テンセイミナゴロシ

アリストキクニ

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第0章

0-4 転生世界

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 結局休みらしい休みを取れたのはそれから何か月も経ってからのことだった。職場は相変わらずで上司からはやはり毎日のように仕事の遅さで詰められているし、同僚達は僕をストレス発散の道具か何かと勘違いしている。それでも僕は、あの私心を捨てて人助けに励む彼の姿を想像しながら何とか耐えている。
 休みの朝、大きめの登山用カバンに荷造りをすませてそれを背負う。彼が転生したのがどんな世界かは行ってみるまで分からないので念の為の用心をするにこしたことはない。携帯食や水分も多めに準備した。天聖者は基本的に食事や睡眠などを必要としない。それでもそういった行為ができないわけではないし、多くの者がやっている。
(元々長時間の作業とか苦手だったからなあ)
 二十四時間働き続けることができる肉体を持っているからといって、実行に移せるわけではないということだ。精神的な疲労はそのまま作業の効率に影響を与えるし、鬱になるものも当然いる。チート能力を持った天聖者ばかりの世界だというのに、精神を治したりできるような人は自分の知る限りでは見たことがなかった。まあそんなスキルがあったとしても、気分が落ち込んでいる時にそんな能力で無理やり元気にされるのは御免被るが。

 いつもの道を通って会社にたどり着く。部署のメンバーに見つかるとまた休日出勤か、などとからかわれるので不法侵入者の様にコソコソと転生部屋に忍び込んだ。
 大きな扉の前に立つ。両開きのドアそれぞれについている取っ手を両手で持ち、彼の事を思い出しながら同じ世界に連れて行ってくれと念じ、そして開く。入口には銀の膜がゆらゆらと揺れ動きまるで水面のようだ。僕は目をつぶりその中に飛び込む。
 わずかな時間身体がゆっくりと下に落ちていくような感覚、そしてフワリと着地する。目を開けると自分が飛び込んだ導きの門と同じ赤い扉が目の前にある。導かれるようにしてその扉を開く、するとその先に広がっていたのは……

 阿鼻叫喚の地獄絵図だった

 空は赤く燃え上がり、何かが爆発するような轟音と銃声、それに人々の叫び声や泣き声があちらこちらから聞こえてくる。いくら僕が仕事の遅い無能だとしてもすぐに状況を飲み込むことができた。
「戦争中だ……」
 僕が今出てきた導きの門が後でゆっくりと閉じ、消えていった。一瞬、また門を召喚して天聖界に帰ろうかとも考えたが、これぐらいの砲火では天聖者の身体に傷一つつけることはできない。それでもそこら中に転がっている死体や近くの家屋が瓦礫に変わっていく様子は僕の心を随分と疲れさせる。
 転生先で戦闘が起きていることは珍しいわけではない。僕はこの戦いが人間同士の争いなのか、それとも人間と悪魔や別の何者かとの戦いなのかを考える。
(まあ人間同士だろうな)
 悪魔と呼ばれる異形達が銃器を使うことはほとんどない。そんなものを使うより自分の能力を使った方がはるかに強いからだ。しかし非力で知恵が回る様なタイプの悪魔は人間の武器を好んで使うこともあるため一概にそうだともいえない。

