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6話
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ピィッ
笛の音とともに三人がスタートを切る。今日は出席番号の遅い順から走るようで、俺の番は最後に近い。
里帆は三番目にスタートを切り、その二つ後に光輝がスタートを切った。
スタート地点にあった長い列は、いつの間にかゴール地点に伸びている。
「次、遠藤さん、岩井さん、石崎くん、」
ゴールにいる田中先生が叫ぶ。「よーい」という声とともに、笛を口元に近づける。
ふと、三階に目を向ける。このタイミングでなぜ顔を向けたかは分からない。俺の視線の先、三階の六年生の教室に囲まれた二つの窓。その窓から、あの化け物がこちらを見ていた。体の全ての毛が逆立つ。
ビィッ
しまった。
化け物に気がそれてスタートが遅れる。半分よろけながら一歩目を踏み出す。何とか体制を立て直して足の回転を早める。それでも、普段の俺のスピードは出なかった。
俺はリレー選抜に選ばれることはないにしろ、足の速さではこのクラスでは上位に入る。自分では、足は速いと言う自覚はあった。
しかし、いざゴールラインを踏んでみれば下から数えた方が早いタイムであった。田中先生は何があったのかと俺を見ている。
息を切らしながら下を俯いていると、笛の音とともに最後の四人が走り出した。「がんばれー」と言う声が周りで聞こえる。今までもこの声援はあったのだろうか。今までの授業を思い返してみると、たしかに応援はあった。今日の授業も、俺が走っている時にも声援はあったのだろう。しかし、全く気が付かなかった。
声援の中、光輝が歩いて来る。きっと何か言われるのだろう。ビビりとか、弱虫とか。
しかし、予想に反して光輝は俺のことを心配してくれていた。
「おい、お前そんな足遅かったか?」
「今日は調子悪かったんだよ」
「そうだよな。昨日の話、やっぱり本当だったのか?」
光輝はようやく信じてくれているようだった。きっと普段の俺と違うことに気がついたのだろう。昼休み、俺のことを心配して駆け寄って来てくれたことを思い出した。
そうか、光輝はずっと前から気がついていたんだ。俺はそんな光輝がかっこよく思えた。
しかし、昨日のことがあったから足が遅くなったとか。恐怖体験が普段の俺を変えているとか。そんなことを思われたくなかった。だから、関係ないと言って誤魔化してしまう。
「昨日のことは関係ねぇよ。ただ腹が痛かっただけだ」
思わずそう言った俺の顔を見て、光輝は笑い始めた。
「そんなわけないよな!お前そんな怖がりじゃないもんな!」
心が痛くなった。
夕食。
今日はチャーハンと餃子だ。
「おにいちゃん、昨日何かあったの?」
真里が心配そうに見て来る。
帰って来るなりトイレに籠り、出てきたと思ったらズボンが濡れている。小学五年生にもなってそんなことがあれば、心配しない人はいない。
「友達に嫌なことされたんじゃない?大丈夫?」
お母さんも心配になっているのか、箸を置いて俺をみる。
「何でもないよ。気にしないでいいから」と、そう言うしかなかった。
お母さんは気になる顔をしつつも、話題を変える。単身赴任しているお父さんのことだった。
「今度の日曜日、お父さん帰って来るみたいよ」
「やったー!おとうさん帰って来る!」
真里が喜ぶ。
お父さんが最後に帰ってきたのは、ちょうど3ヶ月前だったと思う。熊本県の職場で働くお父さんは帰って来るだけでも時間がかかる。だから、普段の週末は帰って来ることはない。何かの記念日がある時や、一時的に東京の本社に行く時、まとまった休みが取れた時にしか帰ってこないのだ。
「今回は東京の本社に行くみたいよ」
「えー。じゃああんまり会えないじゃん」
真里がしかめっ面をする。
それもそうだ。本社に行く時は、大抵飲み会とか接待で帰って来るのが遅い。俺たちが起きている時間に帰って来ることすら難しいだろう。
「けんちゃんもそんな顔しないの」
お母さんに言われて気がつく。実は俺もお父さんに会いたいのだ。
「ピアノの調子どうだって言ってたわよ?お父さんも発表会楽しみにしているって」
今度は自分でも分かるくらい嫌な顔になる。
「おにいちゃんそんな顔しないの!」
真里がお母さんの真似をする。
「うるせぇ」と一蹴した後、俺は黙って餃子を口に放り込んだ。
ピアノの発表会。参加の申し込みは始まっているのだが、まだ申し込んでいない。
お母さんが見かねて俺に言う。
「発表会、どうするの?」
俺は下を向いたままチャーハンを口に運ぶ。
「お父さんも楽しみにしているんだし、もう一回頑張ってみたら?」
俺は何も言わない。いや、言えなかった。
真里がそんな俺を面白がったのか、イタズラっぽく言う。
「おにいちゃん楽譜忘れるの怖いんでしょ!」
「こら、まりちゃんもそんなこと言わないの」
お母さんはすぐに俺のことを庇ってくれた。
