10 / 12
第一章 初依頼、初仕事 一話六千文字
初仕事 4
しおりを挟む
「電撃術式を編んだ奴、絶対に許さねぇからな……」
本日を以て二度目の電撃術式を味わったアレクは、全身を未だに駆け巡る痺れに憤怒の念を感じながら言った。一度目は治癒魔法を行使して麻痺を完全に除去することは叶ったが、流石に二度目は思い通りに事が運ばなかったようである。治癒魔法を得意としないリアには、全然一切全く断じて罪は無い。記憶を呼び起こせば不注意であったアレクが愚かであったし、骸にならなかったのも紛うことなき彼女の手柄である。この初仕事を終えた暁には、感謝として何か褒美を与えねば――とアレクは思う。
万事屋コンビの現在位置は、漆黒色を纏う悪辣なる魔法陣のすぐ傍である。相変わらず悪心を誘うような魔法陣であるが、二度目となっては耐性が是が非でも付いてしまう。しかし、耐性を以てしても嫌悪感は拭えぬ。それは微精霊接続神経の巡りが常人を凌いでいる故か、将又魔法陣そのものが凄まじい邪気を孕んでいる所為か。前者であるか後者であるかどちらにせよ、耐え難い苦痛がリアを襲うはずである。はずであるが……何故であろうか、彼女が顔を顰める様子が見受けられぬ。全種族に於いて死神は頂点に立ち、あらゆる微精霊との干渉が可能だ。
とある空間に五種の微精霊がいると仮定して、塵芥である人類種は例外を含めて一種と干渉ができるだけでもマシである。地精種は二種か三種、森精種は四種か五種。巷で話題となっている吸血種は、摂取した血液で微精霊の性能を強引に湾曲させるため全種。死神は言わずもがな、吸血種同様に全種の微精霊との干渉が可能である。彼女があの魔方陣を前に平然としていられるのは、死神ならでは性能が影響しているのかもしれない。
「短時間で三度も罠に引っ掛かるとは、失望を通り越して哀れみすら湧いてきますよ。もしやアレク、何者かに呪われているのでは?」
「三度の失態は俺の不注意が招いた訳で、呪いは関係ねぇと思うんだが……」
「世間が思っている以上に、呪いというのは恐ろしいものなんですよ。だって、種族の憎悪が生み出す一つの能力ですからね。アレクが自分の不注意で起きたと思っている失態も、もしかすれば呪いかもしれません。感情とは、そういうものなのです。感情は強く逞しく、尚且つ生物に於いて非常に大事な部分。感情がなければそれは骸であり、感情があればそれは種族として仲間入りを果たします。そんな感情が怨恨へ形を変えれば、網目状に張られた因果に影響を齎してもおかしくはないかと」
「……要するに?」
「肉体的な攻撃を物理攻撃というのなら、怨恨などの感情によって引き起こされる攻撃で感情攻撃というものがあってもおかしくないと思います! ほら、どちらも種族を構成するうえで重要ですし!」
よくわからんが、感情というものは呪いすら起こしうるみたいな感じか? ……やっぱりよくわからん、感情スゲー――とアレクは熟考することをやめた。
「あーそうだな。……んで、三階を捜索するか二階を捜索するか……どっちがいいんだ?」
効率面に於いては二手分けが最善の手ではあろうが、はっきり言ってアレクは罠に引っ掛かる気しかしない。微精霊接続神経の過敏性に関しては勿論、一度でも電撃術式らしき魔法陣に掛かればすぐにあの世逝きだ。彼女もそれは当然の如く理解しており、二手のふの字も言わない。
「三階ですね」
「即答だな」
アレクは意外そうに言った。
「気のせいかもしれませんが、邪気が三階に集まっている感じがするんですよね。何でしょうか、微精霊が黒化しているのでしょうか?」
「それは流石にねぇだろ……。微精霊が黒化するって、大戦じゃねぇんだからよ」
微精霊は意思という概念を知らず、干渉は可能であれど会話をすることは不可能である。故に微精霊の状態を知ることができず、微精霊接続神経による多大なる干渉で気付かぬうちに擦り切れてしまうことがあるのだ。凄まじい摩耗によって異常をきたした状態、それが黒化なのである。字面のとおりだ。黒化した微精霊は魔法適正の無い者でも視認できるほどに黒く染まり、触れたものを刹那にして焦がし蝕もうとするのである。だが注意しておくべき点は、彼女の得物である死神の鎌から生じる霧は黒化した微精霊ではないということ。あれは飽くまでも死神種の性質故の産物で、ただ普通に黒霧を出しているだけなのである。
