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第一章 初依頼、初仕事 一話一万文字

後頭部への被害 1

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 肺に激痛が走るほどに、悲鳴をあげる両足に鞭を打って走っていた。赤褐色の凸凹でこぼこした地面を両足が交互に踏み続け、空虚な空間で足音が尾を引いて響き渡る。それは速い間隔で幾度も繰り返され、その度に実感する地面の感触は氷盤のように冷たい。きびすがその氷盤に着地した直後、順番に土踏まずや母指球ぼしきゅうがペタリと押し付けられるときの感覚。その感覚を脳の片隅に放置しておくだけでも、自身に纏わり付く嫌悪感は凄まじい。
 駆けている際の吐息は驚くほど雪のように真っ白だった。走っている洞窟の中が死ぬほど寒いので、当然と言えば当然の話ではある。激しい運動に身体が酸素を求めて呼吸を繰り返し、凍てつく大気を取り込んでは肺が激痛に喘ぐ。肺が凍結したのではないかと錯覚しそうになるときがあるが、幸いなことに未だ肺は凍っていない。
 至極当然なことなのだが、外界から光が差し込まないので洞窟の中は真っ暗だ。右手に握ってある松明たいまつがなければ、まぶたを閉じているときと視界は変わらないだろう。
 少々の時を経て、駆けていた凸凹でこぼこの地面を踏破。次に待ち構えていたのは、人間の手によって粗雑に作られた岩の階段だ。職人からすれば嘲弄ものな出来具合だが、階段を上るという点に於いては問題なし。急ぐ足は速度を低下させることなく、苦痛ながらも階段に順応して上ってゆく。しかし、段差は大して高低差がないのだが、階段を上る際の負担は通常の道と比較して重い。気付けば、最初は速度の衰えなかった走りも鈍くなり、足音の鳴る間隔は徐々に徐々に広がっていた。
 刹那、呼吸器官にコルクを詰められたかのような錯覚を覚え、無意識に身体は走ることを拒絶する。横隔膜が伸縮を繰り返して繰り返し、悪心おしんの入り混じった咳が幾度も吐き出された。激しい咳で口内に溜まっていた唾が散布され、地面に付着した唾液が松明たいまつに照らされる。
 極寒の空気に耐えて酸素を深く取り込み、額を伝う脂汗を手の甲で緩慢に拭う。そして、歯軋りをたてて双眸そうぼう疼痛とうつうに歪めながらも、再び目指す先に向かって足を動かした。
 再び駆け始めてから、二分近くの時が流れたころだ。永遠に続くかと思われた階段に終止符が打たれ、上り終えた先にあったのは外界へ続く通路だった。磁石に引き寄せられるように足が動き、洞窟の外へと羸弱るいじゃくな身体が向かってゆく。
 苦痛の果てに辿り着いた先にあったのは、天地を破壊の渦へと変えてゆく巨大な戦場だった。完全に荒廃した大地の上で繰り広げられる、戦場という概念を嘲るような規格外の殺し合い。膨大な熱量を含んだ大爆発が発生しては大地を裂き、大爆発が空で発生しては天空を容易く截断さいだんする。そんな規格外の暴力を受けた巨大な龍たちは、瞬時にしてその身体を残滓ざんし一つ残すことなく消滅した。その光景を目撃したであろう戦場を取り巻く蝙蝠こうもりの群衆は、羽を雄々しく羽ばたかせて歓喜に震えているように見える。
 ゆっくりと視線の先を上げて見ると、広大な空が黒雲によって全てを埋め尽くされていることに気付いた。全方位を舐め回すように確認しても、空の片鱗一枚すら視認することができない。視界に映るのは黒雲の集大成と多い頻度で発生するいかずちの様子ばかりで、自然豊かなものなど全く見当たらない。微量ながらも自然らしさが唯一ある点を言えば、一部の黒雲から雨が降り注がれていることである。尤も、その雨粒は黒色に染まっていて汚らわしい。
 星に暴力を振り撒く戦場を傍観したまま、体感にして数分の時が流れたときだ。視界に映る大地の遥か向こう側で、紫紺色をもつ巨大な何かが蠢いていることに気付いた。外観は粘着質でスライムを彷彿とさせる形をしており、
そのスライムのようなものは徐々に巨大化していた。
 その過程を注視している最中、注意力が散漫になっていたのだろう。断崖絶壁の真上で佇んでいた身体は、気付いたときには断崖絶壁の鼻先へ。亀裂の入る微かな音を耳が捉えたころには、身体が凄まじい浮遊感によって包まれていた。脳が唐突すぎる状況変化に反応できず、置かれている今の状況さえも把握できない。
 先ほどまで自分の佇んでいた崖が、あっという間にしてどんどん遠のいてゆく。迫る大地を背にして落下してゆき、呆けていた脳は徐々に状況を理解してゆく。そして、背中が大地に到達するまでの秒未満の間、

