【完結】聖女にはなりません。平凡に生きます!

暮田呉子

文字の大きさ
上 下
10 / 17

第十話

しおりを挟む
「今すぐ呼び戻してやりたいところだけど、貴方は嫌よね?」
「……はい、できれば。先程も私に気づいていなかったようなので」
「本当に――剣を振るうこと以外は駄目な男ね」

 わざわざ夫がいるところにマリアーナを呼んだのは、離縁状を渡す前の最終確認だったのかもしれない。
 冷や汗はかいたものの、妻の顔さえ覚えていない夫を見て、自分の行動は間違いなかったと思えた。

「でもこれで、貴方は自由よ。最後にもう一度、聖女候補に名乗りを上げる気はないかしら?」
「私は…やはり、立場や役目に縛られない環境で暮らしたいと思っています。普通に生活することが私の希望なんです」

 言葉を濁すことなく自身の望みを伝えた。ここで押しきられるわけにはいかない。何のために全てを捨てて屋敷を出てきたのか。
 マリアーナの願いはたった一つだ。しかし、ユリティアは右の頬に手を添えて難色を示した。

「普通ねぇ…。実際のところ普通というのが一番難しいのよ」
「そうでしょうか?」
「ええ、だって自分の人生が普通だったかどうかなんて、死ぬ間際にならないと分からないじゃない? 振り返って初めて気づくものよ。それとも貴方はそういった経験があるのかしら?」
「そ、それは…」

 まさか、一度死んだことがある、などと口が裂けても言えない。頭がおかしいと、このまま神殿に閉じ込められたら大変だ。
 マリアーナが返答に困っていると、ユリティアは降参するように両手を持ち上げた。

「まぁ、それは有り得ないわね。前世の記憶を持ったまま生まれ変わるなんて無理な話だわ。それでも貴方は普通の人生を歩みたいのでしょう?」
「……申し訳ありません」
「いいのよ。貴方が育った環境と白い結婚を考えれば当然の答えよ。気に病む必要はないわ」

 期待はされていただろう。同時に、聖女の道を選ばない事も予想していたようだ。ユリティアは仕方なく肩を竦めた。

「ただ、貴方の治癒魔法はとても素晴らしいの。だから、貴方の力が必要になった時は貸してくれないかしら?」
「はい! それはもちろん!」

 誰かの役に立てる、それは寂しく生きてきたマリアーナにとって最高の喜びだ。
 力強く頷くと、ユリティアは柔らかく微笑んでくれた。鋭かった視線も、すでにない。

「まったく親子で逃げられてしまうなんて、ついてないわ」
「あ、…」
「これは他で鬱憤を晴らすしかないわね」

 先程とは違い、悪い笑みを浮かべるユリティアに、何をするのかとは怖くて訊けなかった。


 二人の話し合いが終わると、ユリティア自ら扉を開けてくれた。扉の横には護衛の騎士達が待ち構えていた。

「それじゃあ、また会いましょうね」
「はい、ユリティア様」

 頭を下げて挨拶をすると、近くにいた騎士の一人が近づいてきた。

「出口までお送りしましょう」
「いいえ、心配には及びません」

 勝手知ったる場所だ。迷わずに歩ける。丁重に断ると、騎士は残念そうに一歩後ろに下がった。
 廊下に出たとき夫が横を通った。今度は一度もこちらを見ない。
 マリアーナは拳を握り締め、すれ違い様「さようなら」と小さく呟いた。
 一瞬、足音が止まったように聞こえたが振り返らなかった。マリアーナは光が射し込む廊下をひた歩いた。

 さようなら。
 一度も名前で呼び合わなかった旦那様。
 
 神殿から外に出ると、見上げた空はどこまでも晴れ渡っていた。
 これでようやく自由に、平凡な暮らしができる。
 マリアーナは嬉しくなって両手を突き上げた。貴族の淑女が見たらはしたないと言われるだろう。
 でも、咎める者は誰もいない。
 これから先、不安がないわけじゃない。それでもマリアーナの顔には笑みが溢れていた。

「さーて、今日はなにしよー!」

 伯爵夫人から平民に、マリアーナからマリに、立場も名前も変えた彼女の生活が、ここから始まった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

巻添え召喚されたので、引きこもりスローライフを希望します!