微精霊を黒化させるということは、それほどまでに魔法適正があるという種族がいることになる。
「大戦が終結して最上位種の殆どが滅びましたが、かと言っていないという訳ではないんですよ? 私がこうして生きているように、べらぼうに強い種族がいたってなんら不思議ではありませんって」
「確かにそうだが、そんな種族がこんなど田舎の屋敷に関わること自体おかしいだろ」
「可能性は無限大。こんなど田舎に恐ろしい種族が関わることだってありえますよ。アレクが同性愛に目覚める可能性だって――」
「ねーよ」
可能性が無限大であるという事実を否む気は無いが、アレクはそのふざけた妄想をぶち殺す。
「こんな茶番をする暇はねぇ。さっさと三階へ向かうぞ」
「……はーい」
アレクとリアは三階に行くべく、階段を上った。
――――三階へ到着した。
「相変わらず見回り無しか……笊どころか、中心にポッカリ穴が空いてるレベルじゃねぇか。魔法陣が張られている気配も感じねえし」
「酒入れにお酒を入れるとき、それっぽいのを使いますよね」
「あーなんか見かけたことあったな。濾紙とかいう奴と一緒に売ってる野郎がいたな。誰がんなもん買うってんだ?」
豪華絢爛に彩られた緋色の絨毯が続く廊下を歩き、アレクとリアはアーベルの部屋を探す。
「幾重にも重なって寝息が聞こえるな……まさか、主人と召使って同じ階で寝てんのか?」
「そうみたいですね。しかし困りました……これではアーベルを一度で見つけるのは困難です」
聴覚を研ぎ澄ます二人の鼓膜を震わせたのは、不協和音の寝息たちであった。それは並ぶ扉の数々から生じており、稀に寝息の聞こえぬ扉があることから無呼吸状態の者もいると思われる。
「まずったな……ソフィに容姿のことを聞いておくべきだった。仕方ねぇ……一つ一つ確認するしか」
「アレクアレク」
リアに袖口をくいと引っ張られ、アレクは彼女のほうへと顔を向けた。
暗澹たる空間で、妖艶に光る紫紺の双眸。傀儡の如くに美しく整った、起伏の無い無表情な顔。彼女が華奢な腕を前へ伸ばしていることに気づいて見てみると、リアは一つの扉を指さしていたのである。
「――――暗くてよく見えなかっただけか」
じっと目を凝らすと個々の扉には名札が張られており、その中でも一際強い存在感を放つ物があった。
羊皮紙で作られた名札らの中に紛れ込む、無駄に豪華な金色の名札。嫌悪感を煽る気色の悪いそれの欄には、アーベル・バイヤーと達筆な字で刻まれていた。
「つーか気持ち悪っ、自分富豪ですよ感が半端じゃねぇな。鬱憤晴らしに破ってやろうか……」
「目的を見失わないでください。というかそれ、犯罪になりますよ。不法侵入の後に言うのもなんですが」
「俺達には少女等を監禁する変態糞野郎をぶっ潰すという大義名分がある訳だからよ、そこらへんは目を瞑ってくれねぇかなぁ?」
「駄目です」
大義名分による不法侵入には目を瞑るらしいが、私怨で名札を破ることには反対らしい。二本の細い人差し指を交差させてバツを作り、リアは双眸を細めて懇願を截断した。その切断ぶりは、宛ら死神の鎌のようである。
「……駄目か?」
「駄目です」
鋼の如くに硬い否定は亀裂を知らず、アレクは壁に叩き付けられ挫折した。悪戯はよしておこう――と肩を落とす傍らにそう思う。
「わぁーったよ。さっさと開くぞ、鍵穴もねぇみたいだし。つーか鍵もかけてねぇとか不用心にも程があるぞ」
「――――ッ?」
鍵穴が無いということがありえるのか? ――とリアは思った。
三階の扉を嘗め回すように全て見る。――鍵穴は無い。
……鍵穴が無い? 防犯として術式があれど、鍵をかけぬというのは危険すぎるであろう。
リアの脳内に疑念が溜まってゆく。
研ぎ澄ました聴覚を更に研ぎ澄ましてみれば、鼓膜を刺激する寝息の音が規則的すぎることに気付いた。メトロノームの如き一定の感覚を以て鳴るその音は、果たして人間が放っているものなのであろうか。そもそも、それは寝息であろう……か。――――――!
