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第一章 初依頼、初仕事 一話六千文字

いざ田舎へ

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 瞼を閉じて額と額が接触してから、どれほどの時間を経たのかわからない。
 微精霊接続神経を介しての記憶干渉は、結構な確率で現実の時間感覚が狂ってしまうのだ。具体的に説明するとなれば骨が折れるが、強いて言うなら時差ボケに近い感覚である。他人の記憶に干渉するということは過去へ遡ることとほぼ同義であり、謂わば記憶旅行をしているようなものなのだ。
 人類種国チュヴァンから悪魔種国シュタークまではおよそ三千キロもの距離がある。例えとしては適切ではないのだが、記憶干渉を行う前の状態を人類種国チュヴァンにいると仮定して考えると、記憶干渉を行っている最中は悪魔種国シュタークにいることになっている。そこで発生するのが時差という概念だ。
 この世界は地球という球体によって構成されていて、太陽という星の光を浴びている。しかし、地球が平面ではなく球体である以上は照射範囲に限界があり、真昼間である国と真夜中である国で分かれてしまうのだ。それが時差という概念の発端である。
 地球は自転している――と誰かが言っていた。そうなれば場所によって日の出のタイミングに差異が出るのは自明であり、こうして各々の国がそのタイミングを考慮して時間をもっているのだ。
 東が未来で西を過去に例えると、記憶干渉中は東国の人類種国チュヴァンから西国の悪魔種シュタークへ。記憶干渉を終えるころには、西国の悪魔種シュタークから東国の人類種国チュヴァンへ。時間の異なる場所を行き来するのだから、時間感覚は多少なりとも狂うだろう。
 アレクが目にしてきた記憶を洗いざらい確認して、微精霊接続神経のはたらきを抑制したリアは額を離した。

「えーと……今って何時なのでしょうか?」

「何時も何も、額を付けてから一分も経ってねぇよ。急にどうした?」

「いや、微精霊接続神経を介した記憶干渉というものは、時間感覚が狂うことがよくありまして」

 首を傾げられても仕方がない。この感覚は魔法適正に富んだ種族でもない限りは理解できず、ましてや人類種クライネンのような塵芥レベルとなっては一生体験することのない世界だ。
 人類種クライネンでありながらも多少は魔法を扱えるアレクだが、どちらかと言うと彼は身体能力に恵まれていることもあって魔法に関しては三流。せいぜい魔法をてのひらから出せる程度である。
 アレクは跪いていた身体を起こして立ち上がり、膝に付着した土を軽快にはたいた。

「んで、俺の記憶はちゃんと確認できたのか?」

「はい、恩人さんの住居までの道程はおおよそ把握しました。思っていたよりも距離が遠いですね」

「結構田舎だった記憶があるからな。王都からの移動となれば、少しばかり骨が折れそうだ」

 アレクは後頭部が少し痒くなったのかフードを外し、右手を緩慢に動かしてゆっくりと掻く。大気に晒された紫紺の髪が、雄性らしからぬ艶を放っていた。
 ――リアも無性にフードを外したくなった。頭が痒くなったのかもしれないし、長い長い髪にゆとりをもたせたくなったのかもしれない。
 彼女はフードを外した。

「……こうして見ると、俺が死神種リアパ―だって疑われんのも当然っちゃ当然だな。何をビクビクしてたんだ……俺は」

「無知は罪である――とはよく言ったものですね。己の無知を恥じることなく思う存分にばら撒いて、知識のなさを露呈する姿は心底アホらしいと思います。そして、その愚行が貴方のような善人を傷つけているのだと思うと、心底間抜けで愚鈍で迂愚で凡愚で愚劣なのだろうと思います。」

「それは言いすぎだろ……」

 リアは「そうでしょうか?」と疑問の声をあげて、脹脛ふくらはぎほどまである髪を揺らした。

「アレクは過去にそれほどの仕打ちを受けてなお、無知の暴力に耐えられますか?」

 心臓が凍結したかのような錯覚を覚えた。
 リアは先ほどの記憶干渉を経て、アレクの記憶の隅々までを小さな頭に秘めているのだ。アレクが体験してきた出来事をすべて把握しているのだ。もしかすれば、アレクの憶えていない記憶さえも――

「……この話はもうやめだ。すぐに目的地へ向かうぞ」

「――早く、治るといいですね」

 リアの発言がアレクの耳に届くことなく、言葉は静かに大気中で霧散した。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


