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『つよがり王女は花婿に請う』リンク番外編
3 作戦
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アンリエッタ視点です。
********************************************
ヴィオラと並んで眠るのはほぼ一ヶ月ぶりだ。
妊娠後期、アンリエッタはオーランドの仕事の都合で城に滞在することになり、そこでヴィオラとの親交を含めた。
アルノートが産まれる前は、それこそ毎日のように同じ寝室で休んでいた仲である。
こうして隣同士で横になっている少し懐かしさを覚えて、アンリエッタも隣で大の字になるヴィオラをにこにこと見やった。
ヴィオラは久々にゆっくり眠れることがよほど嬉しいようだ。逆に考えれば、それだけ毎夜レオンに愛されているということである。
……他人の夜のことをあまり聞いてはいけないと思うが、どうにも好奇心はぬぐえなくて、アンリエッタはついつい身を乗り出していた。
「ねぇ、レオン様って、夜になるとそんなに激しくなさるの? それこそ逃げ出したくなってしまうくらい?」
するとヴィオラは目を剥いて身体を硬くした。
「あ、アンリエッタ様、どうしてそんなこと……」
「怒ったのなら謝るわ」
アンリエッタは慌てて微笑んだ。
「でも、レオン様がそんなふうに情熱的になるだなんて、とても想像がつかないの。だから少し気になってしまって」
「ん……まぁ、そうかもしれませんわね」
思い当たることがあるのか、ヴィオラも曖昧に頷いた。
「うーん、激しいと言いますか、なんというか……。とにかく、わたくしの言うことを聞いてくださらないんですわ」
「まぁ。聞いてくれないって……」
「そうですね。たとえば、もう無理だからやめてくださいと言っても、ちっとも聞き入れてくださらないんです」
まぁ、とアンリエッタは目を見張ってしまう。
そもそも「もう無理です」と言わせるくらい、レオンはヴィオラを抱き潰しているのだろうか。
初めて会った頃のレオンは、なにを考えているかわからないつかみ所がない性格をしていて、それこそ情熱とはほど遠い人柄だと思っていたが。
「やっぱり、なんだか意外だわ。あのレオン様が……。でもそれは、裏を返せばそれだけあなたのことを愛しているということよね。素敵だわ」
アンリエッタはヴィオラを慰めるつもりでそう言った。
「素敵なことなんてありません! あそこまでされると逆に迷惑ですわっ」
だがヴィオラは勢いよく首を振って全力で否定してくる。
まだらに染まる頬をきゅっと上がった眉が可愛らしくて、アンリエッタはつい笑い出してしまった。
「でも、それこそ逆に考えてみて。レオン様がそれほど情熱的になるのは、そうするだけの価値があなたにあるという証拠なのよ。それってとても素晴らしいことだと思わない?」
「うっ……た、たとえそうだとしても、何事にも限度というものがありますわ」
ヴィオラは頑なに言い張った。
彼女のこういう素直でないところがおもしろくて、アンリエッタもついついからかってしまう。
それに思い当たったとき、アンリエッタはようやくレオンの気持ちが理解できた。
なんだかおかしくて、ますます笑い転げてしまう。
「もうっ、アンリエッタ様、笑い事ではないんですよ?」
「ご、ごめんなさい。でも、レオン様の気持ちも少しわかってしまったのよ」
「?」
「だってヴィオラ様ったら、本当に可愛いんですもの。ずーっとからかってみたいわって、悪戯心が出てきてしまうの」
「!?」
ヴィオラは激しい衝撃を受けたように唖然とした。
「冗談じゃありませんわ! アンリエッタ様までひどいことおっしゃらないでっ」
「あら、事実を言っているまでなのよ?」
