テンセイミナゴロシ

アリストキクニ

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第三章

3-3 聖名

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(どうして衛兵はここであの女の子とずっと一緒にいた?)
 最初はあの金貨の山を守っているのだと思った。誰でも取れるのに取らないのは、衛兵からの処罰を恐れているからだと。しかし実際には彼は少女が金貨を取る様子を側で眺めていただけで、金貨を取った瞬間に転移でここに連れてきただけだ。
「衛兵の仕事が警備なら少女をここに送った後、すぐに戻って再度見張りをしないといけないはずだ……。しかし彼は少女と共にここでゆっくりと時間を過ごしていた。つまり……」
「つまり?」
「あの金貨の山には元々警備なんて必要ない? 警備に見えた男はただの転送役で、彼がいなくても金貨には早々触れられない?」
「ご名答」
(ならば……)
 金貨を取るための条件があるはずだ。だからあれだけ無造作においてあっても、そして衛兵が近くに居なくても盗られることがない。しかし盗られたくないなら、そもそもあそこにあんな形で置いておく必要がない。城の金庫にでも入れておけばいいはずだ。
「あの金貨はは取ってもらうためにワザと置いてある? あの少女がしたように、条件をクリアして取れる者を見つけるための金貨か? ならあの時の群衆の反応も理解できる」
「その通り」
 そしてその条件が、きっとピースメイカーが転生者を撃ち殺せて、僕がピースメイカーを殺せた理由なのだ。だがあの少女と僕とピースメイカーの間に一体何の共通点がある……?
 性別も年齢も違う、立場も境遇もまるで違う。僕と少女だけなら必死だった、みたいな答えもあるかもしれないけど……。実はピースメイカーも何かに必死だったのか?
「必死さ?」
「不正解。必死さって何だ? 何がどうなれば必死なんだ? そんな曖昧な基準ではない」
 ……わからない。この三人の共通点がまるで見つからない。
「よし、いいとこまで来てるからヒントをやる。俺の聖名にご注目だ」
 ピースメイカー……『平和を作る者』。しかしあの少女は別に平和をどうこうしてるわけじゃない。何かを作り出したりもしてないだろう。
「そもそも平和とは何だ?」
「……争いのない世界……」
 争いとはなんだろうか。 単純に戦争を指す? 戦争が無くても盗みが横行する世界は平和か? ピースメイカーが本当に完全な平和を作る者だとすれば? どうしてダウターは『この世界では小さなイザコザや争いも起きない』と言い切れた?
「この世界では罪を犯す者がいないのか……」
「よくたどり着いた。あと一歩だ」
 まずは罪を犯さないのか、それとも犯せないのか。これは明白だ、なぜならピースメイカーは能力で平和を作っていると最初から言っている、つまり彼は自分の能力で、殺しどころか全ての罪を犯せないようにしているのだ。
 では彼や僕が犯した殺人についてはどうなる? 殺人が罪に問われないのは……正当防衛ぐらいか? しかし彼も僕も正当防衛で人を殺したわけじゃない。彼が王なので彼の殺しは罪ではないという事か? それなら彼が否定していた『自分は攻撃できて、相手は攻撃できない』わけのわからない能力になってしまう。
「罪とは一体なんだ? 法すらなかったはるか昔、人は何を基準に人を裁いていた?」
…………!!!!!!

「悪意か……」

「そうだ。このピースメイカーが支配する世界、何人たりとも悪意を形にすること叶わず」
 思考から解き放たれた脳が大きな深呼吸を身体に命令する。あまりの疲れからその場に座り込んでしまった。
「椅子とテーブルだ」
 老婆が一瞬で設置を終える。
「俺は全ての世界の為に、何のためらいも後悔もなく転生者を殺している。お前はF組の仲間を守るために力を奮った。あの小さな女の子は、本当に必要だったからあの金貨を取れたのだ」
 なるほど……よく出来ている。あの金貨に手を出すことが出来るのは本当に困っている人だけなのだ。悪意無く国の財産に手を出せるぐらいに金が必要な、そういった人たちのみに取り出せる、いわば彼の能力の金庫に入れられているのだ。
「この世界に住む者は俺の能力の事をなんとなく理解している。何しろ人を罵ったり攻撃しようとすると身体が硬直し、ひどい時には息すらできなくなるのだから。一方で親が子を叱る時、ついとっさに手が出てしった時などはなんともない。頭でなく感覚で身についているのだ。『この世界で悪いことはできない』と」
「金貨の山はこの世界の福祉なのですね」
「そうだ。もしあの金貨を手に取れるぐらいに貧しい者達は、側に立つ転送役が瞬時にここまで送り、国からの助けを得る事ができる。直接話を聞き、現地に訪れ、手を伸べて助ける」

