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第一章 メイド、主人の秘密を知る。
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「ご主人様、朝です。そろそろお目覚めくださいませ」
だが朝日がだだっ広い寝室をぱぁあっと白く照らし出しても、寝台の住人はピクリとも動かない。ジゼルはため息をついて、中途半端に開けていた天蓋のカーテンも全部開いた。
すると、さすがに顔に朝日が当たるようになったからか、寝台にうつ伏せに寝ていた誰かがもぞもぞと動き出す。
が、この期に及んで毛布に潜り込もうとしたので、ジゼルはすかさず毛布を掴み、渾身の力で引っぺがした。
「――いい加減に起きてください、ロイド様!」
ばさぁっ! と毛布が床に捨てられて、これまただだっ広い寝台に丸くなっていた青年は、ぶるっと身震いして寝返りを打った。
「うぅ、ひどい、ひどすぎるよジゼル……っ、僕を安眠という楽園からこんなに無情に引き剥がすなんて――」
「恨み言より先に起きてください。紅茶がちょうどいい頃合いになってますから」
砂時計の砂がさらりとすべて落ちて、ジゼルはすぐにポットからカップへ紅茶を注ぎ入れる。
爽やかな香りが部屋いっぱいに広がるが、往生際の悪い部屋の主は、まだ寝台の上でぶつくさ文句を垂れていた。
「せめてもうちょっと可愛らしく起こしてくれてもいいじゃないか~。毛布を剥がさなくても、肩を揺するとか、起きてって囁くとか、なんなら目覚めのキスとか~」
「童話じゃないんですから、目覚めのキスなんて必要ありません。それに肩を揺するとか起きてと囁くとか、ここ何年かで何度も試しましたけど、まるで効果がなかったじゃないですか。無駄なことに時間を費やするなら、一撃必殺、確実にやれる方法を用いるほうが、合理的且つ賢明な判断かと存じます」
「うぅ、合理的すぎてぐぅの音も出ない……」
それでもまだ「ひどい」「あんまりだ」と繰り返す主に、カップをソーサーに載せたジゼルは、それをわざと傾けようとした。主人のすぐ頭上で。
「あと三つ数えるうちに起きなかったら、わたしはうっかりこの淹れ立ての紅茶を、ご主人様の綺麗な金髪の上にドバッとこぼしてしまうかも――」
「やめてやめて本当にやめて。起きます、起きますから、はい」
言葉通り青年はすぐにしゃんと起きた。最初からそうしてくださいよ、と思いながらジゼルはソーサーを差し出す。
紅茶を受け取った青年は「いい香りだね~」と言いつつ、ゆっくり息を吸い込む。そういう仕草は寝起きでも様になるほど格好いいから、容姿が整っているというのは得なものだな、とジゼルはため息をついた。
――そう、ジゼルの主人であり、多くの使用人と広大な庭付きの住まいを抱えるこの主人は、とにかくハッとするほどの美青年だった。
その名もロイド・ジルヴィス。驚く事なかれ、その身分は公爵――さらに言えば、王族の一員なのである。
「王族って言っても、僕のおじいさまが当時の国王の弟だったというだけだから、末端に引っかかっているだけなんだけどね~」
とロイド本人は言うが、いやいやそれは充分にすごいことだから、と聞くひとは誰でも突っ込まずにはいられないであろう。
その初代公爵である彼のおじいさまは、それはそれは美しいひとで、当時は国外にまでその名を馳せていた麗しの貴公子だったらしい。
次代の当主であるロイドの亡きお父上も、平均よりだいぶ整ったお顔立ちだったそうだが、隔世遺伝というのだろうか、彼の祖父を知る人物はそろって『おじいさまの生き写しね!』とロイドの容姿を褒め称えていた。
当然、輝かんばかりの金髪と、この国の王族特有の色と言われる赤みの強い紫の瞳、甘いマスク、すらりとした長身、いかにも貴族的な美麗な立ち姿は、現在の宮廷でも多くの人間――特に若い女性を惹きつけてやまず、ロイドは彼の祖父と同じく『宮廷一の貴公子』として大人気なのである。