アンリエッタにっこりと首を傾げて見せた。
だがヴィオラのほうはからかわれたと思ったらしい。いつも強気な藤色の瞳がうるうると潤んでいくのを見て、アンリエッタはしまったと臍をかんだ。
「ごめんなさい、そんな顔をさせたいわけじゃないのよ? そう……ちょっとうらやましくなってしまって」
「うらやましく?」
ヴィオラが瞬くのを見て、アンリエッタも苦笑した。
「わたくしが新婚の頃は、オーランド様が顔を見せてくださるのは三日に一度とかだったから……。今も、もうどれくらいかしら? ずいぶん夜を一緒に過ごしていないの」
「あっ……」
ヴィオラがかすかに目を見開く。
強情に見えるが、ヴィオラは本当はとても優しい娘なのだ。きっとアンリエッタの寂しさをすぐに察したに違いない。
実際、アンリエッタは寂しかった。
やることはいろいろあるし、アルノートがいるから、妊娠初期に感じていたような心細さはひどくはない。
それでも、時折は自分のところに帰ってきて欲しいし、アルノートを抱きしめてあげて欲しいのだ。
もちろん……アンリエッタのことも。
(こんなことを考えていると知れたら、きっとはしたないと軽蔑されてしまうわね)
アンリエッタは苦笑したが、ヴィオラは殊勝に頭を下げた。
「ごめんなさい。わたくしのほうこそ、配慮が足りませんでしたわ」
「あ、いいえ、ヴィオラ姫が悪いのではないわ。わたくしのほうこそ意地悪を言ってごめんなさいね」
アンリエッタは自戒を込めて微笑んだ。
そうだ。自分が愛されない不満を義妹にぶつけるだなんて子供じみている。ここは年上としてしっかりとアドバイスをしてあげないと……。
そうは思うが、やはり棘のように刺さった切なさは抜けず、アンリエッタはつい目を伏せてしまった。
思わず考えに沈み込みそうになったとき、ため息混じりのヴィオラの声が聞こえてくる。
「公爵ならきっと……とても優しく、アンリエッタ様のことを愛するはずよね」
「えっ?」
思わずといった呟きに、アンリエッタは驚いてしまった。
ヴィオラがぱっと口を覆う。どうやら胸中で呟いただけの言葉が、声に出てしまっていたようだ。
「あ……い、いえ、その。公爵がアンリエッタ様を寵愛しているのは誰の目にも明かですもの。まさかその妻を、足腰が立たなくなるまで抱きしめるなんて節操のないこと、絶対にしないだろうと思って……!」
(足腰が立たないって……)
アンリエッタは唖然とすると同時に、自分がそうされた過去のことを思い出して、思わず真っ赤になってしまった。
身体が瞬間的に熱くなって、足のあいだが潤んでくる。久しく感じなかった欲求が突き上げてきて、アンリエッタは潤んだ目を瞬かせた。
その様子をどう解釈してか、ヴィオラがおそるおそる尋ねてくる。
「アンリエッタ様も……その、公爵に、激しくされたことがありまして?」
「さ、さぁ……」
まさかそれを思い出して赤くなったとは言えず、アンリエッタは曖昧にごまかした。
だがそれが不自然さを煽ったらしい。今度はヴィオラのほうが、アンリエッタに向かって身を乗り出してきた。
「わたくしにはそちらのほうが意外ですけれど……公爵って、あまり感情的に振る舞うような方ではないと思いますし……」
確かに、普段のオーランドは冷静沈着を絵に描いたような人物だ。時折臣下と話しているところを見ると、夜の彼とは別人のように思えることがある。
きっとヴィオラにとってのレオンもそんな感じなのだろう。お互いの伴侶の夜の顔を知らないから、意外だ、意外だと言い合ってしまうのかもしれない。
「わたくしにはレオン様のほうが意外だけれど……やっぱり、血が繋がっているから、似通っているところも出てくるのかしら?」
「どうなのでしょう」
ヴィオラも首を傾げた。
「でも、ローフェルム公爵は、その、変な要求とかはしてきませんわよね?」
「まぁ、変な要求?」
アンリエッタは思わずきょとんとしてしまう。
