被虐の王と不義の姫君

佐倉 紫

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第一章

004

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 大国オスベリアは、アルメリアの生国フォルランドから見て西に国境を接している。
 二国の関わりが始まったのは二代前の国王からで、それぞれ港の使用権と麦の融通を条件に和平条約を結んでいた。

 が、オスベリアがその気になれば、フォルランドなど一夜もあれば滅ぼすことができる小国だ。これまで二国が友好を保ってこられたのは、フォルランドが常に下手に出て、叛意はんいがないと身をもって示してきたことと、オスベリア国内での問題がいろいろと滞っていることにある。

 現に今も、オスベリアの北の山岳地帯では山賊、そして隣国の兵との小競り合いが続いており、南方では南から渡ってきた異教徒の台頭が目立っているらしく、とても国外に目を向けている余裕はないということだった。

 だが、新たに王位に就いた現オスベリア国王は、政治手腕に優れるだけではなく、戦場でもその才を発揮し、特に山賊に対しての猛攻はすさまじいものがあったと国内外に広く伝えられている。頭が切れるだけでなく、みずから戦場に向かい、軍を指揮することにも長けているというわけだ。

 そんな人物が王なのだから、もしかしたら彼の代で北の隣国との戦いは決着がつくかもしれない。異教徒に関しての制裁はまだこれといって加えていないようだが、その辣腕らつわんは国境を越えて遠くの国まで響いている。なにも手を打たないということはおそらくしないであろう。

 そんな人物が支配する後宮に入る――そう思うと暗澹あんたんたる気持ちしか湧いてこなかったが、今さら引き返すことなどできない。もう国境はすぐ目の前だ。
 馬車の窓からも関所が確認できる頃になって、アルメリアはついため息をついてしまった。

「王女様、晴れの門出にため息など不吉でございます。どうかご自重くださいませ」

 向かいに座る老齢の侍女が怖い顔で睨んでくる。
 今回の輿入こしいれに当たり、侍女頭としてつけられた女官なのだが、選出したのが兄王太子ということもあって、アルメリアには好意のかけらも持ち合わせていないようだった。

「ごめんなさい。気をつけるわ」

 そんな人物と争うなどまっぴらごめんだと思い、アルメリアは殊勝に謝る。
 その態度がまた、王族らしくないと言われる原因になっているのだが、二年間を修道女として過ごしてきた影響か、アルメリアは今さら王女らしく偉ぶる気持ちにはなれなかったのだ。

(院長様はもちろん、他の修道女や、子供たちはみんな元気にしているかしら……)

 王城に呼び戻され、修道院から出て早二ヶ月。そのあいだアルメリアは彼らに手紙を書くことも許されず、別れを言うことすらできなかった。
 修道院を出るとき、泣いてすがった孤児たちに「すぐ戻ってくるから」と、結果的に嘘をついてしまったことが、アルメリアの心をさらに重くしている。

 あのときは、本当にすぐに戻るつもりだったのだ。呼び出しはおそらく母王妃の体調のことだろうと思っていたから、大事がないようならまたすぐ修道院に戻る心づもりでいた。

 その母も、最後に会ったときは比較的元気そうだったが、隣国へ輿入れする娘にせめて元気な姿を見せたいと強がっただけだったのかもしれない。そう思うと今すぐにでも母のもとに戻りたい思いが募って、アルメリアはまたため息を漏らしそうになるのであった。

「ただいま、関所に到着です。門の向こうにオスベリアの衛兵が並んでおります」

 外から、この花嫁行列の責任者でもある護衛隊長の声が聞こえて、アルメリアは小さく頷く。
 すぐに扉が開いて、アルメリアは兵の手を借りてゆっくりと馬車を降りた。
 関所を挟んだ向こう側に、オスベリアの国旗を掲げた衛兵たちがずらりと並んでいる。

 不思議なことに、彼らのうしろには煌びやかな馬車も停車しており、そのそばにはそろいのお仕着せに身を包んだ女官らしき娘たちも並んでいた。

「オスベリア王国近衛隊、隊長ヴォルフが、フォルランド王国第一王女殿下に申し上げる。この関所からこちら側は、我がオスベリア国の領土。第一王女殿下には、どうぞ身ひとつで、国境を越えてきていただきたい」
「身ひとつでだと?」

