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昔の恋人、今の想い
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10時半過ぎ。
緒川支部長は佐藤さんを助手席に乗せて車を走らせていた。
車に乗ってから一言も話さず、険しい顔をしてハンドルを握る緒川支部長の横顔を見つめて、佐藤さんはたまらず笑いだした。
「さっきのあれは……菅谷さんへのあてつけ?」
「……なんの事だ」
そう言いながらも緒川支部長は、そこはかとなくバツが悪そうな顔をしている。
「菅谷さんに聞かせたいのかと思って乗っかってみたけど……ひろくん、私にあんなふうに言った事なかったでしょ?すごく白々しかった」
「なんだそれ……。俺だって、いつまでもあの頃と同じのガキじゃない」
「そうね。たしかにあの頃と同じじゃない……。ひろくんも私も、いい歳の大人になった」
佐藤さんは窓の外を眺めながら呟いた。
そして少し寂しそうな顔をした。
「昔のひろくんは、私が他の男の子と仲良くしてても、そんなふうにヤキモチ妬いてジタバタしたりはしてくれなかったね。正直言うと、菅谷さんが少し羨ましい……」
緒川支部長は佐藤さんの言葉を聞きながら、黙ったまま前を向いて車を走らせた。
昔、付き合って半年近く経った頃、佐藤さんに近付く男が現れた。
その男が佐藤さんを好きだった事にも、佐藤さんが自分との関係に悩み始めていた事にも気付いていた。
『私の事、本当に好きなの?』
そう尋ねられた時、何も答える事ができず、そのまま自然消滅に近い形で別れた。
彼女の事はきっと好きだとは思ったけれど、本当に好きなのかと聞かれると、何も答えられなかった。
人を本気で好きになるという事の意味がわからず、それを恋と呼べるのかどうかもわからないまま、初めての恋は終わった。
恋人同士がどう過ごすのか、関係を深めるプロセスを教えてくれたのは、間違いなく彼女だった。
だけど大人になった今になってみると、心はどこかに置き去りにされていたような気がする。
12年も経った今になって、若かったあの頃の初めての恋人にまた出会うとは、1ミリたりとも思っていなかった。
ほんの少しの間とは言え、恋人として一緒に過ごした彼女に懐かしさはあるものの、今更好きとか恋とかいう感情は微塵もない。
初めて愛美と出会った日のときめきとか、偶然愛美と再会した日の胸の高鳴りとか、勤めている会社の新入社員の中に愛美を見つけた時に感じた運命的なものとか、愛美に感じた自分ではどうにもできないほどの、心をかき乱されるような感情は彼女との間にはなかったし、再会した今もそれは変わらない。
愛美の本心を知りたいとあんなに思っていたはずなのに、気が付けば自分の愛美への想いを改めて思い知らされる。
いい歳をしてヤキモチを妬いたり、自分のために泣いたり取り乱したりしてくれるのかと試そうとしたり、中身は覚えたての恋にうろたえる子供みたいだ。
(なんだかんだ言って、愛美以上に好きになれる相手なんかいないのに……。俺、なにやってんだろ……)
みっともない事をしているなと思いながらも、歳を重ねた分だけプライドが邪魔して、素直になれない。
素直に一言『ごめん』と謝って、『愛してる』と言って抱きしめられたら、愛美はずっと笑ってそばにいてくれるだろうか?
その日、佐藤さんの同行を終えて支部に戻ってきた緒川支部長が、愛美と目を合わせる事も、話す事も一度もなかった。
定時になると仕事を終えた愛美は、バッグと弁当箱を持って、さっさと支部を後にした。
愛美は更衣室で着替えを済ませ、健太郎に言われた通り、『居酒屋 やまねこ』を訪れた。
まだ時間も早い事から、店内は客の姿もなくガランとしている。
「ビールでも飲むか?」
「酔ってまた転んだらイヤだから、今日はお酒はやめとく。オレンジジュースちょうだい」
愛美はオレンジジュースを飲みながら、健太郎に支部のオバサマたちに頼まれた新人の歓迎会の話をした。
せっかくすぐそばに愛美の幼馴染みの店ができたのだから、そこで新人の歓迎会を開こうと誰かが言い出したのだ。
予定は今週の金曜日。
幼馴染みのよしみで、格安にしてくれるように頼んで欲しいと言われた。
健太郎はその話を快諾して、歓迎会の予算や提供する料理は何がいいかと相談した。
「車通勤の人とか、あまりお酒に強くない人が多いから、お茶とかソフトドリンクは多めに用意しておいた方がいいかも」
「よし、わかった」
「あと、料理はあまり脂っこくないほうが喜ばれるかも……」
「あっさり系の料理がいいのか。よし、わかった」
由香と武が店に来るまでの間、ジュースを飲みながら歓迎会の打ち合わせをした。