変な、とはいったいどんなものだろう。寂しさに沈んでいた心がまたわくわくしてきて、アンリエッタはつい深く聞き出そうとしてしまった。
「そ、その……く、口で、咥えろ、とか……」
しばらくしてようやく白状したヴィオラは、真っ赤になった顔を両手で覆ってしまう。
アンリエッタもつられて赤くなりながら、一度だけそうやったときのことを思い出して、少し複雑な気分になってしまった。
(レオン様は、ヴィオラ様にそういうことをしてほしいと思ってらっしゃるのね……)
アンリエッタも一度だけ……本当に以前のことだが、オーランドに一物を口で愛撫するように要求されたことがある。
だがあのときはオーランドもアンリエッタのことを王妃の手先と疑っていて、彼女を遠ざけるためにわざとぶつけた要求だったのだ
のちにそのことを反省したオーランドは、アンリエッタに一物にふれさせることはあっても、二度と口で咥えろとは要求してこなかった。
もっとも、その『ふれさせる』ことに関しても、城の大浴場でのぼせて以来、オーランドは自戒するようになってしまったが……。
(でも、あのときのオーランド様は確かに『さわってくれ』とおっしゃっていたし、気持ちよさそうになさっていた気がするわ)
おぼろげな記憶だけに詳しく思い出せない。あのときはアンリエッタもオーランドの指淫を受けて、自分の快楽を追うことに必死になっていたのだ。
まったく、そうやって自分の悦楽ばかり満たしているから、オーランドもなにも要求してこなくなったのではないか……思い当たったアンリエッタは、自分自身につい毒づいてしまった。
(でもやっぱり、レオン様もそうなのだから、オーランド様だってきっと……)
「ねぇ、やっぱり殿方ってそうされると嬉しいのかしら?」
気づけばアンリエッタは、疑問をはっきり口に出してしまっていた。
「はいっ?」
ヴィオラがひっくり返った声で聞き返してくる。
「あ、アンリエッタ様?」
「だって、そういうふうに言ってくるということは、つまりそういうことだからということでしょう?」
さすがに具体的には言えずに濁してみるが、ヴィオラには充分通じたらしい。心なし少し後ずさりながら、「ま、まぁそうかもしれませんけど……」ともごもご答えた。
「その、アンリエッタ様も……公爵に、そういうことを言われたことがあるのですか?」
当然と言えば当然の問いに、アンリエッタはぎくりとした。
「え、ええ、その、一度だけ……で、でもあれは数に入らないの。わたくしもまだ嫁いできたばかりの頃で、その、閨での作法もよくわかっていなかった頃だから」
下手をすればオーランドの株を落としまいかねないと、アンリエッタは慎重に答えた。
しかしヴィオラはひどく衝撃を受けた様子で、みるみる藤色の瞳を釣り上げていく。
アンリエッタはよけいに慌てた。
「あ、どうか勘違いしないで。わたくしがつたなかったのも問題でしょうし……その、オーランド様は、わたくしが身体にふれるのにあまりいい顔をなさらないから」
自分の言葉に落ち込んでしまって、アンリエッタはつい肩を落としてしまった。
(それもこれも、わたくしがふがいないせいだわ……)
「公爵はそうなんでしょうか? レオン様はしょっちゅう、わたくしにああしろ、こうしろと言ってきますけれど……」
ヴィオラが唇を尖らせながら呟く。
アンリエッタはぱっと顔を上げた。そうだ。考えてみれば、レオンに色々な要求をされているヴィオラのほうが、男性を喜ばせる術に長けているのかもしれない。
「ああしろ、こうしろって……たとえば、どんな風に?」
逸る心を抑えながら、アンリエッタは尋ねた。
「どんなって……う、上に乗って、自分から挿れろとか……?」
「まぁ、自分から?」
アンリエッタは思わず素っ頓狂な声を上げる。そんなこと、彼女は一度たりともしたことがないのだ。
(他にはどんな方法があるのかしら……?)