「アレク! それは――――!」
彼女の警告はアレクの耳に届くこと叶わず、彼の右手は緩慢な動作を以てしかと握る。アレクがリアの警告に反応を示したのは、一秒にも満たぬ刹那の時を経た直後であった。
「んな!? 魔法陣――ッ!?」
手の甲に煌々とした魔法陣が出現し、アレクの手は釘で打たれたかの如くにドアノブに固定された。全身全霊を以てしても、ドアノブから手が乖離することはない。
「「――――!?」」
全ての扉が一斉にして蹴破られたかの如くに全開状態となり、解放された部屋の入り口から悍ましい邪気が溢れ出てきた。漆黒色を纏いし霧は大気を侵食してゆき、黒霧に触れられた建造物は腐るように変色してゆく。全てが鮮明に映るリアの視界で、緋色に彩られた絨毯は黴が繁殖するように腐敗を広げてゆく。
異常なまでに噴き出る脂汗。異常なまでに速まる心臓の鼓動。異常なまでに駆られる焦燥感。呼吸を荒げるアレクの脳内は羅列していた、危険という二文字を。
人間の形を曖昧に模った黒靄が、一斉にして今なお腐敗し続ける絨毯を踏みしめて出てきた。
数が把握できぬほどに多い。唯一わかるのは、両手では数え切れぬということだけだ。
全員の靄が身体向きをぐるりと二人のほうへ向け、双眸の無い顔で睥睨してきた。眼球なんてものは存在していないのに、確かにギロリという擬音が聴こえてしまいそうなほどに睨んでいたのだ。
「アレク!」
リアと靄たちが行動を起こしたのは、ほぼ同時のことであった。
靄が凄まじい速度でアレクを襲おうと動いたころには、疾風迅雷の速度でリアはアレクの傍へ駆け寄り、己の前腕を巡る微精霊接続神経を活性化させる。直後、神経は前腕の内部で紫紺色の光を放出し、リアはチョップの要領でドアノブと扉の接着部分を乖離させた。そしてアレクの手を強引にぐいと引っ張り、黒靄たちの襲撃を器用に回避しつつ窓ガラスを突き破った。
「うああぁぁぁあああぁぁぁあ!?」
破砕した窓硝子は砂塵の如くに宙を舞い、微細な破片たちは月光を浴びて反射をしながら落下してゆく。
巨大建造物からの落下に伴う浮遊感が、アレクの肉体を乱暴に包み込み、彼はこのままでは自分が怪我を負ってしまうことに気付く。庶民的在宅とは比較にならぬほどに巨大な屋敷からの落下となれば、身体能力に優れたアレクでも骨折をする可能性は大いにある。仮に骨の一本や二本が折れてしまえば、リアの足手纏いになってしまう。
草が鬱蒼と生い茂る広大な庭園を背にして、アレクは窓から視認できる屋敷の内部を傍と見た。三階にて出現した悍ましい人型の靄と同じ形をしたものが、彼を追いかけようと必死に走っている。それを傍観していた刹那、
「おわっ!?」
アレクを空中でこともあろうに横抱きにし、リアは華奢な足で華麗な着地を決めた。着地を決めたにも関わらずアレクを横抱きにしたまま疾走し、
「まさか、邪精霊が出るとは……!」
焦燥感に駆られながら眉間に皺を寄せ、邪精霊から距離を離していった。しかし、このまま恥を晒す訳にもいかぬであろうと思ったアレクは、横抱きを続けるリアの腕を強引に引き剥がし、
「流石に横抱きははずいって、おいやめろ!」
彼女の腕から身体を逃し、受け身をとって着地した。
二人の現在位置は巨大屋敷と門の中間――庭園の中心地である。屋敷の方角をしかと見ると数多の邪精霊が群れを成して追いかけており、この場に留まっていてはすぐに追いつかれるだろう。
「――クソが!」