「ぁ……」

 死を前に悲鳴すらあげることなく、一つの命が簡単に潰えた。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 背中を襲う凄まじい衝撃に閉じていたまぶたを開いて、青年は自分が仰向けになっていることに気付いた。
 筋肉質な身体付きではないが、かと言って軟弱な身体付きでもない青年だ。無意識に惹かれてしまいそうな美しい紫紺の双眸そうぼうが印象的で、その両目は雄性さに溢れて力強い。それは双眸そうぼうのみに限ったことではなく、引き締まった顔の輪郭内で整っている容貌も同じだ。年齢的には二十歳にも満たない容姿なのだが、剛毅ごうきさのある風采をもつ彼なら大の大人にも対抗できるだろう。しかし、そんな風采をもつ青年も今では勇ましさが垣間見えず、額を伝う冷や汗を拭って不安げな表情を浮かべていた。

「――――夢……か」

 青年は慰藉いしゃするようにまぶたをゆっくりと閉じ、一度だけ深い深い呼吸をする。今いる草原の新鮮な空気を肺に取り込み、吸引時の倍近くを経て肺から吐き出してゆく。そして、再びゆっくりとまぶたを開いた。
 仰向けの状態で視界に映るのは、一本の木と折れた痕跡のある太い枝。もしやと思って青年が顔向きを真横へ帰ると、彼の視界に折れた木の枝が映り込んだ。僅かに目を凝らすと枝の表皮に『アレク』と粗く彫られているので、彼が寝ていたときに枝が折れたことは自明だ。彼は家名をもっておらず、『アレク』という名前一つしかないのだ。
 アレクは気怠げに溜め息をき、

「――――ぅ……」

 緩慢に身体を起こして立ち上がり、着ている茶色のローブに付着していた雑草や土をはたいた。そして、被っていたフードを外し、紫紺色に染まっている短い髪をさらけ出す。全く手入れをしていないはずの髪が、太陽の光を受けて雄性らしからぬつやを放っていた。

「……妙に生々しい夢だったな。俺は明晰夢めいせきむでも見たのか?」

 実際に体験しているかのように、異常なほど現実感のある夢だった。洞窟の中を駆けているときに感じた、呼吸が詰まるときの苦痛や足裏に押し付けられる冷たい地面の感覚。断崖絶壁から落下した時の浮遊感に、大地に思い切り叩き付けられるときの衝撃。あれがただの夢だったのか、心の片隅で疑わざるを得ない自分がいるのだ。
 しかし、ここで思案したところで何も意味はない。どれほど生々しい夢を見ようとも、それは脳が作り出した空想に決まっている――とアレクは断定しているからだ。心の片隅の自分を除いて、大部分の自分はそう思っている。アレクは下った気分を誤魔化すように左手で頭を掻き、ローブに縫い付けられてあるポケットに手を突っ込んだ。そして、羊皮紙のように薄い黒革財布を取り出した。
 財布の開け口を右手で緩慢に開き、片鱗を見せる数枚の千円札をゆっくりと全て取り出す。全財産は四千円、小出にはない。ノグチヒデヨというアレクの知らない人物が四人、彼の指先に摘ままれていた。
 太陽の位置を確認する限り、今はまだ午前中で正午までは時間がある。昨日は一度も食事をとることなく木の上で一日中寝ていたので、胃の中に食べ物は何も入っていない。
 そろそろ朝食をとるべきだろう……つーか、とらねぇと空腹で死ぬ――そう思ったアレクは口内に溜まる唾液を飲み込み、