しかし実際、真里の言うことは図星であった。
笛の音とともに三人がスタートを切る。今日は出席番号の遅い順から走るようで、俺の番は最後に近い。
里帆は三番目にスタートを切り、その二つ後に光輝がスタートを切った。
スタート地点にあった長い列は、いつの間にかゴール地点に伸びている。
「次、遠藤さん、岩井さん、石崎くん、」
ゴールにいる田中先生が叫ぶ。「よーい」という声とともに、笛を口元に近づける。
ふと、三階に目を向ける。このタイミングでなぜ顔を向けたかは分からない。俺の視線の先、三階の六年生の教室に囲まれた二つの窓。その窓から、あの化け物がこちらを見ていた。体の全ての毛が逆立つ。
ビィッ
しまった。
化け物に気がそれてスタートが遅れる。半分よろけながら一歩目を踏み出す。何とか体制を立て直して足の回転を早める。それでも、普段の俺のスピードは出なかった。
俺はリレー選抜に選ばれることはないにしろ、足の速さではこのクラスでは上位に入る。自分では、足は速いと言う自覚はあった。
しかし、いざゴールラインを踏んでみれば下から数えた方が早いタイムであった。田中先生は何があったのかと俺を見ている。
息を切らしながら下を俯いていると、笛の音とともに最後の四人が走り出した。「がんばれー」と言う声が周りで聞こえる。今までもこの声援はあったのだろうか。今までの授業を思い返してみると、たしかに応援はあった。今日の授業も、俺が走っている時にも声援はあったのだろう。しかし、全く気が付かなかった。
声援の中、光輝が歩いて来る。きっと何か言われるのだろう。ビビりとか、弱虫とか。
しかし、予想に反して光輝は俺のことを心配してくれていた。
「おい、お前そんな足遅かったか?」
「今日は調子悪かったんだよ」
「そうだよな。昨日の話、やっぱり本当だったのか?」
光輝はようやく信じてくれているようだった。きっと普段の俺と違うことに気がついたのだろう。昼休み、俺のことを心配して駆け寄って来てくれたことを思い出した。
そうか、光輝はずっと前から気がついていたんだ。俺はそんな光輝がかっこよく思えた。
しかし、昨日のことがあったから足が遅くなったとか。恐怖体験が普段の俺を変えているとか。そんなことを思われたくなかった。だから、関係ないと言って誤魔化してしまう。
「昨日のことは関係ねぇよ。ただ腹が痛かっただけだ」
思わずそう言った俺の顔を見て、光輝は笑い始めた。
「そんなわけないよな!お前そんな怖がりじゃないもんな!」
心が痛くなった。
夕食。
今日はチャーハンと餃子だ。
「おにいちゃん、昨日何かあったの?」
真里が心配そうに見て来る。
帰って来るなりトイレに籠り、出てきたと思ったらズボンが濡れている。小学五年生にもなってそんなことがあれば、心配しない人はいない。
「友達に嫌なことされたんじゃない?大丈夫?」
お母さんも心配になっているのか、箸を置いて俺をみる。
「何でもないよ。気にしないでいいから」と、そう言うしかなかった。
お母さんは気になる顔をしつつも、話題を変える。単身赴任しているお父さんのことだった。
「今度の日曜日、お父さん帰って来るみたいよ」
「やったー!おとうさん帰って来る!」
真里が喜ぶ。
お父さんが最後に帰ってきたのは、ちょうど3ヶ月前だったと思う。熊本県の職場で働くお父さんは帰って来るだけでも時間がかかる。だから、普段の週末は帰って来ることはない。何かの記念日がある時や、一時的に東京の本社に行く時、まとまった休みが取れた時にしか帰ってこないのだ。
「今回は東京の本社に行くみたいよ」
「えー。じゃああんまり会えないじゃん」
真里がしかめっ面をする。
それもそうだ。本社に行く時は、大抵飲み会とか接待で帰って来るのが遅い。俺たちが起きている時間に帰って来ることすら難しいだろう。
「けんちゃんもそんな顔しないの」
お母さんに言われて気がつく。実は俺もお父さんに会いたいのだ。
「ピアノの調子どうだって言ってたわよ?お父さんも発表会楽しみにしているって」
今度は自分でも分かるくらい嫌な顔になる。
「おにいちゃんそんな顔しないの!」
真里がお母さんの真似をする。
「うるせぇ」と一蹴した後、俺は黙って餃子を口に放り込んだ。
ピアノの発表会。参加の申し込みは始まっているのだが、まだ申し込んでいない。
お母さんが見かねて俺に言う。
「発表会、どうするの?」
俺は下を向いたままチャーハンを口に運ぶ。
「お父さんも楽しみにしているんだし、もう一回頑張ってみたら?」
俺は何も言わない。いや、言えなかった。
真里がそんな俺を面白がったのか、イタズラっぽく言う。
「おにいちゃん楽譜忘れるの怖いんでしょ!」
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お母さんはすぐに俺のことを庇ってくれた。
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