脆くて危うい

ぜろ

文字の大きさ
上 下
1 / 1

出会い

しおりを挟む
「はーい、今日はここまでー。終わらなかった人は、次回の授業までに終わらせて来てねー。」
チャイムの音と同時に、数学担当の白井先生がそう言った。
私は広げた教科書を閉じ、机の中にしまった。
座っていた席を立ち、教室を出ようとしたその時「あ、佐藤さんはちょっと残ってー。」と先生が手を挙げた。
「…はい。」
私はため息を吐いて、先生に近寄った。
「今日は何ですか。」
「あー、うーん。これ数学準備室まで、運ぶの手伝って欲しいんだけど。」
先生は、私たちが提出したプリントを指差した。
「…わかりました。」
私は教卓に散らばっているプリントをまとめ、手に持った。
「持つ物、これだけでいいですか?」
「うん。助かるよー。」
そう言って教室を出た先生の後ろを追うように、私も廊下に出た。
私は先生の一歩後ろを、歩き続けた。
「ここに置いていいですか?」
「うん、いいよー。」
私は先生のデスクの上に、プリントを置いた。
「ありがとねー。」
先生はそう言って、椅子に座った。
「これくらい一人で運べますよね?いちいち私に頼まないで下さいよ。」
私はデスクの後ろにあるソファーに、腰掛けた。
「んー?だってこうでもしないと、俺と全然話してくれないじゃん。」
先生は少し拗ねた顔をしながら、椅子にもたれた。
「なんですか、それ。」
私は深いため息を吐いた。
「仮にも教師と生徒ですよ。もう少し慎んだ行動をしてください。」
私は眉間にシワを寄せ、地面を見た。
「まぁーそうなんだけどさー。」
白井先生は頬杖をつきながら、小さく息を吐いた。
「変な噂されて困るのは、先生の方なんですから。」
「俺の心配してくれるの?沙織ちゃん優しいねー。」
「…。」
全く話しが噛み合わないこの先生と出会ったのは、今から一ヶ月前のことだった。
私が一人でお弁当を食べていた時に、先生が声をかけてきたのが始まりだった。
「美味しそうな弁当食ってるねー。」
そう言った先生は、なんの断りもなく私の目の前にしゃがみ込んだ。
「俺なんて今日もコンビニだよ?可哀想すぎて涙出ちゃう。」
こんな調子で、先生は一人でわけわからない事をペラペラと話していた。
「あの…何か用ですか?」
私は箸を止め、お弁当箱の上に置いた。
「えっもしかして、俺のこと覚えてない?」
先生は頬杖をつきながら、首を傾げた。
「…数学の先生ですよね。えっと名前は…。」
「白井翔真。覚えてよね、佐藤沙織ちゃん。」
先生はそう言って、私の頭を2回叩いた。
「それセクハラになりますよ。」
私は頭の上にある、先生の手を退けた。
「え!?頭ポンポンってされるの、嬉しいんじゃないの?」
先生は少し驚いた顔をし「ネットにそう書いてあったんだけどなぁ。」と小声で言った。
「ネットに書いてあることを、鵜呑みにしてどうするんですか…。」
私はそう言って少し俯いた。
「…あれ?そう言う割に、顔赤くなってんじゃん。」
先生はニヤリと笑って、私の顔を覗き込んだ。
「これは違いますから…!」
私は自分の頬を手で押さえた。
「そうかそうかー。そういう事にしといてあげるよ。」
「とにかく違いますから…!」
私が顔を上げ、白井先生を見たその時、校舎にチャイムの音が鳴り響いた。
「おっと。もうこんな時間か。」
先生は服をまくり、腕時計を見た。
「あっそうだ。次の休み時間、数学準備室にきて。」
「…何でですか。」
私は少し睨みつけるように、白井先生を見上げた。
「だって佐藤さん、数学係でしょ?”お手伝い”頼むよ。」
白井先生は立ち上がり、体を伸ばしながら、また少しニヤリと笑った。
「…職権濫用。」
私は小さな声で、ため息を吐きながら呟いた。
「ん?なんか言った?」
先生はまた私の前にしゃがみ込み、顔を覗いてきた。
「…いえ、何も。」
私は驚いて、息を呑んだ。
「じゃぁ、よろしくねー。」
そう言った先生は立ち上がり、歩き出した。
これが私と白井先生の出会いだった。
「にしてもさー、あれ以来全然顔赤くしてくれないよね。なんで?」
先生はデスクに倒れ込んだ。
「あれはただ驚いただけで、ドキドキしたわけではありません。」
私は頑なに否定した。
「えー、そうなの?沙織ちゃん酷い。」
まるで小さな子供かのように、先生は拗ねだした。
「僕には魅力がないって事…?沙織ちゃんは、そう言いたいんでしょ…。」
先生は、謎のメンヘラモードに突入した。
あぁ、めんどくさい。
でもそんな人を無視できないと思うこの気持ちは、もっとめんどくさいです…。
「…私から見たら先生はおじさんです。たとえ先生自身に魅力があろうと、私には響きません。」
私は自分が履いている上履きを、じっと見つめた。
「故に、私が先生にドキドキすることは、今後一切ありません。」
「そんなのわからないじゃん。教師と生徒の前に男と女でしょ。」
先生の声のトーンが、少し下がる。
その声を耳にした今、一瞬だけ時が止まったような気がした。
「…試してみる?」
先生は椅子から腰を上げ、私の方へ近づいてきた。
「…はぁ、何を言ってるんですか。先生がクビになる未来が、今はっきりと見えました。」
私は自分を落ち着かせるためにも、大きなため息を吐いた。
「あはは。厳しいなー。」
先生は私の向かいのソファーに腰をかけ、ヘラヘラ笑っていた。
「そろそろ教室に戻ります。また先生のせいで休み時間が潰れました。」
私はソファーから立ち上がって、先生に背を向けた。
「ごめんごめん。でも佐藤さんさー、この時間嫌いじゃないだろ?」
先生は全て見透かしたような目をして、私に問いかけた。
「…。」
私は少し振り返り、先生の顔を見ては、教室を飛び出した。
また顔が赤くなっているのが、自分でもわかった。
「なんて危うい人…。」
私は足を止め、その場にしゃがみ込んだ。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...