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第六話
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★ ★ ★
医療用の寝台に運び込まれたのは、右足を膝下から失った男だった。
「マリさん! 次はこの方の治療をっ!」
「はいっ」
藍色のワンピースに白いエプロンをした女性は、肩まで短く切った髪を一つに束ね、ぐったりとして動かない男に駆け寄った。
「すぐに治しますから!」
男は血を流し過ぎたせいか意識が朦朧としている。顔色も悪い。適切な止血がされていなかったらすでに死んでいただろう。
女性はぐっと歯を食い縛り、両手を開いて男の身体に翳した。
ーー彼が治りますように。
本来、高度な魔法を使用するとき、魔力を溜める詠唱が必要となるが、女性は念じるだけで放出させることができた。
傷口に緑色のモヤが覆い、新しい骨と、肉と、皮が生成されていく。
何度見ても不思議な光景だ。まず、失った肉体を戻す治癒など、扱えるのは大国でも数人ほどしか存在しないだろう。
それが、神殿の雇われ治癒師として働いていた。
「もう大丈夫ですよ」
力を込めすぎてしまったのか、頬にあった古傷まで綺麗さっぱり完治してしまった。女性は男を見下ろし、にっこりと微笑んだ。
男は涙声で感謝の言葉を呟くと、安心したのか眠ってしまった。重傷者は今の彼で最後だ。他は、軽傷者が列を成している。
女性は一瞬弛んでしまった気を引き締め、治癒を必要としてくれる人の元へ急いだ。
伯爵夫人だったマリアーナ・クロークスーーは、ただのマリと名乗って生活していた。
神殿の祝福を受けてからそろそろ一ヶ月。けれど、マリアーナの姿は神殿にあった。
「マリ様! 本日もお力をお貸しくださり、ありがとうございました」
祝福を担当してくれた若い神官が、休憩するマリアーナの所へやって来た。
マリアーナは至極丁寧に頭を下げる神官に肩を竦め、「様は止めてください」と何度目かになる台詞を吐いた。
「ああ、すみません。どうも癖がついてしまって。マリ様…マリさんのおかげでまた多くの方々を救う事ができました」
「私の力が役に立って良かったです」
顔を上げてふわりと微笑んだ神官につられ、マリアーナも口元を綻ばせた。
祝福の鑑定証を受け取るまでの七日間、その時から神殿で治癒師として働かせてもらっていた。給金もしっかり弾んでもらい、二階建ての小さな家を借りることが出来た。
神殿は鑑定証を渡してからもマリアーナが出ていくことに難色を示し、結局十日間ほどお世話になってしまった。
家を借りた後は冒険者ギルドで登録を行い、冒険はしないが治癒魔法の請負人を行うことにした。神殿にも治療の委託を希望され、週に三日は神殿に通っている。
「それにしても今日はとくに酷い怪我人が多かったですね」
淹れたての紅茶を啜ると、疲れた体に染み渡った。ほぅ、と息をついたが、神官の険しい表情にコップを持つ手が止まった。
「ええ、なんでも西の山に魔物の死骸が見つかったそうです。そこから瘴気が漏れ出して、毒気を浴びた動物が魔物化してしまったと報告がありました」
「それは恐いですね…」
「はい。今回は王都からも遠くない場所だったので、冒険者ギルドが魔物の討伐隊を組んで向かわせたようですね…」
なんとなく言葉を濁す神官に、マリアーナは視線を落とした。運ばれてきた冒険者達はまるで獣に肉を食い散らかされたような状態だった。
あの惨状を目にして、この任務は成功でしたね、とはとても思えない。だからと言って失敗したとも思いたくなかった。
「…そうですか」
マリアーナはカップを受け皿に戻し、束ねていた髪をほどいた。長かった髪をバッサリと切った時、買い取ってくれたのはなぜか神殿だった。
どうやら髪にも魔力が流れ、触れることで軽い怪我なら治ってしまうのだと言う。
「ただ、間もなく聖女様が遠征からお戻りになるので、今度は聖女様と聖騎士が向かわれるでしょう」