アレクは走った。リアも走っている。
門を越えるまで数十秒もあれば事は足りる。あとは羅列された電撃術式さえ回避すれば、依頼は失敗だが逃走には成功する。
――――大丈夫だ、問題ない。そう確信していたときであった。
「ふぐっ!?」
苦痛にあげる少女の声が隣から聴こえ、衣服が風に靡く音がアレクの鼓膜を擽った。アレクは素早い反応速度で首を動かし、声がした方角を見やる。
見やった先には、草の絨毯を吐血で真っ赤に染め、力なく俯せに倒れているリアの姿があった。直後、凄まじい畏怖に心臓を貫かれたかのような錯覚を覚え、気づけば彼の身体は、彼女の傍へと疾風の如き速度で駆け寄っていた。
「リアァ!」
弓矢などで狙撃された痕跡は一切見当たらないが、彼女のローブには槍でも刺さったかのような穴が空いており、そこから大量の血液が血泡を浮かべて湧き出ていた。
軽いリアの身体をひょいと抱き抱え、アレクは彼女の呼吸を確認する。呼吸はまだ途切れていない。生きている。
「リア! リア!」
「……誤算、でした。庭園に仕掛けられている罠が……あれだけと思っていた自分が、馬鹿……でした」
苦し気に喘ぎながら、リアは吐血混じりに言う。彼女がこれほどまでに羸弱と化しているのを見るのは、これが初めてであった。
荒々しい呼吸の度に口から漏れる血液。今尚続く腹部の出血。このままでは彼女の命が危うい。
リアを連れて逃走を図るべく、アレクは彼女の身体を横抱きにし返そうとする。
その時であった。
「っがぁ!?」
灼熱の炎に腹部を焦がされたかの如き錯覚を得て、無意識に叫び声が喉の最奥から漏れ出していた。少々でも気を緩めれば、発狂しかねないほどの激痛である。
恐る恐る己の腹部を覗いてみれば、何も刺さってなどいなかった。何も刺さっておらず、腹部に穴がぽっかりと空いているだけであった。そしてその穴からは大量の血液が滝の如く流れ出ており、きっと真後ろから見ると文字通り穴がぽっかりと空いているのであろう。
気付けば華奢な体躯は鬱蒼と生い茂る叢上に伏しており、今し方は明瞭であった意識は曖昧模糊と化していた。
――――意識は、闇へと沈んでいった。
本日を以て二度目の電撃術式を味わったアレクは、全身を未だに駆け巡る痺れに憤怒の念を感じながら言った。一度目は治癒魔法を行使して麻痺を完全に除去することは叶ったが、流石に二度目は思い通りに事が運ばなかったようである。治癒魔法を得意としないリアには、全然一切全く断じて罪は無い。記憶を呼び起こせば不注意であったアレクが愚かであったし、骸にならなかったのも紛うことなき彼女の手柄である。この初仕事を終えた暁には、感謝として何か褒美を与えねば――とアレクは思う。
万事屋コンビの現在位置は、漆黒色を纏う悪辣なる魔法陣のすぐ傍である。相変わらず悪心を誘うような魔法陣であるが、二度目となっては耐性が是が非でも付いてしまう。しかし、耐性を以てしても嫌悪感は拭えぬ。それは微精霊接続神経の巡りが常人を凌いでいる故か、将又魔法陣そのものが凄まじい邪気を孕んでいる所為か。前者であるか後者であるかどちらにせよ、耐え難い苦痛がリアを襲うはずである。はずであるが……何故であろうか、彼女が顔を顰める様子が見受けられぬ。全種族に於いて死神は頂点に立ち、あらゆる微精霊との干渉が可能だ。
