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優しい人、優しかった人
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「薫……?」
他の人には聞こえないような小声で浩樹に名前を囁かれると、薫は唇をギュッと噛みしめて、出来るだけ平静を装って声を絞り出した。
「……卯月です」
「あ……ごめん……」
薫は浩樹の視線から逃れるように、まだ火をつけたばかりのタバコを灰皿に投げ入れ、喫煙室のドアノブに手を掛けた。
「……失礼します」
「ちょっと待って」
喫煙室のドアを開けると、ちょうどそこに志信が立っていた。
「あっ、卯月さん、お待たせ」
薫は思わず志信の腕を掴んだ。
志信は急にそうされたわけがわからず、少し慌てている。
「行こう、笠松くん」
「えっ?!」
腕をギュッと掴んだままスタスタと先を歩く薫の背中を、志信は不思議そうに見ていた。
(なんだこれ……?)
会社を出てしばらく歩いたところで、志信はもう片方の手で薫の肩を掴んだ。
「ちょっと待って。どうかした?」
薫はやっと足を止めて、うつむいている。
「卯月さん?」
志信が顔を覗き込むと、薫は唇を噛みしめて、目に涙を浮かべていた。
(えっ……泣いてる?!)
突然の事に志信は慌ててハンカチを差し出し、薫の肩をポンポンと優しく叩いた。
「あのさ……とりあえず、涙拭いて」
薫は志信の腕から手を離し、差し出されたハンカチを受け取って目元を覆った。
「ごめん……。今日はもう帰る……」
「謝らなくていいけど……何があったか、オレで良ければ話して?こんな卯月さん、一人で帰せないよ」
薫はうつむいたまま首を横に振る。
(話したくない……か……)
何があったのだろうと思いながら、志信は薫の手を握り、優しく話し掛けた。
「話したくないなら無理に話せとは言わないけど……。気持ちが落ち着くまで、少し一緒に歩こうか」
小さくうなずく薫の手を引いて、志信はゆっくりと歩き始めた。
「泣きたい時は泣いたらいいよ。オレにはなんにもしてあげられないけど……せめて、遠慮なんかしないで」
志信は前を向いて、黙ったまま薫の手を引いて歩いた。
志信のハンカチで溢れる涙を拭いながら、時おり小さくしゃくりあげる薫の方は見ないままで、志信は何も聞かずにただ黙ってゆっくりと歩き続けた。
(何か、泣きたくなるほどつらい事でもあったのかな……)
しばらく黙って歩き続けていた志信が、公園のベンチに薫を座らせ、顔を覗き込んだ。
「少しは落ち着いた?」
「うん……。ごめんね……」
うつむいたまま弱々しく呟く薫の肩を、志信は優しくポンポンと叩いた。
「謝らなくていいよ」
明らかに普通ではないのに、その理由を無理に聞き出そうとしない志信の優しさが、薫の心をじんわりと温かくした。
「ハンカチ……汚しちゃった。洗って返すね」
「そんなの気にしなくていいって。それよりさ、腹減らない?」
「……減った」
「結構歩いたからいい運動になったな。オレはずっとデスクワークだし、最近運動不足だからちょうど良かったかも」
笑って話す志信の顔を、薫はまだ涙で潤んだ目で見上げて微かに笑みを浮かべた。
「お腹空いたよ……。御飯、食べに行こ」
「そうだな。ハイボールも飲みたいな」
「うん、飲みたい」
「よし。行こう」
志信はベンチから立ち上がると、薫の手を引いて立ち上がらせた。
「どこに行こうかなぁ……」
手を握ったまま歩き出そうとする志信に、薫は少し照れくさそうに声を掛ける。
「笠松くん……手……」
「あ、ダメだった?」
「ダメ。離して」
「なんで?さっきまでずっと、手繋いで歩いてたじゃん」
「もう離していいから」
「えー……」
志信は残念そうに手を離すと、薫の顔をイタズラっぽい目で覗き込んだ。
「さっきまでの卯月さん、素直でかわいかったのに」
「やめてよ、もう……」
照れくさそうに目をそらす薫を思いっきり抱きしめたい衝動にかられながら、志信は苦笑いをした。
(仕方ないか……。オレは『ただの同期』だもんな……。恋人ならこんな時、遠慮なく抱きしめたりできたんだろうな……)
他の人には聞こえないような小声で浩樹に名前を囁かれると、薫は唇をギュッと噛みしめて、出来るだけ平静を装って声を絞り出した。
「……卯月です」
「あ……ごめん……」
薫は浩樹の視線から逃れるように、まだ火をつけたばかりのタバコを灰皿に投げ入れ、喫煙室のドアノブに手を掛けた。
「……失礼します」
「ちょっと待って」
喫煙室のドアを開けると、ちょうどそこに志信が立っていた。
「あっ、卯月さん、お待たせ」
薫は思わず志信の腕を掴んだ。
志信は急にそうされたわけがわからず、少し慌てている。
「行こう、笠松くん」
「えっ?!」
腕をギュッと掴んだままスタスタと先を歩く薫の背中を、志信は不思議そうに見ていた。
(なんだこれ……?)
