いつわり王子は花嫁に酔う

佐倉 紫

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番外編

2-6 苦労

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アンリエッタとオーランドが仲直りしたところで、
再びエリナ視点でのちょっとした小話。
********************************************

「さっ。完璧ですわ王子妃様。いかがですか?」
「まぁ……なんだか新鮮だわ。不釣り合いじゃないかしら?」
 姿見に映された自身を見て、アンリエッタは不安そうに手元や背中を覗き込む。
 若いうちから紫色のドレスを着こなせる令嬢はそうそういないだろう。
 しかし今日のアンリエッタはどこからどう見ても完璧だ。美容と装いには人一倍気を遣う侍女たち全員がそう思うのだから間違いない。
 落ち着いた紫色の中で、美しく整えられた胸元の白さは特に際立つ。首元にあしらわれるのは、彼女が祖国フィノーから持参してきたダイアモンドだ。一粒一粒は小さいが、それが朝露のように輝き合って、まるでレースのように細い首を引き立てている。
 細い腕には肘まで隠す長手袋がはめられ、手首はやはりダイアモンドで飾り付けられていた。
 一方、髪に飾られているのは紫のリボンだ。ドレスの腰元にあしらわれた大きなリボンと同じようにふくらまされ、結い上げた髪をより可愛らしく演出している。
 アンリエッタが生来持っている愛らしさと気品の高さが、デコルテと宝飾具によっていっそう際立つものとなっていた。
 もっとも本人は、これほどたくさん宝石をつけて夜会に出るのは初めてのようで、しきりに手首や胸元を気にしていた。特に胸元は開きすぎだと思っているらしく、落ち着かない様子でちらちらと見下ろしている。
「どうぞ自信をお持ちください。本日の夜会で一番輝くのは間違いなくアンリエッタ様です。わたしどもが保証するのですから間違いありません」
 エリナが自信たっぷりと言うと、一列に並んだ侍女たちも大きく頷く。アンリエッタはまだ浮かない顔をしつつも、みんながそう言うなら……という様子でおずおずと微笑んだ。
「さて、そろそろ会場入りしないと間に合いませんわね。殿下はなにをしておいでなのかしら?」
「――失礼します。オーランド第一王子殿下のおなりです」
 ちょうどそのとき、今に通じる扉から侍従の声が聞こえて、侍女のひとりが慌てて扉を開けた。
「アンリエッタ、支度はできているか?」
 そう言いながら入ってきたオーランドを見て、エリナは思わず「まぁ……」と目を見張ってしまった。
(こっちは緑色の衣装でやってきたか……)
 オーランドは複雑な刺繍が施された上着を着込んでいた。その色は深い緑色で、アンリエッタの瞳の色そのものである。悔しいことにこれがまたよく似合っていて、エリナはつい「ふーん」と胸中で唇を尖らせてしまった。
(アンリエッタ様をエスコートするという自覚はあるということね)
 妃がこれほど美しく着飾っているのだ。当然、夫もそれ相応の恰好をしてくれなければ見栄えが悪い。
 もし気の抜けた恰好をしてこようものなら一度追い出そうかと考えていたエリナだが――あいにく、その心配はなかったようだ。
「オーランド様、とってもお似合いですわ……!」
 アンリエッタが頬を赤くしながら歓声を上げる。一方のオーランドも、わずかに目を見張ってアンリエッタをまじまじと見つめていた。
「……美しいな」
 思わずこぼれてしまったというその一言に、アンリエッタが首まで真っ赤になってしまう。
 無理もない。それとなく聞いていた侍女たちまで、思わずどきっとしてしまうような、なんとも言えぬ甘さの滲んだ声だったのだ。
(あのオーランド殿下がこんな声を出すなんてね……)
「いやホント、綺麗だねぇ」
 そのとき隣からぼそっとした声が聞こえて、エリナは思わずその足を踏んでやった。オーランドの侍従である青年は「うっ」と声を漏らして、さっそくエリナに噛みついてくる。
「ちょっと。思ったこと素直に言っただけじゃないですか」
「それにしたって、ときと場所を考えなさい」
 おふたりが甘い雰囲気で見つめ合っている中、そんな間の抜けた声を響かせられるのは迷惑以外の何者でもない。
 思わずきついまなざしで睨んでしまうと、相手はちょっと眉を上げた。
「――あんた、名前は?」
「は? いきなりなに? なんであなたのようなひとに教えなくちゃいけないのよ」
「いーじゃないですか。使用人同士、仲良くしましょうよ。当の主人たちはもう周りの目なんか気にしないくらい入り込んじゃってますし」
「え? あっ」
 ちょっと目を離した隙に、オーランドはさっそくアンリエッタに手を出し始めている。
 アンリエッタが真っ赤になってあわあわしている中、エリナは慌てて二人を引き剥がしにかかった。
「ご自重くださいませ殿下! せっかく奥方様が美しく着飾っていらっしゃるというのに、舞踏会の前に台無しにするおつもりですか!」
「……そうだな、このあと舞踏会があるんだよな」
 オーランドは納得したように頷いたが、続けてとんでもないことを呟いた。
「広間じゃなくて寝室に行きたい気分なんだが――」
「いけません。ご自分のお務めをお忘れですか!」
「そーですよ。第一、戻ってきてからいちゃいちゃすればいいだけの話じゃないですか」
 意外なことに、やる気のなさそうな侍従もエリナに味方した。が、言っていることは論外である。
「い、いちゃいちゃって……」
 案の定、まだそういったことに慣れていないアンリエッタは恥ずかしそうにうつむいてしまう。
(フォローするならもう少し気の利いた言い方しなさいよ!)
 エリナはきついまなざしで侍従を睨みつけてから、未だアンリエッタから手を離さないオーランドを押しのけるようにして女主人を護った。
「……見せるのがもったいないくらいだ」
 オーランドがぽつりと呟く。
 百歩譲って、その気持ちはわからなくはない――愛する妻が美しく装っている姿を、自分の胸だけに留めておきたいというのは、十分納得できる心情だ。
 が、それはそれ、これはこれ。これだけ時間を掛けて支度をしたのだから、アンリエッタにはぜひともその姿で衆目の目を集めてきて欲しい。
「さ、急がないと遅れますわ。お早くっ」
 未だ渋るオーランドを説き伏せ、エリナは主人たちを送り出す。扉の前で全員で見送りをしたあとは、さすがに侍女たちも疲れた様子で伸びをしたり腕を曲げ伸ばししたりした。
「さて、あとは寝室と浴室の準備をしないと……」
 そう呟いて動き出そうとするエリナに、オーランドの侍従がぴゅうと口笛を吹いた。
「仕事熱心ですねぇ。ふたりが戻ってくるのはまだまだ先のことでしょ? 少し休憩したらどうですか?」
「王子殿下のあの顔を見たでしょ? どうせ必要最低限の挨拶だけしたら、すぐに会場をあとにして寝室に入り浸るわよ」
「言われてみれば確かに」
 納得の表情で頷いた侍従は、それからぷっと吹き出した。
「あんた、すごいなぁ。おれも大概、殿下には容赦なくものを言ってるけど、あんたほどひどくはないですよ? こりゃ、明日からもっとずけずけした物言いしても大丈夫かな」
「だから、時と場合を考えなさいってば。あなた、使用人生活はわたしより長いのではないの? なぜ基本的なことができていないのよ」
「いやぁ、金貨三枚で脅されていやいや連れてこられた身で、ここまでやってりゃたいしたもんでしょ?」
 そんなわけのわからないことを言って、侍従は軽く肩をすくめた。
「おれ、ユーリっていいます。さっきも言いましたけど仲良くしましょうよ。お互い主人に忠誠を尽くすつもりなら、これからも長い付き合いになると思いますし」
「あなた、ちゃんと忠誠心持ってるの?」
「いい質問ですねぇ。とりあえず、ここでの生活に退屈しない限りは、そこそこ忠実に生きてると思いますけど」
「あきれた男ね」
 はぁ、とため息を吐き出して、エリナは浴室の準備へ向かう。なぜだかそこにユーリはふらりとついてきた。
「だからちょっと休憩しましょうよ。すぐ戻ってくるって言ったって、一刻か二刻はかかりますって」
「あと一刻か二刻しかないじゃない。そのあいだに大量のお湯を沸かしておかなくちゃいけないんだから大変なのよ」
「なんでそんなに湯が必要なんですか?」
「知らないの? あのふたりが一緒に浴室を使うと、湯がいくらあっても足りないのよ」
「あー……それって要するに、浴槽の中でいちゃいちゃしすぎて、湯が足りなくなるくらいあふれまくるっていう……」
「お茶と水差しの用意もしないと。薄荷と檸檬ももらってくるべきかしら。喉にいいって言うし」
「おっ、だったらアソコのぬめりがよくなる香油ももらってきましょうよ」
「そっ、んな、卑猥なもの使うのはっ、あなたくらいなものでしょうよっ!」
「え? お望みだったら、あんたにたっぷり使ってあげてもいいですけど?」
 ぱんっ、と軽快な破裂音が寝室のほうから響き渡ったのは、たぶん気のせいではないだろう。