とある空間に五種の微精霊がいると仮定して、塵芥である人類種は例外を含めて一種と干渉ができるだけでもマシである。地精種は二種か三種、森精種は四種か五種。巷で話題となっている吸血種は、摂取した血液で微精霊の性能を強引に湾曲させるため全種。死神は言わずもがな、吸血種同様に全種の微精霊との干渉が可能である。彼女があの魔方陣を前に平然としていられるのは、死神ならでは性能が影響しているのかもしれない。
「短時間で三度も罠に引っ掛かるとは、失望を通り越して哀れみすら湧いてきますよ。もしやアレク、何者かに呪われているのでは?」
「三度の失態は俺の不注意が招いた訳で、呪いは関係ねぇと思うんだが……」
「世間が思っている以上に、呪いというのは恐ろしいものなんですよ。だって、種族の憎悪が生み出す一つの能力ですからね。アレクが自分の不注意で起きたと思っている失態も、もしかすれば呪いかもしれません。感情とは、そういうものなのです。感情は強く逞しく、尚且つ生物に於いて非常に大事な部分。感情がなければそれは骸であり、感情があればそれは種族として仲間入りを果たします。そんな感情が怨恨へ形を変えれば、網目状に張られた因果に影響を齎してもおかしくはないかと」
「……要するに?」
「肉体的な攻撃を物理攻撃というのなら、怨恨などの感情によって引き起こされる攻撃で感情攻撃というものがあってもおかしくないと思います! ほら、どちらも種族を構成するうえで重要ですし!」
よくわからんが、感情というものは呪いすら起こしうるみたいな感じか? ……やっぱりよくわからん、感情スゲー――とアレクは熟考することをやめた。
「あーそうだな。……んで、三階を捜索するか二階を捜索するか……どっちがいいんだ?」
効率面に於いては二手分けが最善の手ではあろうが、はっきり言ってアレクは罠に引っ掛かる気しかしない。微精霊接続神経の過敏性に関しては勿論、一度でも電撃術式らしき魔法陣に掛かればすぐにあの世逝きだ。彼女もそれは当然の如く理解しており、二手のふの字も言わない。
「三階ですね」
「即答だな」
アレクは意外そうに言った。
「気のせいかもしれませんが、邪気が三階に集まっている感じがするんですよね。何でしょうか、微精霊が黒化しているのでしょうか?」
「それは流石にねぇだろ……。微精霊が黒化するって、大戦じゃねぇんだからよ」
微精霊は意思という概念を知らず、干渉は可能であれど会話をすることは不可能である。故に微精霊の状態を知ることができず、微精霊接続神経による多大なる干渉で気付かぬうちに擦り切れてしまうことがあるのだ。凄まじい摩耗によって異常をきたした状態、それが黒化なのである。字面のとおりだ。黒化した微精霊は魔法適正の無い者でも視認できるほどに黒く染まり、触れたものを刹那にして焦がし蝕もうとするのである。だが注意しておくべき点は、彼女の得物である死神の鎌から生じる霧は黒化した微精霊ではないということ。あれは飽くまでも死神種の性質故の産物で、ただ普通に黒霧を出しているだけなのである。
微精霊を黒化させるということは、それほどまでに魔法適正があるという種族がいることになる。
「大戦が終結して最上位種の殆どが滅びましたが、かと言っていないという訳ではないんですよ? 私がこうして生きているように、べらぼうに強い種族がいたってなんら不思議ではありませんって」
「確かにそうだが、そんな種族がこんなど田舎の屋敷に関わること自体おかしいだろ」
「可能性は無限大。こんなど田舎に恐ろしい種族が関わることだってありえますよ。アレクが同性愛に目覚める可能性だって――」