あきづきみなと
ファンタジー
階段から女の子が降ってきた!? 資料を抱えて歩いていた紗江は、階段から飛び下りてきた転校生に巻き込まれて転倒する。気がついたらその彼女と二人、全く知らない場所にいた。 そしてその場にいた人達は、聖女を召喚したのだという。 どちらが『聖女』なのか、と問われる前に転校生の少女が声をあげる。 「私、ガンバる!」 だったら私は帰してもらえない?ダメ? 聖女の扱いを他所に、巻き込まれた紗江が『食』を元に自分の居場所を見つける話。 スローライフまでは到達しなかったよ……。 緩いざまああり。 注意 いわゆる『キラキラネーム』への苦言というか、マイナス感情の描写があります。気にされる方には申し訳ありませんが、作中人物の説明には必要と考えました。

だから聖女はいなくなった

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」 レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。 彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。 だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。 キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。 ※7万字程度の中編です。

強制力がなくなった世界に残されたものは

りりん
ファンタジー
一人の令嬢が処刑によってこの世を去った 令嬢を虐げていた者達、処刑に狂喜乱舞した者達、そして最愛の娘であったはずの令嬢を冷たく切り捨てた家族達 世界の強制力が解けたその瞬間、その世界はどうなるのか その世界を狂わせたものは

一家処刑?!まっぴらごめんですわ!!~悪役令嬢(予定)の娘といじわる(予定)な継母と馬鹿(現在進行形)な夫

むぎてん
ファンタジー
夫が隠し子のチェルシーを引き取った日。「お花畑のチェルシー」という前世で読んだ小説の中に転生していると気付いた妻マーサ。 この物語、主人公のチェルシーは悪役令嬢だ。 最後は華麗な「ざまあ」の末に一家全員の処刑で幕を閉じるバッドエンド‥‥‥なんて、まっぴら御免ですわ!絶対に阻止して幸せになって見せましょう!! 悪役令嬢(予定)の娘と、意地悪(予定)な継母と、馬鹿(現在進行形)な夫。3人の登場人物がそれぞれの愛の形、家族の形を確認し幸せになるお話です。

神に逆らった人間が生きていける訳ないだろう?大地も空気も神の意のままだぞ?<聖女は神の愛し子>

ラララキヲ
ファンタジー
 フライアルド聖国は『聖女に護られた国』だ。『神が自分の愛し子の為に作った』のがこの国がある大地(島)である為に、聖女は王族よりも大切に扱われてきた。  それに不満を持ったのが当然『王侯貴族』だった。  彼らは遂に神に盾突き「人の尊厳を守る為に!」と神の信者たちを追い出そうとした。去らねば罪人として捕まえると言って。  そしてフライアルド聖国の歴史は動く。  『神の作り出した世界』で馬鹿な人間は現実を知る……  神「プンスコ(`3´)」 !!注!! この話に出てくる“神”は実態の無い超常的な存在です。万能神、創造神の部類です。刃物で刺したら死ぬ様な“自称神”ではありません。人間が神を名乗ってる様な謎の宗教の話ではありませんし、そんな口先だけの神(笑)を容認するものでもありませんので誤解無きよう宜しくお願いします。!!注!! ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾もあるかも。 ◇ちょっと【恋愛】もあるよ! ◇なろうにも上げてます。

あなたがそう望んだから

まる
ファンタジー
「ちょっとアンタ!アンタよ!!アデライス・オールテア!」 思わず不快さに顔が歪みそうになり、慌てて扇で顔を隠す。 確か彼女は…最近編入してきたという男爵家の庶子の娘だったかしら。 喚き散らす娘が望んだのでその通りにしてあげましたわ。 ○○○○○○○○○○ 誤字脱字ご容赦下さい。もし電波な転生者に貴族の令嬢が絡まれたら。攻略対象と思われてる男性もガッチリ貴族思考だったらと考えて書いてみました。ゆっくりペースになりそうですがよろしければ是非。 閲覧、しおり、お気に入りの登録ありがとうございました(*´ω`*) 何となくねっとりじわじわな感じになっていたらいいのにと思ったのですがどうなんでしょうね?

魅了だったら良かったのに

豆狸
ファンタジー
「だったらなにか変わるんですか?」

処理中です...