会社を出てしばらく歩いたところで、志信はもう片方の手で薫の肩を掴んだ。
「ちょっと待って。どうかした?」
薫はやっと足を止めて、うつむいている。
「卯月さん?」
志信が顔を覗き込むと、薫は唇を噛みしめて、目に涙を浮かべていた。
(えっ……泣いてる?!)
突然の事に志信は慌ててハンカチを差し出し、薫の肩をポンポンと優しく叩いた。
「あのさ……とりあえず、涙拭いて」
薫は志信の腕から手を離し、差し出されたハンカチを受け取って目元を覆った。
「ごめん……。今日はもう帰る……」
「謝らなくていいけど……何があったか、オレで良ければ話して?こんな卯月さん、一人で帰せないよ」
薫はうつむいたまま首を横に振る。
(話したくない……か……)
何があったのだろうと思いながら、志信は薫の手を握り、優しく話し掛けた。
「話したくないなら無理に話せとは言わないけど……。気持ちが落ち着くまで、少し一緒に歩こうか」
小さくうなずく薫の手を引いて、志信はゆっくりと歩き始めた。
「泣きたい時は泣いたらいいよ。オレにはなんにもしてあげられないけど……せめて、遠慮なんかしないで」
志信は前を向いて、黙ったまま薫の手を引いて歩いた。
志信のハンカチで溢れる涙を拭いながら、時おり小さくしゃくりあげる薫の方は見ないままで、志信は何も聞かずにただ黙ってゆっくりと歩き続けた。
(何か、泣きたくなるほどつらい事でもあったのかな……)
しばらく黙って歩き続けていた志信が、公園のベンチに薫を座らせ、顔を覗き込んだ。
「少しは落ち着いた?」
「うん……。ごめんね……」
うつむいたまま弱々しく呟く薫の肩を、志信は優しくポンポンと叩いた。
「謝らなくていいよ」
明らかに普通ではないのに、その理由を無理に聞き出そうとしない志信の優しさが、薫の心をじんわりと温かくした。
「ハンカチ……汚しちゃった。洗って返すね」
「そんなの気にしなくていいって。それよりさ、腹減らない?」
「……減った」
「結構歩いたからいい運動になったな。オレはずっとデスクワークだし、最近運動不足だからちょうど良かったかも」
笑って話す志信の顔を、薫はまだ涙で潤んだ目で見上げて微かに笑みを浮かべた。
「お腹空いたよ……。御飯、食べに行こ」
「そうだな。ハイボールも飲みたいな」
「うん、飲みたい」
「よし。行こう」
志信はベンチから立ち上がると、薫の手を引いて立ち上がらせた。
「どこに行こうかなぁ……」
手を握ったまま歩き出そうとする志信に、薫は少し照れくさそうに声を掛ける。
「笠松くん……手……」
「あ、ダメだった?」
「ダメ。離して」
「なんで?さっきまでずっと、手繋いで歩いてたじゃん」
「もう離していいから」
「えー……」
志信は残念そうに手を離すと、薫の顔をイタズラっぽい目で覗き込んだ。
「さっきまでの卯月さん、素直でかわいかったのに」
「やめてよ、もう……」
照れくさそうに目をそらす薫を思いっきり抱きしめたい衝動にかられながら、志信は苦笑いをした。
(仕方ないか……。オレは『ただの同期』だもんな……。恋人ならこんな時、遠慮なく抱きしめたりできたんだろうな……)
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