(そういえば……最近は外でお酒飲んでないな)
緒川支部長は佐藤さんを助手席に乗せて車を走らせていた。
車に乗ってから一言も話さず、険しい顔をしてハンドルを握る緒川支部長の横顔を見つめて、佐藤さんはたまらず笑いだした。
「さっきのあれは……菅谷さんへのあてつけ?」
「……なんの事だ」
そう言いながらも緒川支部長は、そこはかとなくバツが悪そうな顔をしている。
「菅谷さんに聞かせたいのかと思って乗っかってみたけど……ひろくん、私にあんなふうに言った事なかったでしょ?すごく白々しかった」
「なんだそれ……。俺だって、いつまでもあの頃と同じのガキじゃない」
「そうね。たしかにあの頃と同じじゃない……。ひろくんも私も、いい歳の大人になった」
佐藤さんは窓の外を眺めながら呟いた。
そして少し寂しそうな顔をした。
「昔のひろくんは、私が他の男の子と仲良くしてても、そんなふうにヤキモチ妬いてジタバタしたりはしてくれなかったね。正直言うと、菅谷さんが少し羨ましい……」
緒川支部長は佐藤さんの言葉を聞きながら、黙ったまま前を向いて車を走らせた。
昔、付き合って半年近く経った頃、佐藤さんに近付く男が現れた。
その男が佐藤さんを好きだった事にも、佐藤さんが自分との関係に悩み始めていた事にも気付いていた。
『私の事、本当に好きなの?』
そう尋ねられた時、何も答える事ができず、そのまま自然消滅に近い形で別れた。
彼女の事はきっと好きだとは思ったけれど、本当に好きなのかと聞かれると、何も答えられなかった。
人を本気で好きになるという事の意味がわからず、それを恋と呼べるのかどうかもわからないまま、初めての恋は終わった。
恋人同士がどう過ごすのか、関係を深めるプロセスを教えてくれたのは、間違いなく彼女だった。
だけど大人になった今になってみると、心はどこかに置き去りにされていたような気がする。
12年も経った今になって、若かったあの頃の初めての恋人にまた出会うとは、1ミリたりとも思っていなかった。
ほんの少しの間とは言え、恋人として一緒に過ごした彼女に懐かしさはあるものの、今更好きとか恋とかいう感情は微塵もない。
初めて愛美と出会った日のときめきとか、偶然愛美と再会した日の胸の高鳴りとか、勤めている会社の新入社員の中に愛美を見つけた時に感じた運命的なものとか、愛美に感じた自分ではどうにもできないほどの、心をかき乱されるような感情は彼女との間にはなかったし、再会した今もそれは変わらない。
愛美の本心を知りたいとあんなに思っていたはずなのに、気が付けば自分の愛美への想いを改めて思い知らされる。
いい歳をしてヤキモチを妬いたり、自分のために泣いたり取り乱したりしてくれるのかと試そうとしたり、中身は覚えたての恋にうろたえる子供みたいだ。
(なんだかんだ言って、愛美以上に好きになれる相手なんかいないのに……。俺、なにやってんだろ……)
みっともない事をしているなと思いながらも、歳を重ねた分だけプライドが邪魔して、素直になれない。
素直に一言『ごめん』と謝って、『愛してる』と言って抱きしめられたら、愛美はずっと笑ってそばにいてくれるだろうか?
その日、佐藤さんの同行を終えて支部に戻ってきた緒川支部長が、愛美と目を合わせる事も、話す事も一度もなかった。
定時になると仕事を終えた愛美は、バッグと弁当箱を持って、さっさと支部を後にした。
愛美は更衣室で着替えを済ませ、健太郎に言われた通り、『居酒屋 やまねこ』を訪れた。
まだ時間も早い事から、店内は客の姿もなくガランとしている。
「ビールでも飲むか?」
「酔ってまた転んだらイヤだから、今日はお酒はやめとく。オレンジジュースちょうだい」
愛美はオレンジジュースを飲みながら、健太郎に支部のオバサマたちに頼まれた新人の歓迎会の話をした。
せっかくすぐそばに愛美の幼馴染みの店ができたのだから、そこで新人の歓迎会を開こうと誰かが言い出したのだ。
予定は今週の金曜日。
幼馴染みのよしみで、格安にしてくれるように頼んで欲しいと言われた。
健太郎はその話を快諾して、歓迎会の予算や提供する料理は何がいいかと相談した。
「車通勤の人とか、あまりお酒に強くない人が多いから、お茶とかソフトドリンクは多めに用意しておいた方がいいかも」
「よし、わかった」
「あと、料理はあまり脂っこくないほうが喜ばれるかも……」
「あっさり系の料理がいいのか。よし、わかった」
由香と武が店に来るまでの間、ジュースを飲みながら歓迎会の打ち合わせをした。
(そういえば……最近は外でお酒飲んでないな)
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