【完結】聖女にはなりません。平凡に生きます!

暮田呉子

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第十五話

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 妻になる女性と出会ったのは婚約する時だった。
 病を患い、領地で療養するからと爵位を譲る手続きと共に、何の知らせもなく引き合わされた。
 彼女は成人して間もない十六歳の少女だった。
 柔らかな髪色だったことは覚えている。ただ、聞かされた年齢の方に驚いて、魔力がない事以外他の情報が入ってこなかった。
 この国の結婚適齢期は十八歳から二十歳ぐらいだ。
 彼女では早すぎる。体だって成長しきれていないだろう。
 だが、当事者を他所に、この婚姻はすでに両親達の間で成立していた。
 彼女の父親が特に彼女を早く嫁がせたかったように思う。まだまだ両親に甘えたい年頃なのに。
 しかし、二ヶ月後には婚姻まで済んでいた。
 挙式はしなかった。レイモンドの両親はさっさと爵位を譲ると領地へ行ってしまい、彼女の両親も挙式への参列は断ってきた。
 結局、二人の婚姻は神父の前で誓いを交わし、名前を書くだけの略式となった。
 おかげで、彼女と話し合うこともなく、求婚の証も用意できなかった。
 まるで売られてきたようだ、と思った。
 物言わぬ少女に同情すら覚えた。そんな彼女を見て、とても「宜しくお願いする」とは言えなかった。
 言いたくなかった。
 当時、すでに聖女の護衛騎士に選ばれて、自身が聖騎士である事に誇りを持っていた。
 その自分が幼さが残る少女と結婚したなど、誰にも知られたくなかった。彼女を大切にしたい思いより、恥じる気持ちの方が勝っていた。
 夫婦になっても寝室は別々に用意してもらい、彼女に触れることは一度もなかった。
 どうしても妻の同行が必要な有事には一緒に出掛けたが、お互いに話すことはなかった。
 その関係は歪だった。
 押し付けられるような形で譲られた屋敷は、未だに自分の物という自覚も芽生えず。少女のような妻が帰りを待っているなど、考えたくもなかった。
 次第に、屋敷に寄り付かなくなり、聖騎士団の隊舎に戻ることが増えていった。
 彼女のことは屋敷の者に任せておけばいいだろう。
 立場は伯爵夫人となる。今は距離が出来てしまっているが、いつかは時間が解決してくれると思っていた。


 レイモンドは団長に渡された離縁の証明書を握り締めた。
 書類には白い結婚であることが書かれていた。確かに結婚してから三年間、夫婦として成り立っていなかった。
 年に数回顔を合わせるぐらいの関係だ。それでも彼女が屋敷から出て行くとは思わなかった。言ってくれれば離縁にも同意しただろう。
 例え、彼女が聖女候補だったとしても。こんな形を取らなくても方法はあった筈だ。
 それより屋敷の者達は何をしていたんだ。彼女が出ていくのを止めなかったのか。
 なぜ、自分の元に知らせが入らなかったのだ。
 レイモンドは久々に屋敷へと戻ってきた。門番に顔を見せると随分驚かれた。
 変わったことはないか、と訊ねれば視線をさ迷わせた。
 そのまま門番の答えを待たず屋敷の中へ入ると、使用人達が慌てて集まってきた。

「お、お帰りなさいませ、旦那様」

 いつも冷静な家令はどこか焦った様子で、屋敷の主であるレイモンドを出迎えた。以前の家令は両親と一緒に領地へ行ってしまい、息子の彼が跡を継いだ。

「…あの、旦那様…奥様が」
「ああ、分かっている。妻とは正式に離縁した。それよりなぜ妻が出ていった時に連絡を入れなかったんだ?」

 頭を下げたままの家令に、レイモンドは溜め息混じりに訊ねた。家令は「それは…」と口を開いたが、そこに甲高い声が重なった。

「あら、お戻りになられたの? 旦那様!」

 二階に上がる階段から女の声がした。反射的に視線をやれば、体のラインがはっきりと分かる紫色のドレスを着た女が立っていた。
 燃えるような真っ赤な髪に同色の瞳。一度見たら忘れられない女だ。

「…君は」

 ゆっくり階段を下りてきた女は、レイモンドの前までやって来た。甘ったるい香水の匂いが鼻を突く。

「あら、お忘れになって? 遠征先でお会いになったじゃありませんか」
「……ああ、覚えている」

 男性の腕に手を絡ませて歩く女の姿に、他の騎士が囃し立てていたのを思い出した。

「ええ、そうでしょう。だって貴方も私を遠征先の部屋に呼んで下さったでしょう?」

 討伐や巡礼の遠征先で、騎士が花街に繰り出したり、娼婦を買って部屋に呼んだりする事は良くある。
 男は一晩の夢を買い、女は一晩の夢を見せるのだ。女もその一人だった。
 赤い紅のついた唇を持ち上げて、妖しく微笑む。しかし、レイモンドは眉根を寄せて女の存在を否定した。

