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独り歩きする噂
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オバサマたちは彩り鮮やかな押し寿司に目を輝かせている。
愛美が押し寿司を眺めていると、健太郎が愛美の耳元に顔を寄せた。
「愛美、誕生日おめでとう」
「覚えてたの?」
もう何年も一緒にお祝いなどしていないのに、健太郎が誕生日を覚えていてくれた事に愛美は驚いた。
「忘れるわけないだろう。昔、愛美の誕生日パーティーでさ、おばさんがいつもケーキみたいな押し寿司作ってくれたじゃん。愛美は子どもの頃から甘い物が苦手だったもんな」
「そうだね。すごく懐かしい」
子どもの頃は毎年、誕生日を幼馴染みと一緒にお祝いした。
愛美の母親はケーキが苦手な愛美のために、子どもたちが喜ぶようにと、ケーキに見立てた綺麗な押し寿司を作ってくれた。
大人になるとそんな誕生日パーティーもしなくなったので、誕生日にはいつも母の作ってくれたケーキのような押し寿司があった事を、愛美は忘れかけていた。
この歳になってまた同じように、幼馴染みの健太郎が祝ってくれた事は、驚くと同時に照れくさくもあるけれど、素直に嬉しかった。
「彼女だったらもっといろいろしてやるんだけどな。幼馴染みだからこれくらいでいいか?」
「じゅうぶんだよ。ありがとね」
健太郎は愛美の頭をポンポンと軽く叩き、笑って座敷を後にした。
(いくつになっても、こういう所は変わらないんだな……)
愛美はそんな事を思いながら、健太郎の作ってくれた押し寿司を口に運んだ。
それはどこか懐かしく、優しい味がした。
みんなが美味しそうに押し寿司を食べていると緒川支部長が戻ってきた。
「ん?こんなのあったっけ?」
緒川支部長が押し寿司を指差して佐藤さんに尋ねた。
「オーナーからのサービスですって。支部長もどうぞ」
佐藤さんは小皿に押し寿司を取り分けて緒川支部長に手渡す。
その様子を視界の端にとらえながら、愛美は黙々と押し寿司を食べた。
(みんなの前で誕生日とか言うと、また特別扱いみたいでみんなに冷やかされるって思ったから、サービスって言ったのかな?)
取り分けられた押し寿司は、もうケーキのような形をしていない。
緒川支部長は何も気付くそぶりを見せず、ただ普通に佐藤さんから受け取った押し寿司を食べている。
(せめて誕生日くらいは一緒にいてくれたらなって思ってたけど……今日が私の誕生日だって事も、忘れちゃったのかな……)
歓迎会がお開きになり、何人かがカラオケに行って二次会をしようと言い出した。
緒川支部長と高瀬FPは、二次会に行こうとオバサマたちに囲まれている。
佐藤さんも二次会に参加するようだ。
愛美も誘われたけれど、断って帰る事にした。
これ以上佐藤さんと一緒にいる緒川支部長を見ていても、きっと虚しくなるだけだ。
愛美は店の前でみんなと別れ、電車に乗り、暗い夜道を歩いて一人家路に就いた。
自宅に帰った愛美は、一人でお酒でも飲もうかと冷蔵庫を開けたけれど、とてもそんな気分にはなれずミネラルウォーターで喉の渇きを癒した。
住み慣れたはずの一人暮らしの部屋は、やけに広く静かに感じられた。
祝ってもらいたい人のいない誕生日は、いつもと変わりなく時間が過ぎていく。
今頃きっと『政弘さん』は恋人の誕生日も忘れて、緒川支部長の顔で職員たちに囲まれ、佐藤さんと一緒に二次会に参加しているはずだ。
(もう子どもじゃないんだし、誕生日祝ってもらうような歳でもないか……。お風呂入ってさっさと寝ちゃおう……)
バスタブにお湯を張って、いつもは使わないバスソルトを入れた。
花の香りのする淡いピンク色のお湯に体を浸して目を閉じる。
(ひとりぼっちの誕生日か……)
贅沢なんてしなくてもいい。
プレゼントも何もいらない。
ただ『政弘さん』がここにいて、大好きだよと笑ってくれたら、それだけで良かったのに。
(誕生日を忘れちゃうくらい、私の事なんかどうでも良くなっちゃったのかな……)
じわりと浮かんで溢れた涙が頬を伝い、ピンク色のお湯の中にポトリと落ちた。
『愛美にとって……俺ってなんなの?』
不意に『政弘さん』の言葉が脳裏を掠めた。
(なんなの?って……なんでわかんないの?……っていうか、逆に聞きたいくらいだよ……。今の私、政弘さんのなんなの?)
