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重ねた面影
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紫恵は駅前のコーヒースタンドの奥の席で、冷めていくコーヒーを眺めながら背中を丸めていた。
逸樹に言われた言葉にショックを受けて、心咲と希望が来るのを待たずに予定より早く家を飛び出してしまった。
意地を張って話を聞こうとしなかったのは自分なのに、逸樹に冷たい言葉を投げ掛けられると悲しくて涙が溢れた。
逸樹を信じられないわけじゃない。
それなのに不安になるのはどうしてだろう?
夕べ紫恵はひどい夢にうなされ、真夜中に目覚めた。
夢の中で逸樹は若い女を連れて来て『紫恵、離婚しよう。彼女が俺の子を妊娠したんだ。俺は彼女と結婚するよ』と言って、彼女と一緒に楽しそうに笑いながら去って行った。
紫恵がどんなに名前を呼んで泣き叫んでも、逸樹は振り返りもしなかった。
普段は『紫恵』なんて呼ばないのに、夢の中ではそう呼んでいた。
それはまるでもう愛していないと言われているように感じた。
うなされて目覚めた時、紫恵は泣いていた。
逸樹を失いたくないと心から思った。
それなのに今朝も意地を張って、イヤな物の言い方をしてしまった。
紫恵はぬるくなったコーヒーを一口飲んで大きなため息をついた。
本当に愛しているのに、どうして素直になれないんだろう?
その頃公園では、りぃのリードを手にした希望が楽しそうに池の周りの遊歩道を歩いていた。
逸樹はその後ろを香織とならんで歩く。
公園に着いて希望がブランコで遊んでいると、香織がりぃを連れてやって来た。
希望が楽しみにしているのを知っているから来てくれるのだろうが、逸樹はなんとなく気が重かった。
もしかしたらこれからも毎週末ここで会うのだろうか?
ただ散歩をしているだけでも、もし紫恵と自分が逆の立場なら、紫恵がムッとする気持ちもわからなくはない。
けれど香織に『ここにはもう来ないで』と頼むのもおかしな話だ。
紫恵のいないところで香織と会うのが紫恵を不安にさせるのなら、今度は紫恵も一緒に来ればいいのかも知れない。
香織はさっきから逸樹の様子をそっと窺っている。
なんだか難しい顔をしているし、何か考え込んでいるように見える。
「村岡主任……どうかされましたか?」
逸樹はハッとして香織の方を見た。
「あ……すみません、ちょっと考え事を……」
仕事のことでも考えているのだろうか?
逸樹は出張から帰ったばかりだし、少し疲れているのかも知れない。
「そう言えば……出張お疲れ様でした」
「毎日忙しくてホントに疲れましたよ」
仕事よりも疲れたのは、先輩たちにあの店に連れ込まれそうになったことだなんて、香織は知るよしもない。
「僕が出張に行ってる間、何か問題はなかったですか?」
「雑誌で紹介されて予想以上に売れ行きが良かった商品の在庫が尽きかけたんですけど、工場に生産を急かしてなんとか間に合いました」
「そうですか。それは良かったです」
仕事の話をしていると、会社にいる時のいつもの逸樹だと香織は思う。
会社にいる時の逸樹を意識したことは一度もないのに、ここで会う逸樹にドキドキするのはなぜだろう?
それは大輔と知り合った頃の気持ちに少し似ている。
付き合いだしてからは、それまで見たことのなかった意外な一面をひとつ知るたびに、どんどん大輔を好きになった。
大輔と一緒にいると幸せで、ずっと一緒にいたいと思った。
遠距離恋愛になってからは、会いたい時に会えないのがつらかったけれど、会えると以前の何倍も嬉しかった。
相変わらず大輔からの連絡はない。
最近はもう、香織からはまったく連絡していない。
香織がいくら会いたいと思っても、大輔はもう同じように会いたいと思ってはいないのかも知れない。
そして逸樹のことが気になっていると自覚してからは、なんとなく後ろめたさも手伝って、大輔に連絡するのをためらっている自分がいる。
大輔はもう会えないのが寂しいとか、早く会いたいという気持ちはなくなってしまったのだろうか?
「出張中、奥さんに会えなくて寂しくなかったですか?」
香織の口から、無意識にその言葉がこぼれ落ちた。
突然の問い掛けに逸樹はポカンとしている。
「あ……すみません、変なこと聞いちゃって……。忘れてください」
香織は自分が言った言葉を、慌てて取り消そうとした。
その様子を逸樹は不思議そうに見ている。
「……どうかしました?」
「いえ、あの……たいしたことじゃ……」
「何か悩みでもあるんですか?」
予想外に掛けられた逸樹の言葉に、香織は黙ってうなずいた。
「僕で良ければ、聞くぐらいはできますよ?」
池の周りを一周歩き終えて、香織と逸樹は並んでベンチに座った。
「近田さんの悩みはなんですか?」
りぃと遊ぶ希望を眺めながら逸樹が尋ねた。
香織は少しためらいがちに口を開く。
逸樹に言われた言葉にショックを受けて、心咲と希望が来るのを待たずに予定より早く家を飛び出してしまった。
意地を張って話を聞こうとしなかったのは自分なのに、逸樹に冷たい言葉を投げ掛けられると悲しくて涙が溢れた。
逸樹を信じられないわけじゃない。
それなのに不安になるのはどうしてだろう?