「……まぁ、いいか」

 再びフードを深く被り、飢えた身体を走らせた。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 アレクが今いる場所は、人類種国チュヴァンの最大都市であるシュトゥーレに位置する商い通りの裏路地だ。石造建築物に挟まれたこの路地は日当たりが悪く、湿っているうえに所々にゴミが捨てられている。商い通りで購入したのであろう果物の皮に食べ残しや、殺し合いでもしたのか刃物も幾つか転がっている。本当に恐ろしいのは、投棄されてある刃物に血液が付着しているという点だ。一応、アレクもこの裏路地の一部を縄張りにしてはいるが、ここで起きた出来事については一切知らない。この裏路地を一日空けていた後に投棄されてある刃物を見つけたということは、出来事は彼の睡眠中に起きたということになる。

「ここで殺し合いをした奴等は、機械が掃除をしているとでも思ってんのか?」

 無論、機械が自動で掃除をしているなんて荒唐無稽なことはありえない。そも、人類種国チュヴァンは他国と比較して雲泥の差どころか天地の差と言うほどまでに技術力が著しくなく、最高技術を誇る地精種国《シュロッサ》からすれば残滓《ざんし》が良いところだ。機械なんて物は勿論ないし、民衆の建物は全て石造建築物が占めている。人類種国《チュヴァン》と地精種《シュロッサ》の技術力の差は、年月で表すなら1000年以上は離れているだろう。

「……後で掃除しねぇと」

 アレクが裏路地に訪れたのは商い通りに向かう為であって、ここの清掃を行う為に来たのではない。
 現在、彼はご空腹なのだ。ご空腹であってご立腹なのだ。裏路地を通るついでにご立腹になったのだ。しかし、今はその堪忍袋の緒をしっかりと縛って、彼はそれを無視する方針でいく。

「――後で、ここで殺《や》り合《あ》った奴等を探すか……」

 堪忍袋の緒を切るのは、やることを済ませた後にしよう――アレクは心の片隅でそう思うのだった。
 そして、彼は石床を軽快に蹴りだして真上へ跳躍。2階建ての石造建築物の天井へ飛び乗り、眼下に商い通りがあることを確認して目指す場所へ向かってゆく。
 人間とは乖離《かいり》した迅速なスピードで天井を駆け、建物の合間は跳躍で埋めてゆくという身体能力に頼った方法。人類種《クライネン》の身体能力では実行不可能な移動手段だが、人類種《クライネン》であるはずの彼にとっては可能なのだ。理由は不明。物心が付いたときから他種族と身体を張り合うほどの身体能力を誇っていたが、なぜここまで一般人と差があるのかわからないのである。1つだけ身体能力の謎について心当たりがあるのだが、それは外見のみという胸糞の悪い判断であるのがアレクは気に入らない。

「――――よっと……」

 数十秒の時を経て目的地へ到達し、アレクは茶色いローブを靡《なび》かせて果物屋の前で着地する。そして、落下で浅くなっていたフードを再び深く被り、果物の入った木箱を巨大な台の上に乗せている商人の前へ出た。

「空から男の子が……と思っていましたが、どうやらとんだお客様が来られたようですね」

「とんだお客様が跳んで来たんだ。あんたが売ってる果物、買わせてもらうぞ」

「お客様は神様。買っていただく方に誠心誠意付き合うのが商人というものです」

 身長はアレクとさほど離れておらず、短い黒髪と茶色い双眸《そうぼう》に落ち着いた印象を受ける青年だ。ちょっとしたオシャレが趣味なのか両方の耳朶《じだ》にはピアスが付けられており、華奢な体格に装飾品や口調が相まって女々しい。容貌はアレクの剛毅《ごうき》さに反して佳麗《かれい》さが重点的に目立っているが、やや鋭い双眸《そうぼう》の奥底からは胆力を感じさせるものがあった。