――富豪アーブラハム・バイヤーの領地。
 緑豊かな山々に囲まれたそこは、田舎という単語を具現化したような場所だった。王都で見かける石造建築物はもちろん視認できず、アレクの視界に映るのは木材によって作られた数々の民家。人によって好みが分かれるかもしれないが、アレクはどちらかと言えば木造のほうが好みだ。
 
「しっかし誰もいねぇな。大人は働きにでも行ってんのか?」

 木造建築物という自然味溢れる村を見回す限りは、大人どころか子供一人駆けまわる姿を確認できない。唯一確認できるのは木柵に囲われた家畜の群れぐらいで、家畜の幾重にも重なる鳴き声を除いて村の中は酷く静かだった。
 不気味だった。

「……もしかしたら、予感が本当に当たっているのかもしれません」

「予感って……道中のときに言っていたやつか?」

「……とりあえず行きましょう」

 リアは目的の住居へと足早に向かう。アレクはそんな彼女の背中を追って、田舎の土を踏みしめた。
 静寂に包まれた集落の住まう村の中で二人だけの足音が鳴り続け、時折『ザクッ』と土塊の砕ける音がアレクとリアの鼓膜をくすぐる。
 彼がこの村に到着するまでの間に昼食を終えて、今や数十分の時が流れた訳だが、現在の時刻は太陽の位置から察するに午後二時あたりだろう。正午を境に気温が徐々に上昇を続け、今が今日の気温のピークになる。普段は暦などを全くと言っていいほど確認しないアレクだが、最近は寒すぎることも熱すぎることもなく。むしろ暖かいので春なのだろう――と年功を一応十八年分はもっているアレクは、至って単純明快で幼稚な判断をする。
 
「ところでアレクさん」

「急に改まって呼ぶなよ、気持ちわりぃな」

 自分の名前を唐突にさん付けするリアの言葉に悪寒が走り、アレクはぶっきらぼうに言葉を切り返した。
 リアは「あはは」と作為的な笑みを浮かべ、佳麗な白色の肌を人差し指でポリポリと掻いた。

「――――嬉しいんです」

「……嬉しい?」

「はい、嬉しいです」

 笑みを絶やすことなく続けて、リアは頬を仄かに朱色に染めて言う。積雪の上に朱花はねづの花弁が落ちているような頬だった。

「私、今まではずっと独りで生活をしてきたもので、依頼のときも私と同伴したがる人なんていませんでしたから」

 そうだろうな――とアレクは思う。
 彼は容姿こそ死神種リアパ―と酷似しているが、属する種族は飽くまでも人類種クライネンである。
 リアは死神。数多ある種族の中で頂点に立つ最上位種であり、言い方を改めると最も畏怖されし種族である。この世界は弱肉強食であり、弱き者は強き者によって蹂躙されるのがことわり。国によって治安の差異はあれど、いつ自分が何者かの手によって散りゆくかは誰にもわからない。もしかすれば食事をしている最中に散るかもしれないし、睡眠で身体を休ませているときに散るかもしれない。何気なく散歩をしている最中に散ることだってあるかもしれないし、仲間が実は敵でしたなんて展開もあるかもしれない。
 悪魔種デーモンが最上位種で吸血種ヴァンピール獣人種ビーストが上位種で、人類種クライネンが塵芥であるように種族には格付けというものがある。
 極端な話、死神種リアパ―人類種クライネンで一緒に行動しましょう――なんて命を捨てるに等しい行為をする人間がいるはずはない。アレクは彼女が現在に至るまでにどのような依頼を受けたかは知らないが、犯罪関係では単独犯としてずっとこなしてきたのだろう。その点を考慮すると、ネックレスの窃盗に付き合った三人は相当な実力者だったのだろう。死神に対抗できるほどに――。

「……独りは寂しいよな。俺の記憶を覗いたお前ならわかると思うが、一時期は恩人と暮らしていたときがあったんだ。控えめに言って最高な生活だった。共に飯を食える人がいて、共に屋根の下で暮らせる人がいて、共に同じことで笑いあえる人がいて、独りじゃねぇってのはこんなにも幸せなんだなって、あのときは初めて思った」