男性を喜ばせるための方法。それがわかれば、オーランドも少しはいい気持ちになってくれるかも知れない。
いつもいつもアンリエッタばかりよくしてもらっていては申し訳ない。日々の政務に疲れている夫のためにも、アンリエッタはなんとしてでもその方法を学ぶ必要があった。
決意も新たに、アンリエッタはヴィオラの手をがっしり握る。
「ヴィオラ様、お願い! わたくしにそのやり方を詳しく教えて!」
「えっ、ええぇ!? そ、そんなっ、アンリエッタ様!」
案の定ヴィオラは仰天するが、アンリエッタはさらに迫った。
「だって、こんなことを聞ける相手ってヴィオラ様しかいないし……っ。わたくし、オーランド様に気持ちよくなっていただきたいのっ。いつもわたくしばかりよくしていただいて……不安なのよ」
ただでさえ、アルノートを生んだことで体つきも少し変わってしまった。
オーランドはまるで帰ってくる様子もないし、もしかしたら……ないとは思うが……別にいい人ができていたり、また娼館通いを始めてしまう可能性だって否定できない。
彼に連れられて高級娼館を訪れた経験は、どうやら未だアンリエッタの中で抜けきらない棘となってしまっているようだった。
「アンリエッタ様が不安になることなんてありませんわ! ようは公爵が甲斐性無しなのがいけないのではありませんか!」
ヴィオラが猛烈に反発してくる。彼女は基本的にアンリエッタの味方だ。
きっとヴィオラの中のオーランドは妻を不安にさせるできの悪い夫になっているに違いない。
「甲斐性無し……いいえ、甲斐性無しなのはわたくしのほうだわ。わたくしが今のままに甘んじていたから、きっとオーランド様もわたくしにそういったことを要求してくださらないのよ……」
反省と夫のフォローのためにアンリエッタは神妙に口を開く。
ヴィオラも言いすぎたと思ったのかふっと口をつぐみ、何事か考える顔つきになった。
「……わたくしはアンリエッタ様のほうがうらやましいですわ。どうやったら、レオン様もそういうふうにわきまえてくださるのかしら」
ふと、ヴィオラはそんなことを呟く。アンリエッタは驚いてヴィオラを見つめた。
どうやら彼女は、なんの要求もしてこないオーランドこそ素晴らしいと考えてしまったらしい。アンリエッタとしては、多少無茶を言われても気持ちよくなってもらえるならと思うだけに、真逆の考えにびっくりしてしまった。
とはいえ、お互い悩みが深いのは間違えようもない。
アンリエッタは、つい大きく頷いて身を乗り出してしまった。
「ねぇ、ヴィオラ様。せっかくなのですからたくさんお話しいたしましょう? わたくしにぜひ、殿方を気持ちよくさせる方法をお教えくださいな」
するとヴィオラも激しく頷き、これまでとは一転して思い詰めた様子でアンリエッタを見つめてきた。
「で、でしたらアンリエッタ様は、どうやったら殿方が変な要求をしなくなるかご伝授くださいっ」
こうして、端から見れば苛烈・赤裸々きわまりない女たちの話し合いは、夜通しで続くこととなってしまった。
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ヴィオラと並んで眠るのはほぼ一ヶ月ぶりだ。
妊娠後期、アンリエッタはオーランドの仕事の都合で城に滞在することになり、そこでヴィオラとの親交を含めた。
アルノートが産まれる前は、それこそ毎日のように同じ寝室で休んでいた仲である。
こうして隣同士で横になっている少し懐かしさを覚えて、アンリエッタも隣で大の字になるヴィオラをにこにこと見やった。
ヴィオラは久々にゆっくり眠れることがよほど嬉しいようだ。逆に考えれば、それだけ毎夜レオンに愛されているということである。
……他人の夜のことをあまり聞いてはいけないと思うが、どうにも好奇心はぬぐえなくて、アンリエッタはついつい身を乗り出していた。
「ねぇ、レオン様って、夜になるとそんなに激しくなさるの? それこそ逃げ出したくなってしまうくらい?」
するとヴィオラは目を剥いて身体を硬くした。
「あ、アンリエッタ様、どうしてそんなこと……」
「怒ったのなら謝るわ」
アンリエッタは慌てて微笑んだ。
「でも、レオン様がそんなふうに情熱的になるだなんて、とても想像がつかないの。だから少し気になってしまって」
「ん……まぁ、そうかもしれませんわね」
思い当たることがあるのか、ヴィオラも曖昧に頷いた。
「うーん、激しいと言いますか、なんというか……。とにかく、わたくしの言うことを聞いてくださらないんですわ」
「まぁ。聞いてくれないって……」
「そうですね。たとえば、もう無理だからやめてくださいと言っても、ちっとも聞き入れてくださらないんです」
まぁ、とアンリエッタは目を見張ってしまう。