夕べ紫恵はひどい夢にうなされ、真夜中に目覚めた。
夢の中で逸樹は若い女を連れて来て『紫恵、離婚しよう。彼女が俺の子を妊娠したんだ。俺は彼女と結婚するよ』と言って、彼女と一緒に楽しそうに笑いながら去って行った。
紫恵がどんなに名前を呼んで泣き叫んでも、逸樹は振り返りもしなかった。
普段は『紫恵』なんて呼ばないのに、夢の中ではそう呼んでいた。
それはまるでもう愛していないと言われているように感じた。
うなされて目覚めた時、紫恵は泣いていた。
逸樹を失いたくないと心から思った。
それなのに今朝も意地を張って、イヤな物の言い方をしてしまった。
紫恵はぬるくなったコーヒーを一口飲んで大きなため息をついた。
本当に愛しているのに、どうして素直になれないんだろう?
その頃公園では、りぃのリードを手にした希望が楽しそうに池の周りの遊歩道を歩いていた。
逸樹はその後ろを香織とならんで歩く。
公園に着いて希望がブランコで遊んでいると、香織がりぃを連れてやって来た。
希望が楽しみにしているのを知っているから来てくれるのだろうが、逸樹はなんとなく気が重かった。
もしかしたらこれからも毎週末ここで会うのだろうか?
ただ散歩をしているだけでも、もし紫恵と自分が逆の立場なら、紫恵がムッとする気持ちもわからなくはない。
けれど香織に『ここにはもう来ないで』と頼むのもおかしな話だ。
紫恵のいないところで香織と会うのが紫恵を不安にさせるのなら、今度は紫恵も一緒に来ればいいのかも知れない。
香織はさっきから逸樹の様子をそっと窺っている。
なんだか難しい顔をしているし、何か考え込んでいるように見える。
「村岡主任……どうかされましたか?」
逸樹はハッとして香織の方を見た。
「あ……すみません、ちょっと考え事を……」
仕事のことでも考えているのだろうか?
逸樹は出張から帰ったばかりだし、少し疲れているのかも知れない。
「そう言えば……出張お疲れ様でした」
「毎日忙しくてホントに疲れましたよ」
仕事よりも疲れたのは、先輩たちにあの店に連れ込まれそうになったことだなんて、香織は知るよしもない。
「僕が出張に行ってる間、何か問題はなかったですか?」
「雑誌で紹介されて予想以上に売れ行きが良かった商品の在庫が尽きかけたんですけど、工場に生産を急かしてなんとか間に合いました」
「そうですか。それは良かったです」
仕事の話をしていると、会社にいる時のいつもの逸樹だと香織は思う。
会社にいる時の逸樹を意識したことは一度もないのに、ここで会う逸樹にドキドキするのはなぜだろう?
それは大輔と知り合った頃の気持ちに少し似ている。
付き合いだしてからは、それまで見たことのなかった意外な一面をひとつ知るたびに、どんどん大輔を好きになった。
大輔と一緒にいると幸せで、ずっと一緒にいたいと思った。
遠距離恋愛になってからは、会いたい時に会えないのがつらかったけれど、会えると以前の何倍も嬉しかった。
相変わらず大輔からの連絡はない。
最近はもう、香織からはまったく連絡していない。
香織がいくら会いたいと思っても、大輔はもう同じように会いたいと思ってはいないのかも知れない。
そして逸樹のことが気になっていると自覚してからは、なんとなく後ろめたさも手伝って、大輔に連絡するのをためらっている自分がいる。
大輔はもう会えないのが寂しいとか、早く会いたいという気持ちはなくなってしまったのだろうか?
「出張中、奥さんに会えなくて寂しくなかったですか?」
香織の口から、無意識にその言葉がこぼれ落ちた。
突然の問い掛けに逸樹はポカンとしている。
「あ……すみません、変なこと聞いちゃって……。忘れてください」
香織は自分が言った言葉を、慌てて取り消そうとした。
その様子を逸樹は不思議そうに見ている。
「……どうかしました?」
「いえ、あの……たいしたことじゃ……」
「何か悩みでもあるんですか?」
予想外に掛けられた逸樹の言葉に、香織は黙ってうなずいた。
「僕で良ければ、聞くぐらいはできますよ?」
池の周りを一周歩き終えて、香織と逸樹は並んでベンチに座った。
「近田さんの悩みはなんですか?」
りぃと遊ぶ希望を眺めながら逸樹が尋ねた。
香織は少しためらいがちに口を開く。
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