「な! なんだお前は!」
 突然大きな声をかけられる。声の方を見てみると軍服にヘルメットをかぶった男が小銃を構え驚いた表情をしていた。
 それも仕方のないことだろう。よれてシワのよったスーツに大きな登山カバン。どう見てもこの場にはふさわしくない。この世界にスーツが存在していたとしても、今まさに攻撃を受けているこの町の人間でないことは一目でわかるだろう。
「あー、その。すみません」
 普段の癖でまず謝罪の言葉が出てしまう自分が嫌になる。しかし彼はよく訓練された兵士のようで、間髪入れず銃口を僕に向けて引き金を引いた。
 パン! と乾いた音が響く。兵士は未だ引き金に指をかけたまま僕の様子を伺っているようだが、その顔はどんどん青ざめていく。
「うおおおおお」
 彼は雄たけびを上げながら僕に向かって引き金を引き続ける。しかしその銃弾が僕に傷を負わせることはなかった。
「すみません」
 僕はまた謝りながら彼のお腹に拳を打ち込む。彼は白目をむいて倒れてしまった。
(姿変えるの忘れてたよ)
 こちらに来てすぐの出来事だったとはいえ、転生先の世界で案内人が目立つようなことはあまりするべきではない。最悪の場合転生者とのもめ事にも発展しかねないからだ。
 僕は崩れた民家にお邪魔し、タンスや戸棚を漁ってこの世界の衣服などをしっかり観察する。そして自分の服装とカバンをこの世界の様式あったものにコピーした。普段ならネズミか何かに変身するだけで済むのだが、今日の目的は僕がここに送りこんだ転生者と会うことなので人間の姿のままの方がいいだろう。
「しかしこのままじゃまずいな……」
 彼には回復系の能力を与えているので大抵の怪我ならすぐに治せるだろうが、問題は即死した場合である。彼が治療する暇もないまま死んでしまえばそれまでだ。死者を蘇らせる方法はない。
 そう、無敵や不死身なんてチート能力は山ほどあるくせに、死者を生き返らせる方法は存在しなかったのだ。他にも時間を巻き戻したり何かをリセットしてやり直すような能力も知る限りでは聞いたことがない。そもそもそんなものがあるのなら、どこかの誰かがやり直しを繰り返して転生世界中の魔王や悪魔を滅ぼしていることだろう。
「急がないと」
 僕は感知系のスキルをいくつか発動し彼を探す。頭の中にこの都市の構造がマッピングされ、逃げ惑う人の動きがポインターで表示されていく。その流れを追うように進んでいくと、先ほどの兵士とは別の軍服を着た男が大きな声で周囲の人間にこの建物に入るよう指示を出していた。市民たちはその誘導に従いどんどんとその建物の中へと入っていく。しかしそこは単なる倉庫のようで大きさもあまりない。造りにしても砲撃に耐えられるようなものではないことが先ほど発動したスキルからわかった。
 中でよくない事が起きている可能性を考えて僕もその建物へ飛び込む。やはりここは大きな倉庫だったようで、梱包された荷物が多く置かれている以外には特徴のない場所だった。
「並べー! 受け取ったらすぐに進めー!!」
 奥の方から怒号が聞こえてくる。よく見ると人々は乱雑ながらもなんとか列を作って動いているようで、その列の先では何かが配られているようだった。せかすような声や子供の泣き声が聞こえるものの、ここには最低限の規律が存在しているように見える。
 列はどんどんと前に進んでいく。どうやら列の先で配られているのは食料のようだ。列の人々はそれを受け取り、地下へと続く階段を順に降りている。
(防空壕のようなものに続いているのだろうか)
 この町では戦火に備えた準備がしてあったということだ。僕は感心しながらゆっくりと列から抜け、倉庫の入口の方へと戻っていく。入口からはまだ続々と人々が避難してきていたが、とうとうこの近くにも砲弾の落ちる音が聞こえてきた。
「長くは持たん! いそげえええええ!」
 入口で誘導を続けていた男が叫ぶ。僕は一瞬のうちに割れていた窓から外に出て屋根の上に上がる。眼下にはどうやら最後の生存者らしき家族が走っている。父親は両手で乳飲み子を抱え、その横で母親とみられる女性とまだ年端もゆかぬ少年が手を繋いで一生懸命走っていた。しかし体力の限界か瓦礫に足を取られたか、少年がつまずきその場にうずくまる。母親が急いで彼を起こすのを手伝うがなかなか起き上がれない。父親も乳飲み子を片手に持ち替え、少年の両手を父と母が一生懸命に握る。
「-------!!!!!」
 入口の兵士が何かを叫ぶ。上空からまさに大きな砲弾が親子めがけて落ちてきているのを見たのだ。両親は子を引きながら必死に前を見て走り続けている。しかし無情にも砲弾はまさに彼らのところに落ちーー

 ない。

 砲弾は急に大きく角度を変え近くの広場に落ちた。当然である。僕は悲劇がとても嫌いなのだ。

(転生者の頃を思い出すなあ)
 僕はカエルに変えた舌を元へと戻し、再び窓から倉庫の中へと潜り込む。中はもう兵士が二、三人残っているだけだったので『どこにいた!?』と驚かれたが、『隅で腰を抜かしていた』となんとか誤魔化し、先ほどの家族たちと一緒に地下へと進んだ。
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