「だがこの力も万能ではない」
「そうでしょうね。善人であるということと、善人でなければいけないということはまるで違う」
「しかし俺はそれでいい。善人でいる事が辛い者などは、俺の世界では死ねばいい」
 随分と過激な思考をしているな……と少々引き気味に聞いていると、ダウターが助け舟を出すように語りだした。
「人が善人でいられない時っていうのはな、誰かの悪意に晒されたり、自分が辛い時に助けてくれなかったり、そいつ自身の問題じゃない時がほとんどなんや。でもこの世界に住むやつらには愛が溢れとる。隣人を常に気にかけ、分かち合い、助け合い、人の幸運を喜ぶことができる。もちろん内心まではわからん。メイカーの能力は悪意を形に出来ないだけで、悪意を胸に抱くことはできる。だからメイカーが殺された後、この世界は急速に元の戦争時代へと戻っていった」
「俺はそれをコネクターに見せられた時……正直ショックだった。結局人と悪意は切り離せないのかと。だから今はもっといい方法がないか、ずっと悩んでいる」
「まあ他の転生世界と比べたらここは天国みたいなもんやで。裏切りも騙しもない、もし誰かが傷つくような事故があったとしても、そこに悪意がないことが証明されてるんやからな」
 確かに、目の前の人が喋る言葉全てに一切の悪意がないと保証されている世界は、いったいどれほどすばらしいのだろうか。
 『お前のためを思って厳しい事を言っている』。この言葉が本当に真実なのだ。しかも厳しい事を言っているのだから、最悪の場合自分が呼吸困難になって死んでしまうリスクまである。本当に相手の事を心から思っていないとできない事なのだ。

「オールは献血に行ったことがあるか?」
「はい、多分。実際に行った場面は思い出せないけど、献血をしたという記憶はあります」
「そうか。俺は献血をしたことがない」
 ……ふざけているのか? それにしては隣のダウターが神妙な顔をしているし……
「俺は人間の時に心臓の手術を受けた事がある。もちろん輸血を受けてな。手術は無事成功し、俺は健康な日常に戻ることができた。……ある日献血の募集をしているところに出くわした、駅とかでよく見たことがあるだろう? 俺は自分が受けた恩を返そうと意気揚々と乗り込んだ。しかし輸血経験者は献血ができなかった。輸血によって命を救われた者は、献血でその恩を返すことができない」

「辛かった。目の前に飢えた子がいる。俺は食べ物を持っていない。しかし他のやつらは何かを食いながらその飢えた子を素通りしている。そんな気分だった。俺は悪意に弱かった。人の百倍は弱かった。『傷つける』と『傷つけない』の二択になった時に、『傷つける』を選べるような人間に弱かった。虐待のような悪意の塊がニュースで流れるたびに体調を崩した。結局俺はそれが理由で死んだ。歳を重ねるごとに増え続ける、悪意の情報量に耐えられなかった」

「馬鹿みたいだろう? 実際生きている間はみんなが俺を馬鹿にしていた。『人を助けたいならまずお前が全財産寄付すれば?』。悪意を咎めた時に返ってきたのはより大きな悪意だった。でもリーダーとアンダーは俺の為に泣いてくれた。だから俺はこの命全てを何度だって捧げると決めている」

「この能力は俺のすべてだ。俺が生きていた証であり、叫びであり、嘆きであり、怒りだ。聖名は転生者の生き様なのだ」
 思わず隣のダウターを見る。はっきりと本人の口から聞いたわけではないが、恐らく彼の名も聖名だ。『疑う者』と名を付けられるほどの人生とは、いったいどんな苛烈なものだったのだろうか。

「聖名持ちがどうして強力な能力を持っているのか理解できたか? 天聖者の力は転生部屋で解放される欲の力と比例しているのだ。求めれば求めるほど大きな力を与えられる。聖名とは欲望だ。世界を包み込んで、変えて、壊したいと心の底の底から強く願った者の成れの果てだ」


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