年齢も今年で二十五歳とあって、そろそろ身を固めてはどうかと、なんと国王様からも結婚を勧められているそうだが――ロイド本人はあまり興味がないらしい。
というのも、彼本人が花嫁を探すことより、自分の趣味嗜好を突き詰めることに夢中になっているからだ。
「もしかして、昨夜も遅くまで作業をなさっていたのですか?」
いつにも増して寝台にしがみつこうとしていた先ほどの様子を思い出しつつ、ジゼルは問いかける。ほどよい温度になった紅茶をゆっくり味わうロイドは、「まぁそんなところ」と肩をすくめた。
ジゼルはチラリと主人の横顔を見やる。寝起きでも美しい……いや、寝起きだからこそ、昼間は見られない気怠い色気を滲ませているロイドは、よくよく見ると目の下にうっすらと隈を作っている。
洗面の支度をしながら、ジゼルはそっと声をかけた。
「衣装作りが旦那様の生きがい級の趣味なのは、使用人全員が理解しておりますけど、寝不足になるほど突き詰めるのはどうかと思います。今日もたくさん予定が入っておりますし、お仕事に支障が出ては大変ですから」
――そう、この麗しき貴公子は、なぜだか衣装を作ることを最大の趣味としていた。
貴族の男性の趣味と言えば、乗馬や狩猟、競馬や賭け事、ボクシングやフェンシング、というのが昨今のお決まりだ。
そんな中、部屋に籠もって針仕事やミシン踏みをしていたら、大抵の男は軟弱だとか、女々しいと言われて笑われてしまう。
が、ロイドの場合、彼が王族であって、よほどのことがない限り意見をする者が出てこないことや、狩猟やフェンシングが不得意というわけではなく、むしろ国王主催の選手権に出場すれば確実に上位に入る腕を持っていることから、衣装作りは高貴な方特有の凡人には理解できぬ高潔な趣味なのだ……という捉えられ方をしているのだ。
それに、彼の衣装作りは趣味の範囲にとどまらない。
最初は、彼自身が支援している劇団や俳優たちの衣装をアドバイスする程度だったのだ。
だが、口だけでは満足できなくなって、ついには手を出すようになり、それが高じて衣装一式を手がけるようになった。
評判がよく、是非また作って欲しいとお願いされるも、舞台に立つ全員分を作るとなると、自分だけでは手が回らない。
そこでお針子を雇い入れて、自分はデザインだけに専念するようになった。その後、お針子たちと俳優たちのあいだを行き来する小間使いを雇い入れ、数字に明るい経理の者まで雇ったら、もう一つの店舗の完成だ。
そこから派生して、貴婦人のドレスなどもデザインするようになったら、あのロイド様が手がけたドレスですって! ということで、貴婦人のあいだで爆発的な人気を呼び、気づけば舞台衣装の専門店だけでなく、婦人用ドレス専門のテーラーまでもを経営する立場となっていたのだ。
なのでロイドは新しい舞台が決まると積極的に衣装のデザインを描き、自分が懇意にする役者には衣装だけでなく、床屋代や化粧代まで持ってやって、手厚く支援を施している。
おかげでロイドのもとには、それまで以上に支援を求める俳優の卵たちが集まるようになって、彼らをまとめるのも大仕事になっているというわけだ。
それだけでなく、芸術全般に明るいロイドは、画家や音楽家の育成にも力を入れている。
彼の芸術センスと熱心な活動はすぐさま認められ、国王陛下からいくつかの芸術団体の名誉総裁の務めを賜った関係もあり、とにかく彼は毎日多忙なのであった。
「心配してくれてありがとう、ジゼル。でも好きでやっていることだから大丈夫だよ。これが僕の大嫌いな政治とか腹の探り合いだったら、たとえ毛布を引っぺがされても、絶対に寝台から出ないと駄々をこねていただろうしね」
「それはちょっと……」
