テンセイミナゴロシ

アリストキクニ

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第一章

1-5 沈まずのマモリ②

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 今でこそ勇者として強権を奮っている彼ですが、私と出会った時はただの一番ランクの低い底辺冒険者でした。
 ろくな装備も持たず、かといって何か秀でた技術や身体能力を持っているわけでもない、それでも正義感と優しさは間違いなくあのギルドで一番の持ち主でした。
 私を囲んでいた人垣は逃げるように消え去り、化け物をみるように怯えている受付嬢の横を通って彼の目の前に立ちました。
 彼の震えは更に大きくなり、そのまま死んでしまうのではと思うほど顔は青ざめているにもかかわらず、それでも私の目を見つめていました。
「ギルドの皆があなたを馬鹿にしたことは謝ります。すみませんでした。どうか許してください」
 彼はまるで自分が罪を犯したかのように地に伏せて謝りました。私は彼の前にしゃがみこみ、床に重ねられた彼の両手に自分の手を重ねました。彼の身体がまたビクリと震えます。
「ありがとう。助かりました」
 私は彼に謝辞を述べました。彼は驚いた様子で顔を上げ、私をまた見つめます。それからは彼と一緒に食事を取り、雑多な話をしました。私と彼はすぐにとても仲良くなりました。

 ギルドの他の人たちはそれから後もずっと私に怯えておりましたので、私たちはたった二人でパーティーを組むことにしました。彼も私もとても非力で、何かを倒したり殺したりは非常に苦手であったので、薬草の採取や洞窟のマッピングなどで生活費を稼いでいました。

 今思えばあの頃が一番幸せだったのかもしれません。

 ある時ギルドに王族からの依頼が飛び込んできました。内容は『毒の大地に自生する大樹から滴った癒しの雫の入手』、それも小瓶一本分などの少量ではなくできる限り大量に、とのことでした。どうやらこの国はこれから戦争を始めるつもりだ、ということを受付嬢から聞きました。
 報酬は豪邸がいくつも建てられるような破格の金額でしたが、ギルドの誰一人としてこれに挑戦する者はいませんでした。毒の大地とは数歩進むごとに様々な種類の毒霧や飛沫が飛び交う場所で、そこに自生する植物や動物も皆致死性の毒をもつ大変危険な場所だったからです。
 最上級の冒険者が専用の装備をいくつも用意し大人数でパーティーを組んで、その上魔法や薬品を常に駆使してようやく歩くことができるほどの過酷な環境で、今までの最長滞在記録は三日とのことでした。
 私の初めての友人は非常に貧しい家の末っ子で、口減らしの為に家を追い出された後に冒険者としてなんとか暮らしながらも、わずかに残ったお金を自分の家族やその周囲の同じく貧しい村人に分け与えるような、とても心優しい、悪く言えばこの世界ではとても愚かな男でした。
 私は彼に少しの間だけ出かけてくるので待っていてくれと伝えました。彼はすぐに私の意図に気づいたようで、それはそれはものすごい剣幕で私を止めました。彼と出会ってから初めて耳にした大きな声を一身に受けながら、今度は私が彼の目をまっすぐと見つめました。

 それ以上の言葉は必要ありませんでした。

 出発の日、彼は私にとても高価な毒消しの薬をくれました。彼にこのような高級品が買えるはずもありません、驚いてよくよく彼を見ると、彼の装備が一つもない事に気づきました。
 私に毒は効かないから装備を買い戻してくれと頼みました。しかし彼は頑としてそれを受け入れようとはしませんでした。
 私の知らない毒があるかもしれない、そうでなかったらそれで誰かの命が助かるかもしれない。薬を返そうとする私の手をはねのける彼の強硬な態度に最終的に私が折れることになり、まるで丸裸のような身なりの彼に見送られながら、私が背負える限りの大きな壺を担いで村を発ちました。
 道中には何一つ、私の障害となるような物はありませんでした。獰猛な蛇やカエルも私に飛びついては跳ね飛ばされているうちにどこかへ消えていきました。立ち込める毒霧も降り注ぐ酸の雨も視界を少々遮るだけでしたので、足元にさえ注意していれば特にどうということはありませんでした。
 そしてついに目的の大樹がある場所ににたどり着きました。毒の沼に囲まれたこの地に生えるのは毒々しい枯れ木のような木々ばかりだというのに、その大樹だけは活力に溢れ、葉の緑は水に濡れて輝いておりました。その光景は、ずっと灰色の大地を見続けた私の目に痛いぐらいに生き生きとしておりました。
 喜び勇んで大樹に駆け寄ると、に一人の甲冑を着た人間が倒れていることに気が付きました。彼を見ると全身に黒いまだら模様が浮かび上がっており、知識がない私でも彼が毒に侵されているということが一目でわかりました。
 彼は息も絶え絶えでありながら自分が王国騎士団長であることを告げ、国王から預った宝剣をどうか国まで無事に持ち戻ってほしいと私に頼みました。目に涙を浮かべながらせき込む彼の手をぎゅっと握り、親友から受け取った毒消しの薬を彼に飲ませました。私は自分や自分が触れている物に対する攻撃を全て防ぐことができますが、すでに傷ついた誰かを治すことはできなかったのです。
 薬の効果はすぐに現れたようで、彼の症状も徐々に落ち着き肌の模様も消えていきました。一旦預かった宝剣を彼に返すと、彼はその身分に相応しい最敬礼を行い、感謝の意を長々と述べました。
 私たちはそれぞれ準備していた入れ物に並々と大樹の葉から滴り落ちる癒しの雫を集めました。彼のパーティーは全滅してしまったようだし、彼だけでは帰りにまた毒にやられてしまうかもしれないので、私と彼は一緒に帰る事にしました。毒の大地を抜けると彼は王国への入城証書に彼のサインを書いた後私に手渡し、どうか必ず会いに来てくれと何度も何度も念を押しながら去っていきました。

 私が村に帰ると村は騒然となりました。友は私に駆け寄り、皆君が死んだと言っていたが自分はずっと信じていたと泣きました。出発から既にひと月が経っていました。彼は見るからにひどく汚れ、随分と痩せてしまっていました。彼は僅かな手間賃で畑仕事の手伝いなどをしながら細々と暮らしていたようでした。全てを売り払って私にくれた毒消しの薬のおかげで人の命を救うことができたことを話すと、彼はまるで自分の命が救われたかのように喜びました。
 ギルドに依頼完了の報告を行うと同時に、村の全員小瓶一本分の報酬をそれぞれ分けることを告げると、村は数日上げてのお祭り騒ぎとなりました。ギルドの人たちは揃って今までの非礼を詫び、なぜか私の友も彼らと同じように地に伏せようとするのでそれを止めるのが大変でした。実は私が彼らに報酬の分配を言い出したのは、単にこの壺一杯の癒しの雫を誰かに奪われたり盗まれたりすることを危惧しての事だったのですが、みんなと酒を飲み、歌を歌い、大きな声で笑っている間に、そんなことはどうでもよくなっておりました。
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