗り越え、結ばれるまでの 二人の恋の物語

crazy Love 〜元彼上司と復縁しますか?〜

鳴宮鶉子
恋愛
crazy Love 〜元彼上司と復縁しますか?〜

甘い束縛

はるきりょう
恋愛
今日こそは言う。そう心に決め、伊達優菜は拳を握りしめた。私には時間がないのだと。もう、気づけば、歳は27を数えるほどになっていた。人並みに結婚し、子どもを産みたい。それを思えば、「若い」なんて言葉はもうすぐ使えなくなる。このあたりが潮時だった。 ※小説家なろうサイト様にも載せています。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜

ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。 そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、 理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。 しかも理樹には婚約者がいたのである。 全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。 二人は結婚出来るのであろうか。

偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~

深冬 芽以
恋愛
あらすじ  俵理人《たわらりひと》34歳、職業は秘書室長兼社長秘書。  女は扱いやすく、身体の相性が良ければいい。  結婚なんて冗談じゃない。  そう思っていたのに。  勘違いストーカー女から逃げるように引っ越したマンションで理人が再会したのは、過去に激しく叱責された女。  年上で子持ちのデキる女なんて面倒くさいばかりなのに、つい関わらずにはいられない。  そして、互いの利害の一致のため、偽装恋人関係となる。  必要な時だけ恋人を演じればいい。  それだけのはずが……。 「偽装でも、恋人だろ?」  彼女の甘い香りに惹き寄せられて、抗えない――。

処理中です...