困る……けど、ロイドならありえそう……、と、この三年務めてきた中で理解してた主人の性質を思い、ジゼルは微妙な笑みを浮かべた。
だが朝日がだだっ広い寝室をぱぁあっと白く照らし出しても、寝台の住人はピクリとも動かない。ジゼルはため息をついて、中途半端に開けていた天蓋のカーテンも全部開いた。
すると、さすがに顔に朝日が当たるようになったからか、寝台にうつ伏せに寝ていた誰かがもぞもぞと動き出す。
が、この期に及んで毛布に潜り込もうとしたので、ジゼルはすかさず毛布を掴み、渾身の力で引っぺがした。
「――いい加減に起きてください、ロイド様!」
ばさぁっ! と毛布が床に捨てられて、これまただだっ広い寝台に丸くなっていた青年は、ぶるっと身震いして寝返りを打った。
「うぅ、ひどい、ひどすぎるよジゼル……っ、僕を安眠という楽園からこんなに無情に引き剥がすなんて――」
「恨み言より先に起きてください。紅茶がちょうどいい頃合いになってますから」
砂時計の砂がさらりとすべて落ちて、ジゼルはすぐにポットからカップへ紅茶を注ぎ入れる。
爽やかな香りが部屋いっぱいに広がるが、往生際の悪い部屋の主は、まだ寝台の上でぶつくさ文句を垂れていた。
「せめてもうちょっと可愛らしく起こしてくれてもいいじゃないか~。毛布を剥がさなくても、肩を揺するとか、起きてって囁くとか、なんなら目覚めのキスとか~」
「童話じゃないんですから、目覚めのキスなんて必要ありません。それに肩を揺するとか起きてと囁くとか、ここ何年かで何度も試しましたけど、まるで効果がなかったじゃないですか。無駄なことに時間を費やするなら、一撃必殺、確実にやれる方法を用いるほうが、合理的且つ賢明な判断かと存じます」
「うぅ、合理的すぎてぐぅの音も出ない……」
それでもまだ「ひどい」「あんまりだ」と繰り返す主に、カップをソーサーに載せたジゼルは、それをわざと傾けようとした。主人のすぐ頭上で。
「あと三つ数えるうちに起きなかったら、わたしはうっかりこの淹れ立ての紅茶を、ご主人様の綺麗な金髪の上にドバッとこぼしてしまうかも――」
「やめてやめて本当にやめて。起きます、起きますから、はい」
言葉通り青年はすぐにしゃんと起きた。最初からそうしてくださいよ、と思いながらジゼルはソーサーを差し出す。
紅茶を受け取った青年は「いい香りだね~」と言いつつ、ゆっくり息を吸い込む。そういう仕草は寝起きでも様になるほど格好いいから、容姿が整っているというのは得なものだな、とジゼルはため息をついた。
――そう、ジゼルの主人であり、多くの使用人と広大な庭付きの住まいを抱えるこの主人は、とにかくハッとするほどの美青年だった。
その名もロイド・ジルヴィス。驚く事なかれ、その身分は公爵――さらに言えば、王族の一員なのである。
「王族って言っても、僕のおじいさまが当時の国王の弟だったというだけだから、末端に引っかかっているだけなんだけどね~」
とロイド本人は言うが、いやいやそれは充分にすごいことだから、と聞くひとは誰でも突っ込まずにはいられないであろう。
その初代公爵である彼のおじいさまは、それはそれは美しいひとで、当時は国外にまでその名を馳せていた麗しの貴公子だったらしい。
次代の当主であるロイドの亡きお父上も、平均よりだいぶ整ったお顔立ちだったそうだが、隔世遺伝というのだろうか、彼の祖父を知る人物はそろって『おじいさまの生き写しね!』とロイドの容姿を褒め称えていた。
当然、輝かんばかりの金髪と、この国の王族特有の色と言われる赤みの強い紫の瞳、甘いマスク、すらりとした長身、いかにも貴族的な美麗な立ち姿は、現在の宮廷でも多くの人間――特に若い女性を惹きつけてやまず、ロイドは彼の祖父と同じく『宮廷一の貴公子』として大人気なのである。
年齢も今年で二十五歳とあって、そろそろ身を固めてはどうかと、なんと国王様からも結婚を勧められているそうだが――ロイド本人はあまり興味がないらしい。