「……しかし、また果物をご購入されるとは思いませんでした。先ほどもあれだけ買っていただいたのにも関わらず、嬉しい限りです」

「――――あ?」

 違和感まみれな青年の発言に小首を傾げ、訪れた疑問に声を漏らすアレク。
 今回、彼がここへ来たのは初めてのはずで、ましてや青年と会話をした訳でもない。ここへ訪れた理由は商い通りを散策している最中に偶然見つけたことがきっかけで、その際に立ち寄った記憶など存在しないのだ。故に、アレクがここで果物を購入したという出来事は全くの誤謬《ごびゅう》で、青年はアレクに似た誰かに出会ったのだろう。そうでなければ、それはドッペルゲンガーというものである。

「……憶えていませんか?」

「憶えていないも何も、俺とあんたは今日ここで初めて会ったはずだ。見間違いじゃねえのか?」

 出会ったはずと記憶しているアレクに出会いを否定され、青年は自身の脳内を探るように掌《てのひら》を頭部に当てる。そして、数秒の間に瞼《まぶた》を閉じて思案気に眉根を寄せ、小さな呻き声を口の端から漏らした。しかし、

「いいえ、確かに私は貴方を見ました。ここ数日でローブに身を包んだお客様なんて1人しか見ていませんし、死神種《リアパー》のお客様なんて尚更です」

 再び瞼《まぶた》を開いて胆力を秘めた双眸《そうぼう》を細め、青年は飽くまでも自分の記憶に相違はないと主張する。直後、アレクはその主張がどうでもよくなった。
 人類種《クライネン》には感知できないであろう僅かな殺気が周囲に散布され、暖かさに満ちていた大気が徐々に凍結してゆく。

「一応訊いておこう。――――何を判断基準に俺が死神種《リアパー》だと決めつけた?」

 アレクの琴線に触れた死神種《リアパー》という種族。その種族が誕生したのは、時を遡って現在より2000年と余年前のことだ。それは今は亡き唯一神が存在した全種族大戦の開始時で、とある小さな村の消滅をきっかけに種族数を増大させていった。
 誰が言ったのかわからないことだ。曰く、奴等は他者の命を無差別に貪る神である。曰く、奴等は唯一神によって創られた魂そのものである。曰く、奴等は紫紺の双眸《そうぼう》と髪をもち、微精霊を自由に収束することが可能である。
 死神種《リアパー》は紫紺の双眸《そうぼう》と髪をもっている。――――死神種《リアパー》は紫紺の双眸《そうぼう》と髪をもっている。

「貴方はもう気付いているでしょう? 何を根拠に私が貴方を死神種《リアパー》であると判断しているか……」

「問いに問いで返すなよ……。俺は何を判断基準に自分を死神種《リアパー》だと決めつけたかって訊いてんだ。焦らさずにさっさと言ってみろよ」

 死神種《リアパー》は紫紺の双眸《そうぼう》と髪をもっている。

「――貴方のもっている、その美しい紫紺色の双眸《そうぼう》と艶やかな髪……ですかね」

 美しいと艶やかという言葉を除き、一言一句間違えることなく的中だ。何せ、アレクの姿を見た者たちは全員、世間の常識であるその容姿を判断材料に彼を死神と決めつけるのだから。

「あんたもそう言うよな……。俺の姿を見た奴は全員、そうやって言うんだ」

「そうでしょうね。貴方は人類種《クライネン》であるにも関わらず、生まれたときから死神というレッテルを貼られているのですから」

 青年は思い出したかのように店の内部にある値札を取り出し、真っ黒な小石で値段を記入し始める。そして、その値札を果物の入っている幾つもの木箱に貼り付けてゆき、店の中で作業を始めた。その行動は、まるでアレクを誘っているかのように見えた。
 アレクはローブのポケットから革財布を取り出し、1枚の1000円札を摘まみ出して店の内部へ移動する。広い台の上に乗せられている木箱の中にあるリンゴを取り出し、木箱に貼られている値札を確認するアレク。そこそこ大きなリンゴなのだが、100円玉1つで事足りる値段だ。