 これに反応したのは、アルメリアの隣に立った護衛隊長だった。

「オスベリアの近衛隊長よ。身ひとつで、とはどういうことであるか。我らはフォルランド国王陛下より、第一王女殿下を貴国の王城まで送り届けるよう命じられている。姫君おひとりだけをそちらに向かわせることはできない」

 護衛隊長のもっともな言葉に、しかし賛同するフォルランドの兵は少なかった。
 普通、兵士たちは賛同する意を伝えるときは、手にした槍を地面に打ちつけ同意を示す。だが実際に槍を動かしたのはほんの一部で、あとは隣の者とひそひそ話を始めたりと、落ち着かない様子を見せていた。

 それ以上にざわついていたのは、アルメリアの背後に控える侍女たちだ。
 侍女頭こそ騒ぎ立てなかったが、世話役としてついてきた若い侍女たちなど、あからさまに「じゃあ、わたしたちはオスベリアに行かなくていいの……?」と期待顔で呟いている。

 身ひとつでこいと王女に要求するからには、オスベリア側は兵も女官も連れてくるなと言っているも同然だった。
 アルメリアもひどく驚き、隣に立つ護衛隊長の主張をもっともだと思ったが、それに頷くことは躊躇ためらわれた。

 侍女たちも兵たちも、『不義の姫君』である自分に同行することを決して快く思ってはいなかった。特に侍女たちは、主人であるアルメリアについて、二度と故郷の土は踏めないという絶望感を抱きつつ、ついてきたようなものだ。

 本来ならそんな心持ちでいることは許されないことだが、彼女たちはみな、王太子が輿入れに際して急いで集めた者ばかり……。そんな彼女たちにとって、隣国へ嫁ぐ姫君に付き従うことは、おそらく左遷させんと同じことであったのだろう。
 故郷の城へ戻る好機があるならば、しがみつきたいというのが紛れもない本音なのだ。

 兵にとってもそれは同じ。付き従う兵の半数はフォルランドに戻るが、もう半分はそのままアルメリアの護衛兵としてオスベリアに残ることが決まっている。彼らにしても、自分のような不名誉な王女に付き従うことは、決して本意ではないのだろう。

 そう思えば、アルメリアも強固に護衛隊長の言葉を支持しようとは思わなかった。
 むしろ……それもいいかもしれない、と、オスベリアの近衛隊長の言葉に頷きかけていた。

 どのみち侍女たちについてきてもらったところで、良好な関係が築けるとはとても思えない。
 もちろん、アルメリアも彼女たちの信頼を得られるように頑張るつもりでいるが、相手がこちらをあからさまに見下したり、避けたりしているようでは、努力するだけ無駄ではないかという弱気な気持ちも芽生えてしまう。

 事実、アルメリアはここまでの馬車旅で、同乗する侍女頭の対応には疲れ切ってしまっていた。ほんの少し姿勢を崩すだけでも親の敵のように睨まれるのだ。これではくつろげるものもくつろげない。

 また、彼女はどうやら兄王太子と頻繁に手紙のやりとりをしているようだ。おそらくアルメリアが変な気を起こさないよう指示を受けているのだろうが、こちらの仕草を逐一報告するような真似はやめてほしかった。

 これが輿入れしたあとも続くのかと思うと気が遠くなる。オスベリア王に嫁ぐことも憂鬱だったが、それ以上に、兄王太子の干渉をこれ以上受けることも苦痛でしかなかったのだ。

 かといって、アルメリアの立場で、自分を擁護してくれる護衛隊長の言葉を遮るわけにはいかない。
 じっと口を閉ざし、向こうの対応を待っていると、オスベリアの近衛隊長はわずかに口角を引き上げて、はっきりした口調で告げた。