仕事中の彼は嫌いだと思っていたはずなのに、緒川支部長が佐藤さんと一緒にいるところを見て、不安になったり嫉妬したりした。
上司と部下なのだから、どんなに無茶な仕事を押し付けられて腹が立っても、仕事だから仕方ないと割り切れる。
だけど仕事中であっても、避けられたり嫌われたりするのは、つらい。
どんなを格好していても、彼が『政弘さん』である事はたしかなのだから。
愛美が押し寿司を眺めていると、健太郎が愛美の耳元に顔を寄せた。
「愛美、誕生日おめでとう」
「覚えてたの?」
もう何年も一緒にお祝いなどしていないのに、健太郎が誕生日を覚えていてくれた事に愛美は驚いた。
「忘れるわけないだろう。昔、愛美の誕生日パーティーでさ、おばさんがいつもケーキみたいな押し寿司作ってくれたじゃん。愛美は子どもの頃から甘い物が苦手だったもんな」
「そうだね。すごく懐かしい」
子どもの頃は毎年、誕生日を幼馴染みと一緒にお祝いした。
愛美の母親はケーキが苦手な愛美のために、子どもたちが喜ぶようにと、ケーキに見立てた綺麗な押し寿司を作ってくれた。
大人になるとそんな誕生日パーティーもしなくなったので、誕生日にはいつも母の作ってくれたケーキのような押し寿司があった事を、愛美は忘れかけていた。
この歳になってまた同じように、幼馴染みの健太郎が祝ってくれた事は、驚くと同時に照れくさくもあるけれど、素直に嬉しかった。
「彼女だったらもっといろいろしてやるんだけどな。幼馴染みだからこれくらいでいいか?」
「じゅうぶんだよ。ありがとね」
健太郎は愛美の頭をポンポンと軽く叩き、笑って座敷を後にした。
(いくつになっても、こういう所は変わらないんだな……)
愛美はそんな事を思いながら、健太郎の作ってくれた押し寿司を口に運んだ。
それはどこか懐かしく、優しい味がした。
みんなが美味しそうに押し寿司を食べていると緒川支部長が戻ってきた。
「ん?こんなのあったっけ?」
緒川支部長が押し寿司を指差して佐藤さんに尋ねた。
「オーナーからのサービスですって。支部長もどうぞ」
佐藤さんは小皿に押し寿司を取り分けて緒川支部長に手渡す。
その様子を視界の端にとらえながら、愛美は黙々と押し寿司を食べた。
(みんなの前で誕生日とか言うと、また特別扱いみたいでみんなに冷やかされるって思ったから、サービスって言ったのかな?)
取り分けられた押し寿司は、もうケーキのような形をしていない。
緒川支部長は何も気付くそぶりを見せず、ただ普通に佐藤さんから受け取った押し寿司を食べている。
(せめて誕生日くらいは一緒にいてくれたらなって思ってたけど……今日が私の誕生日だって事も、忘れちゃったのかな……)
歓迎会がお開きになり、何人かがカラオケに行って二次会をしようと言い出した。
緒川支部長と高瀬FPは、二次会に行こうとオバサマたちに囲まれている。
佐藤さんも二次会に参加するようだ。
愛美も誘われたけれど、断って帰る事にした。
これ以上佐藤さんと一緒にいる緒川支部長を見ていても、きっと虚しくなるだけだ。
愛美は店の前でみんなと別れ、電車に乗り、暗い夜道を歩いて一人家路に就いた。
自宅に帰った愛美は、一人でお酒でも飲もうかと冷蔵庫を開けたけれど、とてもそんな気分にはなれずミネラルウォーターで喉の渇きを癒した。
住み慣れたはずの一人暮らしの部屋は、やけに広く静かに感じられた。
祝ってもらいたい人のいない誕生日は、いつもと変わりなく時間が過ぎていく。
今頃きっと『政弘さん』は恋人の誕生日も忘れて、緒川支部長の顔で職員たちに囲まれ、佐藤さんと一緒に二次会に参加しているはずだ。
(もう子どもじゃないんだし、誕生日祝ってもらうような歳でもないか……。お風呂入ってさっさと寝ちゃおう……)
バスタブにお湯を張って、いつもは使わないバスソルトを入れた。
花の香りのする淡いピンク色のお湯に体を浸して目を閉じる。
(ひとりぼっちの誕生日か……)
贅沢なんてしなくてもいい。
プレゼントも何もいらない。
ただ『政弘さん』がここにいて、大好きだよと笑ってくれたら、それだけで良かったのに。
(誕生日を忘れちゃうくらい、私の事なんかどうでも良くなっちゃったのかな……)
じわりと浮かんで溢れた涙が頬を伝い、ピンク色のお湯の中にポトリと落ちた。
『愛美にとって……俺ってなんなの?』
不意に『政弘さん』の言葉が脳裏を掠めた。
(なんなの?って……なんでわかんないの?……っていうか、逆に聞きたいくらいだよ……。今の私、政弘さんのなんなの?)
仕事中の彼は嫌いだと思っていたはずなのに、緒川支部長が佐藤さんと一緒にいるところを見て、不安になったり嫉妬したりした。
上司と部下なのだから、どんなに無茶な仕事を押し付けられて腹が立っても、仕事だから仕方ないと割り切れる。
だけど仕事中であっても、避けられたり嫌われたりするのは、つらい。
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