そもそも「もう無理です」と言わせるくらい、レオンはヴィオラを抱き潰しているのだろうか。
初めて会った頃のレオンは、なにを考えているかわからないつかみ所がない性格をしていて、それこそ情熱とはほど遠い人柄だと思っていたが。
「やっぱり、なんだか意外だわ。あのレオン様が……。でもそれは、裏を返せばそれだけあなたのことを愛しているということよね。素敵だわ」
アンリエッタはヴィオラを慰めるつもりでそう言った。
「素敵なことなんてありません! あそこまでされると逆に迷惑ですわっ」
だがヴィオラは勢いよく首を振って全力で否定してくる。
まだらに染まる頬をきゅっと上がった眉が可愛らしくて、アンリエッタはつい笑い出してしまった。
「でも、それこそ逆に考えてみて。レオン様がそれほど情熱的になるのは、そうするだけの価値があなたにあるという証拠なのよ。それってとても素晴らしいことだと思わない?」
「うっ……た、たとえそうだとしても、何事にも限度というものがありますわ」
ヴィオラは頑なに言い張った。
彼女のこういう素直でないところがおもしろくて、アンリエッタもついついからかってしまう。
それに思い当たったとき、アンリエッタはようやくレオンの気持ちが理解できた。
なんだかおかしくて、ますます笑い転げてしまう。
「もうっ、アンリエッタ様、笑い事ではないんですよ?」
「ご、ごめんなさい。でも、レオン様の気持ちも少しわかってしまったのよ」
「?」
「だってヴィオラ様ったら、本当に可愛いんですもの。ずーっとからかってみたいわって、悪戯心が出てきてしまうの」
「!?」
ヴィオラは激しい衝撃を受けたように唖然とした。
「冗談じゃありませんわ! アンリエッタ様までひどいことおっしゃらないでっ」
「あら、事実を言っているまでなのよ?」
アンリエッタにっこりと首を傾げて見せた。
だがヴィオラのほうはからかわれたと思ったらしい。いつも強気な藤色の瞳がうるうると潤んでいくのを見て、アンリエッタはしまったと臍をかんだ。
「ごめんなさい、そんな顔をさせたいわけじゃないのよ? そう……ちょっとうらやましくなってしまって」
「うらやましく?」
ヴィオラが瞬くのを見て、アンリエッタも苦笑した。
「わたくしが新婚の頃は、オーランド様が顔を見せてくださるのは三日に一度とかだったから……。今も、もうどれくらいかしら? ずいぶん夜を一緒に過ごしていないの」
「あっ……」
ヴィオラがかすかに目を見開く。
強情に見えるが、ヴィオラは本当はとても優しい娘なのだ。きっとアンリエッタの寂しさをすぐに察したに違いない。
実際、アンリエッタは寂しかった。
やることはいろいろあるし、アルノートがいるから、妊娠初期に感じていたような心細さはひどくはない。
それでも、時折は自分のところに帰ってきて欲しいし、アルノートを抱きしめてあげて欲しいのだ。
もちろん……アンリエッタのことも。
(こんなことを考えていると知れたら、きっとはしたないと軽蔑されてしまうわね)
アンリエッタは苦笑したが、ヴィオラは殊勝に頭を下げた。
「ごめんなさい。わたくしのほうこそ、配慮が足りませんでしたわ」
「あ、いいえ、ヴィオラ姫が悪いのではないわ。わたくしのほうこそ意地悪を言ってごめんなさいね」
アンリエッタは自戒を込めて微笑んだ。
そうだ。自分が愛されない不満を義妹にぶつけるだなんて子供じみている。ここは年上としてしっかりとアドバイスをしてあげないと……。
そうは思うが、やはり棘のように刺さった切なさは抜けず、アンリエッタはつい目を伏せてしまった。
思わず考えに沈み込みそうになったとき、ため息混じりのヴィオラの声が聞こえてくる。
「公爵ならきっと……とても優しく、アンリエッタ様のことを愛するはずよね」
「えっ?」
思わずといった呟きに、アンリエッタは驚いてしまった。
ヴィオラがぱっと口を覆う。どうやら胸中で呟いただけの言葉が、声に出てしまっていたようだ。
「あ……い、いえ、その。公爵がアンリエッタ様を寵愛しているのは誰の目にも明かですもの。まさかその妻を、足腰が立たなくなるまで抱きしめるなんて節操のないこと、絶対にしないだろうと思って……!」
(足腰が立たないって……)
アンリエッタは唖然とすると同時に、自分がそうされた過去のことを思い出して、思わず真っ赤になってしまった。
身体が瞬間的に熱くなって、足のあいだが潤んでくる。久しく感じなかった欲求が突き上げてきて、アンリエッタは潤んだ目を瞬かせた。
その様子をどう解釈してか、ヴィオラがおそるおそる尋ねてくる。
「アンリエッタ様も……その、公爵に、激しくされたことがありまして?」
「さ、さぁ……」
まさかそれを思い出して赤くなったとは言えず、アンリエッタは曖昧にごまかした。
