社内恋愛狂想曲

櫻井音衣

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Accidents will happen

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母に少しでも負担をかけないように、自分のことはできるだけ自分でしようとするものの、まだ慣れないせいか片手ではなかなかうまくいかない。
いつも当たり前にできていたことができなくなると言うのはストレスが溜まるものだと気付く。
ギプスがまだ完全に固まっていないうちはお風呂にも入れないので、母に手伝ってもらってお湯に浸したタオルを絞って体を拭いた。
母は私の背中をタオルで拭きながら話しかける。

「ところで……志織は潤さんのご両親にはお会いしたことあるの?」
「一度だけ……」

潤さん、葉月、伊藤くん、瀧内くんと私の5人で、潤さんの家に集まってタコ焼きパーティーをしているときに潤さんのお父さんが急に夫婦で訪ねて来たことや、伊藤くんと瀧内くんが潤さんのいとこで、葉月は伊藤くんの婚約者で、瀧内くんのお母さんが潤さんのお父さんと再婚したゆうこさんであることを説明した。

「いとこ同士ずいぶん仲良しなのね。それで、お父さんはどんな方だった?」
「どんなって言われても、たいした話をしたわけでもないからよくわからないけど……」

あのときは潤さんのお父さんがそんなにすごい人だとも知らず、私が作った唐揚げや葉月特製のタコ焼きを取り分けて渡した。
きっと普段からいいものを食べて舌が肥えているであろう相手に、私の作った簡単な料理を振る舞ったのだと思うと、なんとなく恥ずかしい。

「身なりはきちんとしてたけど気取った感じはなかったし、唐揚げとかタコ焼きとか美味しそうに食べてたから、意外と庶民派なのかなぁ……」

母に背中を拭いてもらい、パジャマのボタンをとめながらそう言うと、母はテーブルの上から何枚かの紙を取って私に差し出した。

「庶民感覚を大事にしてるんだって」
「え?」
「娘の嫁ぎ先になるかも知れないから気になってね」

どうやら母はパソコンを使って潤さんのお父さんのことをネットで調べ、気になる記事をプリントアウトしたらしい。
いつの間に母はパソコンやプリンターを使えるようになったのだろう?
ついこの間までは機械は苦手だと言って、家族に頼りきっていたと言うのに。

「これ……お母さんが?」
「そうよ。そんなの『あじさい堂』『社長』って入れて検索したらいくらでも出てくるわよ。あんた、スマホとかパソコン使えるんでしょ?現代人なのにネットで調べようとは思わなかったの?」
「そんなの思いつきもしなかった……」

潤さんのお父さんの会社の規模の大きさにただ怯えて目をそらそうとしていただけの私とは違って、母はその目とパソコンを駆使して情報を得ていたようだ。
私の母はなんて賢くて頼もしいのだろう。

「仕事にしても近所付き合いにしても、もちろん恋愛するにも人間関係を作るにはまず相手を知ることは必要でしょ?結婚なんかなおさらよ。相手だけじゃなくてその身内とも付き合っていかなきゃいけないんだから」

母の言うことはもっともだと思う。
昔は言葉の裏側や会話の間が読み取れず、他人との人間関係を作るのが苦手だった。
だけど成長と共に、相手の気持ちや、今置かれている状況などを考えることの大切さを学び、たくさんではないけれど私のことを理解して受け入れてくれる友人ができた。
今までの恋愛を振り返ると、私は付き合ってきた人のことを知る努力をあまりしていなかった気がする。
私を利用しようとしていた護は別として、誰とも長続きしなかったのはそのせいかも知れない。
私は潤さんのことをどれくらい知っているだろう?
会社の先輩や上司として見てきた以外の、一人の男性としてのありのままの潤さんを、もっと知りたいと今は思う。

「仕事休んでる間はどうせ暇なんだから、一度目を通しておきなさい。志織が持ってる『大企業の社長』の先入観が覆るかもよ」
「ありがとう……」


夕食のあと、母が調べてくれた記事を読んだ。
潤さんのお父さんは生まれながらにしての御曹司であるにもかかわらず、『無駄に広すぎる家も必要以上に華美な装飾品も、高級すぎる料理も、どうにも性分に合わない』と言っていた。
なんでも初代社長は手作りの石鹸から商売を始め、物の少ない時代に天然素材で作った手頃な価格の化粧水などで少しずつ事業を拡大した人らしい。
庶民が使う生活用品を作ってできるだけ安く売るために、利益を抑えて倹約生活を送っていたのだそうだ。
その理念を代々受け継ぎ、無駄な贅沢はせず本当に必要なものにだけお金をかけることにしているのだと言う。
それは決して粗悪な安物を買って使い捨てると言うことではなく、吟味して買った上質なものを長く大切に使う精神こそが、消費者に良いものを手頃な価格で提供して末長く使ってもらおうと言う企業の理念にも繋がるのだそうだ。
そして潤さんのお父さんは、大事な客人をもてなすためなら本物の味を堪能できる高級懐石料理店での出費も惜しまないけれど、自分自身は近所の安くて美味しい居酒屋で焼きホッケをつまみに熱燗を飲む方が好きで、それにも勝る最高の贅沢は、仕事のあとの妻の手料理だと言っていた。

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