「……あんた、俺が人類種《クライネン》だってことを最初から知ってたな?」

「ええ、知ってましたよ。貴方が1回目に訪れたときも、2回目に訪れたときも……」

「1回目の俺と2回目の俺に、何か違う点はあるか?」

 青年の動きが、時が止まったかのように動かなくなった。大気に亀裂が生じたと錯覚しそうになるその空気は、青年が意図的に作り出しているような気さえする。
 青年はアレクから背けていた顔の方向を変え、

「……フードを外してもらえますか」

「その前にだ」

 フードを外すよう頼むが、その頼みはアレクの言葉によって保留という選択を強要される。
 アレクは木箱から1つのリンゴを取り出し、右手の平を緩慢に広げて言った。

「俺は腹が減ってんだ。その美味そうなりんご、5つくれよ」

「……物を買っていただけるなら、お客様は神様です。少し待っていてください」

 青年はお客様からリンゴの提供を頼まれると最初はポカンとしていたが、すぐに微笑を浮かべてリンゴを取り出して包みの中に入れてゆく。その間、アレクはポケットから黒色の革財布を取り出して待機。
 1つ……2つ……3つ……、そのときだ。

「――――――ッ!?」

 商い通りに女性の悲鳴が響き渡り、アレクの視界に茶色いフードを身に纏った四人が映った。

「すまねぇ! リンゴを買うのは明日までお預けだ!」

 既に視界から消失した茶色フードカルテットを追尾する為、アレクは否応なしに果物屋を飛び出した。折角リンゴを用意していた青年のことを思うと失礼極まりない行動だが、そこは彼の寛大さに期待するしかない――とアレクはローブをなびかせて傍らにそう思う。
 人間離れの脚力を生かして跳躍し、彼は石造建築物の真上に静かに着地。そして、紫紺の双眸を血眼にして茶色フードカルテットに視線を釘付けにしながら、アレクは奴等の視界に入らぬように追尾する。
 彼が刹那的に目撃した際の視覚情報では、あの四人の身長は140センチにも満たないほど低い。その低い身長と体格が華奢であることがローブ越しにも理解できる限り、十中八九あの四人は少女に相違ないだろう。そんな少女たちの中に一人だけ右手にネックレスを握った者がいるのだが、先ほどの女性の悲鳴から察するに窃盗であることは自明である。そして、何よりも恐ろしいのが少女たちの犯行が明らかに手馴れているうえ、身体能力が人類種クライネンを遥かに上回っているという点だ。かなりの速度で走っているつもりのアレクではあるのだが、人混みの中を駆けているにも関わらず少女たちの速度は彼と同等である。この時点で窃盗犯四人が人類種クライネンでないことは明白。そう断定して次に湧き出すのは、彼女らが一体何者であるかという疑問だ。

「あの身体能力は並みの種族に備わるレベルじゃねぇ。だとすれば、奴等は上位以上の種族か?」

 数多の種族が存在するこの世界には、種族によって格付けというものがされてある。と言っても具体的に格付けされているのは下位種族以上の存在で、それ以下の種族はただの塵芥と称されている。尤も、その塵芥には未知の種族も含まれているため、必然的に無警戒になっては簡単に命を落とす可能性だってある。犯行に及んだ彼女らだってその未知の種族でないという保証はないし、アレクも下手に関われば命が危ないかもしれない。だが、仮にそうであったとしても、アレクにはあの四人を追尾せずにはいられない。

「いや、んなもん気にしてる場合じゃねぇ。とりあえずはあの盗品だ」

 
 あのネックレスを盗まれて、悲鳴をあげた女性はきっと困っているに違いない。そのことを脳内で想像するだけで、アレクは赤の他人にも関わらず罪悪感というものに苛まれるのだ。今すぐにでもあの四人を捕らえられなくて申し訳ないと、目撃の際に数秒遅れた自分にイライラすると――心の隅でそう思っている。偽善だと思われるかもしれないし、余計なお世話だとも思われるかもしれない。いっそのこと、偽善者でも構わない――とアレクは思っているくらいだ。