「我が王は、他国の者をそばに置くことに非常に過敏になっておられる。貴国が我らの言葉を受け入れず、王のもとまで姫君に同行すると主張するならば、王の怒りを買うことは必定とだけ先に申し上げておこう」
「馬鹿な。オスベリア王は、妃となる姫君をなんだと心得る? こちらにおわす王女殿下は、我が国の王妃殿下がお産みになった唯一のお子様であり、王国の至宝と讃えられた姫君である。相応の護衛や世話係を祖国からお連れになるのは当然のこと!」
「それはフォルランドの価値観であり、我がオスベリアでは通用しない。まして姫君はこれからオスベリア王の後宮に入る身。ならば、我らの言葉に従っていただくことこそ肝要かんよう
「なんという一方的な主張だ」

 唸るように呟いた護衛隊長は、まるで自分自身が侮辱されたように顔を真っ赤にしながら、アルメリアを振り返った。

「このような非礼を申す国に嫁ぐ必要などございません! 王女殿下、すぐにフォルランドにとって返し、国王陛下に抗議していただくよう要請いたしましょう!」
「そのときは我がオルランドとの盟約に反したとして、姫君のみならず、フォルランドの民すべてが不興を被ることになるのをお忘れなく」

 勝ち誇ったようなオスベリアの近衛隊長の言葉に、護衛隊長はますます頭に血が上ったようだった。
 このままでは、まず間違いなく言い争いになる。それで済めばいいが、お互いが剣を抜くような事態になっては取り返しがつかない。

 アルメリアは、とっさに声を張り上げていた。

「オスベリアの近衛隊長よ。そのような物騒な言葉は二度と聞きたくありません。あなた方の望みは、わたくしをあなた方の王のもとへ送り届けることなのでしょう?」
「いかにも」
「ならば、わたくしは貴国の要請に従います」
「王女殿下!?」

 護衛隊長がぎょっとしたまなざしを向けるが、アルメリアはオスベリア側にだけ視線を向けていた。

「お互い、このようなところで険悪な雰囲気になるのは望まないと思います」
「いかにも。姫君の寛大なお心に感謝いたします」

 近衛隊長が頭を下げると、居並ぶオスベリア兵も同意するように槍を打ち鳴らした。
 鷹揚おうように頷いて見せたアルメリアは、ようやく護衛隊長に向き直る。

「そういうことだから、わたくしの荷物だけ運び出すように。馬車を用意してきたということは、花嫁道具まで持ち帰れとは言っていないということでしょう」
「王女殿下……」

 眉を寄せる護衛隊長に、アルメリアは申し訳ない思いを抱きつつ口を開いた。

「あなたの忠誠心を嬉しく思います。けれど、わたくしは無用な争いを起こしたくはない。どうかわかって。……陛下と王太子殿下にも、そうお伝えしてちょうだい」
「それでよろしいのですか? あなた様には誇りというものはないのですか?」

 責めるような口調に、アルメリアはそっと睫毛まつげを伏せた。

「……誇りを護ることよりも、この場を収めることのほうがはるかに大切です」

 断固とした口調だったが……それは、陛下からアルメリアのことをくれぐれもと頼まれてここまできた護衛隊長の矜持きょうじを打ち砕く言葉だとわかっていた。
 案の定、護衛隊長はみるみる不機嫌な顔つきになり、失望を隠しもせずに吐き捨てた。

「『不義の姫君』と貶められるだけのことはある。あなたのような心持ちの方が、王女を名乗ってよいはずがない」

 はっきりと口に出され、アルメリアの胸に鋭い痛みが走る。
 それでも自分の行いに後悔するような振る舞いは見せず、アルメリアは顔を上げ、みずから国境となる関所を渡った。
 急いで運び出された花嫁道具が、兵士たちによって馬車に積み込まれるのを見つめながら、彼女は満足げな近衛隊長について、オスベリアの馬車に乗り込んだのであった。


「ここが姫君のお部屋になります」

 オスベリアの馬車に揺られて約半日。たどり着いたのは大きな街の宿屋で、このあたりではもっとも上等と思われるたたずまいをしていた。

 その最奥である貴賓室きひんしつに通され、アルメリアは小さくため息をつく。たった一晩の宿に、これほどよい部屋を使ってしまうのか。それだけで、オスベリアの財政事情が自国とまるで違うということを目の当たりにさせられた気分だった。

「宿の者に言いつけて、すぐに湯を運ばせます。ご希望とあらば、ここから道中の世話係も調達することができますが……」
「いいえ、大丈夫です。たいていのことは自分でできますので」

 王女暮らしだけしか知らなければ、きっとすぐにでもメイドを呼んでくれと頼んだろうが、幸か不幸かアルメリアには修道女だった過去がある。
 修道院では自分のことは自分ですることが基本だ。当然、世話係などいるはずもない。

 とはいえ、簡素な修道服と違い、装飾が多いドレスはひとりで脱ぎ着するのは不可能だ。そのあたりは宿の女手にその都度手伝ってもらわなければならない。
 部屋へ案内してくれた近衛隊長を振り返ると、彼は心得ているとばかりに頷いた。

「フォルランドの者たちから姫君を引き離したのは我々です。そのぶん、姫君には不自由のないよう計らわせていただきますので、御用向きの際はなんなりとお呼び出しください」
「ありがとう。そう言っていただけると助かるわ」

 強硬な手段だっただけに、オスベリア側にも良心の呵責かしゃくがあるらしい。それならば遠慮なくと思いながら、アルメリアはとりあえず手近な椅子に腰を落ち着けた。

「改めまして。わたしはオスベリア王国近衛隊隊長、ヴォルフと申します。姫君の護衛を仰せつかってまいりました。王宮までの約二週間の道のり、姫君の御身は我が国の陛下の名にかけて、必ずや後宮にお届けいたしますので」

 ひざまづき、胸に手を当てて頭を下げる近衛隊長からは、国境で見たときのような威圧感や強硬な姿勢は見られない。あのときはおそらく、自分たちの優位を知らしめるために、わざと尊大に振る舞っていたのだろう。

 そう思えば、大柄ながら屈託のない笑顔を浮かべる目の前の男が頼もしく思えて、アルメリアは自然と口角を引き上げていた。

「アルメリアです。よろしくお願いしますね」

 努めて柔らかな口調で言うと、ヴォルフはかすかに目を見開いて、じっとアルメリアを見つめてくる。
 アルメリアが首を傾げると、彼は慌てたように下を向いた。

「こ、これは失礼を……」

 その耳がかすかに赤く染まっている。

『不義の姫君』と呼ばれるようになって久しいアルメリアだが、それまでは王国の至宝として、国民から絶大な支持を受けていた美姫なのだ。目の前の男のような反応は、実はこれが初めてというわけではなかった。

 とはいえ異性のこのような反応を見るのは久しぶりで、アルメリアはつい苦い笑みを浮かべてしまう。
 それがあまりに寂しげに見えたのか、ヴォルフはその身体に似合わぬ慌てぶりで、早口にまくしたてた。

「きょ、今日はお疲れになったことと存じます。食事もこちらに運ばせますので、朝までどうか、ごゆっくりおくつろぎください」
「ありがとう。お気遣いに感謝します」
「で、では、わたしはこれで」

 立ち上がったヴォルフは、そそくさと一礼すると逃げるように部屋をあとにしていく。
 その後ろ姿にちょっと微笑みながら、アルメリアは夜空が広がる窓の向こうに目をやった。

 どうやらヴォルフは、思っていたほど高圧的な人間ではないらしい。
 知らない者ばかりに囲まれての旅は不安だが、それはこれまでだって同じだった。むしろフォルランドの者たちからは敵意じみた視線まで向けられていたのだから、王女として敬われるぶんだけ、これからの道のりのほうが精神的には楽かも知れない。

「そんなことを言ったら、またお兄様にあきれられそうね……」

 フォルランドから随行ずいこうした者たちも、今頃どこかで宿を取っているだろうか。早馬はすでに王城にたどり着き、国境での一件を父や兄に伝えているだろうか。

「どのみち、わたしはもう後戻りはできない……」

 窓の外に輝く星を、王城から父や母も見つめているだろうか。
 そうであればいいと願いながら、アルメリアは湯が届けられるまで、じっと星空を見上げていた。
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