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ちょうどいい距離感
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宮本さんが楽しそうに笑って声を潜めた。
「オメデタなんでしょ?」
「え?」
「菅谷さんよ。いつ生まれるの?二人、結婚するんでしょ?」
質問の意味がやっとわかった健太郎は、吹き出しそうになるのを堪えながら愛美の方を見た。
愛美は『またこれか』と言いたげに、うんざりした顔をして額に手を当てている。
「だってさ、愛美。俺にも教えてくれよ」
「もう……」
(健太郎のやつ……面白がってるな?)
愛美はコーヒーを一口飲んでため息をついた。
「生まれないし、結婚もしません。そもそも私たちは付き合ってません」
「えっ?オーナーの店で結婚式の話をしてたんじゃないの?」
「あれは……幼馴染みの友達が結婚するから、式の事でいろいろ相談に乗ってただけですよ」
「なーんだ、そういう事……。良かったですね、支部長」
(えっ、支部長?!)
愛美が慌てて振り返ると、いつの間にか緒川支部長がすぐ後ろに立っていた。
緒川支部長は眉間にシワを寄せて、仏頂面をしている。
(デジャヴ……?いつかもこんな事があったような……)
愛美は慌てて立ち上がった。
「おかえりなさい、お疲れ様です」
「ただいま……。みんな随分楽しそうだな。それだけの余裕があるって事は、今日の夕礼はさぞかしいい話が聞けるんだろうな」
緒川支部長はポケットの中で小銭をチャリチャリ鳴らしながら、ニヤリと笑った。
(目が笑ってないよ!)
緒川支部長の威圧的な笑みに怯んだオバサマたちは、慌てて立ち上がった。
「あーっと、こんな時間!今からもう一件行ってきます!」
「私も行ってきます!!」
蜘蛛の子を散らすようにそそくさと退散するオバサマたちに向かって、緒川支部長は声をあげる。
「気を付けてな!夕礼までには戻って来いよ!」
その様子を見て、健太郎は我慢ができず吹き出した。
「仕事中は鬼なんですね。すみません、皆さんのお仕事の邪魔しちゃって。俺も緒川さんに怒鳴られないうちに退散します」
健太郎は支部を出る直前で振り返り、緒川支部長に笑いかけた。
「明日、弁当の試作を作ります。特別料金で半額にしますから、良かったら緒川さんもいかがです?」
「ん……?ああ、それじゃお願いしようかな」
「楽しみにしてて下さい」
やけに楽しそうに笑って去っていく健太郎に、緒川支部長は一抹の不安を覚えた。
休憩スペースには誰もいなくなった。
さっきまでおしゃべりにいそしんでいたオバサマたちは、すっかり保険のセールスレディの顔をして、「行ってきます」と元気に支部を出ていく。
そして愛美はいつの間にか、内勤席でコーヒーを飲みながらパソコンに向かっている。
愛美の後ろ姿を見ながら、夕べまであんなに甘えていたのにと、緒川支部長は苦笑いを浮かべた。
二人きりの時、愛美は猫のように甘えたりすましたりして『政弘さん』を翻弄する。
職場では、頼れる内勤事務員として、テキパキと手際よく仕事をこなす。
今の二人は、仕事とプライベートをキチンと分けているからこそ、ちょうどいい距離感が保てているのかも知れない。
そんなことを思いながら、緒川支部長はポケットから小銭を取り出し、自販機で缶コーヒーを買って支部長席に戻った。
翌日。
いつもより朝早く目覚めた愛美は、思い立ってお弁当を作る事にした。
特別手の込んだ料理を作るわけでもなく、卵やウインナーを焼いて、野菜室に残っていた野菜と半端に残っていたしゃぶしゃぶ用の豚肉で、簡単な肉野菜炒めを作った。
白い御飯の上に、梅干しを乗せてシソふりかけをかける。
たまに食事の支度が億劫な時に使っていたシソふりかけを、久しぶりに使ったなと思う。
(ああそうか。政弘さんと付き合いはじめてからは、ちゃんと夕飯の支度をしてるから)
その日の朝礼で、職員たちは緒川支部長の一言に戦々恐々として、顔を引きつらせた。
今週の木曜と金曜は慰安旅行だ。
その翌週には締め切りが待っている。
増産月後の今月、一部を除いた職員たちはやけにのんびりしていた。
よって、支部の営業成績は芳しくない。
既に目標を達成した数人と、今日明日中に目標達成見込みのある者以外の職員に対し、「翌週の締め切りまでに目標に届く見込みはあるのか」と、緒川支部長は冷たい笑みを浮かべながら言った。
「目標を達成できそうにない者は、慰安旅行には行かず出社しろ。そうなると、もちろん俺も支部に残留だ。慰安旅行が楽しみだな」
その言葉に縮み上がった該当者のオバサマたちは、朝礼が終わるや否や、あちこちに電話を掛けたり、職域の見込み客向けの資料を慌てて作り始めた。
愛美は内勤席でその様子を見ながら、二人でいる時はあんなに甘くて優しいのに、職場では相変わらず鬼の俺様上司だなとため息をついた。
「オメデタなんでしょ?」
「え?」
「菅谷さんよ。いつ生まれるの?二人、結婚するんでしょ?」
質問の意味がやっとわかった健太郎は、吹き出しそうになるのを堪えながら愛美の方を見た。
愛美は『またこれか』と言いたげに、うんざりした顔をして額に手を当てている。
「だってさ、愛美。俺にも教えてくれよ」
「もう……」
(健太郎のやつ……面白がってるな?)
愛美はコーヒーを一口飲んでため息をついた。
「生まれないし、結婚もしません。そもそも私たちは付き合ってません」
「えっ?オーナーの店で結婚式の話をしてたんじゃないの?」
「あれは……幼馴染みの友達が結婚するから、式の事でいろいろ相談に乗ってただけですよ」
「なーんだ、そういう事……。良かったですね、支部長」
(えっ、支部長?!)
愛美が慌てて振り返ると、いつの間にか緒川支部長がすぐ後ろに立っていた。
緒川支部長は眉間にシワを寄せて、仏頂面をしている。
(デジャヴ……?いつかもこんな事があったような……)
愛美は慌てて立ち上がった。
「おかえりなさい、お疲れ様です」
「ただいま……。みんな随分楽しそうだな。それだけの余裕があるって事は、今日の夕礼はさぞかしいい話が聞けるんだろうな」
緒川支部長はポケットの中で小銭をチャリチャリ鳴らしながら、ニヤリと笑った。
(目が笑ってないよ!)
緒川支部長の威圧的な笑みに怯んだオバサマたちは、慌てて立ち上がった。
「あーっと、こんな時間!今からもう一件行ってきます!」
「私も行ってきます!!」
蜘蛛の子を散らすようにそそくさと退散するオバサマたちに向かって、緒川支部長は声をあげる。
「気を付けてな!夕礼までには戻って来いよ!」
その様子を見て、健太郎は我慢ができず吹き出した。
「仕事中は鬼なんですね。すみません、皆さんのお仕事の邪魔しちゃって。俺も緒川さんに怒鳴られないうちに退散します」
健太郎は支部を出る直前で振り返り、緒川支部長に笑いかけた。
「明日、弁当の試作を作ります。特別料金で半額にしますから、良かったら緒川さんもいかがです?」
「ん……?ああ、それじゃお願いしようかな」
「楽しみにしてて下さい」
やけに楽しそうに笑って去っていく健太郎に、緒川支部長は一抹の不安を覚えた。
休憩スペースには誰もいなくなった。
さっきまでおしゃべりにいそしんでいたオバサマたちは、すっかり保険のセールスレディの顔をして、「行ってきます」と元気に支部を出ていく。
そして愛美はいつの間にか、内勤席でコーヒーを飲みながらパソコンに向かっている。
愛美の後ろ姿を見ながら、夕べまであんなに甘えていたのにと、緒川支部長は苦笑いを浮かべた。
二人きりの時、愛美は猫のように甘えたりすましたりして『政弘さん』を翻弄する。
職場では、頼れる内勤事務員として、テキパキと手際よく仕事をこなす。
今の二人は、仕事とプライベートをキチンと分けているからこそ、ちょうどいい距離感が保てているのかも知れない。
そんなことを思いながら、緒川支部長はポケットから小銭を取り出し、自販機で缶コーヒーを買って支部長席に戻った。
翌日。
いつもより朝早く目覚めた愛美は、思い立ってお弁当を作る事にした。
特別手の込んだ料理を作るわけでもなく、卵やウインナーを焼いて、野菜室に残っていた野菜と半端に残っていたしゃぶしゃぶ用の豚肉で、簡単な肉野菜炒めを作った。
白い御飯の上に、梅干しを乗せてシソふりかけをかける。
たまに食事の支度が億劫な時に使っていたシソふりかけを、久しぶりに使ったなと思う。
(ああそうか。政弘さんと付き合いはじめてからは、ちゃんと夕飯の支度をしてるから)
その日の朝礼で、職員たちは緒川支部長の一言に戦々恐々として、顔を引きつらせた。
今週の木曜と金曜は慰安旅行だ。
その翌週には締め切りが待っている。
増産月後の今月、一部を除いた職員たちはやけにのんびりしていた。
よって、支部の営業成績は芳しくない。
既に目標を達成した数人と、今日明日中に目標達成見込みのある者以外の職員に対し、「翌週の締め切りまでに目標に届く見込みはあるのか」と、緒川支部長は冷たい笑みを浮かべながら言った。
「目標を達成できそうにない者は、慰安旅行には行かず出社しろ。そうなると、もちろん俺も支部に残留だ。慰安旅行が楽しみだな」
その言葉に縮み上がった該当者のオバサマたちは、朝礼が終わるや否や、あちこちに電話を掛けたり、職域の見込み客向けの資料を慌てて作り始めた。
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