「ーー私は呼んでない。誰かと間違えているじゃないか?」
「そんなことありませんわ。クロークス伯爵と名乗りましたもの」
「確かに私はクロークスだが、遠征先で女性を部屋に呼ぶような真似はしていない。聖女様の護衛に掛かりきりで、部屋では仮眠を取っただけだ」
「で、でも、そう名乗っておりましたわ」

 どこの誰が自分の名を語ったのか。一晩の相手とは言え、男は偽ってまで格好をつけたがる。
 爵位を持っていると言えば抱かれる女は悦ぶのだと言う。
 そんなところで勝手に家名を使われては、いい迷惑だ。

「それに、子が」
「子供…? 君は身籠っているのか?」

 女の手がまだ膨らんでいない腹を擦った。娼婦は妊娠しないために薬を服用している。それなのに、女はレイモンドの子を身籠ったと言ってきた。

「ええ。貴方の子ですわ…」
「待ってくれ。私は君と寝た覚えはない。まさか妻が出て行ったのは君のせいなのか。私の子を身籠ったからと言って」

 周りも含めて訊ねたのに、答えは返ってこなかった。ただ、彼らの表情を見れば聞かずとも理解できた。

「何ということを。一体誰に唆された? 子を成せば伯爵の愛人にでもなれると教えられたか?」
「ち、違います。愛人ではなく…」
「妻になれると? 貴族でもない君が?」

 仕事なら誰とでも寝る娼婦だ。腹の子もレイモンドの子でないとすれば誰の子供なのか分かったものじゃない。

「君の目的は知らない。だが、私の妻をここから追い出した事に変わりはない」
「私は、貴方のお父様に…っ!」

 口が滑ったのだろう、女は慌てて口元を押さえた。だが、もう遅い。

「父上だと? 私の父に、私の跡継ぎを作るように言われたのか」

 結婚させただけでは厭き足らず、子供まで押し付けてくるとは。療養先で大人しくしているかと思ったが、爵位を譲っても貴族は貴族だ。
 レイモンドは呆れて前髪を掻き上げた。遠征先の娼婦にまで息子の跡継ぎを頼むなんて正気じゃない。

「…フンッ、何よ! 私は悪くないわ! 貴方の子供さえ作って渡せば、一生遊んで暮らせるだけの金を用意してくれるって言ったのよ! それを貴方の妻が勝手に出て行ったんじゃない!」

 女はレイモンドの態度に納得いかず、全てを知られたことで開き直った。

「だいたい貴方の妻がここでどんな目に合っていたか知っているの!? あんな物置部屋に追いやられて、何が伯爵夫人よ! 笑わせないで!」
「……どういうことだ?」

 周りにいた使用人達がひゅっと息を呑んだのが分かった。人によっては肩が小刻みに震えている。
 すると、女はしたり顔でレイモンドに言い放った。

「本当に知らないようね。私は使用人から聞いたわ! 彼女、相当虐められていたそうじゃない! でもまぁ、旦那に愛してももらえない妻なんて、ただのお飾りですもんね」

 虐められていた? お飾り? そんな筈はない。

「彼女は伯爵夫人だぞ? この屋敷の女主人なのに、どんな扱いをしたんだ…?」

 屋敷に来て当初、彼女に用意された部屋は一等豪華な部屋だった。
 彼女は遠慮していたが、伯爵夫人として当然の室内に思えた。
 他にも宝石やドレスを用意させた。せめて不自由な思いはさせないように。必要な物は準備させたつもりだ。
 説明を求めると家令は顔面を蒼白させて怯えていた。レイモンドが放つ威圧に他の使用人達も立っていられなくなる。

「わ、私は…っ」
「ーー答えろっ!」

 激しく怒鳴るとそこにいた使用人は倒れ込み、女は気絶して崩れ落ちた。
 レイモンドは悪態ついて、女を部屋に運ぶなどして気持ちを落ち着かせた。

 家令から話が聞けたのは、それから一時間経った後のことだった。
 屋敷の中で起きていた陰湿な虐めの数々に吐き気がした。
 レイモンドに連絡が届かなかったのは、彼女への仕打ちが明るみになってしまうことを恐れてだった。
 家令は嫌がらせに加わらなかったものの、見てみぬ振りをしていた。
 もし対象の者を処罰するとすれば、明日から使用人の数は半分になると言う。頭の痛くなる話だ。

 レイモンドは家令に命じ、彼女が過ごしていた部屋を案内させた。
 連れて行かれたのは屋敷の正面入口から程遠く、明かりもろくに射し込まない部屋だった。
 そこは床板が剥き出しになり、部屋とは言い難い空間だった。
 歪んだベッドに、傾いたテーブル。扉のないクローゼット。
 彼女はこんな場所で、少なくとも二年は暮らしていたのか。
 なぜ、もっと早く…。
 考えれば考えるほど自分の愚かさと悔しさで胸が押し潰されそうになった。
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