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第三十三話 蜥蜴の戦

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 少しだけ時間はさかのぼる――

 争いというのは時には些細な事から始まる。この戦もリザードマンの聖地である川の源流で、ドワーフが狩りの途中で水浴びをしていたことに、リザードマンが激怒した事が発端だった。もとから仲の悪い種族だったので、彼らが怒るのは詮無き事であった。しかし、本当にドワーフが聖地で蛮行をした証拠はどこにも無かった。太った小鬼が、水浴びしていたとしてもおかしくはない。

 それは時期が悪かった。いや、一部のリザードマンにとって政争の具にするには、打って付けの出来事であったのである。

 リザードマンの国王が亡くなりかけていた。次の王は長男が次ぐしきたりになっていたのだが、かなり評判の悪い王子であった。彼を王に支持する派閥と次男ガブリエル、三男イグザスを支持する派閥が均衡になっていた。そこで長男デュガルドは、聖地で水浴びをしたドワーフを政争の具に使い、自分の地位を盤石にするつもりだった。

 ドワーフとの戦力差はリザードマン陣営に大きく傾いており、戦になろうが負ける戦いにはならなかった。ドワーフ国も彼らとの戦いは望まなかったので、色々な外交を仕掛けたが、そういう事情で上手くまとめる事が出来ずに戦争に至った。

「デュガルド王子、陣形は整いました」

「これから王冠を頂く事にしようか」

 目を細めて、獲物を前に舌舐めずりをした。

「しかし、敵陣が塹壕を掘って待ち構えているのが気になります」

 彼の取り巻きの一人が口を挟む。

「あのチビたちは震えながら、弓を構えて穴蔵にこもっているのさ」

「しかしながら突撃するには、やや無茶な気がするのですが……」

「何を言っているんだ! 我らの堅い鱗に覆われた身体に、ひ弱な種族の矢が致命傷になるはずはなかろう。しかも、あいつらと来たら、自分たちで造った鎧をバカスカ売っていたのだから、どうしょうもない種族とは思わんか?」

 鎧を親指で突きながら部下に問いかける。

「そうですね。この身体を矢で打ち抜かれる前に、敵陣を蹂躙させる事が出来ます」

「はははは、そうだろう」

 声高らかに笑う

              *      *      *

「今回はしてやられたわ……あの愚兄がドワーフに喧嘩を売るとは思わなかった」

 ガブリエルは苦々しい顔をつくる。

「ドワーフに射殺でもされれば、すべて片付くのですが……」

「ああ全くその通りだ。しかし、あの陣形を見てみろ! ドワーフがどう足掻いたところで我が軍が負けるはずは微塵もない。俺がこんな端に配置され武勲の立てようもない。兄の手のひらの上で踊る戦じゃ!」

 地面につばを吐き捨てながら毒づく。

「弟君が陣を横に構えている事だけが救いですかな」

「まあな……弟が戦果をすべてかっさらう事を祈るしかない」

「そろそろ戦闘が始まりますね」

             *     *     *

 リザードマン軍は、ドワーフが引きこもる塹壕に向けて走り出した。地面から土煙が舞う。塹壕の中から無数の矢が飛び出る。

「みろ! 我が兵達に矢が効いてないではないか」

 密集したリザード軍に雨のように矢が突き刺さっているように見えるが、一向にその進撃は止まらない。しかし、塹壕まで十メートルを切った位の距離で、リザードマン軍に変化が訪れた……。弓矢の攻撃でバタバタ倒れる将兵。弓の攻撃をくぐって塹壕まで届いた兵隊も、槍になすすべもなく打ち倒されていた。少し後ろから指揮をしていたデュガルドは、何が起こったのか理解できなかった。兵たちは悲鳴をはじめる――

「なんだこの鉄線は刀で切れない」

「ああっ!痛いよ押さないで」

 鉄線の前で困惑する兵士たち――力押しで有刺鉄線を乗り越えようとするが中々押し切れない。悲しいことにその動きが抑えられた隙に、次々と塹壕から飛び出す矢と槍の嵐に兵達は地面に叩き伏せられる。冷静になれば色々な対策が立てられたはずなのだが、最初に小隊長が狙われた事で、将兵の多くは命令系統を失い崩れてしまっていた。力押しでも破る事の出来ないその陣に兵達は恐怖におののき、混乱に拍車が掛かりいつもの力が出せなかった。

「何をやっているんだ!」

 歯軋りをしながらデュガルドは陣の立て直しをはかる。しかし、余りにも簡単に近づきすぎた彼の身体は、クロスボウの的になってしまった。数本の矢では彼は倒れはしなかっただろう、しかしハリネズミのように矢が突き刺さった彼に助かる術はなかった……。

 「ぐはっ……何故こんなところで」

 ドワーフの罠に気付かないまま血を吐いて倒れる。

             *     *     *

 ガブリエルは端の陣から戦闘を俯瞰してみているが、何が起こっているのか全く分からない。ただ自軍がドワーフ軍の前に次々と倒されていく事だけが分かる。撤退しようか迷ったとき馬に乗ったドワーフ軍が見えた。この距離ならまだ大丈夫だ……馬から無数の矢が飛んできた。何故か堅い鱗で弾くはずの矢が身体に突き刺さる。

 ドワーフの急撃は直ぐに収まったが、この隊を治めるガブリエルと彼を支える側近がほとんど矢の餌食になり、部隊の機能を完全に失っていた。眼前で仲間が倒れる姿を見て逃げるように隊は後退していった。

 デュエル率いる本隊が突撃していたとき、三男イグザスはドワーフ軍とがっつりぶつかりあっていた。美味しいところは兄に持って行かれて癪ではあったが、このドワーフ軍を蹴散らして武勲を挙げればいいと気持ちを切り替えて戦う。しかし、簡単に思えた戦闘が中々終わらない。後ろから指揮を出して、戦局を見つめているが、同等以上の戦力差でぶつかっているにも関わらず、見るからにこちらの方が少ない兵で防戦一方になっていた。

「イグザス様……少しおかしい気がしませんか?」

「わかっておる! あやつらの数が援軍もないのに増えているわ」

 リザードマンとドワーフの力の差は歴然。しかし、人数が多ければどちらが強いのかはいうまでもない。あっと言う間にイグザス率いる軍勢はドワーフに飲まれていく。それと同時にデュエル軍が、ドワーフ本隊を攻めあぐねているのを見て、彼は震え上がった。

「て、撤退だ! 我が隊に撤退命令を出せ」

 このときの行動が良いか悪いかは分からないが、この戦で二人の兄を失ったイグザスはリザードマンの王となる事が出来た。しかし、このあと大きな内戦が始まるのは知るよしもない……。
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