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外伝 ダブリンの憂鬱【前編】

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 テーブルの上には、高級な酒と綺麗に盛られた料理の皿が並べられていた。デルモント伯爵家の晩飯は、俺が一月の間薬草を狩り続けたとしても、この一皿のスープでさえ作れないほど豪華な食材が使われていた。

 いつもなら、彼の家で御馳走になることなど殆ど無かった。しかし今日だけは特別な理由で、この夕飯のご相伴にあずかることになってしまった――。

少しだけ時計の針を戻す――

「おっちゃん氏、何かいい出物でも持ってきてくれたのでおじゃるか」

 ダブリンが目を輝かせながら俺を見た。

「悪いが、良い話ではあるが、ダブリンの御期待にはそえんのよ」

 明らかに分かりやすいぐらい、ガッカリとした顔になる。

「それは誠に残念じゃ。では、最近手に入れたアレでも見せるでおじゃる」

 そう言って、椅子から立ち上がろうとしたダブリンを俺は引き留めた。

「唐突だが、ダブリンは将来どうするつもりだ?」

 俺の問いに、ダブリンはわずかに困惑を浮かべながら答える。

「そうですな……麻呂には兄がいるので、家督を引き継ぐことはないし、こういう男だと認識さているので、このままゆっくりと老いていければと思っているでおじゃる」

「わははは。流石我が友、俺が思っていた以上にぶれて無くて嬉しいわ」

「それは馬鹿にしているでおじゃるか」

「いやいや、俺には羨ましすぎて、つい口に出た言葉だ。ただ、今回自分が持ってきた情報は、デルモント伯爵家の将来に関わる話しだ。もし道を間違えば、ダブリンの未来は悲しいものになると思え」

「おっちゃん氏、冗談にしては少し笑えんでおじゃるよ」

 俺はわざと声を低くして話した。

「第一王子のカティアが王になることは知っているか?」

「なっ!? おっちゃん氏が何故知っているのでおじゃるのか……」

 ダブリンがぎょっとした顔を作る。

「ほっとしたよ……ここまで無知だったらどうしようもないと思ったが、これなら何とかなるかもしれんな。ここからは我が友だから話す情報だ。伯爵や兄は知らされている可能性があると思うが、ローランツ王国は魔王討伐を企てている」

「なっ! なっ! その話は本当でおじゃるか!!」

 驚きに目をまたたかせる。

「しっ、声が大きい。メイドに聞かれたらどうする」

「すまんでおじゃる」

 ダブリンが叱られた子犬のようにしゅんとする。

「この戦は必ず魔王に負けるぞ……そして王家の首が全て飛ばされる」

 声のトーンをさらに一つ下げ、彼に告げた。

「ひいいぃ! ただ、我が国が負けるとは限らないでおじゃる」

 その俺の言葉を否定するように、もう一つの可能性にダブリンはすがった。

「俺は先日、魔王に会ってきた。奴は化け物だ! 詳しいことは省くが、第二王女パトリシアに付くことが、正しい選択だ。調子に乗ってデルモント家がこの戦に参加したら、全て失う可能性が大きいぞ」

「兄上の性格なら、戦に参加しそうでおじゃる……」

 真っ青な顔で嘆いて見せた。

「いまデルモント伯爵家が一番にしなければいけないことは、パトリシア王女と強い縁を結ぶことだ。俺が出来るのは、この話を持ってきたのが、俺だと言えば、パトリシア王女は、何の疑問も持たずに受け入れてくれる」

 俺はダブリンに正解を指し示す。

「第二王女に力などないでおじゃるが……」

 至極真っ当な意見を述べた。

「『九つの匣』の話を思い出してみろ……その匣の中にパトリシアは含まれない」

「おっちゃん氏の情報を信じることが大前提でおじゃるな……。麻呂には家族を説得するには、敷居が高すぎでおじゃる」

 ダブリンはいつもの倍以上、太った身体をブルブルと震わせ、自分が動くことを拒否した。

「じゃあ、このまま虫たちとの生活とお別れして、冒険者にでも落ちぶれたら俺が薬草の狩りかたぐらいは教えてやるさ。すぐにそのぷよぷよの腹が小さくなるぞ」

 そう言って、ダブリンのお腹をムギュッと摘んでやった。

「我が友に出来るのはここまでだ……後は自分で何とかしろ」

 俺はテーブルの上の焼き菓子を懐に入れ、ダブリンの部屋から出て行く――

――右足に大きな子豚がしがみついてきた。

「説得など無理でおじゃる!! でも貧乏も嫌でおじゃる!!」

 今から屠殺場とさつばに連れて行かれるのを拒む子豚をじっと見つめる。

「やれやれ」

  俺は小さく呟き、呆れたように肩をすくめてみせた。
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