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君に落ちるまで

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高校を卒業して大学に進学すると、家柄や財産目当ての吉野みたいな女に目をつけられるのは御免だったから、俺は自分があじさい堂の社長の息子だということを周りにはひたすら隠して生活した。
相変わらず恋愛はうまくいかなかったけれど、そもそも付き合っても恋愛というものを誰ともしなかったのだから、うまくいくはずなんてない。
それでもなぜか好きだとか付き合って欲しいと言い寄られることは度々あって、社会人になるとフェロモンを撒き散らして媚びる女や、酔ったふりをして色仕掛けで迫ってくる女が増えた。
不本意ながら俺はまんまとそんな女の罠にかかり、しばらく付き合った末に、またしても突然他の男と結婚されるというひどい裏切りを受けた結果、女性に触れられるだけでも嫌悪感と不快感で吐き気を催したり過呼吸を起こしたりするようになった。
その後もトラウマによる女性不信で恋愛からは自然と遠のき、女性とは触れ合うことはおろか、仕事上の必要な関わりしか持てなくなっていった。
それでも人に嫌われることが怖かった俺は、できるだけ誰からも好かれるように笑って、誰に対してもいい人を演じた。

入社4年目の春、俺の所属している営業部の二課にも数名の新入社員が配属された。
その中には志岐と木村葉月、そして志織もいた。
顔が良くて背の高い志岐は女子社員からキャーキャー言われていたけど、そんなことにはあまり関心がないようで、誰に対しても素直でフレンドリーなので上司や先輩たちから可愛がられた。
大阪出身の木村は頭の回転が早く、仕事を覚えるのが異様に早かった。
普通に話しているだけでも人を笑わせることに長けた面白いやつで、美人なのに女臭さを感じさせなかったせいか、男友達と同じように接することができた。
そして志織は、おしゃれや恋の話に夢中になっている女子の輪に入ることもなく、イケメンの男性社員にも目をくれず、ひたすら真面目で仕事に一生懸命だった。
ただ少し不器用で要領が悪いのか必死さが空回りすることも多く、小さなミスをして先輩に指摘されると、それをなんとか取り返そうとまた懸命に頑張っていた。
志織のそんな姿を見ているうちに、なんとか力になってやりたいと思うようになり、わかりやすくアドバイスしたり、できるだけさりげなくフォローしたりもした。
それで自分の思うように仕事ができると、いつもは自信なさげな志織がとても嬉しそうに笑ってお礼を言ってくれたから、俺はそれだけで嬉しくて、この子がもっと自信をもって仕事ができるようになればいいなとか、もっと笑った顔が見たいなと思うようになり、真面目で一生懸命頑張る志織から目が離せなくなった。

そのうち仕事に関係のないことでも志織のことが気になり始めた。
しっかり化粧をして香水の甘い香りを漂わせ、男性社員に媚びるように笑っている他の女子と違って、志織はいつも薄化粧で、そばに近付くとほのかにいい香りがした。
後になってそれはうちの親父の会社のシャンプーの香りだと気付いたのだが、余計な香りがしない分、志織自身の微かな体臭とシャンプーの香りがいい具合に混ざり合うのか、そばにいるととても心地よかった。
そしていつの間にか志織と目が合うだけで胸の奥が疼くような感覚を覚えるようになり、一体これはなんなのだろうと、それまで経験したことのない感覚に何度も戸惑ったものだ。

しばらく経つと志織は俺が付きっきりで教えなくても要領良く仕事ができるようになり、雛鳥に旅立たれた親鳥のような気持ちで少し寂しく感じていたけれど、志織が営業事務として俺の担当をすることになり、以前より密に関われるようになったのは本当に嬉しかった。
その頃にはすでに、もしかして俺は志織のことが好きなんじゃないかと思い始めていて、志織のことをもっと知りたいと思うようになった。

そして新入社員の歓迎会の日、上司や先輩に勧められた酒を断れず飲みすぎて具合が悪くなった俺は、過去に酔ったところを介抱するふりをして近付く女性社員に狙われた経験から、できるだけ人目につかない場所にいた。
少し吐き気がおさまったら帰ろうと思ってうずくまっていると、誰かが俺の背中を優しくさすった。
その手はどう考えても女性のものなのに、気分が悪くなるどころか、気持ちいいとさえ思えた。
一体誰なんだろうと振り返ると、そこには心配そうな顔で俺の背中をさする志織がいた。

「三島先輩、大丈夫ですか?お水もらってきましょうか?」

新入社員への洗礼とでも言わんばかりにあれだけ飲まされていたのに、志織は顔色ひとつ変えずけろっとしている。
そして俺の体を支えて近くにあったイスに座らせ、店員から水をもらって来てくれた。
志織はしばらくの間、心配そうな顔をしてそばにいて背中をさすったり、肩を貸したりしてくれた。
いつもなら女性に触られると具合が悪くなるはずなのに、志織に触れられると胸がドキドキして、だけどとても心地よくて、ずっとこうしていて欲しいと思った。
それは酒に酔ったせいなんかではなく、俺は間違いなく志織に恋をしているのだと確信した瞬間だった。


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