だがそれが不自然さを煽ったらしい。今度はヴィオラのほうが、アンリエッタに向かって身を乗り出してきた。
「わたくしにはそちらのほうが意外ですけれど……公爵って、あまり感情的に振る舞うような方ではないと思いますし……」
確かに、普段のオーランドは冷静沈着を絵に描いたような人物だ。時折臣下と話しているところを見ると、夜の彼とは別人のように思えることがある。
きっとヴィオラにとってのレオンもそんな感じなのだろう。お互いの伴侶の夜の顔を知らないから、意外だ、意外だと言い合ってしまうのかもしれない。
「わたくしにはレオン様のほうが意外だけれど……やっぱり、血が繋がっているから、似通っているところも出てくるのかしら?」
「どうなのでしょう」
ヴィオラも首を傾げた。
「でも、ローフェルム公爵は、その、変な要求とかはしてきませんわよね?」
「まぁ、変な要求?」
アンリエッタは思わずきょとんとしてしまう。
変な、とはいったいどんなものだろう。寂しさに沈んでいた心がまたわくわくしてきて、アンリエッタはつい深く聞き出そうとしてしまった。
「そ、その……く、口で、咥えろ、とか……」
しばらくしてようやく白状したヴィオラは、真っ赤になった顔を両手で覆ってしまう。
アンリエッタもつられて赤くなりながら、一度だけそうやったときのことを思い出して、少し複雑な気分になってしまった。
(レオン様は、ヴィオラ様にそういうことをしてほしいと思ってらっしゃるのね……)
アンリエッタも一度だけ……本当に以前のことだが、オーランドに一物を口で愛撫するように要求されたことがある。
だがあのときはオーランドもアンリエッタのことを王妃の手先と疑っていて、彼女を遠ざけるためにわざとぶつけた要求だったのだ
のちにそのことを反省したオーランドは、アンリエッタに一物にふれさせることはあっても、二度と口で咥えろとは要求してこなかった。
もっとも、その『ふれさせる』ことに関しても、城の大浴場でのぼせて以来、オーランドは自戒するようになってしまったが……。
(でも、あのときのオーランド様は確かに『さわってくれ』とおっしゃっていたし、気持ちよさそうになさっていた気がするわ)
おぼろげな記憶だけに詳しく思い出せない。あのときはアンリエッタもオーランドの指淫を受けて、自分の快楽を追うことに必死になっていたのだ。
まったく、そうやって自分の悦楽ばかり満たしているから、オーランドもなにも要求してこなくなったのではないか……思い当たったアンリエッタは、自分自身につい毒づいてしまった。
(でもやっぱり、レオン様もそうなのだから、オーランド様だってきっと……)
「ねぇ、やっぱり殿方ってそうされると嬉しいのかしら?」
気づけばアンリエッタは、疑問をはっきり口に出してしまっていた。
「はいっ?」
ヴィオラがひっくり返った声で聞き返してくる。
「あ、アンリエッタ様?」
「だって、そういうふうに言ってくるということは、つまりそういうことだからということでしょう?」
さすがに具体的には言えずに濁してみるが、ヴィオラには充分通じたらしい。心なし少し後ずさりながら、「ま、まぁそうかもしれませんけど……」ともごもご答えた。
「その、アンリエッタ様も……公爵に、そういうことを言われたことがあるのですか?」
当然と言えば当然の問いに、アンリエッタはぎくりとした。
「え、ええ、その、一度だけ……で、でもあれは数に入らないの。わたくしもまだ嫁いできたばかりの頃で、その、閨での作法もよくわかっていなかった頃だから」
下手をすればオーランドの株を落としまいかねないと、アンリエッタは慎重に答えた。
しかしヴィオラはひどく衝撃を受けた様子で、みるみる藤色の瞳を釣り上げていく。
アンリエッタはよけいに慌てた。
「あ、どうか勘違いしないで。わたくしがつたなかったのも問題でしょうし……その、オーランド様は、わたくしが身体にふれるのにあまりいい顔をなさらないから」
自分の言葉に落ち込んでしまって、アンリエッタはつい肩を落としてしまった。
(それもこれも、わたくしがふがいないせいだわ……)
「公爵はそうなんでしょうか? レオン様はしょっちゅう、わたくしにああしろ、こうしろと言ってきますけれど……」
ヴィオラが唇を尖らせながら呟く。
アンリエッタはぱっと顔を上げた。そうだ。考えてみれば、レオンに色々な要求をされているヴィオラのほうが、男性を喜ばせる術に長けているのかもしれない。
「ああしろ、こうしろって……たとえば、どんな風に?」
逸る心を抑えながら、アンリエッタは尋ねた。
「どんなって……う、上に乗って、自分から挿れろとか……?」
「まぁ、自分から?」
アンリエッタは思わず素っ頓狂な声を上げる。そんなこと、彼女は一度たりともしたことがないのだ。
(他にはどんな方法があるのかしら……?)