「ねーよ」
可能性が無限大であるという事実を否む気は無いが、アレクはそのふざけた妄想をぶち殺す。
「こんな茶番をする暇はねぇ。さっさと三階へ向かうぞ」
「……はーい」
アレクとリアは三階に行くべく、階段を上った。
――――三階へ到着した。
「相変わらず見回り無しか……笊どころか、中心にポッカリ穴が空いてるレベルじゃねぇか。魔法陣が張られている気配も感じねえし」
「酒入れにお酒を入れるとき、それっぽいのを使いますよね」
「あーなんか見かけたことあったな。濾紙とかいう奴と一緒に売ってる野郎がいたな。誰がんなもん買うってんだ?」
豪華絢爛に彩られた緋色の絨毯が続く廊下を歩き、アレクとリアはアーベルの部屋を探す。
「幾重にも重なって寝息が聞こえるな……まさか、主人と召使って同じ階で寝てんのか?」
「そうみたいですね。しかし困りました……これではアーベルを一度で見つけるのは困難です」
聴覚を研ぎ澄ます二人の鼓膜を震わせたのは、不協和音の寝息たちであった。それは並ぶ扉の数々から生じており、稀に寝息の聞こえぬ扉があることから無呼吸状態の者もいると思われる。
「まずったな……ソフィに容姿のことを聞いておくべきだった。仕方ねぇ……一つ一つ確認するしか」
「アレクアレク」
リアに袖口をくいと引っ張られ、アレクは彼女のほうへと顔を向けた。
暗澹たる空間で、妖艶に光る紫紺の双眸。傀儡の如くに美しく整った、起伏の無い無表情な顔。彼女が華奢な腕を前へ伸ばしていることに気づいて見てみると、リアは一つの扉を指さしていたのである。
「――――暗くてよく見えなかっただけか」
じっと目を凝らすと個々の扉には名札が張られており、その中でも一際強い存在感を放つ物があった。
羊皮紙で作られた名札らの中に紛れ込む、無駄に豪華な金色の名札。嫌悪感を煽る気色の悪いそれの欄には、アーベル・バイヤーと達筆な字で刻まれていた。
「つーか気持ち悪っ、自分富豪ですよ感が半端じゃねぇな。鬱憤晴らしに破ってやろうか……」
「目的を見失わないでください。というかそれ、犯罪になりますよ。不法侵入の後に言うのもなんですが」
「俺達には少女等を監禁する変態糞野郎をぶっ潰すという大義名分がある訳だからよ、そこらへんは目を瞑ってくれねぇかなぁ?」
「駄目です」
大義名分による不法侵入には目を瞑るらしいが、私怨で名札を破ることには反対らしい。二本の細い人差し指を交差させてバツを作り、リアは双眸を細めて懇願を截断した。その切断ぶりは、宛ら死神の鎌のようである。
「……駄目か?」
「駄目です」
鋼の如くに硬い否定は亀裂を知らず、アレクは壁に叩き付けられ挫折した。悪戯はよしておこう――と肩を落とす傍らにそう思う。
「わぁーったよ。さっさと開くぞ、鍵穴もねぇみたいだし。つーか鍵もかけてねぇとか不用心にも程があるぞ」
「――――ッ?」
鍵穴が無いということがありえるのか? ――とリアは思った。
三階の扉を嘗め回すように全て見る。――鍵穴は無い。
……鍵穴が無い? 防犯として術式があれど、鍵をかけぬというのは危険すぎるであろう。
リアの脳内に疑念が溜まってゆく。
研ぎ澄ました聴覚を更に研ぎ澄ましてみれば、鼓膜を刺激する寝息の音が規則的すぎることに気付いた。メトロノームの如き一定の感覚を以て鳴るその音は、果たして人間が放っているものなのであろうか。そもそも、それは寝息であろう……か。――――――!