先程の神妙な面持ちとは違い、真面目な表情で見つめてきた神官に、マリアーナは居心地の悪さを感じた。
「それよりマリ様、やはりこのまま神殿で過ごされる気はありませんか?」
また様付けになっている。これは癖というより、期待の表れが読み取れた。しかし、マリアーナは迷うことなく首を振った。
「…すみません。私は貴族の方と接する機会が多い場所に留まりたくないのです」
神殿は確かに住みやすく、仕事のやり甲斐もあって、マリアーナを必要としてくれた。でも、神殿は貴族との繋がりが深い。
もし実家にこの事が知られたら、連れ戻されるかもしれない。そう考えると、言い様のない不安に襲われた。
「そう、ですか…。マリ様の治癒は聖女様に匹敵するほどの力がありますし、何よりマリ様に施された者達は皆一様に貴方を聖女様だとおっしゃるものですから」
「そんな、畏れ多いです。私はただの治癒師に過ぎません」
小さく肩を持ち上げたマリアーナは、冷めた紅茶を飲み干し、給金を貰って家に帰った。
ーー私が聖女様だなんて。
そんなことあるわけがない…。
ただ、本物の聖女には興味があった。例の討伐に向かうなら遠くからでも姿を拝見できるかもしれない。
「あれ? そういえば、聖女様が遠征中だったということは旦那様も王都にいなかったことになるわね」
つまり屋敷からの手紙もすぐには読んでいないだろうし、何より妻からの離縁も知らないだろう。
異議の申し立てをするとは思えないが、一ヶ月が過ぎれば彼は何も言えなくなってしまう。
「……まぁ、大丈夫よね。それにもう会うこともないだろうし」
と、思っていた自分が浅はかだった。
それから五日後、神殿から呼び出されて豪華な客間に連れて行かれた。
そこに覚えのある人物を見つけて目眩がした。
いや、それよりも。
「貴方が優秀な治癒師さんかしら?」
三人掛けのソファーにゆったりと寛ぐ美魔女……違う、聖女が座っていた。
その後ろに護衛の聖騎士が三人並んでいる。
一体、どういうこと?
パニックで頭が真っ白になってしまう。
と、とりあえず、おおお落ち着きましょう!
医療用の寝台に運び込まれたのは、右足を膝下から失った男だった。
「マリさん! 次はこの方の治療をっ!」
「はいっ」
藍色のワンピースに白いエプロンをした女性は、肩まで短く切った髪を一つに束ね、ぐったりとして動かない男に駆け寄った。
「すぐに治しますから!」
男は血を流し過ぎたせいか意識が朦朧としている。顔色も悪い。適切な止血がされていなかったらすでに死んでいただろう。
女性はぐっと歯を食い縛り、両手を開いて男の身体に翳した。
ーー彼が治りますように。
本来、高度な魔法を使用するとき、魔力を溜める詠唱が必要となるが、女性は念じるだけで放出させることができた。
傷口に緑色のモヤが覆い、新しい骨と、肉と、皮が生成されていく。
何度見ても不思議な光景だ。まず、失った肉体を戻す治癒など、扱えるのは大国でも数人ほどしか存在しないだろう。
それが、神殿の雇われ治癒師として働いていた。
「もう大丈夫ですよ」
力を込めすぎてしまったのか、頬にあった古傷まで綺麗さっぱり完治してしまった。女性は男を見下ろし、にっこりと微笑んだ。
男は涙声で感謝の言葉を呟くと、安心したのか眠ってしまった。重傷者は今の彼で最後だ。他は、軽傷者が列を成している。
女性は一瞬弛んでしまった気を引き締め、治癒を必要としてくれる人の元へ急いだ。
伯爵夫人だったマリアーナ・クロークスーーは、ただのマリと名乗って生活していた。
神殿の祝福を受けてからそろそろ一ヶ月。けれど、マリアーナの姿は神殿にあった。
「マリ様! 本日もお力をお貸しくださり、ありがとうございました」
祝福を担当してくれた若い神官が、休憩するマリアーナの所へやって来た。
マリアーナは至極丁寧に頭を下げる神官に肩を竦め、「様は止めてください」と何度目かになる台詞を吐いた。
「ああ、すみません。どうも癖がついてしまって。マリ様…マリさんのおかげでまた多くの方々を救う事ができました」