男性を喜ばせるための方法。それがわかれば、オーランドも少しはいい気持ちになってくれるかも知れない。
いつもいつもアンリエッタばかりよくしてもらっていては申し訳ない。日々の政務に疲れている夫のためにも、アンリエッタはなんとしてでもその方法を学ぶ必要があった。
決意も新たに、アンリエッタはヴィオラの手をがっしり握る。
「ヴィオラ様、お願い! わたくしにそのやり方を詳しく教えて!」
「えっ、ええぇ!? そ、そんなっ、アンリエッタ様!」
案の定ヴィオラは仰天するが、アンリエッタはさらに迫った。
「だって、こんなことを聞ける相手ってヴィオラ様しかいないし……っ。わたくし、オーランド様に気持ちよくなっていただきたいのっ。いつもわたくしばかりよくしていただいて……不安なのよ」
ただでさえ、アルノートを生んだことで体つきも少し変わってしまった。
オーランドはまるで帰ってくる様子もないし、もしかしたら……ないとは思うが……別にいい人ができていたり、また娼館通いを始めてしまう可能性だって否定できない。
彼に連れられて高級娼館を訪れた経験は、どうやら未だアンリエッタの中で抜けきらない棘となってしまっているようだった。
「アンリエッタ様が不安になることなんてありませんわ! ようは公爵が甲斐性無しなのがいけないのではありませんか!」
ヴィオラが猛烈に反発してくる。彼女は基本的にアンリエッタの味方だ。
きっとヴィオラの中のオーランドは妻を不安にさせるできの悪い夫になっているに違いない。
「甲斐性無し……いいえ、甲斐性無しなのはわたくしのほうだわ。わたくしが今のままに甘んじていたから、きっとオーランド様もわたくしにそういったことを要求してくださらないのよ……」
反省と夫のフォローのためにアンリエッタは神妙に口を開く。
ヴィオラも言いすぎたと思ったのかふっと口をつぐみ、何事か考える顔つきになった。
「……わたくしはアンリエッタ様のほうがうらやましいですわ。どうやったら、レオン様もそういうふうにわきまえてくださるのかしら」
ふと、ヴィオラはそんなことを呟く。アンリエッタは驚いてヴィオラを見つめた。
どうやら彼女は、なんの要求もしてこないオーランドこそ素晴らしいと考えてしまったらしい。アンリエッタとしては、多少無茶を言われても気持ちよくなってもらえるならと思うだけに、真逆の考えにびっくりしてしまった。
とはいえ、お互い悩みが深いのは間違えようもない。
アンリエッタは、つい大きく頷いて身を乗り出してしまった。
「ねぇ、ヴィオラ様。せっかくなのですからたくさんお話しいたしましょう? わたくしにぜひ、殿方を気持ちよくさせる方法をお教えくださいな」
するとヴィオラも激しく頷き、これまでとは一転して思い詰めた様子でアンリエッタを見つめてきた。
「で、でしたらアンリエッタ様は、どうやったら殿方が変な要求をしなくなるかご伝授くださいっ」
こうして、端から見れば苛烈・赤裸々きわまりない女たちの話し合いは、夜通しで続くこととなってしまった。
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