「アレク! それは――――!」
彼女の警告はアレクの耳に届くこと叶わず、彼の右手は緩慢な動作を以てしかと握る。アレクがリアの警告に反応を示したのは、一秒にも満たぬ刹那の時を経た直後であった。
「んな!? 魔法陣――ッ!?」
手の甲に煌々とした魔法陣が出現し、アレクの手は釘で打たれたかの如くにドアノブに固定された。全身全霊を以てしても、ドアノブから手が乖離することはない。
「「――――!?」」
全ての扉が一斉にして蹴破られたかの如くに全開状態となり、解放された部屋の入り口から悍ましい邪気が溢れ出てきた。漆黒色を纏いし霧は大気を侵食してゆき、黒霧に触れられた建造物は腐るように変色してゆく。全てが鮮明に映るリアの視界で、緋色に彩られた絨毯は黴が繁殖するように腐敗を広げてゆく。
異常なまでに噴き出る脂汗。異常なまでに速まる心臓の鼓動。異常なまでに駆られる焦燥感。呼吸を荒げるアレクの脳内は羅列していた、危険という二文字を。
人間の形を曖昧に模った黒靄が、一斉にして今なお腐敗し続ける絨毯を踏みしめて出てきた。
数が把握できぬほどに多い。唯一わかるのは、両手では数え切れぬということだけだ。
全員の靄が身体向きをぐるりと二人のほうへ向け、双眸の無い顔で睥睨してきた。眼球なんてものは存在していないのに、確かにギロリという擬音が聴こえてしまいそうなほどに睨んでいたのだ。
「アレク!」
リアと靄たちが行動を起こしたのは、ほぼ同時のことであった。
靄が凄まじい速度でアレクを襲おうと動いたころには、疾風迅雷の速度でリアはアレクの傍へ駆け寄り、己の前腕を巡る微精霊接続神経を活性化させる。直後、神経は前腕の内部で紫紺色の光を放出し、リアはチョップの要領でドアノブと扉の接着部分を乖離させた。そしてアレクの手を強引にぐいと引っ張り、黒靄たちの襲撃を器用に回避しつつ窓ガラスを突き破った。
「うああぁぁぁあああぁぁぁあ!?」
破砕した窓硝子は砂塵の如くに宙を舞い、微細な破片たちは月光を浴びて反射をしながら落下してゆく。
巨大建造物からの落下に伴う浮遊感が、アレクの肉体を乱暴に包み込み、彼はこのままでは自分が怪我を負ってしまうことに気付く。庶民的在宅とは比較にならぬほどに巨大な屋敷からの落下となれば、身体能力に優れたアレクでも骨折をする可能性は大いにある。仮に骨の一本や二本が折れてしまえば、リアの足手纏いになってしまう。
草が鬱蒼と生い茂る広大な庭園を背にして、アレクは窓から視認できる屋敷の内部を傍と見た。三階にて出現した悍ましい人型の靄と同じ形をしたものが、彼を追いかけようと必死に走っている。それを傍観していた刹那、
「おわっ!?」
アレクを空中でこともあろうに横抱きにし、リアは華奢な足で華麗な着地を決めた。着地を決めたにも関わらずアレクを横抱きにしたまま疾走し、
「まさか、邪精霊が出るとは……!」
焦燥感に駆られながら眉間に皺を寄せ、邪精霊から距離を離していった。しかし、このまま恥を晒す訳にもいかぬであろうと思ったアレクは、横抱きを続けるリアの腕を強引に引き剥がし、
「流石に横抱きははずいって、おいやめろ!」
彼女の腕から身体を逃し、受け身をとって着地した。
二人の現在位置は巨大屋敷と門の中間――庭園の中心地である。屋敷の方角をしかと見ると数多の邪精霊が群れを成して追いかけており、この場に留まっていてはすぐに追いつかれるだろう。
「――クソが!」
アレクは走った。リアも走っている。
門を越えるまで数十秒もあれば事は足りる。あとは羅列された電撃術式さえ回避すれば、依頼は失敗だが逃走には成功する。
――――大丈夫だ、問題ない。そう確信していたときであった。
「ふぐっ!?」
苦痛にあげる少女の声が隣から聴こえ、衣服が風に靡く音がアレクの鼓膜を擽った。アレクは素早い反応速度で首を動かし、声がした方角を見やる。
見やった先には、草の絨毯を吐血で真っ赤に染め、力なく俯せに倒れているリアの姿があった。直後、凄まじい畏怖に心臓を貫かれたかのような錯覚を覚え、気づけば彼の身体は、彼女の傍へと疾風の如き速度で駆け寄っていた。
「リアァ!」
弓矢などで狙撃された痕跡は一切見当たらないが、彼女のローブには槍でも刺さったかのような穴が空いており、そこから大量の血液が血泡を浮かべて湧き出ていた。
軽いリアの身体をひょいと抱き抱え、アレクは彼女の呼吸を確認する。呼吸はまだ途切れていない。生きている。
「リア! リア!」
「……誤算、でした。庭園に仕掛けられている罠が……あれだけと思っていた自分が、馬鹿……でした」
苦し気に喘ぎながら、リアは吐血混じりに言う。彼女がこれほどまでに羸弱と化しているのを見るのは、これが初めてであった。