「――つーか、速すぎんだろあいつら!?」

 身体能力に於いては右に出る者はいないとさえ言われた獣人種ビーストと比較しても、劣っているどころか同等以上の速度だ。上位種族の獣人種ビーストを凌駕するとなれば、

「まさか……悪魔種デーモンなんてことはねぇよな?」

 過去の大戦で死神に対抗することができたと伝えられる悪魔種デーモンは、下位種族を超えた上位種族を軽く凌駕する最上位種族に該当する種族だ。手を振るだけで大地が抉れ、羽を羽ばたかせるだけで尊い命が潰えることさえありうるらしい。過去の大戦が終結するころには絶滅したと言われていたのだが、死神と違って少ない数ながらも生きている。しかし、仮に少女らが悪魔種デーモンであったとしても、不思議な点が一つある。それは彼女たちが羽を使うことなく、わざわざ商い通りの人混みを避けて逃走しているということだ。人類種国チュヴァンに不法入国している故に身を隠す種族はいるが、悪魔種デーモンは頂点に位置する最上位種族。この国で存在が露呈しようとも、勝てる者など人類種クライネンにはいないのだ。他種族の力を借りて退治する方法もないことはないのだが、人類種国チュヴァンは他国との関係に於いて最も下手したてに出ている国だ。人類種国チュヴァンと関係をもっている地精種国シュロッサは幾つもの国の中でも力をもっており、弱小国の人類種国チュヴァンが依頼をしたところで断る未来しか見えない。

「――――――んな!?」

 茶色ローブカルテットの身体が徐々に浮遊し始め、彼女らが浮かぶ高度はアレクとほぼ同じになっていた。しかし、アレクの存在はまだ確認されておらず、四人の警戒心は全くない。
 人混みの中で逃走していたのでできなかったが、これなら――――

「オラァッ!」

 床を抉る勢いで天井を蹴りだし、四人の視界外からの突撃を目的に跳躍。脹脛ふくらはぎが多大な負荷に微細な痙攣を巻き起こしながらも、アレクはその感覚を興奮で掻き消す。
 向かい風が刹那にして顔面を叩き、ローブのなびきを以て彼の身体はカルテットの死角へ。そして、窃盗犯の誰一人に勘付かれることなく、四人の内の一人の矮躯わいくな身体に後方からしがみ付いた。

「ひぃ!?」

 しがみ付いた少女から畏怖の入り混じった驚きの声が発され、フードに隠れていた顔がアレクのほうへ振り向く。

「――――――!」

 ラピスラズリの如き虹彩をもった双眸が美しく、群青色の長髪が印象的な少女だった。体格はもちろん顔も小さく、傀儡かいらいのように整った容貌は絶世の美女という名にふさわしいだろう。少なくとも、アレクが送ってきた人生の中で彼女以上の美少女を見たことがない。
 少女は目の端に大粒の涙を浮かべていて、怖がっていて恐れていて……哀しんでいた。その表情がどうにも頭から離れなくて、どうにも目から離れなくて……アレクの視線は彼女の表情に釘付けになっていた。
 興奮に震えていた身体が硬直し、アレクの肉体に数秒の停滞が生まれる。その停滞が窃盗犯の仲間に行動時間を与えるには、十分すぎるほどの時間だった。

「うぁ!?」

 突如、手首を掴まれる感覚に手首が悲鳴をあげ、瞬時にしてアレクの身体は群青色の髪の少女から引き剥がされる。直後、彼の身体は力なく宙にぶら下がり、気付けばアレクの肉体は凄まじい勢いを以て旋回していた。そして、

「退屈凌ぎには十分すぎるものを発見したな。偽善者・偽善者・偽善者・偽善者・偽善者……そして、次はその偽物か……イライラする」

 大地が抉れるほどの勢いで商い通りの石床に叩き付けられ、破砕音が民衆の鼓膜を叩いたのだった。

作者
「自分の手抜き加減に引きました。書き始めて半分も書かない内に手抜きをするとは、自分でも思いませんでした。反省しています。二話から本気出す(フラグ)
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