 この一件以来、絶っっっ対にこの軽薄侍従には近づかない、と誓ったエリナだが、その誓いは年明けにあっけなく裏切られる。
 レオン第二王子の立太子に合わせ、オーランドは妻とともに城を離れることを決意し、年の暮れにはほとんどの荷物を運び出してしまった。
 アンリエッタの求めもあり、喜んで新居へ同行することになったエリナだが……そこで、『絶対に近づかない』と誓った相手と顔を合わせるハメになったのである。
「どうも。そっちも新居の視察ですか?」
 相変わらずの軽薄さでそう声を掛けてきたユーリに、エリナは最大級の不機嫌な表情を向けてしまった。
「なんであなたがここにいるのよ」
「オーランド様にくっついていくことになったからに決まってるじゃないですか。すごいですねぇ。今度はひとつ屋根の下で一緒に働けますよ? 前もまぁそうでしたけど、城と一戸建てのお屋敷じゃ規模が違いますし。これでふたりの距離もぐっと近くに……」
「近づいてくるんじゃないわよ!」
 ぼきっ、と小気味よい音がして、頬を拳で殴られたユーリが大きくのけぞる。
 雪の中で輝く新居はさまざまな出逢いと希望を待って、若い使用人たちの戯れをそれとなく見守っているのであった。

************************************************
もとは「侍従・侍女視点から見る主人たちの日常」という
リクエストに応えるべく書き始めた「2-○」シリーズなのですが、
予想外に長くなった上、
全然いちゃいちゃさせられなかったのが大変心残りですorz

2012/12/30 誤字脱字修正しました。

全然求めていたシチュエーションと違う~!
とお思いになったなら本当に申し訳ないですっ。
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