荒々しい呼吸の度に口から漏れる血液。今尚続く腹部の出血。このままでは彼女の命が危うい。
リアを連れて逃走を図るべく、アレクは彼女の身体を横抱きにし返そうとする。
その時であった。
「っがぁ!?」
灼熱の炎に腹部を焦がされたかの如き錯覚を得て、無意識に叫び声が喉の最奥から漏れ出していた。少々でも気を緩めれば、発狂しかねないほどの激痛である。
恐る恐る己の腹部を覗いてみれば、何も刺さってなどいなかった。何も刺さっておらず、腹部に穴がぽっかりと空いているだけであった。そしてその穴からは大量の血液が滝の如く流れ出ており、きっと真後ろから見ると文字通り穴がぽっかりと空いているのであろう。
気付けば華奢な体躯は鬱蒼と生い茂る叢上に伏しており、今し方は明瞭であった意識は曖昧模糊と化していた。
――――意識は、闇へと沈んでいった。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
30年待たされた異世界転移
明之 想
ファンタジー
気づけば異世界にいた10歳のぼく。
「こちらの手違いかぁ。申し訳ないけど、さっさと帰ってもらわないといけないね」
こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。
右も左も分からず、何かを成し遂げるわけでもなく……。
でも、2度目があると確信していたぼくは、日本でひたすら努力を続けた。
あの日見た夢の続きを信じて。
ただ、ただ、異世界での冒険を夢見て!!
くじけそうになっても努力を続け。
そうして、30年が経過。
ついに2度目の異世界冒険の機会がやってきた。
しかも、20歳も若返った姿で。
異世界と日本の2つの世界で、
20年前に戻った俺の新たな冒険が始まる。
『王家の面汚し』と呼ばれ帝国へ売られた王女ですが、普通に歓迎されました……
Ryo-k
ファンタジー
王宮で開かれた側妃主催のパーティーで婚約破棄を告げられたのは、アシュリー・クローネ第一王女。
優秀と言われているラビニア・クローネ第二王女と常に比較され続け、彼女は貴族たちからは『王家の面汚し』と呼ばれ疎まれていた。
そんな彼女は、帝国との交易の条件として、帝国に送られることになる。
しかしこの時は誰も予想していなかった。
この出来事が、王国の滅亡へのカウントダウンの始まりであることを……
アシュリーが帝国で、秘められていた才能を開花するのを……
※この作品は「小説家になろう」でも掲載しています。
私を裏切った相手とは関わるつもりはありません
みちこ
ファンタジー
幼なじみに嵌められて処刑された主人公、気が付いたら8年前に戻っていた。
未来を変えるために行動をする
1度裏切った相手とは関わらないように過ごす
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
【完結】おじいちゃんは元勇者
三園 七詩
ファンタジー
元勇者のおじいさんに拾われた子供の話…
親に捨てられ、周りからも見放され生きる事をあきらめた子供の前に国から追放された元勇者のおじいさんが現れる。
エイトを息子のように可愛がり…いつしか子供は強くなり過ぎてしまっていた…
お花畑な母親が正当な跡取りである兄を差し置いて俺を跡取りにしようとしている。誰か助けて……
karon
ファンタジー
我が家にはおまけがいる。それは俺の兄、しかし兄はすべてに置いて俺に勝っており、俺は凡人以下。兄を差し置いて俺が跡取りになったら俺は詰む。何とかこの状況から逃げ出したい。
凡人がおまけ召喚されてしまった件
根鳥 泰造
ファンタジー
勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。
仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。
それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。
異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。
最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。
だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。
祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる