上 下
199 / 229

第二百話 魔王城【其の五】

しおりを挟む
魔王の側にいたメイドたちは、パトリシアを連れてそそくさと部屋から退出していく。

「音茶はすでに分かっておるだろうが、われは日本から、この世界で生まれ変わった転生者だ」

 俺は魔王の言葉を聞いて、ゴクリと唾を飲み込んだ。

「ああ、転生者に会うのは初めてだが、魔王の存在よりは信じられそうだ。話の腰を折って悪いが、この世界に来てから音茶という呼び名より、おっちゃんと呼ばれる方が多いので、魔王様もおっちゃんと呼んでくれた方がしっくりくる」

「そうか、ならわれにも、敬称の様を取って、魔王と呼んでくれ」

 魔王が新しい友人にでも挨拶するかのように軽口で返してくる。

「承知した。まずは魔王が負けを宣言した理由が知りたい」

 魔王を見据えて、質問をする。

「そうだな……まずは日本にいた頃の話をしよう……」

 そう言って、魔王は唐突に語り始めた。

「われは平成初期の生まれで、父親を早く亡くし、母子家庭という環境で育てられた。家は平成育ちの中では信じられないぐらい貧乏で、学校の行事で配ってもらったお菓子の方が、母親に与えられるお菓子の数より多かった……。そんな平成時代に考えられないような、食生活を送って生きてきた。ただ、母親に暴力を振るわれたり、愛情を受けずに育てられた訳ではない。ただ家にお金が少ない、そういう家庭生活を素直に受け入れ大人になった」

「生活保護とか、補助金とか貰っていなかったのか?」

「私の口から言うのは悪いが、頭の良い母親ではなかった……。生活保護は受け取らず、パートと幾ばくかの補助金は貰っていたと思う。だから買い物について行っても、お菓子や玩具を買って貰ったことはかなり少なかったな」

 魔王は少し曇った顔で話しを続ける。

「そんな生活の中でも、母は家で卵を使って手作りの焼きプリンをおやつに出してくれた。その当時、このプリンが一番美味しかった……。ただ、われがアルバイトを出来るようになると、自分が知っていた食の世界は大きく変わる。スーパーで売っている安いプリンでさえ、家で作った焼きプリンより美味しい物が多かった」

「なんとなく、分かってきた」

 そう言って、俺は小さく頷いた。

「そうなのだ……社会人になって働き始めたときには、母の作るプリンの味などすっかり忘れていた。そうして、この世界に転生したときには、もう魔王様だよ。おっちゃんは魔人国を巡って、食について何を思った?」

「食文化に関してだけ、あまり日本人の影響を受けず、その進化も文明の発展に比べてかなり遅れていると感じたな」

「そこよ……われは食に関しては全く興味が無く、ただ食べられれば問題はなかった。不味い美味いが分からぬほど馬鹿舌ではないが、この世界の食べ物で十分満足出来た。しかし日本で育ったわれには、この異世界の文化の低さには耐えられなかった。だからこの魔人国の発展を推し進めた」

「ジャンクフードと駄菓子で育った俺には、この世界は耐えられないわ」

「どっちが日本で先に生まれたのやら……」

 魔王は俺に小さくつぶやいたのを聞き逃さなかった。

「だな」

 少し声のトーンを上げて、返事を返す。

「科学の下地が無いので、数百年が過ぎようが、ネット文化が生まれることは諦めはしたが、この世界で気楽に生きれる、ナーロッパが心地よい世界なのだ」

 魔王はそこまで話して、間を開けた――

「少々前置きが長すぎたな。で、その結果がこの有様よ。まさかプリンを食べて、母親の味を思い出すとは思いもしなかったぞ……。魔王になってから、人を四十万人殺した所で、心が揺るがない。人の生き死にで揺らいでしまう感情が無いのではなく、草が枯れて悲しむ人間なんぞいないであろう。それによく似ている。興味のない生き物を何人殺そうが、それは地面の下で歩いている蟻を、知らぬ間に踏み殺していると同等の感情だ……。魔王という入れ物は、そう出来ていると理解している。われが日本人でなければ、創作のテンプレートのような、魔王になっていたのかもしれない」

 魔王は話し終えたのか、テーブルの上で冷たくなったお茶を一気に煽った。

「で、感想はどうだ?」

 魔王からまるで上官のような口を聞かれたので

「長い」

 と、一言で言い切った。

「フハハハハ、おっちゃんも、かなりいかれておるようだの」

 魔王が心の底から笑っているように思えた。

「結論としては、パトリシア王女を救ってくれるのか?」

 答えの分かっている質問を魔王にぶつける。

「もちろん、彼女の願いは叶えよう。アナベル! 話しは済んだ、部屋に皆を連れてきても良いぞ」

 魔王は扉に向かって、声を発した。メイドたちと一緒に、パトリシアも戻ってくる。魔王は椅子から立ち上がり、彼女のそばまで歩いていく。そうしておもむろに、口を開いた。

「パトリシア王女よ、喜べ!! お前の願いを受けてやる」

 魔王ははっきりと聞こえる声で、パトリシアに呼びかけた。

「あ、ありがとうございます」

 頬をピンクに染め、嬉しさを表す。

「ただし幾つかの条件をお前に与えよう。まずわれが戦勝すればはこを二十、受け取ることにした。もちろん王女は除外だ……、そこで上に立つのは、誰になるかぐらいは分かるであろう」

 パトリシアに冷たく光る目を向け、幼児を諭すかのように語りかける。

「は、はい……」

 パトリシアはこくりとうなずいた。

「それで、国が傾かないぐらいの最低限の派閥は作っておけ、出来なければ国は隣国に飲まれるからな。もう一つは、お前が持ってきた鉄砲だ。われはこれが世に浸透するのを望まん。戦争の終結後、これに関わった人間をすべて消し去る、しかし小さなゴミは必ず残ってしまうであろう。それを掃除するのが、パトリシア王女の大切な仕事だ。もし一粒のゴミが残っていようものなら……」

 魔王はそう言うと、片手を広げパトリシア王女の前に突き出し、その手をゆるりと握る。

「ハガガガガガガガガッ!!」

 パトリシアの口から信じられないような、悲鳴とも呻きともつかない奇声があげる。彼女は胸をお押さえ、そのまま黄色い水溜まりの下に崩れ落ちた。

「簡単に死なせはせぬぞ、この痛さが一生続くと思え! アナベル、悪いが王女を着替えさせてやってくれ」

 魔王は目を細めて、王女を一瞥いちべつした。

「分かったにゃん」

 メイドたちは、真っ青になってガタガタと震えるパトリシアを担いで、部屋から出て行った。

「つまらんものを見せてしまった」

「気持ちは理解できたが、どん引きしたわ」

 俺は苦笑いをしながら、この言葉を選んだ。

「これが魔王だ」

 そう彼女はうそぶいた――

 俺はパトリシアが帰ってくるのを暫く待とうと思ったとき、腹の虫がぐぐっと鳴った。

「そういえば、おっちゃんは何も食べていなかったんだな」

「どの口が言う……それどころではなかったぞ」

 お互い顔を付き合わせて笑い合う。

「せっかく、お前たちが持ってきてくれた酒が沢山あるのだから、今宵は飲み明かそうぞ」

「その提案は平和的で、大いに受け取らせて貰う」

 彼女はテーブルの上の呼び鈴を鳴らし、メイドに軽食を用意せよと命じていた。

「うちの料理長の作るつまみは旨いから、楽しみにしておいてくれ」

 彼女は口角を少し上げて、俺に言った。

「旨い酒と、美味い飯、それに美しい女……すべて揃えてくれて、おっちゃんは嬉しいよ」

「われが女だとどうして分かる?」

 妖艶きまわりない顔を、俺の鼻先まで近付けて来る……。

「そう信じて飲む方が、酒が旨いじゃないか」

それもそうですわね・・・・・・・・・……」

 彼女・・は嬉しそうにそう言ってから、わざとウフフと笑った――
しおりを挟む
1 / 3

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!


処理中です...