「私の力が役に立って良かったです」
顔を上げてふわりと微笑んだ神官につられ、マリアーナも口元を綻ばせた。
祝福の鑑定証を受け取るまでの七日間、その時から神殿で治癒師として働かせてもらっていた。給金もしっかり弾んでもらい、二階建ての小さな家を借りることが出来た。
神殿は鑑定証を渡してからもマリアーナが出ていくことに難色を示し、結局十日間ほどお世話になってしまった。
家を借りた後は冒険者ギルドで登録を行い、冒険はしないが治癒魔法の請負人を行うことにした。神殿にも治療の委託を希望され、週に三日は神殿に通っている。
「それにしても今日はとくに酷い怪我人が多かったですね」
淹れたての紅茶を啜ると、疲れた体に染み渡った。ほぅ、と息をついたが、神官の険しい表情にコップを持つ手が止まった。
「ええ、なんでも西の山に魔物の死骸が見つかったそうです。そこから瘴気が漏れ出して、毒気を浴びた動物が魔物化してしまったと報告がありました」
「それは恐いですね…」
「はい。今回は王都からも遠くない場所だったので、冒険者ギルドが魔物の討伐隊を組んで向かわせたようですね…」
なんとなく言葉を濁す神官に、マリアーナは視線を落とした。運ばれてきた冒険者達はまるで獣に肉を食い散らかされたような状態だった。
あの惨状を目にして、この任務は成功でしたね、とはとても思えない。だからと言って失敗したとも思いたくなかった。
「…そうですか」
マリアーナはカップを受け皿に戻し、束ねていた髪をほどいた。長かった髪をバッサリと切った時、買い取ってくれたのはなぜか神殿だった。
どうやら髪にも魔力が流れ、触れることで軽い怪我なら治ってしまうのだと言う。
「ただ、間もなく聖女様が遠征からお戻りになるので、今度は聖女様と聖騎士が向かわれるでしょう」
先程の神妙な面持ちとは違い、真面目な表情で見つめてきた神官に、マリアーナは居心地の悪さを感じた。
「それよりマリ様、やはりこのまま神殿で過ごされる気はありませんか?」
また様付けになっている。これは癖というより、期待の表れが読み取れた。しかし、マリアーナは迷うことなく首を振った。
「…すみません。私は貴族の方と接する機会が多い場所に留まりたくないのです」
神殿は確かに住みやすく、仕事のやり甲斐もあって、マリアーナを必要としてくれた。でも、神殿は貴族との繋がりが深い。
もし実家にこの事が知られたら、連れ戻されるかもしれない。そう考えると、言い様のない不安に襲われた。
「そう、ですか…。マリ様の治癒は聖女様に匹敵するほどの力がありますし、何よりマリ様に施された者達は皆一様に貴方を聖女様だとおっしゃるものですから」
「そんな、畏れ多いです。私はただの治癒師に過ぎません」
小さく肩を持ち上げたマリアーナは、冷めた紅茶を飲み干し、給金を貰って家に帰った。
ーー私が聖女様だなんて。
そんなことあるわけがない…。
ただ、本物の聖女には興味があった。例の討伐に向かうなら遠くからでも姿を拝見できるかもしれない。
「あれ? そういえば、聖女様が遠征中だったということは旦那様も王都にいなかったことになるわね」
つまり屋敷からの手紙もすぐには読んでいないだろうし、何より妻からの離縁も知らないだろう。
異議の申し立てをするとは思えないが、一ヶ月が過ぎれば彼は何も言えなくなってしまう。
「……まぁ、大丈夫よね。それにもう会うこともないだろうし」
と、思っていた自分が浅はかだった。
それから五日後、神殿から呼び出されて豪華な客間に連れて行かれた。
そこに覚えのある人物を見つけて目眩がした。
いや、それよりも。
「貴方が優秀な治癒師さんかしら?」
三人掛けのソファーにゆったりと寛ぐ美魔女……違う、聖女が座っていた。
その後ろに護衛の聖騎士が三人並んでいる。
一体、どういうこと?
パニックで頭が真っ白になってしまう。
と、とりあえず、おおお落ち着きましょう!
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