「ですが、貴方は恩人であるソフィさんの家から去った」

「そこまでわかんのかよ。記憶干渉半端じゃねぇな」

 微精霊接続神経を介した記憶干渉に、あまりにも遅すぎる感嘆を経るアレク。しかしそんなアレクの反応を無視して、リアは紫紺の双眸を僅かに細めて言い放った。

「私は、なぜ貴方がこの村を去ったのか理解に苦しみます」

「だろうな」

 それに対して、アレクは予想的中を示唆して頷いた。そして膝を着いてリアの平坦な胸に拳を当て、

「んなッ!?」

「ボルシチッ!?」

 両頬を彼岸花のように染めたリアに頬を引っぱたかれ、顎が変形したと錯覚しながら大地へ俯せになっていた。

「あ……あ、ヤバイ。これは、マジ、でやばい……」

 虫の息とはまさにこのことである。アレクは今し方の衝撃に羸弱るいじゃく化の道を辿り、現在の呼吸状況は鼻先に手を翳さない限りは呼吸を確認できないレベルになっていた。
 
「い、いきなり何をするんですかッ! 触るなら触ると言ってくださいよ!」

 触るなら触ると言えば触ってもいいのか――と曖昧模糊たる意識の中でアレクは思い、左手で酒酔いを醒ますように頭部を何度か叩いて、気怠げにうつ伏せになっていた身体を緩慢に起こした。
 ――愚行だった。

「今のは、本当に、すまんかった。あんまり、異性と接したことが、なくてな……つい当たり前に、やっちまった……」

 直接脳が揺れるかのような感覚が完全に抜けず、アレクは再び頭部をたたいて首を振る。引っぱたかれた直後は頭上で複数の星が回転してしまいそうなほどに酷かったが、今では星の数が四個から一個程度には減った。

「――じゃあ、これからは私と接して、異性との接し方をそれ相応にしてください」

「……けどよ、死神種リアパ―に異性の概念なんてねぇだろ?」

 死神種リアパ―は確かに異性の概念はないと言えばないのだが、それはその種族の内でのことで――

「それは死神種リアパ―が全員女性だからであって、男性というものがいないからですよ」

「あ、そうなのか……てっきり全員が中性みたいな感じかと」

「中性!? 女性と男性の間に中性なんてものが!?」

 無論、あろうはずがない。それ以前に、

「というかそれ、どうやって繁殖するんですか!?」

「繁殖できねぇだろ。常識的に考えて」

 常識的に考えて女性でもなく男性でもなければ、どう足掻いても繁殖などできるはずがない。
 大戦時の記録では死神種リアパ―は絶滅したと記されているが、本当に誰一人残らなかった可能性はゼロに等しいだろうとアレクは思っている。リアこそは万事屋生活で糧を得ているが、そもそもこの発想が浮かばなければ、子孫を残すことなく餓死することだってありうる。

「――大戦を含めて大戦後に子孫を残すこと叶わず、餓死したやつだっているかもしれない。それで思うんだけどよ、死神の寿命って何年だ?」

 歩みを止めていた足を再び動かして、アレクはリアを越して先に進んで訊く。

「死神に寿命なんてありませんよ……糧ある限りは、永遠に……」

 リアは答え、アレクの後を追って足を動かした。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ――簡素な家だった。
 木造建築物であることに変わりはないのだが、貧乏人が見栄を張って無駄な装飾を施す他の家屋とは異なって、この家は大した気飾りもせずにありのままの姿を晒していた。しかしこの家を乱雑に扱っている訳でもないらしく、壁を見る限りは激しい汚れが見当たらない。これがソフィの家ならますますソフィらしいな――とアレクは口を綻ばせて笑う。
 自分が鳥頭であると胸を張って言えるアレクだが、この家だけは今も鮮明に脳内に焼き付けられていた。忘却の彼方へ追いやる気などさらさらない、自分がこの地へ降り立ったあの日の思い出。王都に住み着いてから酷くその記憶が愛おしくて、何度も泣きかけたときがあったのを憶えている。――嬉しかった、この家にまた来れたことが。

「この家で間違いありませんね」

「ああ、そうだな」

 同じ記憶をもっている両者は納得の頷き。何せ数年前から家の外観が一切変わっていないし、聴覚を研ぎ澄ませば中からは女性の花歌が聞こえる。この声は――

「……ソフィがいる」

 アレクの知る紛うことなきソフィの声だ。
 金鈴の音を思わせる軽快ながらも佳麗でやや高めな声。アレクとの邂逅を経て間もないころと比較すれば、少しだけ声が低くなったような気がする。
 扉を開いた先にいるソフィはどれほど変わったのだろう――とアレクは思う。
 彼がこの村を去って数年の時が流れた。今を思えばあっという間だった気がしなくもない。
 身長は伸びたのだろうか? はたまた胸が大きくなったのだろうか? 出会った当初から年の割にデカいなとは思っていたが――とリアには禁句な内容かと思う傍らで微笑むアレク。

「――――――よし」

 決意を固めて手の甲を扉に当て、ノックを数回行う。
 そして、――扉が開いた。
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