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常識と価値観の違い
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しおりを挟む「いつまでも若くないんだからね。そのうち誰にも相手にされなくなるよ」
圭が苦々しい顔で呟いた。
「人のことはそう言うけどさ、だったらなんで圭は結婚しないの?今の彼と同棲してもう何年になる?」
春菜の問い掛けに、圭は眉間に深くシワを刻んで押し黙った。
圭は今の彼と付き合い始めて8年、もう7年も同棲している。
「そういえば紫恵が結婚するより前から同棲してたよね?なんで結婚しないの?」
綾乃もそれは気になるらしい。
圭は仕方なくと言った面持ちで、顔をしかめながら口を開く。
「私たちのことはいいでしょ……。これで仕事も生活もうまくいってるんだから……」
いつもハッキリと物を言う圭にしては、なんとも歯切れの悪い返事だと思ったのは、紫恵だけではないのだろう。
綾乃は軽く首をかしげている。
「それにしたって同棲7年は長いよね。結婚の話とか出ないの?」
「出ないよ」
「なんで?圭は結婚したくないの?」
綾乃の質問攻めに圭はうろたえているようだ。
「そりゃまあ……したくないってわけじゃないけど……」
圭が口ごもると春菜はまた少し笑った。
「彼が結婚したくない人なんでしょ?」
「……そう。一緒に暮らして生活も仕事もうまくいってるし、子供も別に欲しくないし、わざわざ結婚する意味がわからないって」
「私には彼のその考えの方がよくわからないけど…」」
今度は誰から見てもハッキリとわかるくらいに、綾乃が大きく首をかしげた。
「でも圭は結婚もしたいし子供も欲しいでしょ?」
「……いずれは……?」
「だったら別の人探した方がいいんじゃないの?もう30だよ?いつまでも若くないって自分で言ってたじゃない」
「結婚とか出産とか、現実的に考えると綾乃の言いたいこともわかるけど……相手は誰でもいいってわけじゃないから」
圭は彼が好きだから結婚したいし、彼の子供も欲しい。
だけど彼はそれを望んでいない。
結婚を望めば、彼とは一緒にいられなくなるかも知れない。
きっと圭はこれまで何度も葛藤しながら、彼との関係を保ってきたのだろう。
紫恵は圭の気持ちを考えると胸が痛んだ。
お互いが望まないと手に入らない物があれば、どんなに望んでも手に入らない物もある。
お互いが望めば手に入る物でも、どちらかが望まなければ手に入れることはできない。
世の中にはうまくいかないことが多すぎる。
「結局さ……誰がなんて言ったって、世の中なるようにしかならないんだよね。何もかも自分の望み通りになるなら、誰も悩んだりしないよ」
綾乃の言葉が、紫恵の心にやけに重く響いた。
何が幸せかなんて、本人にしかわからない。
それぞれに価値観が違って、自分が常識だと思うことが他の人にとっては常識ではないかも知れない。
今目の前にあるものが幸せだと思えるなら、多くを求めることはないだろう。
人間は欲張りな生き物だと紫恵は思う。
最初は幸せだと思っても、慣れてしまえばそれが当たり前になって、それ以上の幸せを求めてしまう。
まだ付き合い始める前は、バイト先のコンビニに逸樹が買い物に来てその姿を一目見られるだけで嬉しかった。
何度か顔を合わせて、初めて接客以外の会話をした時は、恥ずかしくて顔が真っ赤になった。
ようやく会話らしい会話ができるようになった頃に逸樹に告白されて、嬉しさのあまり夢じゃないかと思った。
付き合い始めた頃は、約束をして二人で会って名前を呼び合うだけでドキドキした。
それから時間をかけて二人の仲を深めて、いつの間にか当たり前のように手を繋いでキスをして、裸で抱き合うようになったけれど、初めての時は心臓が壊れそうなくらいドキドキした。
結婚する前は別れ際がいつも寂しくて、お互いを引き留めては、おやすみのキスを何度も繰り返した。
紫恵は逸樹を好きになって間もない頃の気持ちを思い出し、毎日一緒にいられる今は幸せだと改めて思う。
毎日おはようとおやすみを言い合えること。
二人で同じ場所に帰れること。
逸樹が自分の元へ帰ってきてくれること。
毎日同じものを食べて、他愛ない会話で笑えること。
逸樹のそばで眠り、目覚められること。
紫恵にとって逸樹のいる毎日は間違いなく幸せだ。
逸樹の甘くて優しい声が、紫恵の耳の奥で響いた。
『しーちゃん、愛してる』
なんだか無性に逸樹に会いたい。
帰ったら素直に謝って、愛してると逸樹に伝えようと紫恵は思った。
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