というのも、彼本人が花嫁を探すことより、自分の趣味嗜好を突き詰めることに夢中になっているからだ。
「もしかして、昨夜も遅くまで作業をなさっていたのですか?」
いつにも増して寝台にしがみつこうとしていた先ほどの様子を思い出しつつ、ジゼルは問いかける。ほどよい温度になった紅茶をゆっくり味わうロイドは、「まぁそんなところ」と肩をすくめた。
ジゼルはチラリと主人の横顔を見やる。寝起きでも美しい……いや、寝起きだからこそ、昼間は見られない気怠い色気を滲ませているロイドは、よくよく見ると目の下にうっすらと隈を作っている。
洗面の支度をしながら、ジゼルはそっと声をかけた。
「衣装作りが旦那様の生きがい級の趣味なのは、使用人全員が理解しておりますけど、寝不足になるほど突き詰めるのはどうかと思います。今日もたくさん予定が入っておりますし、お仕事に支障が出ては大変ですから」
――そう、この麗しき貴公子は、なぜだか衣装を作ることを最大の趣味としていた。
貴族の男性の趣味と言えば、乗馬や狩猟、競馬や賭け事、ボクシングやフェンシング、というのが昨今のお決まりだ。
そんな中、部屋に籠もって針仕事やミシン踏みをしていたら、大抵の男は軟弱だとか、女々しいと言われて笑われてしまう。
が、ロイドの場合、彼が王族であって、よほどのことがない限り意見をする者が出てこないことや、狩猟やフェンシングが不得意というわけではなく、むしろ国王主催の選手権に出場すれば確実に上位に入る腕を持っていることから、衣装作りは高貴な方特有の凡人には理解できぬ高潔な趣味なのだ……という捉えられ方をしているのだ。
それに、彼の衣装作りは趣味の範囲にとどまらない。
最初は、彼自身が支援している劇団や俳優たちの衣装をアドバイスする程度だったのだ。
だが、口だけでは満足できなくなって、ついには手を出すようになり、それが高じて衣装一式を手がけるようになった。
評判がよく、是非また作って欲しいとお願いされるも、舞台に立つ全員分を作るとなると、自分だけでは手が回らない。
そこでお針子を雇い入れて、自分はデザインだけに専念するようになった。その後、お針子たちと俳優たちのあいだを行き来する小間使いを雇い入れ、数字に明るい経理の者まで雇ったら、もう一つの店舗の完成だ。
そこから派生して、貴婦人のドレスなどもデザインするようになったら、あのロイド様が手がけたドレスですって! ということで、貴婦人のあいだで爆発的な人気を呼び、気づけば舞台衣装の専門店だけでなく、婦人用ドレス専門のテーラーまでもを経営する立場となっていたのだ。
なのでロイドは新しい舞台が決まると積極的に衣装のデザインを描き、自分が懇意にする役者には衣装だけでなく、床屋代や化粧代まで持ってやって、手厚く支援を施している。
おかげでロイドのもとには、それまで以上に支援を求める俳優の卵たちが集まるようになって、彼らをまとめるのも大仕事になっているというわけだ。
それだけでなく、芸術全般に明るいロイドは、画家や音楽家の育成にも力を入れている。
彼の芸術センスと熱心な活動はすぐさま認められ、国王陛下からいくつかの芸術団体の名誉総裁の務めを賜った関係もあり、とにかく彼は毎日多忙なのであった。
「心配してくれてありがとう、ジゼル。でも好きでやっていることだから大丈夫だよ。これが僕の大嫌いな政治とか腹の探り合いだったら、たとえ毛布を引っぺがされても、絶対に寝台から出ないと駄々をこねていただろうしね」
「それはちょっと……」
困る……けど、ロイドならありえそう……、と、この三年務めてきた中で理解してた主人の性質を思い、ジゼルは微妙な笑みを浮かべた。
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